第3話 奴隷
女性にとっては気分の悪くなるエピソードかもしれません。
予めご注意下さい。
なお、奴隷に関する扱いなどは全くの想像です。
Wikipediaにおける『ポルトガルの奴隷貿易』を参考にしました。
ネタをばらす訳ではありませんが、ポルトガルは信長がきっちりと潰しますので、このエピソードで感じた気分の悪さは後々晴らします。
相当先の話ですが。
勝二が奴隷を見たのはこれが初めてではない。
ムンバイでもゴアでも鎖に繋がれた黒人奴隷はいたし、マカオに向かう船には、水夫達の性処理用に黒人女性の奴隷が乗せられていた。
狭い船室に押し込められて首輪で繋がれ、自由に歩く事さえも出来ない有様だった。
鎖で繋ぐ理由には逃亡を防ぐ意味があろう。
船からの逃亡とは海に身を投げる事だが、広い大海を一人で泳ぎ切れるモノではない。
逃亡即ち自殺と同じで、金を出して奴隷を購入した水夫達にとってみれば、折角の買い物が無駄になる、誠に腹の立つ出来事であった。
なので鎖に繋いで逃げられないようにし、長い航海の間に溜まる欲望を、女の奴隷に向かって思う存分吐き出すのだ。
そのような扱いを受ける奴隷が自身の事情を考慮される筈もなく、夜と昼となく訪れる男達の相手を無理やりさせられた。
女の奴隷には舌を噛んで死ぬ方法もあったが、そのような恐ろしい事を簡単には実行出来ない。
絶望と恐怖、苦痛の中、肉体的にも精神的にも追い詰められ、長い航海の末に死んでいく女達が多かった。
しかし水夫達が悲しむ事は稀である。
余程気に入った奴隷であれば勿体ないと思う事はあろうが、多くはまたかと思って気にも留めない。
着いた港で新しい奴隷を購入し、次の航海に備えるのだ。
そんな奴隷達の悲惨極まりない境遇に、ヴァリニャーノの顔は苦悶に満ちていた。
奴隷には情け容赦のない水夫達も、陸に上がれば善きカトリック信者ではあるからだ。
教会に出掛け、神への祈りを熱心に捧げる者達でもある。
神の愛を説くヴァリニャーノの説教を聞きに集まり、同じ足で女の奴隷を、文字通りに買いに行くのだ。
世界への布教を掲げて会を作ったイエズス会にとり、そのような水夫達が操る船に乗らねばならない事は大きな矛盾である。
大いなる神の愛の教えを届けに行っているのか、苦痛を広めに行っているだけなのか分からないからだ。
自分達では船を操れないので客として乗船するしかない。
そして船が向かう先はポルトガルが抑えた港であり、それはポルトガルが戦いに勝って得た領土を意味する。
戦いに勝ったのだから負けた相手が存在し、当時の負けは奴隷にされる事と同義でもある。
宣教師の行く先々が奴隷で溢れているのは当然であった。
そんな矛盾から逃れるように、宣教師達は奥地へ奥地へと入って行く。
お金なんて初めて見たというような素朴な住人に出会う事を喜び、神の愛を説いて回るのだ。
実は勝二にとり、奴隷の類を見るのは初めてではない。
アフリカで既に見ている。
それは独裁国家と隣接する資源国に赴任していた時だったが、町から離れた村が武装集団に襲われ、女と子供が連れ去られるという事件が度々起こった。
子供達は少年兵として戦場に送られ、女達は兵士の性奴隷にされ、なおかつ新たな兵士を生み出す道具にされているというのが専らの噂であった。
国連軍が介入して救出に成功した事もあり、被害者の心のケアの場に、救援物資を届ける中で勝二も立ち会った事がある。
目に光のない感情を失った被害者達に、頭をぶん殴られたような衝撃を受けた。
戦場に狩り出されて敵兵を殺した元少年兵にも会った事があるが、何かの弾みで洗脳された時のスイッチが入ったのか、突然手に持った箒をナイフのように構え、勝二の胸に向かって突き出す素振りを見せた。
その少年はすぐに自分のやった事に気づき、オイオイと泣き崩れて励ましてもどうにもならなかった。
人間の恐ろしさを嫌という程味わった、忘れようにも忘れられない記憶である。
そんな勝二であったが、やはり日本語での叫び声は特別だった。
アフリカの出来事も十二分に悲惨なのだが、どうしても他人事という意識が頭の片隅から離れなかった。
自分には関係がないという考えが抜けなかった。
どこか自業自得と思ってしまう自分がいた。
それはアフリカで経験した様々な苛立ちが影響していよう。
予定が立たない、交わした約束が守られないのは他の地域でも十分に体験していたが、アフリカはレベルが違った。
日本の常識が通じると思っている方が間違っているとは分かっていたが、空港で待ち合わせたのに散々に遅れ、結局来たのが1週間後ともなれば、こめかみがピクピクと震えても仕方がないだろう。
謝るどころか自分に非はないと強弁されれば尚更である。
暴力の被害者達に責任を求めるつもりは一切ないが、自国民の事なのに他国の支援を期待するだけのその国の政治家達の姿に、だから駄目なんだと声を大にして訴えたい思いを感じた。
しかし日本人ともなれば話は別である。
まるで自分の家族が酷い目に遭わされているような、居ても立ってもいられない居心地の悪さを感じた。
それは久しぶりに聞いた、日本人女性の日本語だったからかもしれない。
気づいた時には走り出していた。
『ちょっと待って下さい!』
鎖に繋がれた日本の女性を囲むように歩いていた、ポルトガル人らしき男達に声を掛けた。
『何だお前は?』
先頭を歩いていた男がぶっきらぼうに尋ねる。
身なりは上等ではなく、所々破れており、何より酷く汚れていた。
歩き方や日焼け具合、筋肉の付き方などから見て水夫であろう。
後ろの男達も同じであった。
『私は旅の者です。ちょっとお聞きしたい事がありまして声を掛けました』
水夫のガラは悪い。
荒くれ者が多くて喧嘩っ早く、ちょっとしたイザコザで人を殺める集団だと思えば間違いはない。
死と隣り合わせの航海を何度も乗り越えるには、それくらいの者でなければ耐えられないのかもしれない。
なので勝二は下手に出る。
長い航海の間に身につけた、水夫を刺激しない態度が役に立った。
『一体何だ?』
それが功を奏したようだ。
聞きたかった事を尋ねる。
『連れているのは日本人の奴隷ですか? ゴアでは見なかったので』
あくまで冷静に、興味本位という風を装う。
日本人の奴隷を買ってはならないとは、1571年にポルトガル王から勅命が出されている。
その事はヴァリニャーノ神父に聞いていたが、海外で徹底される筈もない。
ゴアと聞き、男達は途端に警戒を解いた。
自分達もゴアから来たばかりと言う。
『マカオだと日本の女は安いんだ』
自分達で買える金額で、早速買ったのだそうだ。
『日本の女は具合がいいんだぜ?』
仲間内で下卑た笑いが漏れる。
自分はアレがしたい、何をさせたいと、言葉にするのも憚られる内容の事を面白おかしく話し合った。
勝二は猛烈な吐き気を催していたが、サラリーマンたる者、顔に出す事はしない。
鎖に繋がれた女性は、そんな男達を恐怖に染まった目で見つめている。
鞭で打たれて赤くなった肌が痛々しい。
首輪と鞭で主従関係を教え込み、反抗心を奪うやり方なのだろう。
それは成功しているように見えた。
ふと女性と目が合った。
どうする事も出来ない自分が後ろめたく、慌てて目を逸らす。
姿形は故郷の男達と変わらない勝二に、女は必死に縋りつく。
「助けて!」
勝二は耳を塞ぎたい思いを抑え、聞こえない振りをする。
そんな勝二の様子に女は確信を抱いたのか、更に叫んだ。
「アンタ、こいつらと違って言葉が分かるんだろう? アタシを助けてよ!」
何事だと男達は二人を見つめる。
『お前、この女の言っている事が分かるのか?』
勝二に尋ねた。
『いえ、全く分かりません』
大きく首を振る。
しかし女はそれを即座に否定した。
「嘘だ!」
それは強い断定だった。
どうしてそう言い切れるのか勝二には謎であったが、正しいだけに尚更恐ろしい。
そのニュアンスが伝わるのか、男達も不審がり始める。
『お前、本当は何が目的だ?』
風向きが危ないと感じた。
言い逃れするにも慎重に言葉を選ばねばならない。
どうしようかと咄嗟に考えあぐねていると、どこからともなく間延びした声が届いた。
皆して声がしてきた方を見る。
「ショージさん!」
ヤスーキであった。
普段と変わらないのんびりした感じのまま、勝二の下へと駆けて来る。
雰囲気はのんびりとしていたが、その足は驚く程に早かった。
正直ありがたいような、余計にややこしくなる気がして勝二は焦った。
機先を制して勝二が言う。
『ヤスーキ君、どうしたのですか?』
それは覚えたてのラテン語だった。
ヴァリニャーノから教わった時にはヤスーキも同席しており、二人して勉強したので彼も話せる。
どうしてラテン語なのだと不思議に思いながらも、勝二の相対している集団を見て異常に気付いた。
『神父様に君を探してくるように言われたんだけど……』
ヤスーキもラテン語を使う。
その辺りは気の利く彼である。
さすがはあの信長に気に入られた男だと勝二は思った。
気が短いらしい信長なので、粗忽者では機嫌を損ねてしまうのだろう。
『成る程! では急いで戻りましょう!』
勝二はこれ幸いとばかり踵を返した。
『急用が出来ましたので、私はこれで失礼します』
そう言ってヤスーキを伴い、イエズス会の屋敷へと足を踏み出す。
男達は混乱した頭でそれを見送った。
二人が使っていた言葉は宣教師達が使うモノに思える。
信心深い訳ではない水夫達だったが、それくらいは理解出来た。
黒人がどうしてと自問している間に、二人の姿は建物の陰へと消えた。
「ショージさん、あれは一体どうしたのデスカ?」
屋敷に戻り、ヤスーキは尋ねた。
「日本人の奴隷でした……」
暗い顔で勝二は答える。
何も出来ない自分に嫌気が差す。
助けてという叫びが今も耳に残っていた。
「早く日本に戻りたいです……」
自分の知っている日本ではなかろうが、それでも少しは気が紛れそうである。
「それで神父様は何の用ですか?」
「日本に向かう日にちが決まったそうデス」
こうして1579年7月上旬、勝二らは日本に向けマカオを発った。
※ポルトガル海上帝国の貿易ルート(青)及び競合するマニラ・ガレオンの貿易ルート(白)
(パブリック・ドメイン)