第27話 流下式の塩作り
「やはり入浜式ですね」
勝二らは隆景に案内され、毛利領内の塩田に来ていた。
遠浅の海を干拓して作られた場所に、潮の干満差を利用して海水が中へと引き込まれ、畦によって区切られた空間に海水が湛えられている。
見た目は稲を植える間近の水田のようだ。
太陽の熱を利用して水分を蒸発させ、ある程度濃度が濃くなったら底に敷きつめた砂と共に取り出し、釜で煮詰めて塩を得る。
潮の干満差が大きく、土地の高さが海面に近い場所であれば塩田を作るのは容易であるが、寒冷地では水分の蒸発が少ないので効率が悪くなる。
温暖地で塩の生産が盛んなのも当然であり、その方法は勝二の想定していた通りの入浜式であった。
「言われたように竹の箒を用意したぞ」
竹箒の束を持ち、隆景が言った。
勝二の指定した物だった。
「箒を縦に並べ、上から海水を注ぎますと枝を伝ってポトポトと滴り落ちます」
「ふむ」
入浜式を一歩前進させた、流下式を実演してみせる。
「水滴となって落ちる間に水分が蒸発して塩分濃度が高くなりますので、塩を得得られる時間が大幅に短縮出来ます」
「ほう?」
貧しいのに塩すらも購入に頼っていた海沿いの村で、海の水から塩を作る手助けをした事があった。
その時は村の消費分だけだったので手作業だったが、今回は大量に生産する手法を取る。
「幸い、ここは川が近いので水路を引き、水車を使って水を汲み上げて樋に流します。桶の下に高く積み上げた箒を何本も並べ、その上から水が落ちるようにすれば人の手を必要としません」
「成る程」
そうして流下を何度も繰り返して濃縮していく。
後は入浜式と同じ、鍋で煮て塩を析出させる。
※流下式塩田の例(Wikimedia Commonsより)
赤穂市立海洋科学館の復元塩田の枝条架 著作権者:663highland
「しかし、作った塩を全て織田が買うというのは本当なのか?」
隆景にとってはそれが問題だった。
塩は腐らないが、貯め込んでも仕方がない。
「それは誤解です。全て買い取るとは一言も言っておりません」
「何?」
「織田としても結構な量が必要となりますが、全てを買う事は出来ないと思います」
「何だと?!」
認識のズレを放置するのは宜しくない。
思い込みから話が違うとなり、それを解消出来ないまま交渉が決裂する事もしばしばである。
直ちに訂正し、思い違いをしている事を納得してもらう。
「塩は作ろうと思えばいくらでも作れます。それを全て買うなど、軽々しく約束する事など出来ないのではありませんか?」
「む? そう言われてみればそうだな……」
幸い、隆景は話が通じる相手であったので問題にはならなかったが、自分こそが正しいとする人物であると、勘違いを正す事さえも難しい。
併せて自身の考えを提示する。
「塩は織田に売るだけでなく蝦夷地に持って行き、鮭の塩漬けなどに活用する方策を取って頂きたいのです」
「蝦夷に?!」
思ってもみない提案であった。
その説明を加える。
「蝦夷地は寒いので塩を大量に作る事は困難です。そしてこちらには鮭や昆布というような海産物がありません。双方にない物品をやり取りし、双方が潤う道こそ商売繁盛であり、ひいては争いを防ぐ事に繋がります」
「成る程」
平和云々は兎も角、あちらにない物を持って行き、こちちらにない物を持って帰る。
それこそが勝二の勤めていた商社の役割であろう。
隆景にも理解出来る話であった。
同時に疑問も湧き上がる。
「誰がそれをやるのだ? 我らか?」
単純にそう思った。
毛利水軍でやるのか、と。
武士に商人の真似事をやれという事か、隆景がそう文句を言おうとするのを勝二が察知し、事前に防ぐ。
「担うのは博多の商人です」
「博多?」
「そうです。彼らは明国という交易先を失い、困っている筈です。蝦夷地との交易で失った商売を取り戻してもらうのです」
「ほう?」
その提案におやという顔をした。
「これまでの博多は、その地理的要因から大陸との交易を主導してきました。しかし日本が大西洋に移動した事により、博多の存在意義はなくなっております」
「そうだな」
同じ理由で毛利の商売もあがったりである。
「だからと言ってこのまま手をこまねいている訳にはいきません。食っていかねばなりませんから。そうであれば新しい商売先を開拓していくしかない。博多の商人にとっては蝦夷地、皆様にとっては我ら織田です」
「ふむ」
受け入れるかどうかは別にして、特に否定すべき点はなかった。
勝二は日本の置かれた状況の変化を地面に書いて説明する。
「まず大きな環境の変化は日本の位置です。西には南北アメリカ、東にヨーロッパ、アフリカがあり、日本はそれらに挟まれる形になりました。これは大変な変化です」
「今でも信じ難いが……」
隆景もおかしい事には気づいていたが、勅旨の内容が本当なのかは分からない。
確かめようがないからだ。
「スペイン、ポルトガルの船が増えていませんか?」
「それは……」
大友にポルトガルの船が直接現れ、強力な武器を揃えていると掴んでいた。
畿内にはスペイン船で、織田が同盟を組もうとしているらしいとも。
噂の本当らしさを裏付ける話だが、もしもそうだとすれば、毛利のみが取り残されている印象である。
「彼らの持つ武器は強力です。ヨーロッパは長年に渡り互いに争い、その技術を磨いてきましたから。我が国はそんな地域の隣に移動した訳で、この国を治める武士、この地に暮らす民にとっては悪夢です」
「うむ……」
余り考えたくない事だった。
「互いの距離が近くなった事で、我が国は目下二つの脅威に晒されております」
「二つだと?」
「一つには敵対する勢力が南蛮の武器を買いやすくなった事です。毛利にとっては織田や大友が、織田にとっては毛利や上杉が南蛮の武器を揃えては困ります」
「それをここで言うか?! しかし、否定はせん!」
彼らの武器を手に入れたらしい大友は、毛利にとって確かに脅威である。
距離が近くなれば物の運搬も容易くなり、大量の品物を早く運ぶ事が出来る。
短時間で戦力の増強が可能だという事だ。
織田がスペインと同盟関係になれば、毛利は非常に困った事になるだろう。
それを織田の使いが口にするとは予想外だが、頷くしかない。
「もう一つは?」
「南蛮の国が直接我が国を侵略する脅威です」
「何?!」
それは考えてもみなかった。
しかし、よくよく考えれば当然考慮すべき事態に思える。
「アメリカにあったインディオの国々はスペインやポルトガルに滅ぼされ、金銀財宝を今まさに奪われております。カリブの島々では、アフリカから連れて行かれた奴隷達が過酷なサトウキビ栽培に従事させられ、ヨーロッパ向けの砂糖を作らされております」
「そんな事が?!」
地図を交えて説明する勝二の言葉は衝撃的だった。
財宝については知らないので何とも言えないが、砂糖については理解出来る。
自分達も明の商人から砂糖を密輸し、莫大な利益を得てきた。
甘味は人を魅惑するが、サトウキビは温かい地方でしか育たない。
温暖な地域を押さえたいのは当然の理だろう。
「アメリカのインディオ達は豊かな国家を築きあげていましたが、南蛮に対抗するだけの武器がありませんでしたので、みすみす国を失う事となりました」
「うぅむ……」
「対する我が国には石見を始めとした豊富な銀、航海に必要な水や食料、労働力があります」
「何だと?!」
石見への言及にギョッとした。
「彼らの間で石見の銀はソーマと言われて有名です。銀山のある佐摩がなまって伝わったようです」
「本当なのか?!」
信じられないような話だった。
しかし、否定する根拠は何もない。
そして勝二の話は、先程までの説明に繋がる。
「南蛮が侵略するに足る理由があると?」
「その通りです」
「しかし、我らには鉄砲があるぞ?」
インディオは南蛮に対抗するだけの武器がなかったと聞いた。
この地にはその南蛮から伝わったとはいえ、十分な数の鉄砲がある。
同じではないだろうと思った。
「確かにそうですが、諸国が互いに争う間柄では不利です。仮に南蛮が石見銀山を狙うとして、我ら織田家、もしくは大友家を味方に引き込めば良い。彼らは戦う必要すらなく、武器を売るだけで済みます」
「……」
更にギョッとする事を言う。
それを一番恐れていた。
と共に安堵もする。
そんな事を本気で思っているなら言いに来る必要はなく、黙って実行すれば良いからだ。
そうでないからこうしてやって来たのだろう。
「何が目的だ?」
戦に臨むような心持で隆景は尋ねた。
初めに感じた印象は薄れ、底の見えない存在を相手にしている気がしていた。
見ているモノがまるで違う、そんな風に思えた。
険しい顔つきの隆景に対し、はぐらかすように勝二は笑い、答える。
「3本の矢の教えです」
「それはどういう意味だ?」
隆景は思わず聞き返した。
問われた勝二こそ驚く。
そんな反応が返って来るとは思わない。
「えぇと、隆景様のお父上、元就公が遺した教えではありませんか?」
「確かに父は生前から兄弟の協力を説いていたが、3本云々は知らんぞ?」
「え? まさか後世の創作?!」
思わぬ歴史の真実を知り、呆然とする勝二であった。
「3本の矢の教えとは何だ?」
「いえ、1本の矢では簡単に折れるけれども、3本束ねれば簡単には折れないから、協力する事の大切さを説いた話です」
「成る程、それは言えている。しかし、それを父が?」
「えぇと、まぁ……」
曖昧に笑う。
言われた筈の隆景に、3本の矢の教えを説明するとは思わなかった。
「全く知らんが、織田にはそう伝わっているという事か」
「そ、そのようですね」
勝二は冷や汗が落ちるのを感じた。
「父はそなたの君主とも文のやり取りをしておったようだし、案外我ら家族が知らない父の言葉もあるのやもな」
「そ、そうなのかもしれません」
もしも3本の矢の教えが毛利家の家訓であった場合、どこでそれを知ったのだと疑問視される可能性があった。
そこに思い至って冷や汗が流れた勝二だったが、元就と信長が文通相手であった事で、隆景が勘違いしてくれたようだ。
毛利元就と織田信長は敵対する間柄ではなく、互いに手紙を交わす程の仲であったので、それを思い出したのだろう。
「兎に角、南蛮国の脅威がある今、我らは協力する必要があります!」
「1本の矢のままならば、個別に撃破すれば済むからな」
「あるいは離間工作によって孤立させるかです!」
「成る程」
納得は出来た。
勝二は説明を重ねる。
「危機は好機でもあります」
「好機?」
「そうです。大西洋での位置どりは武士と民には悪夢かもしれませんが、商売を行う商人にとっては絶好の位置にあると言えます。それぞれの地域の中心ですから」
「そう言われてみればそうだな」
描かれた地図を見、隆景は頷く。
南北アメリカ、ヨーロッパ、アフリカの位置関係を考えると、日本はその中央にあるようだ。
「それぞれの地域に足りない物を運ぶのに、日本程優れた場所はないかもしれません。商人にとっては奮起すべき時と言えましょう」
「成る程」
「一致団結して彼らの付け入る隙を与えず、物のやり取りを通じて富を増やし、この国全体を守る力を育てるべきです!」
「自国の事だけを考えている場合ではないのだな」
「彼らはその国の内部に燻る争いの火種を探し出し、風を送り込んで燃え上がらせるのが得意です。今の我が国では容易くそれに踊らされてしまい、国その物を失ってしまう危険性があります。大義の為には小さな争いを止め、大きな危機に備えるべきです!」
「考えておこう」
こうして毛利家での交渉は終わった。
隆景がその場で結論を出す事はなく、相談すると答えるのみだった。
本来は流下式の塩作りを伝える目的だったが、思わぬ脱線に勝二も苦笑である。
とはいえ手応えはあった。
たとえ直ぐに結論が出なくても、争いをしている時ではないという事は、来航する筈のスペイン艦隊を目にすれば自ずと知れよう。
博多商人への取次は隆景に任せ、勝二は帰路を急いだ。
※日本の移動した後の世界地図(あくまでイメージ)
「お館様!」
「どうした?」
執務に当たっていた信長の下に、一つの情報がもたらされた。
「武田が徳川領へと侵攻したとの事です!」
「とうとう来たか!」
それらしい噂は入ってきていた。
その時が来たと悟る。
「信忠と一益を呼べ! 徳川には援軍を出す!」
名目上は織田家の棟梁、信長の嫡男信忠(22)。
実権は未だ信長が握っていたが、既に初陣を飾り、後継者として相応しい経験を積みつつある。
「勝頼の首を獲るまで安土城に帰る事は出来ぬと心得よ!」
「畏まりました!」
血気盛んな信忠は、この戦で宿敵武田を打ち滅ぼす事を心に誓う。
「一益よ、信忠を頼むぞ!」
「この身に代えましても!」
そんな信忠を支えるのは、織田の遊軍として各地を転戦していた猛将、滝川一益(54)。
信忠の先走りを諫め、冷静な目で戦場を眺める事を期待されての出陣である。
こうして1579年秋、武田が徳川を攻める形で、織田家と武田家による戦が始まった。
「上杉を牽制せねばならんな……」
城から信忠の出陣を眺めていた信長が一人呟く。
武田と上杉は長年に渡る宿敵同士であったが、謙信亡き後の上杉家の家督を巡る内紛に際し、勝頼は最終的に景勝を支援、後継者の座へと導いた。
今回、織田軍は武田領に侵攻するが、上杉家から武田への増援軍が送り込まれないとも限らない。
それとも、加賀や越中方面への上杉軍の派遣があるやもしれない。
武田討伐を必ず成功させる為にも、上杉を止める工作が必要だった。
「勝二に行かせるか……」
越後平野を擁する上杉は、勝二の提示した新しい米作りの技術を詳しく知りたい筈だ。
北陸を安定させる為にも越後の情勢は安定してもらわねばならない。
食う物に窮して攻めてきてもらっては困るからだ。
同盟とまではいかなくとも、武田を攻める間だけでも大人しくしてもらえれば良い。
「あ奴、まさか寄り道などしておらんだろうな?」
早く帰って来いとばかり、信長は天を見上げて毒づいた。
可哀想にと蘭丸は思った。
定番の流下式塩田ですが・・・
3本の矢の教えは創作らしいので、このエピソードとさせて頂きました。
お断り
史実での滝川一益はこの頃、前話で言及しました荒木村重の籠った有岡城の攻略戦に参戦しているみたいで、本来であればあり得ません。
物語を進めるという理由により、諸矛盾は無視しております。
ご了承下さいませ。




