第25話 投資の勧誘
誤字報告ありがとうございます。
ですが阿辺首相の読みは”あへ”となります。
安倍首相ではありませんので、ご了承下さい。
その傾向に初めに気づいたのは堺の商人達であった。
「何があった?」
「米の収量が減る予測の結果にしても、おかしい……」
市場を出回る米の値段が上がっているのだ。
徐々にもたらされる不作の報に、値が反応するのは理解出来る。
しかし、値上がりしているのは米だけでなく、全ての物価がそうであった。
「塩までも値上がりしているのは何故だ?」
「市場にある量は十分な筈だ。値が上がる理由が分からん」
使用量が格段に増えたとか、足りそうにないなどとは耳にしていない。
各地から寄せられる情報を必死で集めていた堺の商人にとり、その辺りは抜かりないのだが、今回の事には皆目見当が付かなかった。
顔に疑問符を浮かべ、定期会合の場となっていた者の屋敷から去る段となる。
最後に店の様子を覗く。
奉公人達が忙しそうに働いていた。
「お帰りでございますか宗久様?」
「お邪魔させてもらった」
顔馴染みであった宗久に気づいた番頭が顔を上げ、声を掛けた。
勘定をしていたようだ。
ふと彼の手元を見る。
「繁盛しているようだね」
「お陰様で」
勘定を入れた箱は銀貨で溢れんばかりである。
その中で石州丁銀(石見産の銀)が鈍い輝きを放っていた。
そういえば最近は、頻繁に石州丁銀を見かける事に思い至る。
宗久が叫んだ。
「石見の銀が増えているのだ!」
仲間はそれにハッとする。
「そうか!」
「毛利家と明国との交易がなくなり、堺に流れて来たのだな!」
他の者達もそれに気づいた。
「市中に溢れた銀で物の値が上がったのか!」
今で言うインフレである。
通貨の流通量が増えて貨幣価値が下がる現象を言う。
政府が通貨を発行し過ぎたり、金利が下がって銀行へ預ける動機が薄くなり、市場に出回る貨幣の量が増えた場合などに起きる。
今回の場合は石見の銀であった。
石見銀山は中国地方を治める大大名、毛利家が所有する。
日本が大西洋に移動した事により、同家は重要な取引相手である明国を失っていた。
それまで石見より産出する銀を明国の密貿易船に売り、大きな益を得ていたが、交易船がぱったりと姿を消した事によって銀貨の売却先を失い、だぶついた石州丁銀が堺へと入って来たのだろう。
溢れる銀貨でその価値を減らし、物価の上昇を招いたのだ。
「明国が再び現れる事はない。銀貨は増え続けるぞ!」
どうなるのかと心配気な顔をする者に対し、宗久は言う。
「取引先を失った毛利家は堺へと活路を求めるであろう。悪い事ばかりではない筈だ」
「そ、そうだな!」
織田家や大友家と争う毛利家にとり、硝石その他は必需品である。
これまでは明国との密貿易により手に入れていたが、それを失った今、その入手先を堺に求めるのは必至であろう。
毛利領から近い博多港も大陸との繋がりは消えたし、長崎港を訪れる南蛮船も姿を見せなくなったからだ。
噂によれば消えた南蛮船は、長崎の反対側の大友領に現れていると聞く。
キリシタン大名である大友宗麟がいるのと、南蛮国から見れば長崎よりも大分の方が近くなったのだから当然かもしれない。
「となれば毛利家と織田家の和睦も近い?」
「毛利家にとっては大友家の方こそ仇敵だ」
銀の販路を失った毛利家が、その売却先も堺に頼るしかないのは目に見えている。
しかし、堺は毛利が敵対している信長の支配下だ。
そして彼らの背後には、南蛮と直接貿易し始めたらしい大友家が控える。
九州北部の領地を巡り、元就の代から大友家と激しい戦いを繰り広げてきた毛利家にすれば、手を結ぶ相手は織田しかあるまい。
元はと言えば今の敵対状態も、将軍義昭の呼びかけに毛利が応じただけである。
織田といつまでも争う理由がなかろう。
そのような推測を宗久がしていると、店の者が自分を呼びに現れた。
「宗久様、加賀から五代勝二様がお越しです!」
「何?」
噂をすれば影であろうか。
「直ぐに戻ろう」
宗久は自らの店に向かった。
「味噌と同じだけ醤油を作れるですって?!」
「その通りです」
カルロスの接待の礼もそこそこに、勝二は今回の訪問の目的を述べた。
醤油作りへの資金集めだ。
正確に言えば投資の勧誘となる。
儲けの中から配当金を支払うという、株式投資の走りであった。
スペインのコンキスタドール達は航海の資金をそれによって集め、長旅に必要な資材を用意した。
そして新大陸から莫大な富を持ち帰って配当金に変え、次なる航海へと備えたのだ。
「して、それはどのようにしてでございますか?」
信じられずに宗久が尋ねた。
溜まり醤油は僅かな量しか取れず、商人として歯痒い思いを抱いていた。
その旨さから人気は高く、あればあるだけ売れるのに、肝心の量がない。
それが量産可能となれば、儲けは莫大なモノとなろう。
つい、その方法を尋ねたとしても責められまい。
「それは秘密です。製法をお教えしたら真似されますから」
「これは参りました」
悪戯めいた顔で勝二は笑い、ハッとした宗久は頭を下げた。
「お金を出しもしない内から商売の根幹を聞き出そうなど、商人としてあるまじき作法でございました」
タダで聞き出そうなど虫が良すぎる。
「改めまして、私で宜しければ、喜んで資金の援助をさせて頂きます」
「ありがとうございます!」
色よい返事に勝二は感謝した。
尤も、配当金はしっかりと払うのだが。
そして話は、醤油の材料の一つでもある塩に移る。
「醤油作りには塩が大量に必要なのですが、儲けを安定させるには塩の価格が下がらないといけません」
「それはそうですが、そのような事も仰っても仕方ありますまい」
市場を調べたが塩の価格は安くはなく、大量生産のネックであった。
「塩水選でも塩を使う予定ですので、値段が下がる工夫をしたいと思います」
「したいと思いますとは、まさか?!」
宗久が驚いた顔をした。
「そのまさかで、今よりも生産効率の良い塩の製造法があります」
「何という!」
醤油の次は塩の製造法とは、驚きを通り越して呆れてしまう。
「それにも資金が必要なのでございますか?」
こうなったらトコトン付き合うだけだろう。
毒を食らわば皿までと言う。
しかし勝二の顔は思案気だった。
「必要ございませんか?」
不思議に思って尋ねた。
てっきり塩の方もそうなのかと思ったからだ。
「周りにある物を工夫するだけでいけると思いますので、今の所は大丈夫です」
「工夫だけで?!」
寧ろその答えに驚いてしまう。
勝二は尋ねた。
「現地に赴くのが一番ですが、塩の一大産地はどちらですか?」
「量で言うと瀬戸内海が盛んですな」
この時代の瀬戸内の領主と言えば、3本の矢でも有名なあの一家であろう。
「となると毛利?」
「そうなります」
織田家と敵対している最中の勢力だった。
勝二は考え込んだ。
「うーん、丁度良いと言えば丁度良いのかな? しかしそうなると、信長様の許可を頂かないと不味いですね……」
「近くでも塩は作っておりますよ?」
「いえ、毛利を訪ねます」
何を考えたのか、織田と敵対中の毛利に向かうと言う。
「毛利に参るのでしたら、顕如様にも一筆書いて頂きましょう」
頼廉が申し出た。
本願寺と毛利は信長包囲網で共同した間柄である。
こういう時には顔が利く。
「ならば我らからも同行させましょう」
負けられぬとばかりに宗久が言った。
堺の商人にとって本願寺は善き商売相手であると同時に、その巨大な組織力を活かした商売敵でもある。
折角醤油作りに参画出来たとしても、本願寺が本気を出したら危険だ。
全国の寺社で醤油作りを展開され、独占の旨味がなくなってしまうだろう。
しかも、毛利の塩にまで本願寺が噛んでくれば、堺を頼ろうとする毛利の気持ちが薄くなるかもしれない。
毛利水軍と本願寺が結託し、独自の流通網を築く可能性もある。
楔を打つ為にも堺から人を送る必要があった。
「宗易を送ります!」
後の千利休である宗易(57)がそれに選ばれた。
安土城に戻り、信長に面会する。
加賀から戻った際に挨拶はしたが、敢えて詳しい事は伏せておいた。
余計な噂が広まる事を懸念したからだ。
主に隠し事とはとブツクサ言っていたが、硝石の功績を思い、信長も渋々納得してくれた。
宗久もその事は重々承知しており、他言はしていない。
今回は詳しい経緯を説明した所、醤油の話でのけ反っていた。
「硝石の次は醤油だと?!」
利に重きをなす信長にとり、醤油を作るという事の意味が分からない筈がない。
「全くお前という奴は!」
隠し事を根に持っていた気持ちもどこへやら、すこぶる上機嫌となった信長であった。
そんな信長の様子に問題ないだろうと判断し、本題を伝える。
「塩の生産方法を改良する為、毛利を訪ねたいと思います」
「何?!」
喜色満面の笑みは一瞬にして霧消した。
しかし勝二はそれを承知している。
冷静に事情を説明する。
「信長様は毛利との和議をお考えとの事でした」
前回の訪問でチラッと耳にしていた事だ。
「毛利は明国という交易先を失い、石見の銀が堺に流入して物価が上昇していると宗久殿に伺いました」
「真か?!」
内心には怒気が溢れていたが、気になる話を前にそれを発散するには至らない。
信長の感情の変化を敏感に察して冷や汗が出ていた宗久は、睨み付けられて慌てて頭を下げる。
勝二は言葉を重ねた。
「市中に溢れた銀は庶民の手にも行き渡り、世の中は貨幣を用いた経済に移行する筈です。細かな取引までも貨幣を使って行われ、いずれは年貢すらも貨幣で納めるようになるでしょう」
「ほう?」
物納が終わるのは随分と先の筈だが、信長には十分に通じた。
合理的に考えればそうなる。
重い米俵で年貢を納めるよりも、金で納めれば断然に早いし楽だからだ。
それは受け取る方も同じで、面倒な計量作業や保管の為の広い蔵を必要としない。
双方に利便性を与える事は明白だろう。
年貢米は兵糧でもあるので、それだけでは問題があるが。
「銭で世が動く事になると言うのだな」
「まさしく」
戦すらも銭次第となってきた。
鉄砲の登場で、戦場は鉄砲の数を揃えた側が甚だ有利になってきている。
信長は銭の力を十分に熟知していた。
「銭を集めた方が勝つ」
「そしてその銭は、人の多い所、銭の集まる所に集まります」
「ふむ」
だからこそ、信長は大坂を押さえたかったと言える。
「人が集まる大きな町は大きな平野に限られ、毛利の支配する地域にはありません」
「だから毛利が力を付ける事はないと申すか? 石見はその毛利ぞ!」
その真意を質す。
金の量が力となるなら、石見を持つ毛利が最強となる筈だ。
「銀山があっても、それを領内で保てないなら無意味です」
「何?」
勝二の頭の中にはスペインの歴史があった。
スペインはメキシコ、ボリビアから大量の銀を手に入れたが、戦費に費やして富を周辺諸国に流出させた。
それで国内産業を興したのがイギリスとオランダで、次なる覇権国家となる。
資源があるだけでは駄目なのだ。
しかしそれを言う事は出来ない。
「銀がどれだけあってもそれで生活する事は出来ません。米や味噌、衣服を買う必要がございます」
「だからそれを作れば毛利の銀を手中に出来るという事か」
「その通りです。人が多くいる所には商売が生まれ、人のいない所から人も金も引き寄せます」
過疎地は益々過疎地となり、都会は益々都会となるという悲しい現象である。
「ならば塩も作れば良いではないか!」
信長の怒りはそこだった。
毛利に塩の効率的な作り方を教えに行くなど、わざわざ敵を利する行為が許せない。
硝石の功績など吹き飛んでしまうくらいだ。
「水田を塩田に変える事は容易ですが、塩田を水田に変えるには多大な労力が必要です」
「む?」
除塩作業は手間が掛かる。
塩類が集積し、農業が出来なくなった土地を海外で何度も見てきた。
「それに、金があれば米も塩も他国から買うのは容易ですが、それらの国と関係が悪化すれば途端に危機に陥ります。国全体を兵糧攻めされた場合をお考え下さい」
「国全体をだと?」
城の兵糧攻めではなく国の兵糧攻めとはスケールの大きな話だ。
とはいえ想像は付く。
「銭の力では限界があるという事か」
「はい」
買う金があっても物を買えなければ意味がない。
「塩は海があればいつでも作れますが、米の場合はそうは参りません。国の安全の為、塩を作るよりは米を作っているべきです」
「成る程」
一理あると思った。
兵糧攻めをされても食う米があればいくらでも持とう。
「塩は毛利に任せ、我らはもっと利の大きな物を作る訳か」
「そういう事です」
「それが醤油だと?」
「まさしく」
国家の安全保障において、食料の安定確保は最重要事項である。
他国に食料を握られたら、言う事に逆らう事は難しい。
「塩の製法など他国に容易に伝わりましょう。我らにとり、他から買う選択肢が増えるだけにございます」
「良し、行け!」
「ははっ!」
こうして信長の許可をもらい、毛利領を目指す事となった。
日本の状況ですが、米は慣行農法で3割減る程度の気候です。
気温は東北、北海道を除いて若干の低下(特に夏季)、東北と北海道は冬季の気温が若干上昇です。
海産物は近海モノはそのままに、回遊魚もある程度は残っているとします。
海水温の変化にも昆布などは絶滅せず、鮭もある程度の数は帰ってきます。
当時の技術では年々回復していく資源量とします。
都合の良い設定ですが、ご容赦下さいませ。
主人公の移動が早すぎる問題はスルー願います。
実は新幹線に乗っています。
「新幹線は早い!」
「しんかんせん? 馬にそんな名前を付けたのです?」
な感じです。




