第22話 硝石
「硝石の生産量を増やすとは?」
氏郷が尋ねた。
鉄砲に不可欠な黒色火薬の原料が硝石だが、その保有量は軍事力に直結する。
各地の大名は主として南蛮商人より硝石を購入していたが、その価格は高く、大きな負担となっていた。
経済力のある織田家が、周囲を圧倒する軍事力を誇った理由の一つだ。
五箇山で硝石を生産している事は氏郷らも掴んでいたが、詳細は一切不明。
それを増やすと述べた勝二に、織田方が衝撃を受けたのも無理はない。
氏郷がその発言の真意を問うのも当たり前だろう。
「言葉通りの意味ですよ。出来れば織田家で使う硝石を、全て五箇山で賄えればと思っています」
「何ですと?!」
勝二の答えはあっさりしたモノだったが、氏郷らの驚きは更に深まった。
織田家で使う硝石を全て賄うとは信じられない。
「そんな事が出来るのですか?」
「どれだけの量が必要なのか知らないのではっきりとは言えませんが、私の考えでは十分に可能だと思っています」
「なんと!」
その言葉にどよめきが起きた。
もしも硝石を自国で賄えれば、南蛮商人に支払う莫大な金が減り、織田家にとって大いに助かるだろう。
また、他国に対する交渉の手段となり得、売却すれば蔵を潤す事となる。
氏郷らが興奮するのも当然だった。
一方、焦ったのは本願寺側である。
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
「どうしました頼廉さん?」
取り乱した頼廉が口を挟む。
「今更隠しても仕方がないので五箇山で硝石を作っている事は良いのですが、そんな簡単に生産量は増やせませんよ?」
「そうなのですか?」
「そうなのです!」
思いつきを口にしただけではと、頼廉は怒ったように言った。
勝二が尋ねる。
「確か五箇山では、山の草と蚕の糞から硝石を作っているのですよね?」
「秘中の秘をどうして?!」
硝石の製法は厳重に秘匿され、それを知る者は五箇山の住人以外には限られている。
どうして織田の人間が知っているのだと思った。
本願寺の僧らは咄嗟に頼廉へと疑惑の目を向ける。
考えられるのはそれしかない。
「頼廉さんは何も喋っていませんよ?」
「何?」
僧達の疑いの眼差しに、勝二が頼廉の潔白を語った。
「だとしたらどうして知っているのだ!」
つまらない言い訳をするなとばかり、一人の僧が追及した。
僧達の疑念を晴らすべく、勝二はその理由を説明する。
「南蛮商人が我が国に持ち込む硝石は、主としてアジアの国々で採れたモノです。私はその辺りを通って帰って来ましたので、色々と見聞しています。そこでは気候に合わせ、様々な方法で硝石を作っていましたが、加賀の事情を推測して予想しただけです」
「そ、そんな事が……」
全くの出鱈目である。
実際は元々知っていた、それだけの事だ。
食品の防腐剤として硝酸ナトリウムが使用されるのだが、勝二はその輸入業務に携わっていた。
硝石の原料は硝酸カリウムであるが、硝酸ナトリウムと性質は似ている。
その硝酸ナトリウムは南米のチリに大きな鉱山があり、会社の仕事として鉱山の開発にも関わりがあった。
硝酸ナトリウムを調べる過程で、硝酸カリウムについても色々な知識を得ていたのだ。
インドなどの乾燥地では硝酸カリウムは天然に析出し、南蛮商人が日本に持ち込み、戦国大名に売りつけたようだ。
それに対し五箇山では、培養法と呼ばれる方法で生産したという。
サクと呼ばれる山の草と蚕の糞、畑の土などを家の床下に堆積し、適時かき混ぜながら数年置き、取り出した土を水に浸して硝石を析出させたらしい。
幕末の最盛期には、年間40トンもの量が加賀藩に納品されたそうだ。
現在の必要量が分からないので断定は出来ないし、資金を投入して増産する必要があるが、織田家での使用分は問題ないだろう。
チリまで行けば硝酸ナトリウムを大量に得られるのだが、今はまだ早い。
現在はスペインの領地であるし、彼らに知られるのも不味い。
「それよりも硝石の作り方とは? 教えて下され!」
目を輝かせて氏郷が言った。
五箇山は五箇山で重要だが、勝二の話の方が興味深い。
戦に不可欠となった鉄砲を効率良く運用するには、日頃からの硝石の備蓄が欠かせない。
それを作る方法がいくつかあると聞けば、何を差し置いても聞いておくべきだろう。
「原理は単純なんですよ」
勝二が説明する。
「有機物の窒素が微生物によって分解され、アンモニア態窒素となります。それをアンモニア酸化菌が亜硝酸イオンにし、亜硝酸酸化菌が硝酸イオンにします。硝酸イオンがカリウムイオンと結合して硝酸カリウムとなり、析出したモノが硝石です」
「は?」
理解出来ない。
それは勝二も心得ている。
「簡単に言うと、尿を土に掛け続けていると硝石の元が出来ます」
「そんな事で?!」
ビックリ仰天な話だった。
「細かな操作はもう少し複雑ですが、大まかに言うとそうです」
「何と!」
それならば直ぐにでも始められそうだ。
「早速作りましょう!」
善は急げとばかり、氏郷が勢い込んで提案する。
しかし、勝二は気乗りがしないらしい。
「どうされましたか?」
「いえ、加賀の気候だと難しいのではと……」
「無理なのですか?」
「いえ、寒いと効率が悪い筈です」
「効率が悪いくらいなんですか!」
タイムスリップ前に調べた限りでは、五箇山の培養法は囲炉裏の熱で保温されるので問題がないが、露天で行われる硝石丘法では気温が直に作用するらしい。
寒冷地では微生物の働きが鈍り、宜しくない。
しかし氏郷には通じなかったようだ。
「寒さもそうなのですが、その方法、硝石丘法と言うのですが、硝石を採れるようになるまで5年くらいは必要としますよ?」
「そんなに?!」
硝石丘法では積んだ土に尿を掛け続け、定期的に土をかき混ぜ続け、それを5年は繰り返さねばならない。
雨に当たれば出来た硝石が流れるので屋根が必須であるし、風通しの良い場所が好ましい。
硝化菌は酸素を必要とする好気性菌で、寒くなると生成を鈍らせもするので注意が必要だ。
面倒そうなので出来ればやりたくないが、氏郷のやる気を削ぐ事は出来なかった。
「5年で硝石が採れるならば今すぐ手を付けないと!」
断固たる決意が漲っていた。
確かに硝石の生産は急務で、五箇山だけに注力するべきではないのかもしれない。
「では、私が言う材料を集め、風通しが良く水はけの良い、周囲に民家が全くない土地に、雨の掛からないよう大き目の屋根を作って下さい」
「承知!」
期待に胸を膨らませ、勝二の指定した材料を集めに氏郷は走る。
残された勝二は、ひとまず五箇山の硝石作りを見に行こうと思った。
指定した材料は多く、直ぐには終わらないだろう。
「五箇山の住人の方にもお伝えする事がありますし、現地まで案内して頂けませんか?」
勝二は五箇山に向かった。
硝石の製法は秘匿事項であり、信長の指示だとして織田家の者には遠慮してもらう。
重秀、弥助といった限られた面々をお供にし、道を急いだ。
道中ふと思い出し、頼廉に尋ねる。
「五箇山の方法も確か5年くらいの時間が必要でしたよね?」
「そんな事までご存知なのですか?!」
その問いに驚く。
図星だった。
培養法も時間が掛かり、翌年から硝石を取り出せるとはならない。
「だから簡単には生産量を増やす事が出来ないと仰ったのですか?」
「その通りです」
勝二の指摘に頼廉は頷いた。
世の中は命令すれば直ぐに叶う事ばかりではない。
短気な信長はそれが分かっていないのではと思った。
今回の事も、自分が命じれば下々がどうにかするとでも考えたのだろう。
「現在仕込んであるモノはそれで構いませんが、次に仕込む際にはその量を増やして頂かないといけませんね」
「それならば可能ですが、そうするにもお金が必要となりますよ?」
「それについてはご心配なく」
「は、はぁ……」
何か考えがあるのか、その返事はきっぱりとしていた。
定番の硝石ですが、加賀を出したのはこの為なのでご容赦下さい。
硝石丘法と共に、次話でササっと終わらせたいと思います。
なお、五箇山の培養法に関しましては、
板垣英治氏の『加賀藩の火薬 1.塩硝及び硫黄の生産』を参考にしています。




