第19話 四面疎渦(しめんそか)
タイトルは四面楚歌をもじり、疎まれ具合が渦のように周りを囲んでいる、そんな意味あいです。
渦が疎らじゃんというツッコミはなしで。
前話、お市の箇所を移動しました。
それと共に信長のニヤニヤをニヤリに変えています。
「縊り殺されろ!」
「盛政ならきっとやってくれるさ!」
物騒な物言いを背後から頂き、勝二は安土城を後にした。
その姿が見えなくなっても暫くは、激しい罵詈雑言が続く。
彼の姿形を笑い、行儀作法をこき下ろす。
ひとしきり罵倒してようやく満足したのか、それぞれの業務へと帰っていった。
勝二が織田家の家中にそこまで憎まれるのも無理はない。
長年に渡り織田を苦しめた一向宗の籠る石山城を、南蛮の船で圧力を掛けて無血開城に導き、自身による加賀の統治と引き換えに、尾山御坊はおろか敵将であった筈の顕如さえも手に入れたのが勝二だからだ。
血反吐を吐いて戦働きをしてきた織田家の武将達にとっては、口先一つで敵の城を落とされては堪らない。
自らの活躍の場を奪われたに等しい事を意味する。
共に修羅場を潜り抜けてきた戦友の、命がけの交渉の結果であったり、名の知れた知将の謀略なりであればその功績を讃える気にもなるが、勝二はどこの馬の骨とも知れない怪しげな男である。
難攻不落の石山城とはいえ兵糧攻めの構えは万全で、後は降参を待つばかりであったから尚更であろう。
自分に使者を任せてもらえれば同じ事が出来たかと思うと、悔しさだけが募るのだ。
そうであったら今頃は、加賀に向かうのが他ならぬ自分だったかと思うと、言い知れぬ嫉妬と怒りが湧き上がる。
聞いた事もない名の男に横から手柄を掻っ攫われれば、彼らでなくとも憤るであろう。
今から思えば勝二の登場の仕方も怪しさ満点であった。
突如として起きた天変地異に家中が動揺する中、その理由を説明するとして伴天連の宣教師と現れたかと思うと、訳の分からない話で君主信長に取り入った。
初めは海を渡って帰ってきたというその経歴と、一緒にやって来た黒い男が不思議で、海外の事情やその冒険譚を聞こうと彼の下に集まったモノだが、今となっては自らの軽挙が恥ずかしい。
巧みな話術で油断させる作戦だったのかと思った。
珍し物好きな君主信長の関心を惹き、交渉役を勝ち取ったのだと。
一向宗の回し者と疑う者、伴天連だと見做す者、毛利の密偵だとする者、その疑心暗鬼ぶりは様々。
勢い、去り行く勝二に向かって容赦ない言い方になろうというモノだ。
「人の気も知らないで……」
聞こえよがしな悪口に勝二は顔を曇らせた。
彼らの心情は痛い程に良く分かる。
自分も同僚の活躍に強い嫉妬心を抱いた事があるからだ。
そういう時、幼い頃から人は人、自分は自分と言い聞かせて乗りきってきたが、やはり思う所はある。
出世したかった訳ではないが、賞賛されている人を見ると気持ちがざわついた。
抑え込んでいた感情が強く疼いた。
なので自分に対する彼らの暴言も仕方がないとは思うのだが、問題は今の状況が自分にとって全く嬉しくない事である。
課せられた課題を思うと、嬉しくないどころか裸足で逃げ出したいくらいだった。
「他人は気楽なモノですからな」
ちゃっかり配下に収まった重秀が口にする。
勝二は一応、加賀を統治するに相応しい家禄を受けていた。
名実共に織田家の家臣となった勝二である。
「人の上に立つのですから、批判くらいは当たり前では?」
氏郷が涼しい顔で述べる。
父賢秀の入る近江日野城を離れ、勝二の下に就いた。
氏郷は信長の一門にして日野城主の嫡男であり、ポッと出の男の下に就くような家格の者ではない。
現代でいえば、親会社の重役が個人の意向で、子会社に出向いて平社員をしているようなモノだろう。
よくもまあ、そんな勝手が許されるモノだと、密かに感心している程だ。
「日本の人、怖い!」
怖気づいた弥助が言う。
それまでは不躾な好奇心に晒されて閉口した事はあるが、あからさまな敵意を向けられた事はない。
ここに来て、文化や風習の全く違う異国にいるのだと思い知ったようだ。
「どうして儂が……」
「親父……」
暗い顔で勝二に付き従うのは佐久間親子であった。
父信盛(51)、嫡男信栄(23)含めた一族である。
信盛は退き佐久間として織田家の家臣筆頭格で、石山城攻防戦でも指揮官を任されていた。
しかし、城を囲むだけで積極的な攻勢には出ず、かと言って碌な調略もせず、時間を無駄に過ごしたとして信長の怒りを買い、折檻状を受けた。
責任を取って頭を丸めて隠遁するか、勝二の下で加賀の統治に当たるか、二つに一つだと。
こうして、不承ながらも従う加賀行きだった。
「親父、加賀には盛政がいるぜ。悪いようにはしねぇさ」
加賀の攻略に当たっているのは同じ佐久間一族の盛政(25)で、信盛にとって従甥となる。
それがせめてもの救いであろうか。
一行は安土から船に乗り、琵琶湖を北上した。
静かに湖面を進む勝二らの船を、天守閣から信長がじっと眺めていた。
「本当に宜しいのですか?」
蘭丸がその後ろ姿に問いかける。
「何がだ?」
何の感情も籠っていない声が返ってきた。
「勝二殿は何と申しますか、争いの中で人の上に立つような方ではない気が致しますし、家臣の中からも、どうして彼がという声が上がっておりますが……」
自身の懸念を述べた。
短い付き合いではあったが、その人となりは分かったつもりだ。
備える知識や分析力には舌を巻き、年下の自分を思いやる優しさには心が温かくなるくらいだったが、如何せん今は乱世である。
乱れた世を治めるには力が必要で、それが彼には大きく欠けているように見えた。
国を治めるには時に果断な決定も必要で、優しいだけでは無理に思える。
しかも彼が向かう先は、百年に渡って百姓の持ちたる国として独立を保ち続けた、外からやって来た者が治めるには甚だ難しい地である。
どうなるのかと心配にもなるだろう。
「構わぬ」
蘭丸の不安をバッサリと切って捨てるような、素っ気ない答えだった。
それでは流石に足りないと思ったのか、向き直って言葉を続ける。
「南蛮の国が近くになり、否応なく我らは変わらねばならなくなった」
「と言いますと?」
蘭丸は訳が分からずに問い返した。
全く脈絡がない。
「聞けば彼らの国は、一人の王の下に統治が為されているという」
「そう言えば、勝二殿がそう言われていました」
信長に言われてその事を思い出す。
絶対君主制と呼び、君主が統治における全ての権能を有するのだと。
「対する我らはどうだ? 朝廷は名前だけの官位をばらまいて金を集め、将軍職は有名無実と化し、各地をそれぞれの大名が治めて覇を競っている」
「は、はぁ……」
蘭丸は曖昧に頷いた。
有名無実と言ってのける将軍の後ろ盾となり、官位をばらまくだけという朝廷に金を配って近づき、今も毛利や武田といった勢力と争っているのが、それを言っている当の本人だろうと。
そう言いたくなる気持ちをグッと抑える。
「我が国は南蛮と比べても国力に劣る事はないそうだが、それは国を纏めて初めて言える事だ。今のままでは対抗し得ぬ。もしも彼らの力をして攻められれば、国を護る事は叶わぬだろう」
「そ、そんな事は!」
思ってもみない告白だった。
そもそも西洋の国と争う事態など考えた事がない。
しかし、言われてみれば10日近くで来れる距離になっている。
自分もその目で見たが南蛮船は凄まじく、彼らの持つ力は恐ろしいと感じた。
それがこちらに牙を剥けば、信長の言う通りにタダでは済まないだろう。
「畿内を統一したとて足りぬ。しかし、織田家で全国を治める事も叶わぬ」
「え?」
その言い分を理解出来なかった。
「武力で毛利を下す事は出来る。しかしその後、我らが毛利の地を治められると思うか? 畿内や北陸も満足に治まっておらぬのに?」
戸惑っていると、そう質問された。
言葉を選び、答える。
「人が足りないモノと思われます。」
毛利の領地は中国8か国に跨り、織田家といえど、それだけの地を統治出来る人の数がいなさそうだ。
当たり前の話だが、畿内にも人が必要である。
その答えに満足したのか、信長は言葉を続けた。
「織田家で全国を直接治める事は叶わぬ。さりとて各大名が纏まらぬのも南蛮の干渉を招くだろう。そうであればどうするか?」
「一体どうされるのですか?」
それはこの国の未来に繋がる事のような気がした。
「答えは南蛮の仕組みしかなかろう」
「と言いますと?」
この国の未来が南蛮にあると言われ、問い返す。
「南蛮の中でも我が国と似ているイングランドという島国は、国が設立した海軍で以て国を守っているらしい」
「それは私も伺いました」
勝二の説明にあった。
島国であるイングランドは海軍を強化し、必ず船でやって来る外敵から身を護っていると。
敵勢力の上陸を一旦は許しても、陸上戦力で十分戦いようはあるが、出来る事なら船ごと海に沈めるのが望ましい。
船には大砲が積まれており、それだけで陸の者には脅威となるからだ。
それに船がある限り本国との往復を繰り返し、必要な人員と物資を戦地に運び続けるだろう。
敵が戦を続ける体力を奪う為にも、相手の船は真っ先に破壊したかった。
「今は無理でも、いずれは軍と統治を分けねばならないだろう。各地をそれぞれの勢力が治めるのは構わぬ。しかし、それぞれが軍を必要以上に持てば互いに争う事になる。この日本を外敵から守る為の海軍を作り、陸の上は兎も角、海軍に関しては各大名から軍事権を取り上げる必要がある」
「そ、それは?!」
衝撃を受ける発言だった。
意図は良く理解出来るが、実現可能なのかと疑問に思う。
各大名が反発するのは確実だからだ。
しかし信長が冷酷に告げる。
「出来なければ国を奪われるだけだ」
「!」
蘭丸が絶句した。
インドのゴアをポルトガルに奪われた話も聞いている。
同じ事がこの国にも起こらないとも限らない。
異国の者に領地を奪われるなど、仮に敵対する勢力の土地であったとしても大変な屈辱に感じる。
しかし一方で、それと今回の事に何の関係があるのかと思った。
「勝二殿の事と繋がるのですか?」
「あやつは自分の兵を持っておらぬ上、南蛮の統治の仕組みにも精通しておる。まさに打ってつけであろう?」
「た、確かに……」
その通りだと思った。
「失敗したらしたで構わぬ。加賀の統治に失敗した所で、誰も不思議には思わぬからな」
「そ、それはそうかも知れませぬ」
百姓の持ちたる国を治めるのであるから、困難な事ばかりが起きそうだ。
「逆に百姓の国だからこそ、あやつにとっては楽かもしれんな」
「と言いますと?」
「武士のように名誉や体面を気にしない者達ならば、新しい事を始めるのに苦労はないだろう」
「成る程!」
それも納得出来た。
武士は誇りや伝統を大事にし、昔のやり方を守る傾向がある。
とここで、蘭丸はある事に気が付いた。
「南蛮船がやって来た場合、言葉はどうするのですか?」
通訳は勝二に任せきりだった。
彼がいないと意志の疎通が滞る。
「イエズス会の宣教師に任せるので問題はない。まあ、必要になれば馬を走らせて安土に呼ぶがな」
「な、成る程!」
それも合理的ではある。
尤も、加賀から安土まで結構な距離があるので大変そうだと思った。
蘭丸は勝二に待ち受ける苦労を思い、心の中でそっと合掌した。
「しかし、勝二殿が加賀を治める事は顕如が求めた事だったのではありませんか?」
思い出して蘭丸が聞いた。
信長はニヤリと笑う。
「いずれはどこぞを任せようと思っておった。論より証拠、南蛮の仕組みを知るには実践を見るのが一番だろう? 加賀でやってこいと厳命したからな。今回の事は、あやつに任せるのに良い口実であった」
「そのような理由があったのですね!」
君主の言葉に蘭丸は感銘を受けた。
「生臭坊主は坊主で何やら悪巧みをしているようだが、あやつにとって悪いようにはすまい。あやつの成功に一向宗の命運も掛かっておるからな」
「それはどういう意味でございますか?」
「再び一向宗が一揆を起こせば容赦はせぬ。悉く根切りし、本願寺もただでは済まさぬ。生臭坊主もそれは理解しているだろう」
冷酷そのものの表情で信長が言った。
その決意に蘭丸は戦慄する。
本気だと思った。
どうか成功させて欲しいと心から祈った。
一方、蘭丸に祈られているとは知らない勝二ら一行は、まずは北陸方面軍の柴田勝家(57)の下を訪れた。
勝家は越前、北ノ庄に城を構え、加賀、能登、越中を攻略中の各部隊に指示を出している。
「ほほう?」
勝二の挨拶に髭面を歪ませ、短く応えた。
勝家は織田家随一の猛将であり、幾たびもの合戦に参加して手柄を立てている。
頑固親父然としたその姿に勝二は緊張して事の経緯を語り、理解を求めた。
信長が持たせた手紙も渡す。
「好きに致せ! お館様の決定ならば従うまで!」
それだけを言い、それ以上は語らなかった。
続いて加賀、尾山御坊を囲む織田軍の下を訪れる。
出迎えたのは、しかめ面をした佐久間盛政であった。
それは勝二の下に就く事への反発からか、家臣団筆頭の身にありながら、信長に折檻状を出されて放逐に近い処遇となった、親類を恥じての事か分からない。
ぶっきらぼうに対応され、言葉少なに会見を終えた。
そそくさと陣を去る。
最後に勝二が訪れたのは、今も籠城を続ける尾山御坊だった。
一向宗徒が立て籠もり、百年間武家の支配を拒んできた要塞である。
そんな城に、本願寺の高僧である頼廉に連れられ、重秀くらいしか伴わずに中へと入り込んだ。
勝二が加賀を統治する事と引き換えに籠城を解き、武装解除して城を明け渡す事となっている。
予め頼廉自らが加賀入りし、宗徒の説得に当たっていた為か、目に見える反発は起きなかった。
しかし、勝二に不審感を抱く者しかおらず、針の筵に座っているようだった。
武装を解いても決して手荒に扱わない事、抵抗を罰しない事、重い年貢を課さない事等を固く約束し、城を去って盛政の陣に戻る。
盛政に一向宗側の要求を認めさせ、ここに百年と続く百姓の反乱が遂に決着した。
※位置関係
暫く加賀の内政パートです。
スペインも直ぐには同盟の打診はしてきません。
勝家の生誕年は諸説あるようで、ここでは1522年にしました。




