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第2話 アレッサンドロ・ヴァリニャーノ

 『ショージ、これも頼む』

 『お任せ下さい』


 勝二はどうにかこうにかゴアに行く為の資金を貯め、港に構えた小さな商店に泊まり込みの店員として潜り込めていた。

 時は流れて1576年になっている。 


 『ショージがウチに来てくれたお陰で大助かりだよ』

 『いえ、感謝したいのはこちらの方です。見ず知らずの私を快く雇って下さり、本当に助かりました』


 言われた事を真面目に丁寧にやる勝二は、それだけでも店長にとって貴重であった。

 当時のゴアにはポルトガル本国から流れ着いた者達がいたが、そういう者の多くが短気で堪え性がなく、見ていなければ平気で手を抜く不真面目な性格の男ばかりであったからだ。

 航海の危険を冒し、一獲千金という夢を追ってやって来た男達が殆どであるから、小さな店で雑用をコツコツと続けるつもりなどなかったのだろう。

 

 そしてそれこそが勝二の狙いであった。

 彼の目的は日本に帰る事であり、その機会を窺う為、港に滞在出来ればそれで良い。

 それには船員からの情報が入りやすい、港の店で働く事が最適であろう。

 店の業務の割に店員が足りていない事に気づき、土下座をする勢いで頼み込んだのだ。

 食事と寝泊まりの場所を確保したかったという切実な思いもある。

 初めはムンバイで商社マンとしての腕を活用すれば、容易く帰国の資金を得られるだろうと考えていたのだが、言葉も商習慣も思った以上に壁が高く、慣れるまでに時間を必要とした。

 今ではビジネスをする上での改善案を思いつくまでになったが、そうなったらなったで抵抗を感じる。

 植民地主義のポルトガルに、現代人の知識を使って利する事をして良いのかという疑問である。


 ポルトガルは第二次世界大戦が終わってからも植民地経営に拘り、最後の植民地であった東ティモールが独立したのは2002年の事だ。

 1515年から支配したにも関わらず碌な開発をせず、1975年からはインドネシアが併合していたとはいえ、資源を収奪するのみで貧困のうちに捨て置いた。

 ポルトガルによる支配を受けた国モザンビーク、アンゴラ、ブラジルなども軒並み同じ扱いであり、それらの国をつぶさに見てきた勝二には、西洋諸国の植民地経営の苛烈さ過酷さは記憶に新しい。

 彼らが去った後の、それらの地域の混乱は目を覆うばかりで、資源開発に赴いた勝二ら日本企業の苦労は並大抵ではなかった。

 ここで帳簿の付け方などを提案して業務内容の改善を図ったら、植民地からの富の収奪を増やす事を意味しよう。

 非効率な経営方法に色々と思う所はあったが、言いたくなる心をグッと堪え、指示された事だけを真摯にやり続けた。


 『しかし、本当に国に戻るのか? 君の故郷はあの日本ジパングなのだろう? 長い航海になるぞ? 長い船旅は危険が多いし、このままゴアに留まればいいんじゃないのか?』

 『ご心配ありがとうございます。ですが一度決めた事ですので……』


 勝二の胸中を知らない店長は人の好さげな顔で尋ねた。

 実際、客観的には怪しいだけの彼をその場で雇い入れたのであるから、店長の人柄は素晴らしいのだろう。

 それは勝二も重々承知している。

 しかし、植民地経営とはシステムの問題であり、一人一人の構成員の人柄は大勢に影響しない。

 逆に、一人が思いついた業務の効率化は全体に広まり、支配した地域からの富の回収を容易にしえる。

 勝二が提案を躊躇う理由であった。


 『君程の人間が決めた事だからこれ以上は言わんが、もしも計画を取りやめる事があったらいつでも言ってくれ』

 『ありがとうございます』


 勝二の身を案ずる店長に複雑な思いで応じた。




 後日、暇をもらい、とある建物を訪れていた。

 目的の人物を見つけ、声を掛ける。 


 『申し訳ございません。貴方はアレッサンドロ・ヴァリニャーノ神父様でいらっしゃいますか?』

 『そうだが、君は?』


 勝二の頼みの綱、ヴァリニャーノである。

 1574年にはゴアに着いていた彼であるが、巡察師として東インド管区内を精力的に回り、居所を掴むのが難しかったのだ。

 ゴアに戻ってきているという情報をやっとの事で掴み、慌てて接触を図った。


 『申し遅れました。私は日本から来ました五代勝二です』

 『日本だって?!』 


 勝二の自己紹介にヴァリニャーノは驚いた。


 『日本は私の目的地の一つだよ!』

 

 イエズス会の東インド管区には日本も含まれている。

 巡察師としては当然、巡回に訪れる予定であった。

 世界布教という崇高な目標を掲げ、結成されたのがイエズス会である。

 その創立メンバーであり、会士達の尊敬の念を一身に集めていたフランシスコ・ザビエル。

 その彼が、大変な苦労の末にキリスト教を初めて伝えたのが、目の前にいる男の生まれた地、日本である。

 ザビエルの生き方に感銘を受けていたヴァリニャーノとしても、日本は是非とも尋ねたい国であった。


 『それもあって神父様にお声を掛けさせて頂きました』

 『それはどういう事だね?』

 『日本に戻りたいのです!』

 

 勝二は必死に頭を下げた。

 全てはこの時の為にゴアに留まり続けたと言える。

 やろうと思えば自力で帰国を目指す事も出来たが、無事に着けるのか確信が持てなかった。

 当時の船の航海能力は安定しておらず、難破はザラである。

 なので安全を優先した。

 歴史通りならば、ヴァリニャーノが乗る船は確実に日本に到着する。


 『3年前、航海中に遭難し、やっとの事でここまで辿り着きました!』

 『それは災難だったね。助かったのは神の御加護があったのだろう』


 タイムスリップしたとは言えず、勝二は嘘をついた。

 ヴァリニャーノは気の毒そうな眼差しで見つめる。

 本国でも立ち寄った港町でも、船が行方知れずで家族や仲間を待ち続ける者で溢れていた。  


 『どうにかして日本に戻りたいと思っていた所、ゴアからマカオ、マカオから日本に向かうという神父様のお噂を耳にしました』

 『成る程な』 


 目の前の男の意図を察する。


 『雑用でも何でもしますから、是非とも神父様の旅に連れていって下さい!』


 思った通りであった。

 こういうお願い事はどこに行っても付き物である。

 無事を知らせる手紙を運んで欲しい、仲間の形見の物を遺族に届けて欲しいといった事から、借金から逃れる為に船に匿って欲しいという願いもあった。

 神父として出来る事は喜んで協力してきたが、船に乗せて欲しいというのは中々に厄介である。

 船はイエズス会の物ではないから、乗客として乗せるには運賃が発生するのだ。

 また、会の予算は限られており、人一人とはいえ日本までの旅の費用負担は大きい。 

 と、ここでヴァリニャーノは気づいた。


 『君のポルトガル語は上手だね』

 『恐れ入ります』


 イタリア出身のヴァリニャーノであるが、世界へ布教に出掛けようとするならポルトガル語とスペイン語の習得は欠かせない。

 今現在世界の各地に植民地を持っているのはその両国だからだ。

 なのでしっかりとポルトガル語を学んできたのだが、日本から来たというその男も流暢に話している。

 その事は彼にとって都合が良い。


 『では、こういうのはどうだろう? 君が私に日本語を教えてくれる事と引き換えに、私が君を日本まで送っていくというのは?』

 『本当ですか? ありがとうございます! 宜しくお願いします!』

 『交渉成立だね』


 日本の言葉はヨーロッパの物と全く違うと聞いている。

 ザビエルなどの残した資料はあるが、文字を読むだけでは実感が湧かない。

 生きた日本語を学ぶには、やはり出身者から学ぶのが一番だろう。 

 思わぬ所で日本人と巡り合い、ヴァリニャーノは幸先が良いなと嬉しくなった。

 また、彼の帰りを待つ家族の下に送り届ければ、それだけイエズス会の評判も高まろう。

 信徒が増えれば会の目的にも合致する。

 こうしてヴァリニャーノは、遭難したという日本人、五代勝二を拾った。

 

 勝二も気づいた事がある。


 『彼はどなたですか?』

 『ゴアで出会ったヤスーキ君だよ。体力があって気が利くので従者をやってもらっている』

 

 背の高い一人の黒人がヴァリニャーノの後ろに控えていた。

 3歩後ろに下がって待つ、そんな印象がある。


 『ヤスーキ君、これから一緒に旅をする事になった、ええと……』

 『五代勝二です。ショージとお呼び下さい』

 『そうそう、ショージ君だ。仲良くしてやってくれ』


 ヴァリニャーノが勝二を紹介した。

 ヤスーキはぎこちない言葉で名前を言う。


 『俺、ヤスーキ、よろしく』

 『勝二です。宜しくお願いします』

 『言葉、上手!』


 ヤスーキは勝二のポルトガル語を褒めた。

 

 『ゴアには1年近くおりますので……』


 初めから話せたのだが、その事は伏せておく。

 それよりも気になったのは彼の名前だ。

 ヴァリニャーノが連れたヤスーキという名の黒人。

 勝二には心当たりがあった。


 「もしかして、彼が後の弥助ですか?」


 ヴァリニャーノが安土城で織田信長に謁見した際、従者として一人の黒人を連れていたという。

 まるで炭を塗りたくったような黒さに驚いた信長は、元からという説明を信じず、水の入ったタライを用意させてその場で体を洗わせたそうだ。

 それでも黒さが落ちなかったので炭の汚れではないと信じ、気に入ったのかヴァリニャーノに金を払って召し抱え、弥助という名を付けて可愛がったという。

 ヤスーキだから弥助にしたのであれば納得出来る。


 『何と言ったんだね?』

 『すみません、何でもありません……』


 慌てて誤魔化した。

 そんな勝二にヴァリニャーノが言った。

 

 『マラッカに向かうのは来年の予定だが、それまではどうするのだね?』

 『え?』

 

 思わず面食らう。

 勝二は言葉の意味を尋ねた。


 『来年、ですか?』

 『そうだが?』


 何を聞いているのだと言わんばかり。

 勝二はようやく意味を理解した。

 ダメ元で問いかける。 

  

 『急ぐ訳にはいきませんよね?』


 待ち続けた甲斐あって、無事、日本に向かう便に乗る事が出来るようになった。

 しかし、それが来年とは先の長い話である。

 早く帰りたい勝二の思いをヴァリニャーノが断ち切る。


 『それは無理だな。巡察師として管区内を回る事が私の使命だからね』

 『それはその通りです。ご無理を言って申し訳ありませんでした』

 『いや、構わないよ。誰だって故郷には早く帰りたいものだからね』


 そして1577年9月にゴアを発ち、同年10月にはマラッカへと着いた。

 マラッカにもイエズス会士は赴任しており、巡察師の職務を遂行する必要がある。

 そしてマカオに着いたのは、1578年9月の事だった。


 ヴァリニャーノとヤスーキの日本語は滑らかとなり、代わりに勝二はラテン語とイタリア語をマスターした。

 カトリックの司祭はラテン語が必須であり、誰もが習得する。

 スペイン語やポルトガル語といった欧州の言語はラテン語に多大な影響を受けているので、それらの言語への理解も一層進んだ。


 マカオでもヴァリニャーノは精力的に活動した。

 同地のイエズス会は中国での布教活動が全く進んでおらず、ヴァリニャーノは中国語を学ばなければならないと痛感し、同じ漢字を使う勝二に協力を要請する。

 中国語は余り分からない勝二であったが、ヴァリニャーノの期待に良く応え、彼らの学習の手助けとなるよう尽力した。

 そんな中、所用でマカオの町を歩いていた勝二の耳に、女の金切り声が届く。


 「いやぁぁぁぁぁ!」


 日本人の悲鳴だと思い、何事かと慌てて声の主を探す。

 ようやく見つけた声の主は、首輪をさせられた上に鎖で繋がれ、鞭で打たれて歩かされていた。


 「まさか奴隷なのか?!」

ヤスーキは適当に考えました。

全く関連のない名前から弥助にならないだろうと考え、ヤ〇〇〇で良い名前はないかなと。

ですがポルトガル語では見つからず、アフリカの言葉は分からないので、ヤスーキで妥協しました。


彼が奴隷であったのか、なかったのか。

神父が奴隷を買うのか買わないか。

信長に献上したのか信長が買い取ったのか。

Wikipediaでははっきりとしません。

この作品ではヴァリニャーノが従者として雇ったという事にします。


奴隷の扱いとして足に鎖だったのか、首輪だったのかははっきりとしないので、ここでは首輪に鎖としました。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 実際には現代人のショージは平安の日本語は分からないでしょうね。
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