幕間その16 プラハ城
神聖ローマ帝国、プラハ城。
貴族A『あれが噂の?』
貴族B『あんな珍妙な恰好をした連中が神の国だと?』
列席する貴族達がヒソヒソと囁き合う。
好奇心を隠さない者、疑り深そうに見つめる者、侮りの目を向ける者、無関心な者と、そのありようは様々だった。
皇帝ルドルフ2世『お前達は本当に神の国から来たのか?』(疑いの目)
信長『神の国など知らぬ』
ルドルフ『何?!』
ルドルフはギョッとした。
バチカンにより神の奇跡と認定された、日本国の大西洋への転移。
敬虔なカトリック教徒を自負するルドルフは、それが故に日本人をプラハ城へと招いた。
それなのに、当の本人がそれを否定するとは思わない。
そんな皇帝の心を読んだのか、日本からの使者が表情を変えもしないで言う。
信長『我らは我らの土地で暮らし、寝ている間に島が移動したに過ぎぬ。神の計画にしろ、その真意など我らにはあずかり知らぬ事だ』
ルドルフ『それはそうだ』
皇帝はひとまず安堵し、直ぐに好奇心がうずいた。
ルドルフ『寝ている間に国が移動したそうだが、何も気づかなかったのか?』
信長『誰も何も気づかなかったと言っている』
ルドルフ『それでは、いつ異変に気づいた?』
信長『翌朝だ』
ルドルフ『何故?』
信長『その時期にしては太陽の昇る方角がおかしかったからだ』
ルドルフ『太陽の方角?』
途端にルドルフが目を輝かす。
その理由に見当がついたのか、使者が尋ねる。
信長『プラハでは天文学が盛んであったな?』
ルドルフ『いかにも!』
信長『ならば詳しい説明は要るまい。太陽は夏至で最も南から昇り、冬至で最も北から昇る』
ルドルフ『その通りだ!』
信長『それなのに、あの日は全く違う方角から朝日が昇ってきたのだ』
ルドルフ『成る程! それで異常に気づいたのだな!』
皇帝は大袈裟なくらいに頷いた。
自身が傾倒している天文学の話で心が満たされる。
ルドルフ『では、大西洋に移動したのはいつ分かった?』
信長『北極星の角度までも変化した事から、日ノ本の位置が北にずれた事は早いうちに分かっていた』
ルドルフ『おぉ!』(北極星と緯度の関係を理解している事に驚愕)
蛮族との当初の印象はすっかり消えていた。
信長『大陸を飛び越えて日ノ本が移動した事への確証は、東に船を出してヨーロッパへと辿り着いた事で得られた』
ルドルフ『そうであるか!』
皇帝は大層満足した。
ルドルフ『そう言えば、先ほどから出ている日ノ本とは何だ?』
信長『我々の国の事だ』
ルドルフ『日ノ本とはどのような意味だ?』
信長『日ノ本は元々この大陸の遥か東の果て、海を渡った先にある島国であったのだが、昔日より大海原から昇る太陽を拝んでおり、遂には国の名前としたのだ』
ルドルフ『太陽?』
信長『日ノ本とは太陽が昇る地というような意味だ』
ルドルフ『そうであるから方角の違いに気づいたのだな』
使者は頷き、従者にそれを持ってこさせる。
信長『これが我が国を表す旗、日の丸だ』
ルドルフ『日の丸?』
謁見の間に驚きが広がる。
白地の中央に赤い丸をあしらっただけの、何とも単純な旗だった。
帝国を表す双頭の鷲に比べ、圧倒的にシンプルである。
そのシンプルさは、謁見の間に嘲笑を誘った。
まるで子供の書いた落書きにしか見えなかったからだ。
列席する貴族達がこみ上げる笑いを必死で噛み殺す。
外国から招いた客を笑うなど外交儀礼としてありえない。
ルドルフ『何とも……簡素な……意匠だな』
信長『我が国は古来より簡略さを好んできた。たとえば家紋だ』
ルドルフ『家紋?』
信長『家を表す紋章だ。織田の木瓜、蒲生の対い鶴、本多の丸に立ち葵といった風に、簡略化された図形を用いてそれぞれを示す』
ルドルフ『ほう?』
示されたのは興味深いデザインだった。
植物や動物をモチーフに、単純かつ分かりやすい。
信長『このように、単純化された図形を組み合わせる事によって様々な紋様を表す事が出来る』
ルドルフ『ふむ』
皇帝は使者の言葉に頷いた。
そして、謁見を終えた織田信長は神聖ローマ帝国への興味を失った。
その主たる原因は、帝国を統べる皇帝への評価が大きい。
信長(頭は回るようだがそれだけだな)
信長(救い難いのは政への興味が全くない事)
信長(その癖、カトリックへの信仰は強いときている)
信長(神への信仰を優先する者が、矛盾だらけの人の世を治める滑稽さよ)
信長(祈りが人を救うと思っているらしい)
信長(それに、天文学、占星術、錬金術とやらを奨励しているそうだが、天の星を見る前に見るべき事があろう)
信長(錬金術は鉛を金へと変えるのが目的らしいが、たとえ黄金があっても肝心の米、麦がなければ腹は満たされぬ)
信長(また、城の床が抜ける程に金貨を積み上げようとも、飢えた民が増えれば鉛の玉を浴びせられるぞ)
信長(この辺りが王政の欠点であろうか。王位継承順に沿い、素養がない者でも王位に就く)
信長(いっそ隠居し、己の好きな事を好きなだけやれば良いのだ)
そして女子供や身内に甘い信長は考える。
信長(しかし、イサベルにはああ言ったものの、相手がこのような男だと知った今、いくら政略の為といえども嫁がせるのは気が進まん)
信長(なんせ実の娘以上に言葉を交わし、もはや他人とは思えぬのでな)
信長(けれども手な事をすればこの娘の醜聞となりかねん。向こうから縁談を断れば良いのだが……)
信長(プロテスタントの解決策も思いつかぬ……)
頭の痛い問題を抱えたまま舞踏会を迎えた。
完結第一で頑張ります。




