幕間その14 邪教徒
ケルンを抜けて。
信長「その方は今日より与幡と名乗れ」
ヨハン『え?』
信長の言葉にヨハンは面食らった。
与幡と名乗れと言われても、元よりヨハンだからだ。
鳩が豆鉄砲を食ったような顔を見かね、カルロスが説明する。
カルロス『日本の方々は名前を漢字で表すのですよ』
与幡『漢字?』
カルロス「信長様、ヨハンの名前はどのような?」
信長「書けるのか?」
カルロス「すみません、私も漢字までは……」
そう言って頭を掻く。
日本の言葉を聞けて話せるが、読んで書けるまでは理解していない。
信長は溜息をつき、筆と紙を取り出し、ヨハンの名前をサラサラと書いてみせた。
信長「これがその方の名だ」
与幡『これって呪文?』
それは随分と奇妙な文字で、何が書かれているのかまるで理解出来ない。
イサベル『ヨハン君、アルファベットは分かりますか?』
与幡『牧師様に教えてもらった』
その答えに頷く。
イサベル『アルファベットは音を表す文字ですが、漢字は意味を表します。日本の言葉は漢字と、音を表すひらがなを使うので大変に複雑ですわ』
与幡『言ってる意味が分からねぇ……』
信長「読みがヨハンでも与幡、四藩、夜半、余飯と書ける。それぞれの漢字が持つ意味が異なるので、その組み合わせによって様々な意味を持たせる事が出来るの
だ」
与幡『へぇー』
忠勝「因みに俺の場合は忠誠と勝利という意味だ」
氏郷「私の名前は説明が難しいです……」
与幡『なら、これは?』
与幡は自らの名前を指し示す。
信長「与は弓の名手那須与一から、幡は八幡神社から取っている。八幡神社は武運の神なので、武功を挙げられるようにという意味だ」
与幡『何かスゲェ』
与幡はいたく感心した。
フランクフルトにて。
信長「これを身につけよ」
信長が服を差し出す。
与幡『何だこれ?』
カルロス『日本の方々が普段着ておられる服ですよ』
与幡『どうやって着るんだ?』
イサベル『私がお教え致しましょう』
イサベル「出来ましたよ」
忠勝「ほう?」
氏郷「これはこれは」
信長「思った通り、着物の色柄に白い肌が映えておるな」
雪のように白い肌と色鮮やかな着物のコントラストが美しい。
しかし与幡の表情は曇っていた。
信長「どうした?」
与幡『駄目だよ、これ……』
信長「気に入らんと申すか?」
与幡『違う!』
信長「なら何だ?」
与幡『顔を隠さないと……』
迷惑を掛けてしまう。
与幡はその言葉を飲み込んだ。
信長「その方が日の光に弱いのは仕方ない。しかしそれは陣笠を使えば事足りる』
与幡『でも……』
信長「その方は既に儂の配下だ! 事情を知らぬ愚か者の誹りなど捨ておけ!」
与幡『わ、分かった』
いくぶん不安気ではあったが、力強い信長の言葉に頷く。
信長「我が国の礼儀や振る舞い方は、この幸村から学ぶが良い」
幸村「ビシビシいくぜ?」
信長「異国の者同士、弥助や茂嵐も手助けしてやれ」
弥助「お任せ下さい」
茂嵐「ハイ」
ヴュルツブルグの村。
カルロス『この方々は皆さんも耳にした事があるでしょう、バチカン公認の神の奇跡、あの日本からやって来られたお客様です!』
村人A『おぉぉぉ!』
村人B『皇帝陛下が許婚のイサベル様共々お招きしたんだってよ!』
村人C『今夜はこの村に泊まるそうだぜ!』
初めて見るアジア人に村人達は興奮した。
見た目も振る舞いも随分と風変りな一団である。
一際目を惹くのが三人いた。
村人D『奴隷を連れているのか?』
村人E『あっちは白い肌に赤い目?』
奴隷に多い黒い肌をした二人と、対照的に白い肌の少年である。
村人達が一心に注目する中、年老いた村長が出迎える。
村長『よいこそいらっしゃいました』
信長「出迎え感謝する」
村長『宿は教会となりますが、よろしいでしょうか?』
信長「夜露を防げるのならそれ以上は言わぬ」
野宿に比べれば屋根があるだけでも違う。
そして、ささやかながらも珍客をもてなす宴が催された。
宴が終わり、宿となった教会には、好奇心に満ちた顔で待つ者がいた。
牧師『長旅でお疲れでしょうが、いくつか質問をしても宜しいでしょうか?』
信長「構わぬ」
この村はプロテスタントが占めていた。
牧師『日本ではカトリックが盛んなのでしょうか?』
信長「カトリックも何も、そもそもキリスト教徒が少ない」
牧師『キリスト教徒が少ないのですか……。では、民は何の教えを信じているのでしょう?』
信長「多くが仏教を信じておる」
牧師『仏教、ですか?』
信長「仏教とは」
信長は勝二が以前話した、キリスト教と仏教、イスラム教の違いを応用し、仏教について説明した。
自力本願である小乗仏教から、他力本願の大乗仏教へと至る流れだ。
牧師『確かに阿弥陀如来への祈りの心は、我々キリスト教徒が神へ祈る心と似ているかも知れません』
牧師は深く深く頷いた。
遠い異国の宗教事情を聞き、救いを求める民衆の心に違いはないと知る。
そこでふと気になっていた事を尋ねる。
牧師『あの方々は奴隷なのですか?』
弥助や茂嵐の事だ。
神聖ローマ帝国内にも、アフリカから連れて来られた奴隷は見受けられる。
神の愛を説く宗教者として、彼らの存在は頭を悩ませる問題だった。
信長「あの者らは元は奴隷であったが、ポルトガル商人から儂が買い上げて家臣にした」
牧師『それは哀れみや同情によって、でございますか?』
信長「下らぬ」
牧師『では何故?』
信長「あの者らに見所があったからだ」
牧師『能力を見込んで働かせるなら、奴隷のままでも構わないのでは?』
信長「それこそ下らぬ」
牧師『どうしてでしょう?』
信長「功を立てようと発起するのは、功を立てれば出世などで報われるからだ。しかし奴隷ではそうもいかぬ。どれだけ働こうが奴隷のままであれば、誰も懸命にやろうとは思うまい」
牧師『賢明なお考えです』
そして与幡に目をやる。
牧師『日本では赤い目をした人が多いのでしょうか?』
信長「滅多におらぬし、その方は勘違いをしておるぞ」
牧師『勘違い、でございますか?』
信長「あの者はケルンで拾ったのだ」
牧師『ケルン? まさか……』
信長「そのまさかであろうな。そこの牧師があ奴を匿っておったが流行り病で死んだのだ」
牧師『やはり……』
それは古い友人であった。
優しい彼であれば、迫害を受ける存在は守ろうとするだろう。
その彼が亡くなった後は想像がつく。
牧師『そして村人に見つかり、火あぶりに……』
信長「そういう事だ。偶々その場にいたので金を出し、連れて来た次第」
牧師『友人に代わって感謝致します』
信長「礼には及ばぬ。我が国では古来より白い生き物を神の使いとし、大切にしてきたのでな」
牧師『神の使いですか?』
信長「白蛇、白鹿など様々だが、白い獣は殺さず傷つけず、大切に守ってきたのだ」
牧師『そうなのですか……』
そんな牧師の姿に信長は悪戯めいた笑みを浮かべる。
信長「唯一神を信仰する者には邪教の考えとして受けつけぬか?」
牧師『たとえ異教の神を信じる者であっても、神の御心に適う行いの者に対し、神はその愛を注いで下さる筈です』
信長「神の心に適うとは一体何だ?」
牧師『聖書が説いているのはそう難しい事ではありません。人が嫌がる事をしない、嘘をつかない、盗まない、自分が扱って欲しいように人を大切に扱うなどです』
信長「成る程、出来る出来ないは兎も角、難しい内容ではないな」
牧師『貴方様の振る舞いは、理由はどうあれ結果として神の御心に適うように思います。それを考えれば、口でどれだけ神の栄光を称えようとも、奴隷の売買を許し、外見が異なる者を迫害する我々こそ邪教徒と呼べましょう』
信長「ふっ。潔いな」
生臭坊主を焼き殺したがなと、心の中で呟く。
牧師『本来、神の御心に適う生き方にこそ、キリスト者は注力すべきなのです。そこにカトリックやプロテスタントなどと、何の違いがあると言うのでしょう。ましてや両者で憎み合い、争い合うなどもってのほかです』
信長「スペインでもフランスでもこの神聖ローマ帝国でも、異端審問や魔女裁判が盛んであったぞ」
牧師『神への信仰を捧げる者として、お恥ずかしい限りです……』
信長のプロテスタントへの評価が高まった。
ニュルンベルクを前にして道が込み始めた。
向こうから歩いてくる者達が御者に何かを伝える。
信長「一体どうした?」
カルロス「この先の橋が崩れており、通れないようです」
信長「脇道はないのか?」
カルロス「馬車では通る事が出来ないそうです」
信長「まずはこの目で見届けよう」
信長は氏郷らを連れて先へ進んだ。
忠勝「これは酷い」
氏郷「馬車で通るのは不可能ですな」
信長「やむを得ん。引き返すほかあるまい」
来た道を戻る事にした。
プラハへと通じる馬車が通れる別の道は、一行が泊まった村よりも更に戻らねばならない。
氏郷「この臭いは、まさか……」
忠勝「もしや、また、なのか?」
信長「急ぐぞ」
一行は馬の足を速めた。
※アントウェルペンからプラハ




