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第172話 HARAKIRI

 「兵糧は?」

 「もう一度遠征出来る量は確保しました」

 「良し!」


 勝二の答えに豊久は膝を叩く。 

 亡き道雪はこの事態を見越していたのか、勝二を戦場には連れて行かず、船で別の場所へと向かわせていた。

 アイルランドの窮状を救う一手としての、スコットランドである。 


 この時代のスコットランドはイングランドと折り合いが悪く、エリザベス女王が派遣した遠征軍と何度か戦っている。

 スコットランドの女王メアリー・スチュアートは、祖母マーガレットの父親がエリザベス女王の祖父ヘンリ7世であり、スコットランドの女王にしてイングランドの王位継承権者でもあった。

 プロテスタント寄りのエリザベスに反感を持つ、両国のカトリック教徒とバチカンは、メアリーこそ正当なるイングランド王位継承者とみなした。

 しかし、半ば誘拐される形で再婚したボスウェル伯、ジェームズ・ヘップバーンに反発する貴族によって反乱を起こされ、囚われたメアリーは王位から退けさせられた。

 跡を継いだのはメアリーの実子ジェームズで、史実通りであればスコットランドとイングランド双方の王位を一身で引き受ける事となる。


 からくも幽閉場所から脱出したメアリーは兵を集めたが鎮圧され、やむなくエリザベス女王を頼ってイングランドへと逃れた。

 女王の温情からか比較的自由の利く軟禁生活であったが、メアリーには堪え性がなかったのか、イングランド女王の正当性について疑義の声を上げ、女王を悩ませ続けるのだった。


 そんなスコットランドに勝二は向かった。

 信忠に頼んで運んで来てもらった石見の銀と手持ちの鉄砲を使い、足りない食料を確保する為である。

 カトリック側の貴族を訪ね歩き、備蓄分を分けてもらう。

 とはいえ銀はタダではない。

 対価はアイルランド産の羊毛や牛の皮革で賄う予定である。

 緯度が上昇した日本は冬の気温が低下し、特に関東以北では防寒着の需要が高まっていた。

 樺太では毛皮が採れるが、その供給は不安定である。

 安定した生産量が見込めるアイルランドの羊毛は、市場に溢れつつある石見銀の良い活用先だった。 


 「直ぐに軍を整えてベルファストを攻めるぞ!」

 「賛成です。今、守勢に回るのは得策とは言えません」


 張り切る二人を勝二は複雑な表情で眺めた。

 道雪が戦死した事は聞いている。

 悲しみに暮れている場合ではない事は理解しているが、それにしてもと思う。

 そんな勝二を他所に、意気消沈するネイルらに向けて豊久が大声で叫ぶ。 

 

 『お前達、準備しろ!』


 言われたネイルは頷いた。


 『葬儀ですね』


 返せない程の恩がある道雪なので、厳かな式にしなければならないだろう。

 誰もが今一度悲しみを噛みしめた。

 と、何を馬鹿な事をとでも言いたげな顔で豊久が言い放つ。


 『葬儀なんて後でいい! ベルファストを攻めるぞ!』

 『何ですって?!』


 ネイルは驚いた。


 『道雪様が死んでしまわれたのですよ?』

 『それがどうした?』

 『どうしたって……』


 平然と言ってのける豊久に愕然とする。

 更に肝を潰す内容を口にした。


 『戦で死ぬのは武人の名誉だ。何を悲しむ必要がある?』

 『しかし……』


 戦士の名誉は、誇り高いアイルランド人の自分も理解するところだが、だからと言ってその死を悲しむ必要すらないとまでは言えない。


 『間をおけば奴らの思う壺だ! 増援が来る前にこの島から追い払う!』


 その言葉に心が揺れる。

 確かにその通りではあるからだ。

 時間をおけばおく程、英国軍は人員と物資を補給してしまうだろう。


 『俺達はお前達を勝たせる為に来た。ここで勝たねぇと、それこそ死んだ爺さんが浮かばれねぇ!』


 ネイルは再戦を決意した。




 『指揮官である私の命を以て、将兵の身の安全を保証して欲しい』


 降伏した男の言葉にネイルは衝撃を受けた。

 傲慢な英国貴族が兵士の為にその命を捧げるなど聞いた事がない。

 豊久の指示で行ったベルファスト強襲は成功し、英国軍兵士の多くを捕らえる事が出来たのだが、捕虜をなぶり殺しにしろとの声が解放軍の中から上がっている。

 彼らの気持ちは痛い程理解出来るが、元々は神に仕える聖職者であったネイルにとり、無抵抗な者を殺す行為は出来るだけ避けたい。

 かと言って貴族の命と引き換えに、敵軍を解放するという判断もつきかねる。


 『どうしたら良いのでしょう?』


 ネイルはひとまず決断を保留し、別の場所で待っていた豊久らに相談した。


 『殺せばいいだろ』


 こともなげに豊久が口にする。

 それどころか率先して捕虜の首をはねて回りそうだ。

 困ったネイルは宗茂を見る。 

 冷静沈着な宗茂であれば虐殺を止めてくれるだろう。


 『今は捕虜に出す食事さえも貴重ですし、放逐すれば無駄が省けますよ』


 ネイルの意を汲んだのか宗茂が異を唱えた。

 けれども豊久が言う。


 『それも殺せば解決するだろ』

 『それはその通り』


 冷徹な程に合理的な二人だった。

 ネイルは諦め、最後の望みと勝二を見る。 

 

 『捕虜を殺すとなると要らぬ抵抗が起こるでしょうし、殺したら殺したで遺体の処理もせねばなりません。ここは大人しく解放した方が、結果として我らの負担が減るかと思われます』

 『そ、そうですよ!』


 我が意を得たりとネイルは頷いた。

 勝二が付け加える。


 『それに、王族に縁する者であれば身代金も弾むのではありませんか?』


 解放軍にとり、貴族一人の命を捧げられたところで大した意味はない。

 それよりは身代金をたんまりと貰った方が、後の復興を考えても余程有意義である。

 ネイルはそう結論づけ、敵の指揮官の元へと戻った。


 


 『金で命を買えだと?! 愚弄するな!!』


 相手は激昂した。

 投降したとは思えない剣幕である。

 手に武器でも持っていたら斬りかかってきそうなくらいだ。 

 怒気に満ちた表情できっぱりと言う。


 『我らは負けた! 腹を切らせろ!』


 取り付く島もないとはこの事だ。 

 ネイルは途方に暮れた。


 「しかし、負けたケジメを取って腹を切るとはな」

 「そうですね。髪の色といい顔付きといい、まるで日ノ本の武人のようです」

 「いえ、まるでと言いますか……」


 ネイルの後ろから事の成り行きを見守っていた三人は、口々にその思いを呟いた。

 イングランドの言葉は勝二が二人に訳している。

 着ている衣服は貴族らしく、一目で品質の高さが伺える品だったが、その顔付きはヨーロッパの者達とは異なり、むしろ日本人と見紛うばかりだ。

 からすを思わせる黒髪は短くまとめられており、まげを結えば故郷の者と見分けがつかないように思われる。

 自分を見つめる視線に気づいたのか、その男が言った。 


 「もしや貴殿らも日ノ本の出なのか?」

 「何?!」


 三人は心底驚いた。


 「テメー、何者だ!?」


 豊久がズカズカと近づき詰問する。

 囚われた男は怯む事なく答えた。


 「それがし出羽国でわのくに伊達家に仕える片倉景綱と申す」

 「出羽の伊達だと!?」


 更に驚く答えだった。


 「伊達の家臣がどうしてイングランドの貴族をやってやがる?」

 「若君の命に従ったまで」


 淡々と答えた。

 伊達家の若君と聞いて勝二はハッとする。


 「若君とはまさか梵天丸、様ですか?」

 「若君をご存知か!」


 独眼竜伊達政宗。

 生まれるのが十年早ければ、天下取りの一翼であったろうと称される英傑である。


 「何と言われたのですか?」


 あの政宗から命令されたと聞き、勝二はウズウズするような好奇心に駆られた。


 「イングランドの女王を懐柔し、伊達の味方とせよと」

 「イングランドを味方に……」


 景綱の回答に唖然とする。


 「それがどうして貴族になってるんだ?」

 「左様。取り込まれたのは片倉殿の方では?」

 「取り込まれておらぬ!」


 豊久らとのやり取りでハッと気づく。


 「まさか、エリザベス女王が産んだ子供というのは?」

 「左様、某との間に生まれた子にござる」

 「そんな事実が……」


 驚く事ばかりが続いている。


 「それで、貴族としてこの戦に加わったってのか?」

 「左様」


 それで納得した。

 

 「そういやぁ爺さんを斬ったのはお前なのか?」

 

 豊久が尋ねる。

 恨みの感情など籠っていない、ついでに聞いてみたという風だった。


 「爺さんとは本陣にいた、あの御仁か?」

 「その爺様さ」

 「そうだが、あの方はかの戸次道雪殿なのか?」

 「道雪の爺さんを知っているのか?」


 豊久の頷きに景綱は感激する。


 「かの武田信玄公が賞賛した、稀代の戦上手と聞いている!」

 「出羽国まで伝わっているとはな」


 三人は情報の広がり具合に感心した。

 

 「雷切はどうした?」


 投降の際に武器を没収しているが、その中に道雪の愛刀雷切を見つけた。

 景綱が事情を説明する。


 「自分を斬った褒美だと、今はの際に道雪殿より頂戴した次第」

 「じゃあ、お前の物だな。雷切はお前の遺品として跡継ぎに渡してやろう」

 「かたじけない」


 奪ったのでなければそれで良かった。

 と、ここで逆に景綱が尋ねる。


 「伊達家がどうなっているかご存知か?」


 船出から随分と時が経っている。

 今の状況を知りたかった。

 真剣な表情の景綱に、三人は思わず顔を見合わせる。

 流石の豊久も躊躇したようだ。

 しかしそれも一瞬で、次には答えるのだった。

 

 「伊達は戦に負けたぜ」

 「それは真か!?」


 勝二は信忠による奥羽征伐の概要と、今の日本の状況を説明した。


 「そのような事になっていたとは……」


 血の気の引いた顔で景綱はガックリと肩を落とした。

 慰めるつもりで勝二が言う。


 「もっと早い段階、少なくとも十年前までに奥羽を統一していれば、もしかしたら織田家に対抗する事も可能だったかもしれません」

 「十年前までに、か……。最上義光を降すのは難儀であろうな……」


 景綱が呟く。

 そして寂しく笑い、言った。 

 

 「最期に、懐かしい日ノ本の言葉を聞けて感謝する」

 

 これ以上の問答は無用、そう言いたげな顔だった。

 武士の強情さを知っている勝二は半ば諦めながらも問う。


 「腹を切るという意志は変わりませんか?」

 「若君の野望が潰えたのなら、尚更生きる意味はない」


 思った通りの答えだった。


 「お子さんに会いたいとは思いませんか?」


 駄目元で尋ねてみる。

 景綱は少しだけ考えながらも首を横に振る。


 「……戦場に出れば生きるか死ぬかだと常々教えている。生き恥を晒してまで会う必要はない」

 「そう、ですか……」


 そして片倉景綱はベルファスト陥落の責任を取り、敵味方の全てが見守る中でその腹を切り、果てた。

 最期まで勇敢で高潔だったと女王に伝えるよう、自由にした王国軍兵に託す。

 兵士らは涙を流してそれに応えた。

 当初、復讐出来ない事に不満を漏らしていた解放軍も、景綱の壮絶な姿に感銘を受けて静かになるのだった。




 『も、もう一度言いなさい!』


 王座から跳びあがるくらいに、女王はその報告に衝撃を受けた。

 報告者が同じ内容を繰り返す。


 『景綱様は我々将兵の解放と引き換えに、自らの腹を切って命を絶たれました!』

 『あ、ああ……』


 女王は崩れるように王座の背にもたれかかる。

 解放軍を蹴散らしたとの連絡が入ってきた時は安堵したが、反攻を受けてベルファストに攻め込まれたと聞いた時は生きた心地がしなかった。

 そしてもたらされた景綱の訃報である。

 エリザベスは変わり果てた夫の姿を目にし、目の前が真っ暗になった。


 ベッドの上で目が覚めたエリザベスは、愛する夫から聞いていた日本の風習、切腹の話を思い出していた。

 意識を失った母を心配したのか、夫の忘れ形見である息子がベッドの傍らで椅子に腰かけたまま眠っている。

 愛しさに胸がつまり、思わず涙がこぼれた。

 しばらくの間感傷に浸り、少しだけ冷静さを取り戻す。

 権謀術数渦巻く貴族社会を懐柔し続けてきた女王である。

 意識の切り替えは驚く程に早い。

 

 そして切腹について考える。

 責任ある立場の者がその責務を全うする為に己の命を捧げる、名誉ある死なのだという。

 初めは冗談として聞き流していた彼女も、頑固とも取れる夫の姿に、本当の話なのだと思うようになっていた。

 そんな事態とならぬよう神に祈りながら送り出したが、結果としてこうなってしまった。

 己の無力さ、アイルランド人への怒り、夫を失った悲しみ、息子への愛情が錯綜する。

 しかし、国を治めるのに休みはない。

 女王は乱れた心のままその職務をこなすのだった。

  

 しばらくし、アイルランドの反乱にスコットランドの影ありとの報告が入る。

 また、愛する息子エィリへの誹謗中傷を始めたメアリーに激怒し、捕らえて断頭台へと送った。

 メアリーを処刑されたバチカンは面目を失い、スペインやフランスに檄を飛ばしてイングランド侵攻を訴え、それがアルマダの会戦へと繋がっていく。




 『イングランド攻めに参加して欲しいだと?』

 『国王陛下たっての願いです』


 オランダに駐留する信長の下に、フェリペ2世に仕えるファンタジー好きのカルロスが訪ねて来た。

 イングランド侵攻に協力して欲しいという内容である。

 信長はしばし考え込み、答えを出す。


 『良かろう』

 『ご協力ありがとうございます!』

 『それに併せ、軍は全てオランダより下げるがな』

 『分かりました』


 信長は既にヨーロッパに飽きていた。

 神聖ローマ帝国も訪問し、その実態をつぶさに観察している。

 これ以上留まる意味がない。

 

 「やっと帰れるのですか!」

 「長かったぞ!」


 氏郷、忠勝も嬉しそうだ。

次話から幕間として信長一行の神聖ローマ帝国滞在記をやります。

数話で終わる予定で、その後にアルマダの会戦(海戦ではない)を始めたいと思います。

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[気になる点] 信長「誰も帰るなどとは言っておらん」 [一言] 今年もよろしくお願いします。
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