幕間 その11 名物の誕生
アントリム城の一画、勝二らが寝起きに使っている部屋。
いつもは朝早くから起きて鍛錬に勤しむ道雪が、珍しく勝二よりも遅かった。
聞けば体調が優れないらしい。
宗茂らは既に訓練等へと出向いている。
勝二「お疲れですか?」
道雪「ここまで気を張っておったが、あと少しかと思うと何やら気が抜けてしもうてな」
勝二「上陸してから休む事なく進んで来ましたし、溜まった疲れが出たのでしょう」
道雪「何のこれしきと言いたいところじゃが、寄る年波には勝てんようじゃ……」
勝二「島を取り戻してからが本番です。道雪様にはまだまだご教授して頂きませんと困りますので、休める時にしっかりと体を休めて下さいませ」
道雪「相分かった」
大人しく毛布を被る道雪。
勝二「というような事がありまして……」
珍しく気弱な道雪に驚き、勝二は宗茂らに相談した。
豊久「爺さんだから仕方ねぇだろうよ」
宗茂「異国での暮らしは色々と疲れますからな」
二人も心配する。
何かを思いついた豊久。
豊久「精のつく物でも食べれば元気が出るんじゃないか?」
宗茂「それは名案!」
宗茂も同意する。
勝二「精のつく食べ物と言えばニンニクですね」
豊久「薩摩なら黒豚だな」
宗茂「牡蠣ですかな」
それぞれの考えを述べた。
勝二「出来れば道雪様の食べ慣れた物をお出ししたいのですが、牡蠣は直ぐには手に入らなそうですね」
宗茂「ここは海から離れているのでしたな」
アントリムはそこまで海から離れていないが、海産物が容易に手に入る訳ではない。
豊久「だったら豚だろ」
勝二「道雪様に豚肉はどうですか?」
宗茂「いえ、食べ慣れぬ筈です」
案は不発に終わった。
ふと勝二が思い出す。
勝二「そういえばネイ湖は鰻が有名ですよ」
タイムスリップ前、日本の鰻が危機に直面した際に調べた世界の鰻事情。
ネイ湖産の鰻はヨーロッパ中に出回っていた。
それを聞いた二人は顔を輝かせて喜ぶ。
豊久「鰻!? 丁度いいじゃねぇか!」
宗茂「まさしく!」
豊久「鰻なんて久しぶりだぜ!」
宗茂「豊後では良く食べておりましたなぁ」
記憶の味に涎が溢れる。
しかし直ぐに思い直した。
豊久「俺達だけで食うのか?」
勝二「と言いますと?」
豊久「いや、隠れて食うのは不味いだろ。あてにしていた麦が駄目で、ただでさえあいつらも気が立ってるってのに」
宗茂「左様ですな」
その辺りは流石、戦国の武将達であろうか。
不平や不満、感情の機微に敏感で、心を配る事が出来ている。
宗茂「皆にも米で食う鰻を振舞ってあげられれば良いのですが……」
勝二「そうですね。しかし米が圧倒的に足りませんし、鰻もそこまでの数を直ぐに用意は出来ないでしょう」
豊久「米は爺さんの為に取っておく必要があるぜ?」
宗茂「次の船が来るのはまだ先ですからな」
米を食べるのは勝二らだけであるが、在庫は僅かしか残っていない。
それとても道雪に優先し、彼らは専ら小麦を食べている。
勝二「とりあえず今の時期、鰻が獲れるか調べてみます」
勝二は早速取り掛かった。
勝二「一人で半身とまではいきませんが、鰻の数に問題ないようです」
日にちが分かれば、ある程度は用意出来る事が分かった。
豊久「鰻なら一切れ二切れでも上等だろ」
宗茂「後は米の代わりですな」
豊久「ダブリンから持って来た麦は足りてるんだろ?」
勝二「それなりに」
解放軍に共鳴し、周りの村々からは食料の支援が続いている。
豊久「ならブレッドだったか、それで鰻を食う料理を作ればいいじゃねぇか」
勝二「え?! ブレッドで鰻を?!」
勝二は驚いた。
豊久「出来ねぇのか?」
勝二「できら……いえ、出来ると思いますよ」
ある程度の形が見えたが断定は避けた。
数日後。
アントリム城の調理室にて。
イーファ『今日は何をやろうってんだい?』
勝二『鰻のかば焼きを試作しようと思いまして』
イーファ『鰻?』
彼女は初めて聞く単語に戸惑った。
物の流れも人の流れも滞りがちな当時、小さな村から出た事がない者には見慣れぬ産物が多い。
勝二『これです』
イーファ『蛇!?』
それは黒く細長く、桶の中でウネウネと動いていた。
勝二『蛇ではなく魚です』
イーファ『びっくりさせないでよ!』
アダムとイブを堕落させた元凶として、キリスト教徒は蛇を毛嫌いしている。
睨むように鰻を見つめるイーファには構わない。
包丁は料理の腕も一流な宗茂が握る。
道雪「遠い異国の地で鰻が食べられるとはのぅ……。楽しみじゃ」
味見係として同席した道雪の頬も緩む。
体調は良くなったが食欲が戻っていない。
しかし、鰻が手に入ったと聞いて躊躇う事なく参加した。
嬉しそうな道雪の様子に勝二らもホッと胸を撫で下ろす。
宗茂に調理を始めてもらった。
勝二『鰻の表面は非常にぬるぬるとしており、動かれると厄介です。頭を包丁の背などで軽く叩き、失神させます』
勝二の知るかば焼きの形は江戸時代に完成している。
今回はその手順を伝え、宗茂に実践してもらった。
勝二『頭の付け根に包丁を入れ、釘でまな板に固定します』
言葉で聞いただけなのに、宗茂の手つきに迷いはない。
勝二『背中から包丁を入れ、腹の皮を残して身を開いていきます』
淀みなく鰻を捌いていく。
遅れないように説明する勝二も忙しい。
勝二『身を開き終わったら内臓と骨を取り除きます』
勝二『中骨は後で骨煎餅に使いますので捨てないように』
勝二『頭を落とし、血や腹の骨をこそぎ落とします』
勝二『背びれ、腹びれを切り落として下処理は終了です』
用意した鰻は瞬く間に捌き終わった。
勝二『続いて焼きに移ります。火で炙ると身が反りかえりますので、それを防ぐ目的で串を刺します。また、串を刺すとひっくり返すのが楽になります』
串に使う竹は手に入らなかった。
柔らかい木材で代用している。
勝二『熾した炭の上で焼いていきます。身から焼けば反りが少ないと言われています』
勝二『焦げないように気を付けならが何度もひっくり返し、表面が狐色になるまで焼いていきます』
生身に火が通り、段々とその色が変わっていく。
溶け出た脂が焼けた炭の上に滴り、ジュっと音を立てた。
勝二『これで白焼きの完成です!』
こんがりと焼けた鰻が美味しそうだ。
勝二「味見をお願いします」
道雪「うむ」
串から外し、小皿に取って道雪らに出す。
塩、醤油で食べてもらう。
道雪「アイルランドの鰻も脂が乗って旨いのぅ」
イーファ『蛇みたいだけど美味しいじゃないのさ!』
好評であった。
そしてメインに移る。
勝二『次に本来の目的である、鰻のかば焼きを作ります』
イーファ『これじゃ駄目なのかい?』
勝二『それでは駄目なのです』
イーファ『そうなのかい。十分に美味しいと思うんだけどねぇ』
鰻だけを楽しむのなら白焼きでも構わないだろうが、目指す先がそうではない。
勝二『かば焼きは白焼きにタレを塗りつけながら焼いていき、味を染み込ませて作ります』
勝二『かば焼きのタレは醤油、味醂、酒、砂糖を混ぜ、煮詰めて作ります』
勝二『今回は時間の都合上、予め煮詰めたタレを用意しました』
宗茂がタレを刷毛で塗っていく。
跳ねた一滴が炭の上に落ち、途端に醤油の香りが辺りに広がった。
イーファ『何とも香ばしい匂いだねぇ』
そう言って鼻をヒクヒクとさせる。
醤油の味、香りに慣れている訳ではないが、焼けた香りは好ましく感じた。
それは何も彼女だけではなく、その場にいた道雪や豊久は勿論の事、食に執着心の薄い筈の勝二もそうだった。
例外は焼いている宗茂くらいである。
焦げぬよう神経を使っており、それどころではない。
勝二『かば焼きの出来上がりです!』
道雪「おぉ!」
豊久「旨そうだぜ!」
イーファ『何だいこれは!? 輝いてるよ!』
出来上がったかば焼きは光沢に満ちていた。
しかしこれで完成ではない。
道雪には炊けたご飯を、イーファには別に用意しておいた物を使う。
勝二『このままだと味付けが濃いので、焼いておいたブレッドに挟みます』
イーファ『ブレッドに?』
焼きたての丸いパンを半分に切り、葉物野菜と共にかば焼きを挟む。
勝二『これで鰻バーガーの完成です!』
鯖バーガーを念頭に作った。
勝二『それでは試食してみましょう!』
豊久「待ってました!」
イーファ『ブレッドで挟んでると手軽に食べられるね』
それぞれが手に取る。
一番乗りは道雪だった。
道雪「文句なしに旨い!」
涙を流さんばかりにご飯を頬張る道雪。
作って良かったと三人は思った。
湯気の立つ鰻丼を内心では羨みながら、三人は鰻バーガーにかじりつく。
豊久「米の飯とまではいかねぇが、これはこれで旨いぜ!」
宗茂「うむ、成功ですな」
イーファ『驚くくらいの美味しさだね!』
概ね好評であった。
勝二『後日、多くの人に振舞おうと思ってます』
イーファ『みんな喜ぶよ!』
勝二『鰻を捌くのはお願いしますね』
イーファ『蛇みたいで嫌だけど、あの味の為なら頑張るよ』
その後、宣言通りに鰻を出来るだけ多く仕入れ、鰻バーガーを用意した。
勝二『アントリムの名物となれそうですね』
予想以上に好評で、作り方を教えて欲しいと頼まれるのだった。
イーファ『でも、醤油がないとタレを作れないじゃないのさ?』
勝二『醤油の代用としてウスターソースを考えております』
イーファ『ウスターソース?』
日頃は出来るだけ醤油を使わないようにしていたので、今回の催しに使えるだけの余裕があった。
しかし町の名物とするならば、アイルランドで容易に手に入る物を使わねばならない。
勝二『ウスターソースは野菜や果実を主原料とし、砂糖、塩、酢、香辛料などを加えて煮詰めた後、長期間熟成させて作ります』
イーファ『なんだか大がかりだね』
勝二『手間暇を掛ける価値はありますよ』
野菜も果物も今は手に入る種類が少ないが、トマトやトウガラシなど、勝二の持って来た野菜の栽培が始まれば増えていくだろう。
イーファ『砂糖とか香辛料とか、値段が高いじゃないのさ』
勝二『それは確かにそうですが……』
どちらも輸入品であり、産業の少ないアイルランドにとっては高価な品である。
イーファ『ここで穫れる物しか使わないで、他に良いのはないのかい?』
勝二『ここで穫れる物だけで……』
尤もな質問に考え込む。
醤油は麴さえ培養出来れば、アイルランドで穫れる物だけで作る事は可能である。
しかし、その技術を言葉だけで伝える事は不可能だと勝二は思った。
知識も経験もないからだ。
なので一番良いのは、勘の良い者を日本に修行に行かせる事であろう。
それとても何年もかかる事業だが。
それはそれとして、今ここで出来るソース作りは何かと思う。
勝二『そういえば、持って来た種の中にはトウガラシがありましたね』
霜焼け予防として使えるトウガラシ。
それを使った、世界的に有名なソースがある事を思い出した。
勝二『タバスコならトウガラシさえ増やせれば可能です』
イーファ『タバスコ?』
アントリム名物、激辛鰻フライバーガーが誕生するまで今暫く。
9月7日、開発するソースをウスターソースからタバスコへと修正しました。




