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第165話 エセックス伯

執筆に時間が掛かっております。

 『まだ鎮圧出来んのか!』


 初代エセックス伯爵ウォルター・ディバルーはダブリン城の執務室、アイルランド統治における最前線で声を荒げた。

 ダブリンでアイルランド人の反乱が起き、鎮圧部隊に命じて事態の収拾を図ったが、数週間経った今もなお手こずっている。


 『女王陛下に援軍を頼まれてはいかがですか?』

 

 腹心であるジェームズが進言した。

 伯爵はすぐさま否定する。 


 『馬鹿を申すでない! 援軍など頼もうものなら統治能力を疑われてしまう!』


 伯爵の領地はこのアイルランドではない。

 反乱の多いこの地をつつがなく治める事と引き換えに、現在の北アイルランド、アントリムの地を貰い受ける事が出来るよう女王に直談判し、自兵を率いてやって来た。

 遠征の費用は女王との折半で、自領を担保とし、女王から8万ポンドもの大金を借りて賄っている。

 ここで援軍を頼めば足元を見られ、借金が大幅に増える可能性もある。

 それとも見限られ、他の者と交代させられてしまうやもしれない。

 どちらにせよ待っているのは身の破滅であった。


 『どうして蛮族如きに手こずっているのだ!』


 鎮圧部隊を率いる家臣に怒鳴った。

 決して無能な男ではない。

 それを良く理解しているからこそ、なおさらに怒りが湧く。

 主人の怒りに対し、家臣は語気を強めて報告する。


 『反乱軍はマスケットを使っているようです!』


 その言葉に伯爵は吐き捨てるように言った。


 『馬鹿な事を!』


 言い訳にしても酷いと思う。


 『貧しい蛮族にマスケットなど用意出来る筈がなかろう!』

 『しかし!』


 家臣は食い下がった。

 嘘偽りなく事実を述べている。

 言い訳ではない。

 しかし伯爵には通じなかった。

 

 『くどいぞ!』


 主人の弛んだ頬が、酒を呑んだ時のように赤味を帯びている。

 激怒するまで後少しだと、付き合いの長い家臣は思った。

 これ以上は完全に逆効果である。

 反論したい気持ちをグッと抑え、頷くようにこうべを垂れた。

 そんな家臣の様子に伯爵は満足したのか、追い払うように下がらせる。


 『蛮族に容赦など要らぬ! 歯向かう者は女でも子供でも全て殺せ!』

 『仰せのままに!』


 執務室を出ようとする家臣に命じた。

 



 『伯爵! 反乱軍が城に迫っています!』

 『こんな馬鹿な……』


 呆然とした表情で伯爵が呟いた。

 鎮圧部隊は一向に成果を上げず、逆に蹴散らされる始末。

 怒気も露わに再び家臣を叱りつけるも、自軍の劣勢は変わらなかった。  

 それどころか反乱軍の勢いは留まる事をしらず、遂にダブリン城が包囲されるまでに至った。

 

 ダブリン城は難攻不落の要塞ではない。

 町にあって城壁、城門は備えているものの、行政を担う領主の館といった趣である。

 ブリテン島より連れてこられた兵士達は皆城に籠り、疲れ切った顔で束の間の休息を取っていた。 

 

 『銃声?!』


 城内を駆け抜けた音に伯爵はハッとした。

 城の直ぐ近くで放たれたようである。

 家臣の報告などまるで信じていなかったが、我が耳までも疑う事は出来ない。


 『まさか、そんな!』


 信じたくない。

 そんな思いを抱きながら伯爵はその重い体を揺らし、城壁の上へと出る急な階段を登る。

 城壁の上は辛うじて人がすれ違えるだけの通路があり、守備兵が詰めている。


 『伯爵?!』


 肩で大きく息をしながら現れたその男に、のぞき窓から不安そうに城の外を見つめていた守備兵は驚いた。

 彼の主人は滅多な事では城壁の上までこない事を知っていたからである。

 ふと、その兵士は思い出した。

 弓矢でも届きそうな距離まで反乱軍が迫っている事を。

 それどころかマスケット銃まで装備していると、直接戦った仲間達が口々に言っていた。

 

 『伯爵、ここは危険です!』

 『五月蠅い!』


 声を掛けてきた兵士を一喝し、伯爵は覗き窓に顔を近づける。


 『蛮族がマスケット兵を運用しているだと?!』


 目に入ってきた光景に愕然とした。

 夥しい数の民衆が城へと詰めかけてきている。

 その後方には手に棒状の物を携え、綺麗に整列している集団が見えた。

 マスケット兵らしい。 


 『馬鹿な!』


 にわかには信じられず、伯爵は目を皿のようにして見つめる。

 

 『伯爵!』


 血相を変えて消え失せた主人を探し、城壁の上にジェームズが現れた。

 しかし伯爵は返事もせず、覗き窓から目を離さない。


 『何故だ! 我が方のマスケット兵よりも多い!』


 その数、千を優に越えているように見える。

 

 『あり得ん!』


 余りの光景に伯爵は逆に冷静さを取り戻した。 

 正規軍でもあるまいに、その数のマスケット銃を準備出来る筈がないと。


 『あれは何だ?』


 冷静な頭で見つめる中、ふと伯爵はそれに気づく。

 その意味するところを理解した。


 『ククク、そういう事か!』


 思わず笑みが漏れる。


 『伯爵、どうなさいましたか?』


 反乱軍に囲まれ、遂に頭がおかしくなったのかとジェームズはいぶかしみ、恐る恐る尋ねた。

 

 『あれを見よ!』


 むしろ余裕さえも感じられる表情で遠くを指さす。

 ジェームズは同じ覗き窓からその方向に視線を向けた。

 マスケット兵らしき部隊が見える。

 その数に驚いた。

 

 『何て数のマスケット兵!』

 『違う、そこではない! 離れたところにある荷を見よ!』


 伯爵に言われるがまま視線を移す。

 離れた場所に荷馬車があり、銃らしき物が山と積まれていた。

 

 『夥しい数の銃です!』

 『よく見よ!』


 苛立っているようだ。

 これ以上怒らせないよう、ジェームズは注意深くその周囲を探る。

 そしてそれに気づいた。


 『あれはまさかマスケットの偽物なのですか!?』

 『そうだ! 奴らは偽物で誤魔化していたのだ!』


 マスケット銃のように見えた物、それは木の棒に過ぎなかった。

 遠目には本物だと錯覚するが、よくよく見れば鉄製の物とは質感が異なる。


 『おかしいと思っておったのだ! マスケット兵が現れたと言う割に、銃で怪我をした者はおらぬ! 死んだ者も弓にやられたと言うではないか!』


 興奮した伯爵が叫ぶ。

 言われてみればその通りだとジェームズも気づく。

 しかし、とも思う。


 『はっきりとした銃声がありましたが?』

 『確かにそうだ! 蛮族共は確実にマスケットを持っている!』


 ジェームズの発言に伯爵が頷く。


 『しかし問題なのはその数だ!』

 『数でございますか?』

 『そうだ!』


 興奮気味に伯爵は続けた。


 『奴らはマスケットを持っている! しかしその数は極僅かにしか過ぎない!』

 『ごく僅か……』


 主人の断定にジェームズは息を呑んだ。


 『具体的にどのくらいなのでしょう?』

 『数週間も戦いながら、我が方に銃による怪我人を出さない程度だ。数挺あるかどうかだろう』


 確かにそうなのかもしれないとジェームズは思った。 


 『しかし、どこから用意したのですか?』

 『カトリックつながりでスペイン、フランス辺りであろうな』


 アイルランドから真っ直ぐ南下すればフランスが、その先にはカトリックの保護国を自認するスペインがある。

 船で運べば容易い事だ。


 『どこで手に入れたのか、この際それはどうでも良い。しかし、その僅かしかない本物に我々は驚き、偽物までも本物だと錯覚してしまったのだ!』

 『な、成る程!』


 それで辻褄が合う。

 

 『考えてもみよ。マスケット兵を運用するには火薬と弾丸を大量に必要とするが、その全てが高価だ!』

 『その通りです!』


 帳簿を預かるジェームズにとってもそれは悩みの種だった。 

 訓練だけでも馬鹿にならない金額が飛んで行く。 


 『部隊を維持するだけでも大変なのに、運用など未開な蛮族に出来る訳がない!』

 『確かに!』


 伯爵ですら、2百のマスケット兵を揃えるだけで苦労している。

 飢えに苦しむアイルランド人にそれが可能とは思えない。


 『そうと分かれば総攻撃を命じますか?』

 

 ジェームズは尋ねた。

 劣勢を挽回するには大勝負に賭けるしかあるまい。


 『まあ待て』


 勢い込むジェームズは肩透かしを食った。

 逆に伯爵が尋ねる。 


 『敵はこの城を攻撃すると思うか?』

 『その為にこそ、周りに集まってきたのだと推察します!』


 今更何をとでも言いたげに答えた。

 城壁から見えるのは、這い出る隙間もない程、反乱軍で埋め尽くされた光景である。


 『ならば敵の総攻撃を待ち、兵力を分散させたところを見計らって城から打って出る!』


 ジェームズはアッと思った。

 城門は3つあり、少ないながらも守備隊が守っている。

 セオリーでは全ての城門に攻撃を仕掛け、一カ所に守備兵を集中させない。

 それを逆手に取る作戦だった。 


 『しかし、敵の首謀者がどこにいるのか分かりませんが……』


 それが懸念材料である。

 大抵、首謀者を捕らえれば反乱は下火となっていくが、今回は人が多すぎた。 

 一か八か打って出ても空振りに終わりかねない。


 『首謀者は偽物のマスケット兵で囲まれたところだ!』


 伯爵はそう断言し、反乱軍の一画を指さした。


 『理由をお聞きしても?』


 ジェームズは戸惑いながら質問する。

 言い切る自信の根拠が謎だ。


 『未開人の考えそうな事だが、あれだけのマスケット兵がいれば我々が攻めてこないとでも思っているのだろう』

 『ご明察、流石です!』


 ジェームズは己の主人をヨイショしておいた。

 家来に任せきりで城から出ようとしない自身の事は目に入らないらしい。


 『急ぎ準備をせよ!』

 『畏まりました』


 二人は足取りも軽く階段を降りた。




 「と思っておるところではないか?」


 埋め尽くされた反乱の徒の中にあり、楽しそうに道雪が口にした。


 「ある物をないと思わせ、ない物をあると信じこませて敵を誘導する。戦は詭道なりを体現する策、見事です」


 宗茂が義父を賞賛する。

 

 「戦はまだ終わっておりませんが……」


 勝二が懸念を表明したが、余計な心配である事は重々承知している。

 常に死と隣り合わせて生きてきた彼らにとり、その辺りの思考の切替は驚くくらいに素早い。

 先ほどまで馬鹿話で笑い転げていたのに、次の瞬間には真顔で刀を抜き、切り合うなどお手の物だった。


 「ここまで来れば同じだぜ。敵が打って出て来れば飛んで火にいる夏の虫で、籠城するならあの脆そうな城門をぶち破るまで」


 豊久がこともなげに言う。

 突撃の先頭を切るのは自分だと公言していた。

 

 「では参ろうかの」


 ついにその時が来た。


 「攻撃を始めよ!」


 道雪の合図で反乱軍は一斉に動き出した。

エセックス伯爵は実在の人物ですが、活躍の時期が若干違います。

1576年、アイルランドで起きた反乱を鎮圧中、赤痢を患い、ダブリン城で死亡しています。

容姿は作者の都合です。

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