第164話 遺伝
『構え!』
その年齢にも関わらず、張りのある声で道雪が叫んだ。
簡単な単語だけなら言葉を覚え、鉄砲の扱いを教えている。
村人達は道雪の指示に従い、三々五々、日本製の火縄銃を胸の辺りで構えた。
かつての道雪であれば厳しく指導していたところであろうか。
しかし、相手をしているのは戦とは無縁であった村人であるので、怒るような事はない。
『撃て!』
村人達は引き金を引く。
カチリとした感触と共に火縄が動き出し、火皿の火薬に点火した。
白い煙を上げて火柱が上がるが弾は発射されない。
火皿から銃身までは僅かだが距離があり、引き金を引いても弾が出るまでは若干のタイムラグが発生する。
不発かと勝二が思った瞬間、轟音を上げて銃が火を噴いた。
『下ろせ!』
全ての銃が発射された事を確認し、構えを解かせる。
『次弾、装填!』
次の動作を指示した。
火縄銃は銃口の先から弾と火薬を込め、棒で押し固めてから射撃に入る。
その手間を省くべく考案されたのが早合で、弾と火薬がセットになった紙の包みを使い、装填時間の短縮に成功した。
その早合を考え出したのが他ならぬ道雪であり、今回もそれを用いて射撃訓練を実施している。
早合に似た方法はヨーロッパ各国でも採用されているが、ここはイングランドによる支配が進行中のアイルランドであり、反乱を起こさせないよう、鉄砲の普及自体が遅れていた。
「先は長いですね」
「そのようです」
道雪による訓練を見守っていた勝二らが感想を述べた。
号令に従い、一糸乱れぬ部隊行動を取れるようには長い時間がかかりそうである。
「しかし、どうしてこうも髪や瞳の色が違うのです?」
思案顔の宗茂が勝二に尋ねた。
「我が国では黒い髪、黒い目しかおりませんが、ここでは反対です」
訓練中の村人達の頭は色とりどりだが、自分達以外に黒髪の者は見受けられない。
瞳の色もそうであった。
黒に近い茶色を持つのは自分達くらいで、周りは緑や青、灰色や琥珀色と実に様々である。
故郷では気にも留めなかった事だが、外見がこうも違う者達がいるという事を不思議に思う。
「実は我が国でも瞳の色に違いはありますよ」
「そうなのですか?!」
勝二の答えに驚く。
自分の知る範囲でそのような者を見た記憶はない。
「普段、意識して見る事などないからでしょうが、我々の間でも髪、瞳の色には若干の違いがあります。並んで比べてみれば分かるかと」
「早速やってみましょう」
豊久と勝二に並んでもらい、髪と目の色を見比べた。
「成る程、言われてみれば少し違うようです」
「本当かよ?」
疑う豊久の為、今度は宗茂と勝二が並ぶ。
豊久は目を皿のようにした。
「本当だ。目は分からねぇが髪の色は少し違う」
勝二の髪は茶色が強いようだった。
二人はうぅむと考え込む。
「我々が気づいていなかっただけですか……」
「白髪までいけば一目瞭然だろうけどよ……」
二人はそっと道雪を見る。
その頭は真っ白だった。
「白髪はお年寄りだけではありませんよ?」
「え?」
「どういう事だ?」
勝二に問い返す。
「我が国でも極まれにですが、白子と呼ばれる、雪のように白い肌、老人のように白い髪、常人とは違う色の瞳を持つ赤子が生まれる事があります」
「白子ですか、聞いた事があります。白い蛇や鹿は神の使いだと言われていますね」
「神の使いねぇ……。祟りや物の怪の類なんじゃねぇの?」
「祟りでも物の怪でもなく、鹿にしろ狐にしろ人にしろ、一定の割合で生まれてくる、生まれつき色素を持ちにくい性質の者達です」
二人はその説明では理解出来ないようだった。
「弥助を覚えておりますか?」
勝二は話題を変える。
相撲で敵わなかった事を宗茂は覚えていた。
「彼の国では皆が彼と同じような肌の色、髪の色ですが、それでも白子は生まれます」
「それは……目立つでしょうね……」
「そうですね」
弥助の肌は墨を塗り付けたように真っ黒だったと宗茂は思い起こす。
彼の国ではそれが普通だったなら、白い肌の持ち主は奇異の目で見られるだろう。
「我が国だけでなく、異国でも白い鹿や牛は神の使いだとされています。その珍しさ故です」
「本当ですか?!」
宗茂は驚いた。
異国では伴天連を信仰しており、寺社で祈る教えとは違う物だと考えていた。
「白い色は森だと目立ち、狼などに襲われやすく、生き残るのが難しいので古来より珍重されてきました」
「そういう事ですか」
「物の怪じゃあねぇんだな」
二人は納得したようだった。
「では、弥助の故郷でもそうなのですか?」
「え?」
宗茂の問いに勝二は固まる。
思わず思考が停止した。
その反応にこそ宗茂は戸惑った。
「いえ、白い動物が珍しいから神の使いとされるのであれば、周りが皆黒い肌の中、白い肌を持って生まれた子供もまた神の使いになるのではないかと」
「え、ええと、そ、そうですね。特別な力があるとは考えられているようです」
「やはり」
「何だよ、物の怪みたいなもんじゃねぇか」
豊久は茶化したのであろうが、勝二は冗談ごとに聞こえなかった。
アフリカでは現代になっても、アルビノに対する迫害が起きていたからである。
その肉を食べれば病気にならない、また、特別な力が得られるという迷信を信じ込み、アルビノの者を殺して食べてしまう、おぞましい事件がなくならない。
科学が発達した筈の現代でもそうなら、迷信が迷信ではなく生きた信仰であるだろう今のアフリカで、どれだけの惨劇が繰り広げられているのだろうかと思い、非常に憂鬱な気分に陥った。
「全く不思議ですね」
勝二の思いなど知る由もなく、宗茂がのほほんとした顔で言う。
その表情に少しだけ救われた。
自分の手に余る事を心配しても仕方がない。
目の前の事を一生懸命にやればいいだけであろう。
「どうして髪や目の色に違いが生まれるのですか?」
正しい知識によって偏見が薄れる事はある。
疑問を感じた宗茂に誠実に対応する事で、未来に起きるかもしれない災いを未然に断つ事が出来るのかもしれない。
「宗茂殿の顔はご両親と似ておりますか?」
「目は母上、鼻と口は父上に似ているとは良く言われます」
宗茂は勝二の問いに答えた。
「親の形質を子が受け継ぐ、それを遺伝と申します」
「遺伝……」
初めて聞く言葉であったが、その意味は何となく理解出来た。
親の遺言を子が果たすのは普通であるし、先祖代々の口伝も多い。
「髪の色、目の色も親から受け継いだのだと?」
「簡単に申しますとそうなります」
そう言われても易々とは頷けない。
「どちらの親にも似ていない子も多いのでは?」
「確かにそうです」
再び勝二が尋ねる。
「宗茂殿は他と比べて背が高いですよね?」
「そうですね」
宗茂は頷いた。
子供の頃からその自覚はある。
「父上である紹運殿はどうですか?」
「某に比べればそれ程でも」
父である紹運も大きい方ではあったが、自分程ではない。
「背が高いというのも親から受け継ぐ形質の一つではありますが、背の高さを決める最も大きな要因は、育ち盛りにおいての食事の内容です」
「といいますと?」
「肉や魚を適度に食べた子供は背が大きくなりやすく、肉や魚が乏しい食事ばかりだと成長が阻害されます」
「成る程……」
宗茂は子供の時分を思い出す。
これと言ってひもじい思いはした事がない。
今から考えれば、その事だけでも随分と恵まれていたのだと気づいた。
「姿形は親から受け継ぐ形質だけではなく、環境にも大いに影響されます」
「単純ではないという事ですね」
「その通りです」
宗茂は頷いた。
「また、遺伝には現れやすい形質と現れにくい形質があります」
「それは?」
興味を惹く。
「たとえば宗茂殿がイーファさんとの間に子供を儲けたとして、その子の髪も瞳も、9割9分で宗茂殿と同じ色です。それは黒色が現れやすい性質だからです」
「真ですか?!」
興味深い話である。
「もしもイーファさんが宗茂殿の子供を百人生んだとしたら、一人くらいは母親譲りの目を持った子供が生まれるやもしれません」
「百人で一人!?」
呆れ顔で豊久が言う。
「どうして言い切れるんだよ」
「そういう物だからです」
「説明になってねぇし……」
二人の会話を聞いていたのかいなかったのか、宗茂が何かを思いついたらしく、突然叫んだ。
「しからば!」
そう言って走り出す。
『イーファ殿!』
炊事の準備をしていたイーファを見つけ、声を掛けた。
「まさか?!」
勝二は嫌な予感がし、慌てて宗茂を追う。
一方、呼ばれたイーファは忙しそうに動かしていた手を止め、宗茂に向き合った。
『どうかしたのかい?』
『実は』
「宗茂殿、お待ち下さい!」
寸でのところで間に合ったようだ。
「イーファさんに何か御用ですか?」
慌てて二人の間に割って入り、宗茂に問う。
「いえ、実際に子供を作ってみれば分かる事だと思いまして、某の子を生んでもらおうと」
「やはりですか!」
宗茂はあっけらかんと言いのけた。
「たとえに用いた私が全て悪いのですが、そういう事は本当に止めて下さい! ここの方々は敬虔なカトリック信者です!」
遺伝的な優位性に興味がない訳ではないが、もしもそのような目的だと知られれば、日本とアイルランドの関係は終わるだろう。
勝二の焦りを知らないイーファが不思議そうな顔で尋ねる。
『何の用なんだい?』
『いえ、こちらの勘違いでした! お騒がせしてすみません!』
『ならいいんだけど……』
不審げな表情で眺めるも、それ以上は聞かなかった。
なおも心残りがあるらしい宗茂を無理やり連れて帰る。
「勝二殿の話を確かめる、良い方法だと思ったのですが……」
誠に残念そうな顔で言った。
「人の形質は複雑で、そのような方法で簡単に分かる訳ではありません」
「そうなのですか……」
「なら、出まかせを言っても分からねぇじゃねぇか」
豊久の言う事も尤もだ。
確かめられないのなら言いっ放しとなりかねない。
「そうですね、別の方法で調べましょう」
「一体どうやって?」
宗茂は疑いの目線を勝二に向ける。
素直な彼に猜疑心を持たれ、勝二は若干凹んだ。
汚名を返上するべく、心を強く持って告げる。
「ジャガイモを使います!」
「ジャガイモ?」
その答えに宗茂は眉を上げた。
「作物に広がる病気への備えから、アイルランドの気候に合ったジャガイモが必要だと考えていました。その品種改良を通じ、形質が受け継がれる、遺伝という現象を調べてみましょう」
「それは面白そうです!」
途端に顔を輝かせる。
多才な宗茂の経歴に、育種家という新たな項目が追加された瞬間だった。
と、そんな時だ。
『大変だぁ!』
猟に出ていた筈のキアンが大慌てで駆けこんできた。
『一体何事ですか?』
不思議に思った勝二が尋ねる。
全速力で駆けてきたのか、額から流れる大粒の汗を拭いもせず、真剣な表情でキアンが答えた。
『ダブリンの住民が立ち上がった!』
『え?!』
聞けばイングランドに対する反乱が起きたという。
そして、周辺の村々からも仲間を集めているそうだ。
その報せは瞬く間に村人の中へと広がっていく。
「出番じゃな」
事情を知った道雪がポツリと呟いた。
差別、偏見を助長する意図はありません。
中の数字は正確ではないと思われます。




