第163話 腕試し
『任せろ!』
荒々しく他を押しのけ、一人の若者が進み出る。
がっしりとした体つきで背は宗茂よりも大きく見え、暗い茶色の髪に青い目をしていた。
勝二に問う。
『殴り合いでもいいんだよな?』
『勿論です』
その可能性は考えていたので当然だと頷く。
アイルランド人は我慢強い半面、負けん気の強さも併せ持つ。
『それはそうと貴方のお名前は?』
『オシーンだ!』
『オシーン……。母親を鹿に変えられてしまった戦士、でしたか』
『良く知っているな!』
その言葉にオシーンを含め、観衆は驚いた。
ケルトの神話はネイルから十二分に聞き出している勝二であったが、彼らには知る由もない。
祖先が語り継ぎ、今も少なくない信仰を寄せる昔話の内容を、訳の分からない外国人が口にした。
彼らの間に衝撃が走ったのも無理はない。
彼らの良く知る外国人と言えばイングランド人で、税を取り立てる時だけやって来る役人は傲岸不遜、下賤な住民とは言葉さえも交わす気はないといった風である。
当然、ケルトの神話に興味など抱く筈もなく、住民らが大事にする伝統や文化にも敬意など払わなかった。
『ではオシーンさん、殴り合いで勝負するという事で宜しいですか?』
『あ、ああ、そうだ!』
呆けていたオシーンはハッとする。
勝二が説明を加えた。
『殴り合いとは言いましたが、こちらからは殴りませんし、足も使いませんのでそのつもりで』
『何?』
途端にムッとする。
『まさか俺を侮っているのか?』
『違いますよ。殴れば拳を痛めかねませんので、次の対戦相手を考えての事です』
『はっ! 次がある訳ねぇだろ!』
一笑に付す。
相手の男は成る程、鍛えられた体をしているようだが、その表情はまるで少年のようで屈託がない。
荒事とはおよそ無縁に育った、そんな印象である。
子供の頃から喧嘩ばかりしていた自分とは勝負にならないだろう。
『参ったと口にしたら負けという事で宜しいですか?』
『構わねぇ!』
見ず知らずの者を痛めつける事に快感を覚えるような性癖はない。
ニコニコとして人が良さそうな相手なので、少し殴れば直ぐに降参する筈だ。
そう思ってオシーンは言う。
『お前に恨みはねぇが、このアイルランドで外国人なんぞにでけぇ顔をさせたくねぇんだよ!』
『その心情は良く分かりますよ』
『何?!』
会話が出来ると思って口にした訳ではない。
けれども、流暢なアイルランド語が返ってきてオシーンは狼狽えた。
そんな彼を他所に勝負は始まる。
『それでは始め』
『う、うぉぉぉ!!!』
慌てたオシーンは冷静さを失い、声を上げて対戦相手に向かって走り出した。
右の拳を強く強く握りしめ、大きく体を右に捻る。
いわゆるテレフォン・パンチであった。
一方の宗茂。
オシーン渾身の右ストレートを、上半身を捻る事で難なく躱す。
あてが外れたオシーンは体を大きく泳がせる。
すかさず宗茂は彼の腰に手を回し、その突進の勢いを利用して投げた。
相撲で言うところの腰投げである。
すってんころりんとオシーンは地面を転がった。
背中を強打したのか息も碌に出来ないが、自分の身に何が起きたのかは分からない。
透き通るような青い空に目を白黒させていると、対戦していた日本人が視界にヌッと現れた。
とどめを刺すつもりかと思い、全身を強張らせる。
しかしその相手は何を思ったか、自分の体に跨り、胸の辺りにちょこんと腰を下ろした。
「ああなったら終わりだな」
「流石は婿殿」
豊久と道雪が独り言のように呟く。
航海中に勝二が説明していた、格闘戦において相手を無力化する方法の一つだった。
俗に言うマウントポジションである。
『オシーン、しっかりしろ!』
『早く立ち上がれ!』
宗茂を跳ね除けようともがくオシーンに仲間達が檄を飛ばす。
傍目には遊んでいるようにも見えた。
その光景に道雪らは苦笑する。
「見た目の割に何も出来んからのぅ」
「反対に上の者はやりたい放題だ」
オシーンが起き上がるだけ、住民達にはそう見えた。
しかし、当の本人は理解不能な状況に半ばパニックとなっていた。
『う、動けねぇ!』
両手は自由なのだが相手を殴ろうにも力が入らず、気の抜けた攻撃しか出来ない。
また、体を反らして跳ね飛ばそうにも、その意図が察知されているらしく、相手に姿勢を崩されてしまう。
もがくだけで他に何も出来なかった。
そんなオシーンを宗茂が無言で見下ろす。
その目は一切の感情を消失してしまっているようだった。
どこが屈託のない少年なんだ、オシーンは自分の見識の無さを悔やんだ。
いくつもの戦場を渡り歩いた戦士の目じゃないか、それを思い出していた。
一度だけ訪れたダブリンの町で、歴戦の勇士が集まるという噂の酒場に行った事がある。
誰もが明るく、人当たりも良く、いかめしく人を寄せ付けない孤高の戦士を期待していた彼は拍子抜けした。
しかし、何かの弾みに一瞬だけ見せた冷酷そうな目。
冷や水を浴びせられたようで、初ダブリンに浮かれていた気分は一気に醒めた。
今、自分を見下ろしているのは、あの時一瞬だけだが確かに見た、数えきれない戦場を潜り抜けてきた戦士と同じなのだと悟る。
このままだと殺される、オシーンはそう感じた。
『参りましたか?』
勝二の言葉にハッとし、慌てて叫ぶ。
『参った!』
その言葉を聞いて対戦相手は飛びのく。
圧から解放され、彼は深く安堵した。
荒くれ者のオシーンが呆気なく破れ、以後はまともな勝負にならなかった。
仕方なく殴る蹴るを禁止し、膝をついたら負けの相撲形式となったが、それこそ宗茂の真骨頂で、息を乱す事なく挑戦者を次々と投げ飛ばしていく。
ついには挑戦者がいなくなった。
強さの秘密を聞かれ、勝二は相撲を説明する。
感心しきりの住民達だったが、いくら相撲が強くとも、実際の戦いとどう関係するのかと質問が飛んだ。
『ではここで、我が国の鎧兜をお見せしましょう』
豊久が鎧姿で登場する。
どっと歓声があがった。
初めて見る異国の防具に興奮を隠せない。
『このような甲冑を身につけている相手に対し、刀や槍などを持っていない場合、殴る蹴るは余り効果がありません』
ジェスチャーを交えて解説していく。
『そこで相撲の技です。相撲の要領で転ばせば、相手は起き上がるのも一苦労です』
重さ数十キロにもなる物を身につけていれば、どんなに機敏な者でも動作は鈍くなる。
『もしも手元に目ぼしい武器がない場合、転ばせて隙を見計らい、鎧の隙間から短剣なり木の棒なりを突き刺す、それが一番です』
勝二の説明に観衆は頷いた。
『次は弓で勝負しましょうか』
その言葉に早速手が挙がる。
『俺は猟で弓を使ってる』
『それでは貴方が次の相手ですね。お名前は?』
『キアンだ』
物静かな印象を受ける男であった。
『ではキアンさん、普段お使いの弓は手元にありますか?』
『いや、今は家に置いてある』
『家は近いのですか?』
『すぐそこだ』
『申し訳ありませんが、今から持って来て頂けますか?』
『分かった』
言うなりキアンは踵を返し、足早に去って行った。
『それまでに剣術の勝負をしましょう』
待ちに待ったという顔をした、豊久の出番である。
『真剣で勝負する事は出来ませんから、我が国に生える竹の棒に布切れを巻きつけた物を使います』
竹刀の代わりだった。
打ち据えても怪我とならないように配慮している。
とはいえ豊久に敵う者はいなかった。
度胸においても技量においても、年若い彼の足元にさえ及ばない。
布を巻いてあるとはいえ打たれれば痛く、そこら中で痛みに呻く者が続出した。
『持って来たぞ!』
地面をのたうち回る仲間達の姿に仰天しつつ、キアンは戻って来た。
『では弓の番ですね』
愛用の弓を持ち、宗茂が現れる。
『まずは我が国の弓をご覧下さい』
『長いな……』
『そうですね。イングランドのロングボウを越える長さでしょうか?』
アイルランド人と比べても背の高い部類に入る宗茂であったが、彼が手に持つ弓はその背丈さえも越えていた。
キアンの物はそれより一回り小さく感じる。
『我が国の弓は真ん中を握らず、下側を持つ事に特徴があります』
宗茂が矢をつがえ、放つ。
鋭く空気を切り裂きながら、たちまちにして的に突き刺さる。
『……』
それを見たキアンは無言だった。
『ねぇ、あんた』
挑戦者をことごとく退け、ひと段落ついたところで勝二を呼ぶ声がした。
振り向けば一人の女が立っている。
赤毛のアンを彷彿とさせる赤い髪で、そばかすの浮いた顔には愛嬌があった。
特筆すべきは彼女の瞳であろう。
まるで翡翠を思わせる緑色をしていた。
世界中を回って色々な人種と会ってきた勝二だが、ここまで美しいグリーンアイの持ち主は初めてだ。
「今度は赤い頭に緑の目かよ」
「まことに色とりどりですな」
女性に気づいた豊久らが言った。
赤い髪に黄色い髪、青い目であったり緑であったり、日本ではおよそ出会えない者達に出くわしている。
これまで普通だと思っていた事が、実は普通ではなかったのだと痛感していた。
『あたいの顔に何かついてるのかい?』
自分を凝視する勝二に女が尋ねた。
『いえ、美しい目だなと思いまして。緑の瞳はアイルランドでも珍しいのではなかったですか?』
『まぁね』
これまでも散々言われているのだろうか、特に照れる事もなく頷いた。
『それよりもさ』
『何でしょう?』
『勝負は料理でもいいのかい?』
『料理ですか? ちょっとだけお待ち下さい』
流石に料理までは想定していない。
仲間に相談する。
「その女は何て言ったんだ?」
「料理で勝負したいそうです」
「料理?!」
豊久が驚く。
宗茂は興味を抱いたようだ。
「料理で勝負とは、いかなる方法で?」
「作った料理を食べ比べ、多くの人が美味しいと思った方が勝ち、ですかね?」
「ならこっちが一方的に不利じゃねーか!」
「その通りです。今のここは敵地ですから」
感覚を競えば心情が多大に影響する。
異国の者にコテンパンにやられている現状、嘘でも美味しいと言えば勝てるとなると、料理で競うのは分が悪かろう。
「ならば料理で勝負するのは避けますか?」
「挑まれて逃げる事は出来ねぇ!」
豊久が反対する。
島津の男として逃げる事は許されない。
「問題は誰が料理するのか、ですね」
「婿殿の料理の腕はどうなのじゃ?」
「一通りの事は出来ますが、彼らの好みに合致した料理となると見当もつきません」
「それはそうじゃな」
料理にも通じた多才な文化人、それが高橋宗茂であった。
「私がやります」
勝二が手を挙げる。
「勝算はあるのか?」
「考えはありますよ」
尋ねる豊久に曖昧に答えた。
「ならば頼むとしよう」
「お任せください」
仲間の了解を得、勝二は女に向き合う。
『貴女のお名前は?』
『イーファだよ』
『ではイーファさん、料理で勝負するのは構いませんが、使う材料をこちらで指定しても宜しいですか?』
『それは構わないよ』
『では勝負しましょう』
こうして料理対決となった。
『で、使う材料は何だい?』
『これです』
勝二は船から降ろした荷の一つを開ける。
中には丸くて茶色をした、握り拳大の物が詰まっていた。
『何だい、これは?』
その一個を手に取り、イーファが尋ねる。
『これはアメリカ大陸から伝わったジャガイモという芋です。今回はこれを使って勝負しましょう』
『ジャガイモ?』
初めて聞く名前に驚くと共に怒りが湧く。
『ジャガイモなんて初めて見るのに卑怯だよ!』
『始まる前から勝負は始まっているという事ですね』
イーファの抗議を軽くあしらい、早速取り掛かる。
『イーファさんは火の用意をお願い出来ますか?』
『何であたいがやるのさ?』
『火がないと料理が出来ませんよね? その間にジャガイモの準備はしておきますので』
『ああそうかい、分かったよ』
料理勝負という聞いた事のない出来事に、集まった住民は興味深そうに二人を取り囲んだ。
まずは水の中で洗い、表面についた泥などを綺麗にする。
『ジャガイモは寒さに強く、痩せた土地でも育つのでお勧めですよ』
『ここにピッタリだな』
農夫であろうか、勝二の言葉に敏感に反応した。
それに気を良くしたのか、詳しく伝える。
『凹んだ部分が芽ですので、植える時には芽を数個残して種芋を分割し、数日乾かしてから土に植え付けます。春に植えるのが良いでしょう』
洗ったジャガイモの一つを手渡し、実物で確認してもらう。
『切り口を乾かすのは病気を防ぐ為です』
その説明に何度も頷く。
『逆に、食べる時には芽の部分や、緑色になった箇所は必ず取り除いて下さい。芽や緑色になった皮にはお腹を痛める成分が多く、食べてはなりません』
口を動かしつつも包丁で皮を剥き、芽を取り除いた。
そうこうしているうちにかまどの火が整ったようだ。
『手慣れていますね。段取りが良いのでしょうね』
『誉めても勝負は譲らないよ』
取り付く島もないという風に顔を背けた。
『では始めにジャガイモがどのような味か確認する為、何も手を加えずにオーブンで焼いてみましょう』
火の通りを良くする為に小さく切り分けて鉄鍋の上に並べ、薪が燃え盛るかまどの中に入れた。
暫く待って中の様子を伺う。
『出来あがったようですね』
皮に焦げ目がついたので良しとする。
『どうぞ』
まずは興味津々な顔のイーファに勧めた。
躊躇う事なく手を伸ばし、ひとかけらを口へと運ぶ。
『ホクホクして美味しいじゃないのさ!』
その反応に手を伸ばすか迷っていた者も動いた。
『味は薄いが十分食える!』
ジャガイモのアイルランド上陸は成功したようだ。
『ではそこにバターを一かけら』
単体では流石に物足りないので、牧畜の盛んなアイルランドで容易に手に入るバターを加えた。
『驚いたね……』
『こりゃ美味い!』
バターを加えただけで大違いだった。
『そこに我が国の醤油を一滴』
駄目押しをする。
『何だいこりゃ?!』
『豊かな風味が口の中に広がっていく……』
ジャガイモのレシピは続く。
『では次にジャガイモを薄く切り、油で揚げてみましょう!』
『パリッとしてて手が止まらないね!』
『これは美味い!』
バターとくればチーズであろう。
『ジャガイモとチーズの組み合わせは絶品ですよ!』
『こりゃ確かに最高だ!』
『エールを持ってこい!』
会場はいつの間にやら宴会場と化していた。
『勝負はどうなったんだい……』
イーファの呟きなど誰も聞いてはいなかった。




