第16話 信長、顕如の会談
「よう参られた」
「この度はこちらの申し出を受けて頂き、感謝の言葉もございません」
顕如が信長に向かって頭を下げた。
石山本願寺と織田家の間で和議が成立し、顕如自身が安土城に来ていた。
城には若狭を支配していた丹羽長秀(44)、遊撃軍の滝川一益(54)、織田水軍の九鬼嘉隆(37)などの有力者も顔を揃えている。
上杉領へ侵攻中の柴田勝家(年齢浮不肖)、中国の毛利と相対している羽柴秀吉(42)、丹波の平定に奔走していた明智光秀(51)の姿は見えない。
敵の総大将が自軍の本拠地に赴き、頭を下げる。
およそ聞いた事がない話に安土城下のみならず、広く近隣諸国で話題となっていた。
顕如の決断を手放しで褒める者、臆病風に吹かれたとなじる者、その真意を図りかねている者など、反応は様々だった。
安土城に集まった者達の顔には不審げな表情が浮かんでいる。
中には明確な敵意を顕如に送る者もいた。
「何故だ?」
代表して信長が問う。
事のあらましは勝二から聞いているが、こうもあっさりと抵抗を解くとは思っていなかった。
兵糧攻めが効いていたのだろうが、なんせ相手はあの顕如である。
圧倒的な武力と経済力を持つ信長に対し、謀略を以て武田信玄や上杉謙信を動かし、10年に渡って敵対してきたのが目の前の男なのだ。
一時は絶体絶命の危機にまで陥った事もある。
こうして降伏しても、その腹の中は何を考えているのか分からない。
「これ以上無益な争いを続け、信徒を苦しめる訳にはいきませぬ」
問いかける信長を真っ直ぐに見つめ、顕如が答えた。
それを素直に受け取る信長ではないが、全くの嘘でもなかろうと思う。
これは思った以上に勝二の話が影響しているのではと、ニヤリとしてくる口を閉じるのに苦労した。
「石山と加賀、見返りに何を望む?」
誤魔化す為にも質問する。
今回は大坂の石山城のみならず、加賀の尾山御坊も抵抗を止め、城を明け渡す事になった。
無駄な死傷者が出ず織田家にとっては大助かりだが、その真意が何なのか図りかねた。
「条件と言っては何ですが、交渉に参られた五代勝二殿に加賀を治めて頂く事と引き換えです」
「何?」
顕如は澄ました顔で、居合わせた者達の度肝を抜く事を口にする。
「五代勝二とは誰だ?」
「ほれ、例の噂の奴だ」
「ああ、アレか。それがどうして?」
「俺に聞くな!」
居並ぶ者の中でヒソヒソ声が飛び交った。
「それが条件とはどういう意味だ?」
「いえ、言葉通りの意味でございますよ」
「あの者は我が方でも新参者なのだが?」
「それはそちらの問題で、こちらには関係のない話です」
問答が交わされる。
末席の勝二には全く聞こえていない。
「拒否すると言えば?」
「降伏は取りやめ、命の限り抵抗させて頂きます」
顕如の顔は悲壮感に満ちていた。
「蘭丸!」
「ははっ!」
「勝二をここへ呼べ!」
怒気さえ感じさせる声で信長が指示した。
蘭丸は直ぐに去り、主の命を果たすべく駆ける。
「勝二殿!」
「何でしょう?」
何やらおかしな空気だなと勝二が思っていた所、ようやく目的の人物を見つける事が出来た蘭丸が叫んだ。
「今直ぐに来て下さい!」
「は、はぁ……」
何を慌てているのだと思いながら、勝二は彼の後に続く。
「連れて参りました!」
「遅いぞ!」
そこは広間の一番前で、信長と顕如が対面している場だった。
「えーと、一体これはどういう事ですか?」
意味が分からず誰に問うでもなく呟く。
信長は不機嫌そうだし、顕如は澄まし顔だ。
嫌な予感が心に広がった。
信長が吐き捨てるように言う。
「貴様に加賀をくれてやる! 好きにいたせ!」
「え? 加賀って何ですか?」
何を言っているのかさっぱりだ。
「加賀を統治せよという事だ!」
やはり理解出来ない。
「統治せよと言われましても、私はタダのサラリーマンです。政治なんて出来ませんが……」
思った事を正直に述べた。
信長が怒声を発する前に顕如が尋ねる。
「勝二殿、サラリーマンとは一体何です?」
「俸給で働く者の事だ! 馬鹿らしい!」
「信長様?」
勝二が答える前に信長が答えた。
それに顕如が驚く。
「良くご存知で……」
「ふん! 前に説明されたからな!」
信長は幾分機嫌が直ったのか、自慢気に見える。
しかし、そんな事はどうでも良い。
勝二は訴えた。
「私は人々の上に立った事などありません! 見当違いの事をして、人々の生活を混乱させる訳には参りません!」
どうせ信長の思いつきだろうと思いながら勝二は拒否した。
そんな勝二を顕如が穏やかな顔つきで眺める。
「それに、私には人の上に立つのに必要な人望がありません! 国を治める人材もおりません!」
勝二の必死な抵抗も空しく、信長には一切通じない。
「人望など今から付けろ!」
「む、無茶な!」
何を言っているのだと思った。
そんな勝二を無視し、信長は配下に尋ねる。
「秀政!」
「はっ!」
「尾山御坊を攻めていたのは誰だ?」
「佐久間盛政(25)です!」
「鬼玄蕃か!」
盛政は、戦場での勇猛ぶりから信長の覚えも目出たい武将である。
「ならば信盛めを貴様の下に付けるので、盛政共々万事上手くやれ!」
「そんな無茶な……」
石山城を囲っていたのは佐久間信盛、盛政の従叔父で佐久間家の当主だ。
圧倒的な軍勢と豊富な資金を与えたにも関わらず、攻勢に出るでも調略に励むでもなく無為に時間だけを費やし、何の結果も出せなかった。
その事に信長は大層立腹し、信盛に対して折檻状を出そうかと思っていた所だった。
なので今度の事は丁度良い。
勝二の下で汚名を雪ぐか、放逐されるかを選ばせる。
顕如が申し出た。
「私の所の頼廉は加賀の信徒衆に顔が利きます。彼を相談役としてお役立て下さい」
「顕如様まで!」
その顔には安らかな微笑みさえも浮かんでいる。
信長は鋭い視線をギロリと送るが、悠然と受けて些かも揺るがない。
謀を巡らせ合う、戦国を代表する二人の将の睨み合いが続いた。
勝二はその張り詰めた空気にハラハラとするばかり。
口を開いたのは信長だった。
「許そう」
「状況が複雑になる事を……」
挑むような顔で信長が応えた。
どんな考えがあろうが受けて立つとでも言いたげだ。
ただでさえ勘弁して欲しいのに、更に難しくしてどうするのだと勝二は思った。
「お館様にお願いがございます!」
信長らのやり取りにざわついていた家臣らの中から、何を思ったのか氏郷が申し出た。
「どうした?」
その発言を許す。
信長の許可を受けて氏郷が言う。
「私も使って下さい!」
好奇心に満ちた顔であった。
「あれは騒動が起きる事を期待している顔だ!」
勝二は心の中で毒づいた。
氏郷の性格は小田原への道中ですっかりと把握している。
性根は優しく、すこぶる切れ者なのだが、若さ故か色々な騒動にやたらと首を突っ込みたがるのだ。
血沸き肉躍る事件を求めていると言ってもいいだろう。
その氏郷が加賀に行きたいという事は、そういう匂いを鋭く感じたのかもしれない。
「勝二の下で良いのか?」
「構いません!」
勝二の意志を放っておいて事は進んでいく。
どいつもこいつも勝手な事を言うなと思った。
「お言葉ながら私には荷が重すぎます!」
どうにかして回避しようとする勝二を信長が一喝する。
「四の五の抜かすな! やれ!」
「は、はい……」
これ以上の抵抗は命に係わると感じた。
勝二は仕方なく頭を下げて拝命するのだった。
色々と強引ですが・・・




