第159話 船内模様
「おもぉぉかぁじ!」
「ちげぇだろ!」
宗茂による右旋回の指示を豊久が即座に否定した。
因みに船に関する言葉であるが、イングランドに教わった島津では英語、スペインに教わった織田ではスペイン語だったが、外国語に慣れていない多くの者の為、勝二が苦労して日本語にしている。
「ここで右に舵を切ったら風向きが悪くなっちまう!」
「成る程、逆でしたか! とぉぉりかぁじ!」
「理解するのが早ぇな!」
その過ちを指摘すれば直ぐに修正する宗茂の才覚に、補佐役で横についていた豊久は舌を巻く。
敵の油断を誘う為、全くの素人である宗茂に舵取りを任せたのだが、初めは訳も分からずまごまごしているだけであったのに、舵を操る理屈といくつかの助言を得た事で、みるみると要領を覚えていった。
まだまだ判断を誤るが、風が穏やかで安定していさえすれば、舵を任せても大丈夫だと思われた。
「当初の目的を忘れておりませんか?」
勝二が疑問を呈する。
あえて下手な操船技術を晒し、海賊船を欺くのが計画の筈だ。
宗茂が上手くなってしまっては元も子もない。
「やべぇ……」
「楽しかったので、つい……」
二人はバツが悪そうに頭を掻く。
やれやれとばかり、勝二が提案する。
「悪い例を実践していくのはどうでしょう?」
「そいつはいいな!」
「それも良き修練です!」
その案に乗る事にした。
『お頭ぁ!』
『どうしたぁ!?』
見張りの声に船長が大声で応えた。
帆柱の上から報告する。
『奴らの船には大砲が見えませんぜ!』
『海軍の言った通りかぁ!』
普段は海水の侵入を防ぐ為、大砲は船内に格納され、窓は閉じられている。
戦闘時になると窓を開け、いつでも撃てるようにしておくのだが、何故か日本の船には大砲が見えない。
戦闘が始まってから慌てて準備しても間に合わないのだが、船長はそれが意味するところを考える。
『船はスペインから買えたんだろうが、大砲までは手に入らなかったかぁ?』
そう理解した。
傍にいる者達が口々に言う。
『蛮族に大砲を売りつけたら、自分達に弾が飛んでくると恐れたんじゃねぇですか?』
『土人には大砲なんて扱えねぇのさ!』
『火薬は危険だからな!』
船長はそれらに頷く。
半裸で野山を駆け回っているような者達に、大砲といった高度な道具を操れるとは思えない。
そうなると日本の船が取りうる作戦は限られる。
『海軍に仕掛けたように、船をぶつけて乗り込んでくるつもりか?』
船を買った先であろうスペインは、その戦法を得意としていた。
互いの積んでいる大砲単体では船を破壊するには至らないので、有効と言えば有効な戦い方だが、船の足を止めるには砲撃を必要とする。
それなのに、飛び道具を積んでいない日本の船でそれを実行するのは、余程船の早さが違うか、技量に差がある場合を除き困難だ。
そして操船技術は圧倒的にこちらの方が上である。
部下達が笑う。
『冗談が過ぎますぜ、船長!』
『大砲もなしに出来る訳がねぇ!』
船長もそれには同意した。
なのに何故、その戦法を選ぶのかと考える。
『まさか、出来ない事が分からないのか?』
そう思い至った。
未熟な者に多く見られる傾向だが、自分の能力を過大に評価し、根拠もなく出来ると錯覚してしまう。
大抵は失敗し、痛い目を見る事になるが、海の上でのそれは死に直結する。
『スペインから船を買って得意なんだろ!』
『乗りこなせてねぇのによ!』
『豚に真珠だぜ!』
部下達が痛烈に罵倒した。
ガレオン船は高価で、一生をかけても彼らが自分の船を持てるかどうかは分からない。
むしろ、しがない海賊のまま人生を終える確率の方が大きかろう。
戦いは命がけであるし、嵐に遭えば船が沈みかねない。
そんな彼らにとり、スペインから新しい船を買ったであろう日本人は、嫉妬を向けるに相応しい存在だった。
一目で分かるくらいに未熟な操船技術なのだから尚更である。
自分達は血反吐を吐きながら、獲物を求めて大海原を駆けずり回っているのに、大西洋にポンと現れただけでスペインとの貿易に成功し、労せずして大金を稼いでいるのだ。
しかも、日本が現れた事によってスペインの警戒が厳しくなり、海賊稼業は甚だ難しくなった。
すべて日本のせいである。
『野郎共! 奴らをギリギリまで近づけさせてやれ!』
船長が怒鳴る。
『どうしてですかい?』
戸惑った副船長が尋ねた。
船長はニヤリと笑い、言う。
『寸でのところで躱してやれば、奴らは泣いて悔しがるだろう?』
『そいつはいいや!』
『流石は船長!』
その意図に喝采する。
『すり抜けたら即座に反転し、全ての大砲をお見舞いしてやれ!』
『合点で!』
海賊達は泣き叫ぶ敵船の未来を思い描き、酷薄な笑みを浮かべた。
「大砲は頼んだぜ!」
「お任せあれ!」
豊久の言葉に砲撃方を指揮する鎌田忠時が応える。
忠時は島津家の重臣の家に生まれたが武芸に恵まれず、親戚から白い目で見られてきた。
ならばと勉学にいそしんだが、肌に合わないのか常に眠気と戦っているような有様だった。
自分は駄目な奴だと腐りそうになった時に目にしたのが、船で大砲を扱うから人を集めよという報せである。
薩摩で狼藉を働いた南蛮船を知る忠時は即座に手を上げた。
船に積まれていた大砲の威力に驚くと共に、これだと確信したからだ。
武芸も勉学もからっきしの忠時であったが、何故か大砲の扱いは得意で、めきめきと頭角を現していった。
大砲を撃つ際は仰角、つまり水平より上向きにして撃つが、的までの距離を推し量っておおよその角度を決める。
そして弾を撃ち、着弾地点を見て角度を修正していくのだ。
他の者は初弾を見当違いな場所に着弾させたが、忠時は違った。
修正が必要ないくらい正確に着弾させたのだ。
あれよあれよという間に上役となり、場を指揮する権限が与えられた。
「皆の者、準備は良いか!」
「あ、あぁ」
忠時が声をかける。
殆どが若者で、出世の見込みがない下級武士ばかりだった。
誰もが緊張しているのが見て取れる。
実戦は初めてなので無理はない。
窓が閉じられているので船内は暑かったが、噴き出す汗を拭いもせず、黒い火薬を頬につけたまま、じっと忠時を見つめていた。
「今一度確認しておくぞ!」
緊張で手順を間違えると元も子もない。
船を操る技量も戦いの経験も向こうが圧倒的に上で、油断している内に初弾を当てねば勝ち目を失うだろう。
その重責を担うのが忠時ら大砲方である。
「敵船へと接近すれば合図がある。そこで初めて窓を開け、大急ぎで大砲を用意し、撃つ!」
ゴクリと唾を飲み込む音がするようだった。
「鍛錬の成果を見せる時ぞ! 島津兵ならば臆せず奮え!」
「おう!」
忠時の叱咤に、ようやく島津兵らしさが戻ってきた。




