第155話 事業の進み
「いい加減にせい!」
いつまでも終わりそうにない勝二の話に、最早我慢出来ぬとばかりに義久が待ったを掛けた。
勝二はハッと我に返る。
火山の構造から噴火の仕組み、水蒸気爆発や火砕流の危険性、それに備えた防災の数々を説明してきたが、正直に言えばまだまだ足りない。
これまでとは性質が違う筈の桜島を擁する薩摩ゆえ、どれだけ心配しても十分ではないが、流石に話し過ぎたようだ。
「いつ噴火するのか分からぬのに、あれこれ悩んでも仕方なかろう!」
義久にとって火山の噴火は、そこまで重視すべき天災とは思えない。
大規模なモノは古老の昔話にあるくらいで、そのような事象に備えるのは無駄に感じる。
それよりも天候不順による不作と、それによって起きる飢饉へ備えた方が有意義であろう。
そして何より急を要する問題が起きている。
「我らが受けた恥をどう雪ぐのか、今はそれだ!」
義久は忌々しそうに口にする。
「大坂の民が何と噂しておるのか聞いてみよ!」
初めてそれを耳にした時には、怒りで全身の血が逆流するようだった。
「島津は南蛮人に全く歯が立たぬとな!」
そう吐き捨てた。
事実その通りであったのだから始末が悪い。
いくら物資を運ぶだけの船であったとはいえ、反撃一つ出来なかったのでは話にならないと思う。
捨て身で船をぶつけ、敵船に乗り込んで切り合う方法もあった筈だ。
それがどうだろう。
近寄る事すら出来ず、次々に大砲の餌食になったという。
「船を操る技術が圧倒的に足りぬ!」
報告によると何度も接近を試みたが逃げられ、距離を詰められなかったそうだ。
「何か策はあるか?」
義久が尋ねた。
その知識には一目置いている。
勝二はしばし考え、口を開いた。
「水軍を持つ島津、織田、毛利が年に一度集まり、操船技術を競う大会を開くのはいかがでしょう?」
「大会とな?」
その答えに義久は訝しむ。
どのような物か想像しかねた。
勝二は説明を加える。
「たとえば堺を同時に出航し、どの船が一番早く目的地、ここでは仮に淡路島としますが、そこに着けるのかを競うのです」
「ほう?」
ようやく義久も合点がいった。
「勝敗を巡って争いになっては本末転倒ですが、技術を上げるには互いに切磋琢磨するのが一番効率的かと思われます」
「面白い」
ヨットの大会を意識した。
勝負事の好きな彼らであれば本気で取り組むだろう。
勝つ為に技術を磨き、新しい道具、新しい技法を生み出していく事を期待した。
「それで、肝心要のイングランドについてはどうだ? 反撃しようにもあれから全く姿を見せぬ」
イングランド船が現れたのは一度きりで、それ以降は姿を見せていないという。
「それにつきましては丁度良い機会かもしれません」
「丁度良い機会?」
意味が分からない。
「子細はこうです」
勝二は千島の探索とアイルランド支援の事を話した。
「戸次道雪が!?」
聞き終えた義久は耳を疑う。
何度となく痛い目に遭わされた大友の老臣が、あろう事か島津の仇を討ちに異国へと向かう、そんな印象であった。
思わず胸がカッと熱くなる。
負けてはいられぬ、そんな思いだった。
「千島を探索してアイルランドへ向かう役目、我ら島津が船を出そう」
勝二は島津の船が来るまでの間、残された仕事が先へと進むよう、進捗状況を確認する為に淡路島を訪れていた。
同島では長宗我部信親が愛妾であるサラ、幸村の帰りを待つノエリアと共に、除虫菊として名高いシロバナムシヨケギクの栽培を行っている。
温暖で雨の少ない地域がシロバナムシヨケギクには適しているが、まずは種を増やし、徐々に栽培地域を瀬戸内一帯に広げていく計画だ。
「生育は順調そうですね」
出迎えてくれた三人に案内された畑では、ハルジオンによく似た白い花弁が吹き抜ける風に揺れていた。
辺り一面、見渡す限り白い花で埋め尽くされているようで、彼らの頑張りが窺い知れる。
「品種改良の具合はどうですか?」
「育ちの良い個体を中心に進めております」
同じ条件でも成長の早い個体には目印をつけ、その種を優先して残していく。
病害虫に強い株も同じようにして種を取るのだが、ムシヨケギクなのに虫の害があるのは論外だ。
勝二は持って来た物を取り出した。
「田畑の虫除けに使う道具を試作しました。唐箕を応用し、柄を回すと風を吹き出します。使う時には扉を開けて皿の上でムシヨケギクを燃やし、柄を回して出てきた煙を作物に吹きかけて下さい」
「ありがとうございます」
両手で持てる大きさの箱を手渡した。
両側に縄が結ばれており、胸の前にぶら下げて使う。
右手で柄を回し、左手でムシヨケギクを補充する。
「蚊取り線香の進みはいかがです?」
「こちらへ」
信親には蚊取り線香の開発もお願いしていた。
線香自体は既にあるので、長持ちするよう、例の形に成形する研究である。
勝二は敷地に建つ建物の中へと入った。
数人が台の上で作業をしており、ウドンをこねるように緑色の物体と格闘していた。
信親が試作品を見せる。
現代で見慣れた物とは違い、形が不均一だった。
信親が悲し気に言う。
「渦巻には出来るのですが、乾くとひびが入り、分離する時に折れてしまう物が多く出ています」
よくよく観察すれば表面には多くのヒビがある。
試しに二つに割ると、途中でポロっと折れてしまった。
「固さが足りないのですかね……」
「固さ、ですか……」
蚊取り線香を割る時の感覚など十分には覚えていないが、ポロッではなくポキッとした感じであったと思う。
「混ぜる水を出来るだけ少なくし、完全に乾燥させ、保管する時に湿気させないようにすれば良いのでしょうが……」
「原料と水の最適な配合割合は研究中ですが、混ぜる作業には大きな力が必要で困っています」
作業をしていた者達も手を止めて大きく頷く。
その額には大きな汗が見え、着ている服はぐっしょりとしている。
「水車を用いるのが一番かもしれません」
「早速水車を確保します!」
生憎、屋敷の周りには水車がないようだった。
人々の日常生活でも使うので、別個に用意した方が良いだろう。
「引き続き研究をお願いします」
「お任せ下さい!」
そう応える信親は頼もし気で、気力に満ちていた。
サラとの仲も良好なようで、幸せ一杯なのだろう。
これならどんな困難にも挫けず、事業を成功へと導いてくれる筈だ。
一方、寂し気なノエリアを元気づけ、勝二は淡路島を去った。
「五代殿!」
大坂で待ち構えていたのは、地図作りを任せている石田三成だった。
勝二が帰ってきた事を知り、急いで駆け付けてくれたようだ。
「これを見て下さい!」
慌ただしく作りかけの地図を取り出す。
「誤差では済まされない違いが生じているのです!」
畿内全体を収めた地図と中国地方の地図であったが、同じ縮尺なのに二つを合わせてみても海岸線がつながらない。
「これは多分……」
「心当たりがおありですか!」
三成は期待を込めて勝二の言葉を待った。
断言は出来ないがと前置きしつつ、勝二が言う。
「地球が球体だからだと思います」
「地球?」
何の事か分からず、三成は目を白黒させる。
「こういう事です」
勝二は紙に山の絵を描き、両端に点”い”、”ろ”を取った。
「まるで平らに見えるくらいの低い山があったとします。”い”から”ろ”の距離を測る場合、みかけは平らなので正しい距離のようですが、僅かに傾斜があって実際よりも長くなっているのです」
「確かにそうです! 水平を調べるのは難しいですから!」
傾斜がきつい場合はわかりやすい。
どれだけ山道の長さを測っても、地図に描くべきは直線距離だ。
これが地図作りの難しさとも言える。
現代であれば道具を使って正確に水平を測れるが、当時にそのような便利な物はない。
「それに加え、石田殿が測っているのは丸い地球ですから」
「そう言えば我らが住んでいるこの地は、月と同じ形をしているのでしたな」
秀吉からそのような話を聞かされた事を思い出した。
そうであるなら理解出来る。
「つまりどれだけ水平な距離を測っても、円周を測っているのと変わらない?」
「短い距離なら分かりにくいでしょうが、大きな距離となってくると違いが出てくるのでしょう」
伊能忠敬が地図作りを始めた本来の目的がそれである。
天文学を趣味にしていた忠敬は、緯度1度の長さを知りたかったようだ。
1度の長さが分かれば360をかけ、地球の円周が求められる。
経度でも同じ事だが、北極星の角度で緯度が分かるのに対し、当時に正確な経度を求めるのは難しい。
また、球体の上を測るしかない事こそ、地図作りの難しさでもある。
三次元を二次元で表現するのは容易ではないのだ。
現代の地図に多く使われているメルカトル図法であるが、高緯度になるにつれ国土が実際よりも大きくなっていく。
グリーンランドが特徴的で、地図では何とも大きな島に思えるが、実際の面積は216万平方キロメートルであり、日本の約7倍に過ぎない。
けれどもメルカトル図法では20倍くらい大きく見えてしまう。
「地球の円周は4万キロ、つまり、ええと、約1万185里なので、経度緯度が1度変わると地図上ではどう変わるのか、換算しつつ仕上げて下さい」
「分かりました」
地図作りには算術の好きな者達に手伝ってもらっている。
面倒臭がらずにキッチリと修正してくれるだろう。
また、青銅砲、船作り共に大きな問題はなく、日本を離れても大丈夫そうだった。
「とはいえ一番の問題が残っていますが……」
重苦しい顔で呟く。
信長から命じられたのは地図、船、大砲だったが、今の段階でも結果は上々であるので、責められる恐れはない。
しかし。
「お市さんに何と言って良いのやら……」
折角ネーデルランドへ行かずに済むようにしてもらいながら、長くはなかったとはいえ樺太に行き、落ち着く暇もなくアイルランドへ行く事になった。
申し訳なくて未だに言えずにいる。
そして何より悲しいのが我が子と別れである。
電話がないので声を聞く事すら出来ない。
「龍太郎と会えないなんて辛すぎるでしょう!」
勝二は悲痛な胸の内を吐露した。
地図に関してはイメージです。
次話、アイルランドに向け出発します。




