第154話 島津義久
翌日となり、勝二は島津家の屋敷を訪れた。
その屋敷は城から少し離れた場所にあり、古い寺を買い取って改築したと聞く。
大坂に屋敷を構えているのは島津だけであったが、毛利や徳川、北条といった同盟関係にある諸侯達も敷地を確保していると聞く。
まるで江戸時代のようになっていくなと勝二は思った。
幕府への忠誠を表す為に妻子を江戸へと留め、藩主は藩と江戸とを往復していたのだが、時代は違えど同じ民族だからだろうか、似通った歴史を再現するようだ。
「ようやく帰ったか」
「お待たせしてしまったようで、誠に申し訳ございません」
部屋で待つ勝二に、現れた島津家当主義久が声を掛けた。
穏やかさを感じる声色であったが、顔を上げてそれが錯覚であったと知る。
あからさまな怒気には染まっていないが、静かな怒りが燻り続けている、そんな風に見えた。
その姿は噴煙を上げ続ける桜島を連想させる。
普段は落ち着いているものの、ひとたび噴火が始まれば灼熱のマグマをボコボコと吐き出し、大量の火山灰を降らせて町を白く覆いつくす活火山だ。
火山の噴火は隣接する町を壊滅させかねない天災であると共に、田畑へ養分を供給する恵みでもある。
耕作で痩せてしまった大地も、火山から吐き出される噴出物で蘇るのだ。
義久の怒りも同じかもしれない。
それが爆発すれば巨大な厄災となり、周りに甚大な影響を与えよう。
しかし、見方を変えれば別の意義を持つ可能性もある。
と言うよりも、変化し続ける局面の中で、自分に出来る事を精一杯やるだけだった。
そんな中、ふと勝二は違和感を覚える。
それが何であるのか思考を巡らせるまでもなく、ハッと気づき、思わず義久に尋ねた。
「桜島はいかがでございますか?」
「桜島だと?」
急に何を言い出すのだとでも言いたげに、若干の怒りを滲ませて義久が問い返す。
「桜島は常に噴煙を上げていると聞きます。天変地異によってそれが変わったのか、今になって気になりまして……」
慌てて勝二は思った通りを説明した。
下手な言い訳をしようものなら何が起こるか分からない。
そんな勝二に義久は呆れ、言った。
「変わらず噴煙を上げておるぞ」
「そうでございますか! ありがとうございます!」
感謝を込めて頭を下げたが、その心は乱れていた。
内心の動揺を押し隠して本題へと入る。
「改めまして、本日はどのようなご用件でございましょう?」
「イングランドについて尋ねたい事があったのだ」
「イングランドですか?」
「左様。トーマスでは要領を得んのでな」
「成る程」
双方の言葉や文化、習慣に通じていなければ的を射た翻訳とはならない。
船乗りに過ぎなかったトーマスらでは荷が重かったのだろう。
義久が質問を始めた。
「イングランドでは女が国を治めているそうだな?」
「エリザベス女王でございますね」
「どうしてそんな事が可能だ?」
「どうしてと仰られましても……」
難問に困り果てるも、知る限りで説明する。
「西洋諸国でも基本的に王位は男児が継ぎます。現にエリザベス女王が即位する前、異母弟であるエドワード6世が王位を継いでおりますから」
「ほう?」
「ですが彼は若くして亡くなります。そして他に男児がいなかった為、エリザベス女王が選ばれたようです」
「そうか」
口は動いているものの、勝二の頭は別の事で一杯だった。
「しかし、どうして男児が一人なのだ? 側室も男児を生まなかったのか?」
「キリスト教を信じる西洋諸国では、王の振る舞いに民衆への道徳的模範を求めます。ですので、表だって妻以外の者と関係を持つ事は好ましくないようです」
「僧が妻帯出来ぬのと似ているな」
「そうでございますね。そして、そうであるからこそ、隠れて関係を持つところも同じです」
「統治者たる者、跡継ぎを作る事も立派な役目だろうに」
これではいけないと思いつつも、湧き上る疑念に集中出来ない。
どうして桜島が今も噴煙を上げているのか、その事が頭から離れなかった。
「西洋では王位を継承する権利や順位が定まっておりますが、エリザベス女王は即位するまで、庶子という理由で継承権をはく奪された事もあります」
「それが結局王になったのか。一度奪ったのなら別の者を連れて来れば良かろうに」
義久の言った内容にハッとし、思わず冷や汗が流れた。
直感なのか、桜島が今も活動を続ける理由に思い至ったのだ。
日本は世界でも有数の火山国であり、地震多発地帯である。
世界の活火山のうち、実に7%が日本一国に存在している。
それはユーラシア、フィリピン海、北米、太平洋と、4枚のプレートが複雑に絡み合い、摩擦によって巨大なエネルギーが発生しているからである。
膨大な摩擦熱は岩石を溶かしてマグマに変え、火山から地表へと噴出する。
桜島が常に噴煙を上げているのは、熱いマグマが常に地表付近まで来ているからであり、地下で活発な火山活動が起きている証拠である。
勝二が違和感を覚えたのはその事だ。
火山国日本はあの位置にあったからこそであり、大西洋に移ってもそのままというのは変である。
日本の場合、プレートの沈み込みによる摩擦でマグマが生成され、活火山へと供給されるのであるから、4枚のプレートから解放された筈の現状、新たなマグマが供給されず、桜島はその活動を停止してしかるべきだ。
マグマが冷えるには時間が掛かるとはいえ、数年間も熱いままというのはあり得ない。
しかし、現実には今も火山活動が続いているらしい。
それはつまりプレートの沈み込みとは違う要因で、新たなマグマ供給先が出来ているという事だろう。
その供給元はどこか?
勝二は考え、思わず戦慄した。
大西洋海嶺とホットスポットの二つではないのかと。
世界においても、活発な活動を続けている火山はプレートの境目付近に多い。
それとは別に、海嶺及びホットスポットと呼ばれる地点がある。
プレート同士の摩擦熱によってマグマが生成するのとは異なり、ホットスポットではプレートよりも下層、マントルから直接マグマが上って来ていると考えられている。
特に有名なのがハワイやイエローストーン、ガラパゴス諸島であるが、ここ大西洋にもいくつか存在する。
アイスランド、ナポレオンが島流しされたセント・ヘレナ、そして今の日本の近隣、アゾレス諸島などである。
また、プレートが沈み込む海溝とは逆に、プレートが生まれる場所となる海嶺でも火山は多い。
人類が生まれたとされるアフリカ大地溝帯、大西洋を南北に走る大西洋海嶺などが知られている。
つまり今の日本は、ホットスポットであるアゾレス諸島を近所に持ち、プレートが生まれている大西洋海嶺の真上に位置している事になるのだ。
桜島が今も活発な火山活動を続けている理由、それはこの二つが何らかの影響を与えている事に間違いはないだろう。
その瞬間、勝二の脳裏に恐ろしいイメージが思い浮かんだ。
過去、何度となく噴火してきた日本の霊峰、富士山の火山活動である。
もしも富士山が……と思った勝二は慌ててそれを打ち消す。
桜島にマグマが供給されているのは明白だとしても、富士山もそうであるとは限らない。
むしろ桜島の事例こそ例外であると考える方が自然だ。
例外でないなら、それを補強する事実の裏付けが必要だろう。
「あ……」
思わず勝二は声を漏らす。
裏付ける事実を思い出していた。
気づいた義久が眉をひそめ、問う。
「どうした?」
「い、いえ、何でもありません!」
慌てて否定するが焦燥感に駆られ、居ても立っても居られない気持ちがした。
甲斐からの帰り道、箱根の温泉に入ったではないかと。
それこそ富士山も死んでいないという証左であろう。
死火山でないならいつか噴火してしまうかもしれない。
史実における最後の噴火は宝永、18世紀初めであるが、日本が転移した事でその歴史が大いに変わってしまう可能性がある。
時期もそうであるが、その規模も未知数だ。
噴火の大きさは溜まったマグマの量に影響を受けるが、人的被害を出さない程度に小さくなるのか、破滅的な規模となるのかは、神のみぞ知ると言うしかない。
災害へ備える場合、考えられる限り最悪な状況を想定せよと言う。
富士山が噴火した際の最悪とは何かを思い、勝二は目の前が暗くなった。
そんな時だ。
いつの間にか義久の左手には刀が握られており、不思議に思う暇もなく抜刀され、鈍く光る刀身が自分の喉に突き付けられていた。
ようやく事態を把握して恐怖に打ち震え始めた頃、くぐもった声で義久が厳しく問いかけた。
「この島津義久を前にして別の事を考えておるな?」
その全身から殺気がほとばしっているようだった。
答えようとするが喉がひりついて声にならない。
過去、反政府組織のメンバーから銃口を向けられた事もあったが、ここまでの圧迫感、恐怖感はなかった。
それがどうだろう。
はっきりとした死が目の前にある、そんな気がした。
「隠し立てすれば切り捨てる」
再び義久が言う。
異論を差し挟む余地など皆無であった。
口の中はカラカラであったが、勝二は必死に声を振り絞る。
「ふ、富士山です!」
「ふじ? 日ノ本一の山、富士か?」
「そうです!」
その答えに義久は首を傾げ、問うた。
「富士がどうした?」
「桜島が今も噴煙を上げている事から、富士山が噴火する可能性について考えておりました!」
「何?!」
思ってもみない回答に驚く。
「どういう意味だ?」
「そのままの意味です! もしも富士山の噴火が大規模であった場合、関東一円は元より、日ノ本全体にも莫大な被害を与えましょう!」
そこにいたのは義久の知るいつもの勝二で、切っ先を突き付けられているのに怯む事なく、真剣な目でその思いを伝えてきていた。
しかし全く理解出来ない。
「そうではなく、桜島と富士がどう関係しているのかと聞いている!」
「火山は連動しております!」
そう言って懐から紙と筆を取り出し、スラスラと図を描く。
「まず火山の構造からです!」
勝二の剣幕にたじろいだ義久は刀を鞘に納め、大人しく講義に耳を傾けた。
ちょっとズレていますが・・・




