第15話 信長の勘違い
「ショージ、どうして僕も?」
「二人でとの事です」
氏郷に言われ、勝二と弥助は城へ向かった。
信長の命令では二人一緒に来いという事だった。
屋敷から城までは遠くない。
坂道を登っていく。
道中、二人を見かけた子供達が歓声を上げて追いかける。
弥助はサービス精神たっぷりで、追いかける子供達に応えていた。
勝二はそっと後ろを伺う。
三歩下がった位置に、ピッタリと付き従う重秀の姿があった。
「重秀さんはどうして来ているのですか?」
「主君の行く所、付き従うのが家臣の役目」
「家臣って、雇うとも言っていないのですが……」
「それはそうと、安土城はやたらとでかいですな」
勝二の呟きを無視し、重秀は城の感想を述べた。
自分なりの分析を披露する。
「作りは立派だが、城への道が単調で平らに過ぎる。これでは戦の時に役に立ちませんぞ」
「そ、そうなのですか?」
思ってもみなかった言葉に勝二は驚いた。
確かに道は真っ直ぐなモノが多く、難攻不落という感じはしない。
「しかし、あの信長がそんな事を分からない筈がない。という事はこの城は戦に備えた代物ではなく、統治の為の城という訳ですな」
「な、成る程!」
山城は防御力は高いが統治には不便である。
平地に立つ平城は、日常の政治には便利だがいざという時に不安だ。
「そんな事も即座に分からぬとは!」
「す、すみません!」
重秀のなじるような口調に思わず謝った。
謝罪は反射的に出るようになっている。
「やはり拙者のような者がいないといけませぬな」
「私は武将ではないので、そんな知識は必要ないと思いますが……」
勝二の言葉は耳に入らないようだった。
「生臭坊主に何を吹き込んだ?」
挨拶もそこそこに信長が尋ねた。
思い当たる相手がいない訳ではないが、失礼だと思い、問い返す。
「一体どなたの事ですか?」
「白々しいぞ、たわけ!」
ピシャリとした一言で黙らせる。
仕方ないので石山城での経緯を説明した。
「カトリック、つまり伴天連に関する事を色々と……」
「それは何だ? 申せ」
顕如の心変わりが気になるのか、信長はグイグイと勝二に迫る。
一から話そうと思ったが、唐突に顕如の言った事を思い出した。
信長は気が短いと。
「えーと、回りくどい説明となるので時間が掛かりますが……」
先に言っておかないと面倒な事になりそうだ。
しかしそれは見透かされる。
「許さぬ。手短に申せ」
「えぇぇぇ」
それが出来れば苦労はしないという表情の勝二を、信長はギロリと睨む。
出来ないなら死ねとでも言いたげだ。
無茶振りが凄いと改めて思う。
頭の中で必死に整理し、言葉を捻り出す。
「か、簡単に言うと、人はどこの国も似たようなモノだという事でしょうか」
「どういう意味だ?」
「キリスト教徒は常に神に祈りを捧げておりますが、今川義元を討った桶狭間に際し、信長様も神社に戦勝祈願に行かれたと伺っております」
「確かに行ったな」
いきなり罵倒はされなかったので、滑り出しは成功と見て良いだろう。
話を続ける。
「では、信長様は普段も神に祈られるのですか? 天候不順とならずに凶作などが起きぬよう、などと」
「たわけ! 祈ったくらいで雨が降れば誰も困らぬ!」
その怒りは想定の範囲内であり、怯む事はない。
「結局、祈りは心の問題でしかありません。どれだけ神に祈った所で現実には何の効果も及ぼさないからです。雨ごいの儀式で雨が降るなら、飢饉など起きる筈がありませんし」
「分かっておるならば良し」
信長はその怒りをひっこめた。
「カトリックの教えは尊いモノばかりです。誰が聞いても成る程、素晴らしいと頷くでしょう」
「確かにな」
謁見の際、彼らの教義はフロイスより聞かされている。
熱っぽく語るその様子に、宗教家はどこも同じだと信長は感じていた。
「しかし、その尊い筈の神に祈りながら、神の名の下に人を殺すのが人間です」
「成る程」
それもその通りだ。
現に武器を持って抵抗を続けていたのが、殺生を戒める筈の仏門の僧侶だったのだから。
信長は唐突に笑い出した。
おかしくて堪らんという風に、腹を抱えての笑いである。
ひとしきり笑い、呆気に取られて自分を見つめる勝二に語る。
「つまり貴様は伴天連の話をしながら、生臭坊主を揶揄したという訳だ」
「いえ、決してそのような事はありません!」
信長の指摘を勝二は否定する。
しかし容赦はない。
「誤魔化すな!」
そう言われてしまえばそれ以上は難しい。
その気持ちがなかったとは言えないからだ。
仕方がないので話を進める。
「好むと好まざるとに関わらず、これからはスペインといった大国と交流を持たなければならなくなります。下手に国を閉ざせば武力でこじ開けられ、領地を奪われる事となるでしょう。今、徒に争いを続けて自らの力を損耗すべき時ではありません。互いに矛を収め、国内で一致協力し、来たるべき戦いに向けて力を温存すべきとお伝えしました」
「成る程な。で、その来たるべき戦いとは何だ?」
信長が尋ねた。
その顔に感情は見えず、冷静である。
「我が国、メキシコのサカテカス、ボリビアのポトシで、世界に流通している銀の多くを占めています」
勝二は以前書いた世界地図を示した。
当時の銀はその三つで市場を席捲しており、うち二つがスペインの物である。
多くの国でその銀貨が用いられ、スペインの国力維持に役立った。
「くくく」
今度は抑えた笑いが信長から漏れる。
「面白い」
鋭い視線で勝二の指す地図を見る。
日本、メキシコ、ボリビア(当時はペルー副王領)の位置関係の妙を考える。
※各銀山の位置関係
「その二つを取れば世界を牛耳れるという訳だ」
「信長様?!」
その言葉に驚いた。
全くの想定外だった。
「世界の覇を巡って争いが起きると言いたいのだな」
「いえ、違います! 我が国の銀を狙いに来ると言いたいだけです!」
壮大な勘違いに慌てて訂正するが遅かった。
「良い良い。畿内の統一という小さな事に拘っているのではなく、世界を治めよと言いたいのだな」
「そんな事は全く言っておりません!」
否定するが聞こえていない。
「そうか、確かに一向宗と争っておる場合ではないな。早々にこの国を纏め、海の向こうに出る方策を練らねばな」
「この国を纏める事には賛成ですが、まずは守りを固めるべきだと思います!」
まるで届いていなかった。
信長は熱に浮かされたように考え込んでいる。
「こんな事は言うべきではありませんでした……」
戦国武将に余計な知恵を付けてしまった事を悔いた。
「奪われる前に奪ってしまえ、なのですね……」
価値観の相違を考慮していなかった。
どうしても平和的な考え方をしてしまう自分と違い、飢えれば隣国に攻め込むのが彼らだ。
世界に供給されている銀山が近くにあるのなら、武力で奪ってしまえとなるのは当然かもしれない。
何せスペインよりも余程近いのだから。
浅慮を呪ったが、今更取り消せない。
「他の者、特に宣教師の耳に入る事だけはご注意下さい!」
「それはそうだな。これはここだけの話である。蘭丸、心得よ!」
「ははっ! 肝に銘じます!」
不幸中の幸いは信長と蘭丸だけが聞いていた事である。
弥助や重秀、氏郷らは別の間で待機しており、いない。
ホッとしたのも束の間、信長の後ろからフフフと笑う声が響く。
「面白そうなお話ですわね」
「誰ぞ!」
蘭丸が信長を庇う形で立ち塞がり、誰何した。
見た目は幼さが残っているのに、必死に小姓の役割を果たそうとする蘭丸。
そんな場合ではないと知りながらも、勝二は思わず感動した。
「妾です」
衣の擦れる音と共に、声の主が姿を現す。
「お市か!」
信長の妹お市(32)であった。
戦国一の美女と謳われる彼女であるが、美意識はそこまで変わらないようで、中澤まさみに似た美人さに、勝二は我を忘れて見入る。
要は一目惚れであった。
呆けたように魅入る勝二を他所に、お市と信長が言葉を交わす。
「お前がこの城におるという事は、信包が来ておるのか?」
「いえ、妾だけですわ」
信長の弟信包(36)は、浅井長政の下から帰ってきたお市を、信長の許しを得て清州城にて護っていた。
「煤を塗ったように全身真っ黒の男がおると聞き及び、子供達共々見物に参った次第です」
お市の方が面白そうに言う。
長政との間に出来た子供は茶々(ちゃちゃ)(10)、初(9)、江(6)の三人である。
「勝手に来るなと言った筈だぞ」
「兄様に会えると思うと、居ても立ってもいられませんでした」
呆れたように叱る信長に、クスクスと笑いながら述べた。
そんな妹にヤレヤレと天を仰ぐ。
思い出したように尋ねた。
「そんな事より、今の話を聞いておったのか?」
「偶然通りかかり、無礼とは承知しながらも聞いておりました」
その言い訳に、ようやく我に返った勝二が言う。
「そこは廊下でも何でもありませんが?」
「兄様との会話中に口を挟むな! この下郎め!」
「うぇ?!」
思わずのけぞる程に強い言葉だった。
その瞬間、勝二の淡い恋は無残にも砕け落ちた。
「これ、市!」
信長がお市を窘めるも、当の本人はどこ吹く風とばかり、明後日の方を向いている。
「すまんな。普段はこうではないのだが、儂の事になると分別を忘れるようだ……」
「兄様が謝る必要はこれっぽちもありませんわ。久しぶりの兄様との会話を邪魔したこの者が悪いのです」
「これ!」
まるで効果がなかったようだ。
「再婚させねばならんのだが、この性格が知れ渡って嫁ぎ先が見つからぬ……」
ほとほと参ったという顔で信長が言った。
長政が自害してから既に6年、織田家の力を確固たるモノにする為にも、有力者に嫁がせるのが当たり前なのだが、何かにつけて信長と比較するお市の言動が噂となり、頼もうにも向こうから先に断られているのが現状だ。
長政が裏切ったのも絶えず信長と比較され、大きい事を為せと叱咤された結果ではないかと噂されている。
こうなっては家臣の誰かに嫁がせようとも思うが、それは同時にその者を一門に加えるという事であり、もしも同じようにその男が裏切ったら世間の笑い物となろう。
また、お市の性格は家臣達も十分に知っており、見てくれに騙される者はいない。
嫁に望む者も表面上はいるが、本心ではないのだろうと思う。
自分がいなくなりでもしない限り、あの性格は治らないのだろうと悲観していた。
今のまま好きにさせておく事も出来るが、それはそれで世間体が悪い。
武家の子女が嫁ぎもせず、実家で気ままに遊んでいるのは恥晒しに近かった。
お市をそのままにして、家臣達の娘をどこに嫁がせるのか決めるのであるから、説得力がないだろうと秘かに悩んでいた。
「浅井家への輿入れは、兄様の覇業の助けとなればと思ったこそです! それなのに裏切るとは、あの馬鹿者め!」
兄の思いを知ってか知らずか、お市が憤慨してみせた。
「こうなった以上、再婚する気はございませぬ!」
そう言い切る。
「このまま気ままに兄様の覇業を見届けとうございます!」
高らかに宣言した。
気のせいか、気ままという箇所に重きが置かれているようだ。
「ブラコンのニート……」
その一言をやっとの事で飲み込んだ勝二だった。
「本当に墨を塗りたくったように真っ黒ですわね」
お市が弥助を見て言った。
「茶々、初、江、見てみなさい」
三人の子供は弥助を見て、口をポカンと開けている。
サービス精神旺盛な弥助は、日本で覚えた遊びを披露した。
子供達は歓声を上げ、弥助を囲む。
「一体何故です?」
そんな子供達を優しく見つめ、お市が勝二に尋ねた。
「弥助さんの生まれ育ったアフリカは、一年中日差しが強いのです。言うなれば年中真夏状態ですね」
「それはそれは……。年がら年中とは閉口しますわね」
想像するだけで汗が出るようだった。
「お市様も夏の日差しを浴びれば日焼けなさると思います」
「え? 夏にわざわざ外に出る事はしませんが?」
「えーと、それは、そうですか……」
流石は高貴なる身分の者という事だろうか。
「話の腰を折って申し訳ありません。そういう事ではありませんですわね」
信長の前とは打って変わり、大層聞き分けが良い。
説明を続けた。
「一年中夏の日差しですと、元から肌が黒くないと健康を損ねるのです。親子何代もそれを積み重ねていった結果です」
「そのような事があるとは驚きですわ」
お市は驚いた顔をした。
「親の形質が子供に伝わる事を遺伝と言います」
「遺伝ですか? 面白いですわね!」
お市はニッコリと笑い、勝二はそれを見てドキリとした。
後ろでは信長がニヤリと笑う。
お市の方の性格についてはご容赦下さい。
武家の事情については全くの想像です。
ただ、柴田勝家に嫁ぐまでは再婚していないので、何か事情があったのだろうと考えました。
石見の銀がなくなると、明国が大変になりそうな気が・・・




