第152話 信長の指示を無視するのか問題
「つまり、奥羽の海に現れたイングランド船は、千島とやらに沿って我が国へとやって来たという訳か?」
「その可能性が高いと思われます」
あくまで推測だが、勝二には予感めいた思いがあった。
そうあって欲しくない事に限って起きる、運命の悪戯としか思えない現象だ。
逆に、あって欲しいと願う事は大抵叶わない。
なので、常に最悪を想定して準備しろと、仕事で世話になった人には教えられたが、出来る事の限られる現状、泥棒を見て縄をなう状態でやり繰りするしかなかった。
「仮にそうであればですが」
「何だ?」
それでも今後に備える為、己の考えを述べていく。
「イングランド人は択捉や国後、蝦夷地のどこかに上陸し、拠点を築いているものと思われます」
「何?!」
むしろそうでない方がおかしい。
「少なくとも飲用水を確保出来るようにはしている筈です」
「水か」
船の積載量は大きくなく、航海に必要な水の全てを積む事は出来ない。
また、腐りもするので、新鮮な水を補給出来る場所の確保は必須であった。
「離れているな……」
地図を見ながら信忠が呟く。
安土城から千島までの距離と、千島からイングランドまでの距離とを比べると、前者の方が遥かに遠い。
「これだけあると監視の目も届かぬぞ」
それは統治者としての心配だった。
この国で異国の者が好き放題な事をするかもしれないとの、言い知れぬ不安である。
「離れているのはイングランドにとっても同じです」
「どういう意味だ?」
その言葉を聞き咎めた。
勝二は説明する。
「拠点を築く事は出来ても、維持するのはその距離のせいで困難です」
「つまり壊せば良いという事だな」
「定期的に島々を巡回し、見つけ次第破壊すれば宜しいかと」
「うむ」
イングランドによる北米への入植は何度も試みられているが、その多くが失敗している。
インディアンによる襲撃や、慣れない環境下で起きる疾病、自然災害、仲間内で不和となるなど、その原因は様々だった。
それと同じで、たとえイングランドが蝦夷地に拠点を設けても、それを維持させなければ入植は容易ではなくなる。
「それよりも心配すべきはアイヌです」
「アイヌ?」
意味が分からず信忠は勝二の顔を見た。
「イングランドがアイヌに武器を与え、見返りとして安全な港を手に入れる事こそ、憂慮すべき状況かと存じ上げます」
「それは……確かに、そうだな」
自ら拠点を築き、維持する必要はない。
その地に住む者にお願いすれば良いだけの話だ。
対価は彼らの望む物、それに尽きる。
「力で支配する事も出来るのではないか?」
ふと思った信忠が尋ねた。
「その可能性も捨てきれません」
蝦夷地の殆どをアイヌが支配しているが、彼らの王朝は存在しない。
それぞれの部族がそれぞれの縄張で生活しているだけであるから、メキシコでスペイン人がやったように、王を捕らえて命令に従わせる事は出来ないが、有力な部族に肩入れして周辺部族を飲み込んでいく事は出来よう。
そして、まさにその事が樺太で起きていた。
宗麟らがやって来た事により、島における各勢力の力関係が崩れていきつつある。
いずれ彼らが樺太において確固たる地位を築くだろう。
そうなれば史実とは多いに異なる、劇的な変化を島にもたらす筈だ。
アイヌ文化へ敬意を持つ勝二としては心苦しいが、現実はいつも非情である。
最善を選択出来れば良いが、大抵はどちらかマシな方を選ばされる。
史実で考えれば、西洋人によるインディアンの扱い方を見習うか、アイヌへ同化政策を取った明治期の日本を辿るか、だ。
また、どちらとも違う別の道を選ぶには、それなりの力が必要であろう。
「兎にも角にも一度現地を調べる必要があるな」
「仰せの通りです。正確な情報を知ってこそ、正しい判断を下せますから」
二人の見解は一致した。
「問題は誰が調べに行くかだな」
「それについてですが……」
勝二はネイルについて話した。
聞き終えた信忠はクククと笑い出す。
ひとしきり笑い、言った。
「父上がその方を手元に置いていた理由が分かるぞ」
「え?」
面食らう勝二に告げる。
「その方といると退屈せんからだな」
「私は平穏が一番だと思っていますが……」
「どの口で言うのだ」
思わず苦笑が漏れた。
「まあ良い。アイルランドとやらに行く事を許可しよう」
「ありがとうございます」
「精々気張ってくるのだな」
船を沈められた自分達の代わりにイングランドへ反逆すると言うのなら、殊更に拒む理由はない。
とそこで、信忠はある重要な事を思い出した。
「その方には父上から命じられた事業があろう? どうするつもりだ?」
西洋の物にひけを取らない地図、帆船、大砲作りを信長より任されている。
まさか放ってしまう訳にはいくまい。
下手をしなくても不興を買うのは確実で、虫の居所が悪ければ詰め腹を切らされよう。
信忠の心配に勝二は渋い顔をした。
「進捗状況を確認し、進むべき方向を指示しておきますが、異国の脅威に晒されているのですから、そちらが優先されるべきだと考えますが……」
それどころではなかったというヤツだ。
しかし、自分で言っておいて説得力がないと感じる。
動揺している家臣に織田家の頭領が言う。
「念の為に儂が命じた事にしておこう」
「ご配慮感謝致します」
深く頭を下げた勝二に告げる。
「島津公が大坂にてその方を待っておる。顔を出すように」
「畏まりました」
勝二は安土城を去り、道雪らを連れて愛息子の待つ大坂へと向かった。




