第151話 千島列島
「伊達が隣国へ侵攻した事は知っておろう?」
「伺っております」
挨拶もそこそこに景勝が勝二に尋ねた。
その事は勝二も気になっている。
この部屋へと入る手前、戦がどうなったのか兼続に質問したが、詳しい事は殿の前でとはぐらかされた。
「兼続様より戦から帰って直ぐだと伺っておりますが……」
樺太にはそこまで留まっていないので、比較的短期間で決着がついたのだろう。
勝二の言葉に景勝が応える。
「戦自体は早目にかたが付いたのだがな」
含みを持たせた言い方に勝二は首を傾げた。
「何か起きたのでございますか?」
「南蛮の船が二隻、海に現れたのだそうだ」
「南蛮の船?!」
寝耳に水な話である。
驚く勝二に景勝は淡々と述べていく。
「それでな、兵糧を運んできた島津の新型船が多数、南蛮船の大砲によって沈められたというのだ」
「何ですって?!」
「幸い、荷の殆どを降ろした後だったので兵糧の損害は少なかったが、島津公が大層怒ってな」
「それはそうでございましょうね」
新型船の建造には時間と費用がかかり、木材の消費量も多い。
それを沈められれば損害しかないので、義久でなくとも怒り心頭となろう。
損害の程度も気になるが、それよりも気がかりな事がある。
「乗組員は無事だったのですか?」
「岸に近かったので溺れ死んだ者は僅かだ」
「それは不幸中の幸いでした」
景勝の言葉にとりあえずホッとした。
そんな勝二を訝しむ。
「何が幸いなのだ?」
「船はまた作れば良いですが、経験豊富な船乗りは貴重です」
「ほう? 島津公もそう口にしていたぞ」
その説明に景勝は納得した。
勝二が問う。
「その南蛮船は一体どこの船だったのですか?」
「いんぐらんどだ」
「イングランド?!」
ここ最近、その単語を何度も耳にしている気がする。
それはネイルもそうであるようだ。
先ほどまでは部屋の中を興味深そうにキョロキョロとしていたが、今は固唾を飲んで見守っている。
「白地に赤い十字であろう? 島津公も間違いないと言っていたぞ」
「島津公がそう仰るなら確かですね」
島津はゴールデン・ハインド号を捕らえているので見間違う筈がない。
そして、これこそが問題の核心だと気づいた。
「この事で揉めたのでございますか?」
「左様。異国が伊達に助太刀したとしてな」
さもありなん。
外国勢力が日本の内紛に干渉してくれば、収まるモノも収まらずに争いが泥沼化する恐れがある。
現代社会で散々に見てきた悲劇を思い出し、顔が引きつった。
その表情を見て兼続が口を開く。
「勝二殿の懸念されていた事態が起きましたね」
「そう、でございますね……」
西洋諸国が日本の富を奪わんと、武力介入や調略を仕掛けてくる事を心配していた。
しかし、それにしてもと思う。
「どうした?」
「いえ、近い将来に訪れるとは思っていましたが、余りに早いなと思いまして……」
大航海時代とはいえ、伊達家がイングランドと手を結んだ経緯が分からない。
そもそも言葉が通じない筈だ。
不思議がる勝二を景勝がたしなめる。
「思った通りに物事が進む筈がなかろう?」
「仰せの通りです……」
景勝の言葉に勝二は頭を掻いた。
「それはそうと、その男は何だ?」
チラッとネイルに視線を走らせる。
「実は……」
勝二は樺太での事を話す。
聞き終えた景勝が感心したように言う。
「やられた分をやり返しに行くとは律儀だな」
「え?」
どういう意味かとその顔を見る。
景勝はニコリともせずに言った。
「いんぐらんどに沈められた船の敵討ちであろう?」
「いえ、そのような目的ではありませんが……」
冗談を言う男ではないので、本気でそう思っているのだろう。
それを裏付けるように言葉を重ねる。
「結果として同じであろう?」
「そう仰られますと確かにそうではあります……」
それ以上は言えなかった。
そして越後を発ち、敦賀湾から上陸して琵琶湖へと向かう。
舟に乗り換え、湖上を滑るように進んだ。
暫く進むと小山の上から湖を見下ろすように立つ、巨大な建築物が目に飛び込んできた。
『あれが安土城です』
『何と大きな!』
まるで山全体が一つの建物のようだった。
着岸し、陸地に降り立つ。
そばから見ると城は更に大きく見える。
「流石は織田の城じゃな。規模が違うのぅ」
道雪も舌を巻いた。
「私はこれより城へ向かいます。お二人は待っていて下さい」
「心得た」
道雪らを残し、一人で城へと向かう。
素性の知れないネイルは連れて行けない。
「五代勝二、樺太より戻りました」
「待っておったぞ」
信忠が出迎えた。
早速用件に入る。
「景勝様に伺いましたが、伊達領の海に南蛮船が現れたとか」
「その通りだ」
そう言って信忠は手紙を取り出し、勝二へと見せた。
目を通したが何と書いてあるのか分からない。
「申し訳ございませんが……」
その言葉に事情を察したようだ。
「そうだったな。諸侯らにも楷書で書くように頼まねばならんな」
織田家の文書は楷書となったが、同盟者からの手紙までは統一していない。
読みやすさに慣れると草書の煩わしさが理解出来た。
判読し難い文字を書く者は一定数おり、そのせいで必要のない誤解が生じる事があった。
信忠は次の課題だなと考えながら、手紙の内容を説明していく。
「南部家によると、下北の民が沖を南下する船を目撃しているそうだ。と言っても、儂には下北がどこか分からぬがな」
「下北とは陸奥の北の端にある半島です」
「そうか、ここか」
地図で示されてようやく理解出来た。
「しかし下北の沖とは……」
「どうした?」
考え込む勝二に尋ねた。
勝二は言葉を選びながら答える。
「いえ、どうして下北の沖を南下しているのかと思いまして……」
「北から来たのであろう?」
信忠は思った事をそのまま述べた。
確かにそれで正しいのだが、それまでの過程が問題である。
「仰せの通りではありますが、そこに至るまでの航路を考えておりました」
「どこだ?」
勝二は地図を使って説明する。
「イングランドの都ロンドンから船を出し、北上して西に向かえば樺太の北部に辛うじて到達します」
「成る程」
指でなぞりながら航路を推測していく。
海流の問題もあるが、船乗りではないので正確な事は分からない。
仮に推測の通りだとして、樺太を南下していくだろうかと考える。
「そこから下北沖を通るのは考え辛いかと」
「そうだな」
樺太の東側を南下し、知床半島を回って来るとは思えない。
「一方、ドーバー海峡を抜けてから西に向かえば樺太南部です」
「うむ」
「樺太と蝦夷地の間を西に抜け、そこから南下して津軽海峡を通り、下北沖へと来るなら、松前でも目撃されている筈です」
「確かに」
飲料水の確保などで陸地に上る筈である。
「西に向かわずに南西に向かえば良いのではないか?」
信忠がそのルートを指さした。
ブリテン島を出てから斜め下、南西の方向に進めば下北半島である。
その指摘に勝二はアッと気がついた。
「もしかして……」
「どうした?」
ブリテン島と知床半島は距離が離れている。
その間を抜けて西に逸れるのが普通ではないかと考えた。
しかしそうはならず、真っ直ぐ下北半島へ来れたとすれば?
その理由に思い当たり、顔からサッと血の気が引いた。
「千島列島も転移している?」
「ちしまれっとう?」
聞き慣れぬ単語に信忠が問い返す。
我に返った勝二は地図を見ながら言った。
「実は蝦夷地の東に、千島列島が長い距離で連なっているのです」
「何だと?!」
驚いた信忠は地図を凝視する。
しかし、どれだけ見つめても何もない。
「そんな島は描かれていないが?」
「いえ、共に転移しているか分からなかったので描きませんでした」
「左様か。ならば仕方ない」
素直な信忠は直ぐに受け入れた。
「仮にその島々があったらどうなる?」
「こうなります」
勝二は国後、歯舞、色丹、択捉の北方四島、そしてその先に延びる千島列島を地図に描き記した。
正確ではないが、おおよその位置関係はあっている筈である。
それを見て信忠は驚く。
「アイルランドとつながっているではないか!」
「そう、なりますね……」
長い千島列島は、アイルランドの直ぐ近くまで伸びていた。
※イメージ地図




