第149話 国作り
一行は上杉家に寄った。
越後平野では織田家との和議以降、治水と同時に干拓工事が進んでおり、湿地の多かった当時の面影は、所々に残る池にしか残っていない。
それとても、海から吹き付ける風を受け、グルグルと回る風車が排水し続けており、間もなく消え失せてしまうだろう。
その頃には百万石とはいかずとも、日本有数の穀倉地帯へと変貌している筈だ。
『何とも大きな工事ですね。洪水でもあったのでしょうか?』
忙しそうに働いている人々を見てネイルが尋ねた。
『頻繁に洪水が起こるので、起こらないようにする為の工事ですよ』
『起こらないようにする? これだけの人を集めてですか? よく貴族が許しましたね』
その反応に今度は勝二が疑問を抱く。
『どうして貴族が許さないのですか?』
『これだけの人を集めているのですから、多くのお金が必要ですよね?』
『そうですね』
大規模な開発には巨額の資金が必要となる。
当たり前ではないかとネイルの顔を見た。
ネイルは首を傾げる。
『そんなお金があれば貴族がむしり取って行くだけでしょう?』
『え?』
当たり前だろうと言いたげな顔だった。
勝二は理解出来ない。
『洪水はどうするのですか?』
『え?』
ネイルの反応にこそ戸惑う。
今度はネイルが尋ねた。
『起こってもいないのに備えるのですか?』
『いえ、毎年のように起こるから備えるのですが』
『毎年貴族の屋敷が被害を受けるのですか?』
『え?』
何を言っているのか分からない。
戸惑う勝二に質問する。
『貴族の屋敷が被害を受けたから、ああやって工事をしているのではないのですか?』
『違いますよ』
ようやく認識の齟齬に気づいた。
『我が国では国を治める事と川を治める事は同じ意味合いで、統治者が積極的に川の堤防などを整備しているのです』
『信じられない!』
アイルランドではありえなかった。
そのような工事をする余裕があるなら、税の額が大きくなるだけである。
唖然とするネイルに説明していく。
『それには理由があります』
『どんな理由なのですか?』
『米は通貨としても扱われ、税として徴収の対象です。また、安定して米を増産出来れば国に住む人の数が増え、税収も大きくなり、動員出来る兵士の数も大きくなります。つまり、米をより多く作る事は、国力を上げる事と直結しているのです』
『米を作る事で国の力が上る……』
考えた事もないような発想だった。
勝二が言う。
『国の力を大きくする為、その地方の統治者は新田の開発に励み、率先して治水に当たります』
『成る程……』
訳もなくするのではないようだ。
疑問が浮かぶ。
『ですが、その統治者が貴族ではないという意味が分かりません。貴族と統治者は違うのですか?』
『我が国の貴族は権力を持っておりませんし、統治者でもありませんよ』
『貴族が権力を持っていない? 貴族でもない統治者?』
日本の事情は理解しにくいだろう。
『我が国では権威と権力が分かれているのです』
『権威と権力が?』
益々混乱しているようだった。
説明していく。
『昔は貴族が政治を動かし、武力を持っていましたが、時代が下るにつれて京と呼ばれる都市から離れようとせず、領地を他の者に任せきりになりました』
『アイルランド王も住んでいるのはロンドンです』
『似ていますね。それで、領地を任されていた者が武力をも司るようになり、最終的には貴族を追い出して自分の物としたのです。守護や地頭、国人など、始まりには様々ありますが、成り上がった者を大名と呼んでいます』
『大名ですか』
国人から身を立てた有名人には毛利元就が挙げられよう。
『しかしそれでは、その者が貴族となり代わるのではありませんか?』
ネイルが尋ねた。
『我が国ではそうなりませんでした。貴族は貴族、大名は大名です』
『貴族は貴族、大名は大名……』
勝二の言葉を繰り返す。
『貴族は天皇家を頂点とする、権威を司る朝廷を形成しており、大名に官位を授けてその権力に正当性を与えています』
『権力に正当性を?』
『そうです。朝廷に逆らえば官位を失い、他の大名に正当性を持たれます。周囲を圧倒する力があれば余り関係ありませんが、えてして人は血筋や伝統に弱いですから、あの者こそこの地の正統なる支配者だと朝廷に権威付けされれば、周りは官位を失った者を討つ大義名分を得るのです』
『それは……』
日本の事情に理解が及ばないようだ。
分かりやすいように言い換える。
『王家の後継者には、古から続く血筋の者を求めるようなモノですかね』
『成る程!』
納得したらしい。
『権威と権力を持った存在を、下の者が実力で引きずり降ろす。それを下剋上と申します』
『下剋上……。羨ましい話です……』
故郷のアイルランドでは自分達と全く関係のない、イングランド王国が勝手に決めた者が王となり、権力を振りかざしている。
王の癖にアイルランドに住む事はなく、贅を尽くしたロンドンの屋敷にあって税だけを掠め取っていくのだ。
思い出し、怒りを覚えたネイルに勝二が言った。
『アイルランドでも同じ事を目指せば良いのではありませんか?』
『同じ事を!?』
ネイルはハッとした。
勝二はすかさず追撃を放つ。
『アイルランド人による、アイルランド人の為の国を作りましょう!』
『我々の国!?』
勝二の言葉は、雷に打たれたような衝撃をネイルに与えた。
体が震えている事にも気づかず、問う。
『そんな事が出来るのでしょうか?』
『必ず出来ます! いえ、意志の力で叶えるのです!』
『意志の、力で、叶える』
その一言一言を噛みしめる。
心に染み込んでいくようだった。
そんなネイルに提案する。
『その際、建国神話が必要でしょうね』
『建国神話、ですか?』
『はい。皆の精神的な支えとなる、国を作る理由とその正当性です』
『国を作る正当性?』
展開が早過ぎて思考が追い付かない。
『我が国では朝廷が実力者に権威を与えると言いました。誰もがストンと納得する何かがあった方が良いのです』
『そんな事を突然言われましても……』
神へ祈りを捧げる毎日で、そんな事は考えた事もない。
『私に良い案があります』
『一体どのような?』
物知りな勝二のアイデアに期待した。
そんなネイルにニコッと笑いかけ、指さしながら言う。
『ネイルさんですよ』
『私、ですか?』
勝二の言っている意味が分からず目をキョロキョロとさせる。
『思い出して下さい。ネイルさんが海に船を出した理由を』
『ケルトの神話にある、アイルランドの西方に浮かぶ天国を探す為です。残念ながら天国はありませんでしたが……』
代わりにあったのは日本で、故郷とそこまで変わらぬ暮らしを送る人々が住んでいた。
『それは違います』
『違う?』
否定する勝二を訝しむ。
勝二は言った。
『ネイルさんは天国を見つけられませんでしたが、この地で神託を得たのです』
『神託、でございますか?』
『そうです。アイルランド人の国を作るという神託です』
『そんな物は得ていませんが?』
『我が国では嘘も方便と申します。丸く収めるにはそれが一番なのです』
修道士としてそれは受け入れられない。
『神の名を騙る訳にはいきません!』
断固とした態度で言うが、勝二の反応はそれ以上だった。
『神の正義を実現する為です!』
『嘘が神の正義なのですか!』
『重税を課され、食べる物がなくて死んでいく者の苦しみを思えば、神の名を騙る事の心苦しさなどどれ程の物ですか!』
『それは……』
そう言われては反論出来ない。
『いつ来るのか分からない千年王国を願うより、幸せに暮らせる国を自分達の手で作るのです!』
それが駄目押しとなった。




