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第148話 アイルランド独立計画

 『どうして私の祖国を助けてくれるのですか?』


 緑に覆われた樺太が水平線の彼方に消えた頃、思いつめた顔でネイルが尋ねてきた。

 その表情は暗く憂いに満ち、冬の北国の海を彷彿とさせる。


 『祖国は貧しく、皆さんに報いる事など出来はしません』


 大体の話は聞いている。

 アイルランドの窮状を救う為、責任者の許可が降りればではあるが、鉄砲と弾薬を提供するという。

 鉄砲も弾薬も、数を揃えようとすれば値が張る品々である。

 それを無償で供与するというのだから、喜びを通り越して何を企んでいるのかと疑った。


 しかし短い期間ながら、同じ集落で過ごした日々の中で知った、日本人の性状を思うと分からなくなる。 

 出来るだけ公平性を保つよう努め、約束事を律儀に守ろうとしていた彼ら。

 嘘を嫌い、戦いを恐れず、戦場でも名誉を大切にするその姿勢は故郷の友人達を思わせた。

 そんな彼らが親切心に見せかけ、邪悪な思惑を巡らせているのだろうか。

 信じたいが容易には信じられない、複雑な胸中だった。

 

 美味い話には裏がある。

 勝二は疑心暗鬼になっているであろう、ネイルの心情が良く理解出来た。

 自分にも経験があったからだ。

 鉱山の買い取りに際し、こちらに都合が良すぎる条件を提示され、半信半疑なまま交渉を進めた事がある。

 ギリギリになってその鉱山が抱える厄介な事情が判明し、慌てて取引を中止して事なきを得た。

 今回の申し出も同じだろう。

 そのまま信じるのはお人好しに過ぎる。

 疑われている事で逆に安心し、勝二は真相を語る事にした。


 『偽りなく申せばイングランド王国から日本を守る為です』

 『イングランドから日本を守る?』


 思ってもみない告白にネイルは首を傾げた。

 現在進行形でイングランドの脅威に晒されているのは、他ならぬアイルランドである。

 船で何日も進んだ先の日本に、イングランドが攻めてくるとは思えない。

 

 『一体どういう事ですか?』

 『ご説明致します』


 その疑問は当然だとばかり、勝二は事情を説明していく。


 『イングランドとアイルランドと日本、及び新大陸の位置関係は大体このような感じとなります』

 『これが?!』 

 

 懐より筆と紙を取り出し、都合何度目か分からない、大西洋に移動した日本とその周辺諸国の地図を大まかに描いた。

 ネイルはそれを見て大層驚く。

 サラサラと淀みなく描き上げる勝二にも驚いたが、何より驚いたのはそれぞれの位置だ。


 『既にスペインは新大陸へと侵略の手を広げ、現地から収奪した莫大な富を本国に持ち帰っています。また、スペインに取って代わらんと、イングランド王国はネイルさんの故郷から富を集め、着々と国力を高めつつあり、海外進出に向けて準備を進めております』


 勝二の言葉にネイルは頷く。

 イングランドに住む貴族がアイルランドの統治者となり、住民に高い税を課して自身は優雅な暮らしを送っている。

 不作になろうがお構いなしで、貧しい家庭がその日のパンにさえ困る事態に陥る事も度々だった。

 

 『現在、我が国とスペインは友好関係にあります。我が国はスペインにとって新大陸への経由地として最適で、水や食料の補給、鋭気を養う保養地として重要であり、既に多数の船が訪れるようになっています』

 『そうだったのですね』


 初めて耳にする。

 スペインは同じカトリックな事もあり、親近感を持っていた。

 そのスペインと仲が良いとなれば、自動的に日本への印象も上る。 


 『無敵艦隊を擁するスペインはポルトガルをその支配下におき、リスボンを押さえる事によって大西洋に面した貿易港を得ました。今後、我が国を無敵艦隊の補給基地として活用する事で、リスボン、日本、新大陸を結ぶ海域から海賊船を排し、安全な航路を確保すべく動くでしょう』

 『海賊船には随分と悩まされていると聞きますね』

 

 船が傾く程に積み込んだ黄金を海賊に奪われた。

 どこかの小島には海賊の隠した宝があるらしい。

 そのような噂を町の荒くれ達が酒場パブで語り合い、いつか航海に出るのだと熱弁を振っていた。

 その時はおとぎ話のように聞いていたが、やはり現実は甘くないらしい。 

 問題には対策が講じられるのだ。


 『一方のイングランド王国ですが、どうやったら栄光の座をスペインから奪えるのでしょう?』

 『海賊行為をしてスペインの富を奪う事が不可能ならば、直接新大陸へと進出する必要があるのでは?』

 『まさしく』


 ネイルの指摘に勝二は頷く。


 『しかし、新大陸へ向かう際、イベリア半島と我が国の間を南下するルートは避けた方が賢明です。聖域化を目指す無敵艦隊が警戒しているからです』

 『となると、イングランドから直接大西洋を西に進む?』


 ネイルは自分も通ったであろうルートを指でなぞった。

 イングランドを西に進めば新大陸の北半分、東に突き出た端に着く。

 頷きつつ勝二が言う。


 『その際、ロンドンからスコットランドを回って行くのは遠回りですし、北海では北欧諸国の海賊船を警戒する必要が生じます。また、ロンドンからドーバー海峡を通るのもフランスとの関係を考えれば避けたい。かと言ってエディンバラを母港とするにはロンドンから遠過ぎます。となるとリヴァプールを母港とし、アイルランドとの間にあるノース海峡を通って行くのが最適ではないでしょうか』

 『良く、ご存知ですね……』


 隣の島に住んでいた自分よりもブリテン島に詳しそうだ。

 半分呆れ顔のネイルに言う。


 『道雪様は兎も角、私がネイルさんにご協力するのは、イングランドやフランスによる新大陸への進出の歩を阻みたいからです』

 『進出を阻む?』

 『はい。完全に防ぐ事は出来なくとも、出来るだけ遅らせたいのです』


 真剣な顔の勝二にネイルも姿勢を正す。 


 『理由を尋ねても?』


 勝二は頷き、言葉を続けた。


 『新大陸におけるコンキスタドールの振る舞いついてはご存知ですか?』

 『知っております。ラス・カサス神父が告発しておりますね』


 クリストファー・コロンブスの新大陸発見に感銘を受けたスペイン人のラス・カサス少年は、父親が新大陸へと渡った事もあり、18歳の時に決意して現地へと渡航した。

 後年、従軍司祭として参加したキューバ島征服戦において、スペイン人(その中には後にアステカ帝国を滅ぼすエルナン・コルテスも参加している)によるインディアン虐殺を目にし、良心と信仰を激しく揺さぶられ、その不当性を本国へと訴えている。

 そして、インディアンは野蛮人であり、黒人と同様、先天的に奴隷となるべき存在だとし、スペイン人が彼らを統治し、キリスト教化する事こそ正しいと主張する、神学者セプルベダとの間で激しい論争を繰り広げた。

 論争に決着はつかなかったものの、スペイン領メキシコにおけるインディアンの扱いは、多少ではあるがマシになった。

 しかし、その時点で既にスペイン人の持ち込んだ、新大陸にはなかった疫病が彼らの間で流行しており、圧政下で著しく健康を害していた彼らの多くが死んでしまっていた。

 足りなくなった労働力を補う形で連れて来られたのがアフリカの黒人達で、鉄砲などの武器と引き換えに、現地の有力者から買った奴隷である。


 『未開な野蛮人の扱いについてネイルさんはどうお考えですか?』


 平静を装いつつも、内心では祈るような気持ちで彼に尋ねた。

 野蛮人は殺しても構わないとでも答えられたら、勝二の計画は全てが水の泡である。

 そのような考えの者に協力は出来ない。

 高まる動悸を抑えて返答を待つ。


 『野蛮人バーバリアンですか』

 

 ハラハラとした勝二の思いなど知らず、ネイルはそっと呟き、静かに笑った。 

 それだけではどのような意味か分からない。

 固唾を飲む勝二に言う。 


 『イングランド人は我々を馬鹿にし、そう呼びますよ』

 

 そして続けた。


 『同じカトリックとして、新大陸でのコンキスタドールの振る舞いは許されません。たとえ我らの神とは違う存在を信じる者達であっても、根気強く神の愛を説いていけば、いつかは受け入れてくれる筈ですから』

 『成る程』


 その答えにとりあえずホッとする。

 ネイルが言葉を重ねた。 


 『それに、命からがらあの島へと流れ着いた私を助けてくれたのは、我らの神を信じてはいない、コンキスタドールにとって野蛮人であろう人々でしたよ』

 

 そう言って明るく笑った。

 勝二はネイルを助けてくれたアイヌにそっと感謝した。


 『では修道士であるネイルさんに尋ねます。コンキスタドールがインディアンを残虐に扱ったのは、かの地で目にした数々の財宝に憑りつかれたからですが、欲望に駆られた人間に神の愛や正義を説き、その行いを正す事が出来ますか?』

 『それは修道士としては耳が痛いです。ラス・カサス神父の告発を受け止め、我が身を顧みた者は数える程だったようですから』


 ラス・カサスの告発により、スペイン本国ではインディアンを保護すべく法の制定が為されたが、遠い現地でそれを守る者は皆無だったようである。

 そこには、戦利品へ20%もの税を課した王室の責任でもあろう。

 コンキスタドールは航海に必要な資金を、利子をつけて返す事を条件に金持ち達から集め、危険を冒して長い航海へと繰り出した。

 莫大な借入金を返済する為には、インディアンを丁重に扱うなど出来ず、家畜同然に働かせる必要がある。

 病に倒れた者は捨て置き、人手が足りなくなったら捕らえ、連れて来た。

 インディアンの持つ富は力を使って奪い取り、根こそぎ集める。

 そうまでしないと借金を返せないし、自分の手元に残らない。

 事実、ラス・カサスは奴隷を用いず植民者を使って農場を経営したが、事業に失敗している。


 『では更にお尋ねします。プロテスタントであるイングランド人が新大陸へと進出した場合、コンキスタドールとは違って神の正義を行えるでしょうか? 目が眩むような金銀財宝を目にし、力で奪い取ろうなどとは考えないでしょうか?』

 『まずあり得ないでしょうね。もしもそう出来るなら我が故郷に重税を課し、貧困に喘ぐ者が増える事態を放置しません』


 あっさりとそう言ってのけたが、実感が籠っていた。

 勝二はその返答に満足する。

 

 『イングランドの新大陸への進出を阻止したい理由、それはコンキスタドールの犯した過ちを繰り返したくないからです』

 『それは同意しますが……』


 それとアイルランドを支援してくれる事の関連が見えなかった。

 勝二は構わず話を進める。

 

 『今現在スペインの領地となっているのは、新大陸の中央部から南側にかけてです』


 今でいうフロリダからメキシコ、中米及びカリブ海、南米の沿岸部にかけての広大な地域だ。

 ブラジルは元々ポルトガル領であったが、今はスペインのフェリペ2世がポルトガル王をも兼ねている。


 『これから先、イングランドやフランスが本格的に新大陸へと進出するとして、どこを支配しようとするでしょうか?』


 勝二がネイルに尋ねた。

 地図を見れば一目瞭然、空いている場所は限られる。


 『新大陸の北側しか残されておりません』

 『スペインの領地を奪わない限りそうでしょうね』


 ネイルはフロリダから北を指した。

 北アメリカ北東部への植民は既に始まっているが、多くが撤退している。


 『しかし、ここにきて日本の出現です。イングランドやフランスにとっても丁度良い中継地となり、新大陸への進出が加速していく事でしょう』

 『スペインと同じですね』


 ネイルの言葉に頷く。

 スペインによる中南米でのインディアン虐殺は既に起きた後だが、日本が現れた事で北米での虐殺を早めてしまう可能性が高い。


 『そこでネイルさんの祖国アイルランドです』

 『それは一体?』


 やっと核心に入ったとネイルは喜んだ。

 勝二が口を開く。


 『アイルランド全土をアイルランド人の手に取り戻せば、大西洋に出るのに適するであろうノース海峡は途端に安全ではなくなります』

 『我々の手に取り戻す?!』


 ネイルは驚き、素っ頓狂な声をあげた。

 それが叶えばどれだけ嬉しいか。


 『狭い海峡を挟んで両側の国が睨み合っている場合、第三者であってもその間を通り抜けるのは危険です。敵方に与すると疑われ、拿捕されかねないからです』

 『それはそうですね』

 『従いまして、アイルランドがアイルランド人の手に戻るだけで、イングランドへの歯止めとなりましょう』

 『そういう事ですか』

  

 言いたい事は理解した。


 『しかしイングランドは島国です。たとえノース海峡を通れなくとも、別の海路で大西洋に出る事は十分可能ではありませんか? スコットランドと組む可能性もありますよね?』


 ネイルの指摘も尤もである。


 『仰る通り、ケルト海やイギリス海峡から大西洋に出て新大陸を目指す事も出来ますが、その場合には日本列島が行く手を阻んでしまいます』

 『言われてみれば……』


 勝二の描いた地図での日本は、ブリテン島からイベリア半島に至るまでの長さを、大西洋を南北に遮るように横たわっている。

 

 『そしてスコットランドですが、カトリックであるメアリー・スチュアート元女王は、イングランドのエリザベス女王に幽閉されているのではありませんか?』

 『良く存知ですね!』

 『加えてバチカンは、メアリーこそ正当なるイングランド王であると考えていますよね?』

 『その通りです!』


 バチカンにとり、プロテスタントを許容するエリザベス女王は邪魔な存在だ。


 『その辺りを上手く突けば、イングランドとスコットランドが手を組むのを防げるかと思いますが……』

 『成る程』


 スコットランド王国はメアリーの子ジェームズ6世が継いでいる。

 歴史上では未婚のまま死去したエリザベス女王の跡を継ぎ、スコットランド王兼イングランド王、及びアイルランド王をも兼ねた。

 その事を知っている勝二は内心、複雑な思いを抱く。

 このジェームズ王の元で同君連合が成立し、ユニオンジャックの元が出来た。

 また、江戸幕府を開いた徳川家康に親書を送ってもいる。

 王権神授説を唱えて後の絶対王政へのいしずえを築き、半面、貴族院や庶民院との対立を深めた。 

 歴史的に見て重要な人物であるが、アイルランドの独立を考えれば何としても排したいところである。

 けれどもそれはネイルに言わない。

 代わりに偽らざる気持ちを伝える事にした。


 『私がネイルさんを助ける一番大きな理由ですが』

 『え?』


 ネイルは面食らった。

 まだあるのかと思ったからだ。 

 戸惑う彼に言う。


 『アイルランドの人々を尊敬しているから、それが一番ですね』

 『尊敬? 貴方は我々の事をご存知なのですか?』


 驚くネイル。

 勝二は真実を隠して述べる。


 『知っておりますよ。誠実で誇り高く、不屈の闘志を秘めた静かなる情熱家。私の知るアイルランドの友人達は皆そうでした』

 『何だか照れますね』


 ネイルは頬を赤くした。

 全てはタイムスリップ前の話である。

 シャイなところも同じであった。


 『尊敬する人々が隣国から苦しめられている。そんな状況は見過ごせません』

 『ありがとうございます!』


 ネイルは感動し、深く礼を述べた。


※参考地図

イングランド周辺

挿絵(By みてみん)

大西洋

挿絵(By みてみん)

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