第146話 アイルランドを助けてイングランドを叩く策
「その方はどうして樺太に参ったのじゃ?」
「当初の目的をすっかりと忘れておりました」
道雪の問いに勝二は頭を掻いた。
今後の世界情勢を占うアルマダの海戦も重要だが、今は目の前の商談をこそ成功させねばなるまい。
「その前に、順序がおかしな事になってしまいましたが、皆様に使って頂きたいと思い、味噌と醤油、酒を持って参りました」
「おぉ! それは有難い!」
「どれもここでは貴重だぞ!」
勝二のお土産に二人は歓声を上げる。
樺太でも大豆を育てているので味噌の生産自体は可能だが、栽培を始めたばかりで加工品に回すだけの余裕がない。
米が育たないので酒は尚更である。
また、味噌の製造には塩も必要となるが、まとまった量を確保するには購入するしかなく、今のところは松前家から買うしかないので高くついた。
猟で仕留めた獣の毛皮などでの物々交換である。
薪の確保には苦労しない樺太なので釜で焚く塩作りは可能だが、今は食料生産を安定させる事が最優先だった。
「早速皆に分けるのだ」
「仰せのままに」
宗麟の指示に道雪は恭しく頭を下げ、ここまで案内してくれた男に言って集落の者を集め、土産物を分け与えた。
アイヌも喜んで並んでいた。
「今日は鍋だな!」
「サケ!」
皆、感激して受け取るのだった。
そうこうしているうちに暗くなり、宗麟の家でも夕食の用意が始まった。
囲炉裏の薪に火が熾され、鍋が吊るされる。
水で溶いた味噌で汁を作り、宗麟の奥方が用意した芋や野菜、海で獲れた魚が鍋へと放り込まれた。
煮立って来たら湧き出る灰汁を取り、蓋をして火が十分に通るのを待つ。
「出来たぞ!」
宗麟が蓋を取った瞬間、鍋からはもうもうとした白い湯気と味噌の香りが広がった。
家の主人自らが取り皿に分ける。
道雪がそれを受け取り、勝二らに手渡した。
もはや君主も家臣も客人もなく、同じ空間で同じ料理を味わうのだった。
「旨い!」
新鮮な食材を使っているからだろうか、味噌で味付けされただけなのにたまらなく美味しい。
「酒も旨いぞ!」
勝二の持って来た土産は大好評だった。
「味噌で思い出したが、傑作な話があるのじゃ」
「やめよ道雪!」
ニンマリとした顔で言う道雪。
宗麟は既に笑いを堪えているようだ。
ネイルはニコニコとした顔で二人を見つめている。
不思議に思った勝二が尋ねた。
「何か愉快な事でもございましたか?」
「オソマじゃ」
その単語に遂に堪え切れなくなったのか、宗麟がガハハと笑い出す。
勝二には心当たりがあったが、何食わぬ顔で問うた。
「オソマとは、確かアイヌ語で人糞を意味する言葉でしたか?」
「よく知っておるのぅ」
感心しきりな道雪に質問を重ねる。
「味噌とオソマがどうしましたか?」
「アイヌは味噌を知らんかったようで、我らが持って来た味噌をオソマだと言うて近寄らんかったのじゃ」
「見た目は、まあ、似ているといえば似ておりますが、同じにして欲しくはありませんね」
白々しく肩をすくめて嘆いてみせた。
「鍋に味噌を入れ、旨そうに食う我らを気味悪がっておったぞ」
その光景を思い出したのか、宗麟が腹を抱える。
「匂いを嗅がせ、糞ではない事を理解させてようやく食べたのじゃ」
道雪も楽し気である。
「味噌がオソマであれば、お醤油は一体何と申すのでしょうね? 墨汁でしょうか?」
酔いも手伝い、勝二が冗談半分で口にした。
「イカの墨と思うやも知れんのぅ」
「違いない」
主従は互いの顔を見合わせて笑う。
宴は夜まで続き、持って来た酒は全て空となった。
村人に分け与えているので、呑んだのは僅かな量に過ぎない。
それでも二人には酔いをもたらしたようで、上機嫌な様子で開拓の苦労を語り合っていた。
「ここの暮らしで何かお困りではありませんか? 出来る限りお手伝いしたいと思います」
頃合いを見計らい勝二が尋ねた。
取引の仲介に来たとはいえ、商機を求めているのは大友にとっての仇、毛利である。
ここまでは顔見知りという事もあり、同席する事が出来ているが、毛利の名を出した途端に外へと放り出されかねない。
先に渡した物は土産でしかなく、あれしきの物品で交渉がまとまるとは思わない。
なので、まずはこちらが誠意を見せた。
勝二の意図を宗麟と道雪は正確に把握し、互いの顔を見合わせる。
いわくありげな笑みを交わし、まずは道雪が口を開いた。
「そうだのぅ。実は今、大変に困っておる」
「それは一体?」
早速勝二が尋ねるが道雪は答えない。
逆に質問した。
「その方、この村を見てどう思った?」
「そうですね。慎ましさの中にも穏やかな時が流れている、そんな平和を感じました」
思った事を述べる。
高緯度地域の冬の厳しさは知っているつもりだが、だからこそ村人同士の協力が欠かせず、連帯感を醸成する事につながる。
この開拓村にも和気あいあいとした空気があった。
道雪は苦笑する。
「主は気楽よのぅ」
「すみません……」
「責めている訳ではない」
淡々とした口調で言う。
「実はこの樺太、今は動乱期なのじゃ」
「動乱期ですか?」
道雪の言葉に驚く。
意味が分かりかねた。
「全ては天変地異のせいじゃな」
「それは一体?」
説明を求める。
「天変地異によって狩場が変わり、縄張争いが起きておるのじゃ」
「そういう事ですか……」
アフリカの狩猟民にはよくある話である。
草を求めて移動する野生動物に人間の定めた国境線は意味を持たない。
しかし、それを追う部族にとっては大問題で、国境を違法に越えたとして逮捕される事もあった。
道雪が質問する。
「その方は知っておるか?」
「何をでしょう?」
「この樺太にはアイヌだけが住んでおる訳ではない事を」
「そうなのですか!?」
初耳である。
「彼らがオロッコ、スメレンクルと呼ぶ者らも少なからず居住しておる」
「そのような者達が……」
そこまでの事は知らない。
「スメレンクルの事は今も良く分からんが、オロッコは狩りが上手く、漁の得意なアイヌと獲物を交換して暮らしておったそうじゃ」
「狩りを生業にしていたオロッコ達がアイヌの縄張に侵入していると?」
「アイヌとて狩りもする。獲物の良く獲れる場所を荒らされては、アイヌとて捨ておけぬ」
アイヌは熊を神聖視する。
野生の熊が生息するには広大な面積を必要とし、豊かな植生が維持されねばならない。
そのような森には大小様々な動物が暮らし、猟師にとっては良い狩場となる。
しかし、気候が変われば植生も変化し、それに合わせて野生動物も移動を始めるのだ。
けれども人間の縄張は長年の慣習で固定され、柔軟な対応が出来ない。
「それで争いになっている訳ですか……」
「争いなどとは呼べぬ規模じゃ。あれは立派な戦じゃよ」
道雪らがしみじみと語る。
「日々の糧を得る為に野山へと分け入り、収穫物を与えてくれた神に感謝する暮らし。初めは我らも、なんと平和なのだと思っておったが、何の事はない、争い事はどこの世界でもあるようじゃ」
「実り豊かな大地は、その恩恵に与れなかった者には眩しく映るようだ」
「成る程……」
どれだけ自然環境が豊かであろうとも、単位面積当たりの扶養数には自ずと限界がある。
増えすぎたら数を減らして調整するか、他から奪うくらいしかない。
「話し合いでは解決出来なかったのでしょうか?」
「アイヌにとり、熊の住む森はそれだけ大事なようだ。話をした程度で譲る真似はせぬようだぞ」
「そうですか……」
神聖な土地であれば尚更だろう。
「それに加えアイヌとて一つではない。アイヌ同士でも争いは起きておる」
「そ、そうだったのですね……」
現地に入って初めて分かる事は多い。
アイヌは仲良く暮らしている筈だと、勝手なイメージを抱いていたようだ。
「それでは、困っている事とは一体?」
初めの話に戻したが、争いが続く島で必要な物と言えば容易に想像がつく。
「勿論、武器だ」
「種子島と弾薬を融通してもらいたいのぅ」
「やはり……」
当然といえば当然といえる。
「厚い布をまとい、弓矢で戦うアイヌでは心許ないのでな。鎧甲冑と併せ、種子島を頼む」
「ご要望は承りましたが……」
正直に言って判断しかねた。
追放された彼らに武器を与えるかどうかなど、自らの権限を大きく越えている。
「心配せずとも、その武器を持って豊後に舞い戻ろうなどとは思っておらぬ」
「い、いえ、そのような事は!」
助ける為に送った武器で反乱を起こされてはたまらない。
内心をつかれて勝二は慌てて否定した。
「兎も角、私の権限ではお答え致しかねます。国に持ち帰り、信忠様にお伺いして参ります」
「それで構わぬ」
道雪が追加する。
「ネイルの故郷に送る分もじゃぞ?」
「心得ております」
自分の名前にネイルが反応した。
『呼びましたか?』
『あ、いえ、そういう訳では……』
曖昧に答えた。
雰囲気で察した道雪が言う。
「ネイルに説明してやらんか」
「そう、ですね」
本来であれば確定してもいない事を伝えるべきではない。
ぬか喜びさせては酷であるし、信用に関わる。
しかし将来を見越し、ここでイングランドを叩いておけばという思いが芽生えていた。
本格的な植民地獲得競争が始まる前の今であれば、イングランド王国の国力はそれ程大きくない。
日本が直接戦火を交えなくとも、アイルランド人に武器を供給するだけで王国を混乱させる事が出来よう。
それは自身が忌み嫌った、現代社会における代理戦争を彷彿とさせるが、悲惨なジャガイモ飢饉を回避するにはアイルランド人による自治が欠かせない。
100万人とも言われる餓死者を出した背景には、ブリテン島に住む不在貴族が島の大部分を所有し、不作にもかかわらず税として収穫物を徴収したのが原因の一つとされている。
勝二は大体の事をネイルに話して聞かせた。
『今すぐ帰る事は出来ますか?』
掴みかかる勢いでネイルが尋ねた。
寒い地域でも収量の多いジャガイモを持ち帰り、戦う為の武器を一刻も早く届けたいと思った。
その気持ちが痛い程分かる勝二であったが、何かと時間がかかるのがこの時代である。
『出来るだけ早く帰国する事が可能となるよう、尽力致します』
『ありがとうございます!』
ネイルは涙を流して感謝した。
「しかし、種子島を送るだけで勝てるのか?」
ふと思いついた疑問を宗麟が述べた。
自嘲気味に口にする。
「儂が言うのも何だが、国崩しがあったところで負けるのが戦ぞ」
「それは……」
そう言われてはどうしようもない。
「数で圧倒されては地の利も消え失せてしまうものじゃて」
誰よりも戦を知る道雪が追随した。
ここで勝二が疑問を呈する。
「イングランド王国がアイルランドを攻める場合、海を越えて兵を送る必要があります。アイルランド人を圧倒する兵力を船で運ぶのは、そう簡単な話ではないと思うのですが……」
現時点での輸送能力でそれが可能かどうか、イングランドの技術を知らないので詳しい事は分からない。
しかし、たとえスペイン王国でも難しいのではないかと推測した。
イングランドによるアイルランド支配はこの時代から本格化していくが、植民地化が完了するのには後百年は待たねばならない。
「兵を率いる者次第という訳じゃな」
道雪が頷く。
それを見た宗麟が呼びかける。
「道雪よ」
「何でございましょう?」
仕える主人の表情は、これまで見た事がない程に澄み渡っていた。
それはただ事でないと姿勢を正し、続く言葉を待つ。
しばしの間があり、宗麟が口を開いた。
「長年の忠義、大儀であった」
「かたじけのうございます」
その言葉に道雪は深々と頭を下げた。
頭を下げたままの道雪に言う。
「そちに最後の命令を下す。ネイルの故郷で散々に暴れて参れ」
「大殿のお望みとあらば」
そして今度は勝二に向き直り、言う。
「道雪を頼む」
「頼むと申しますと?」
勝二は嫌な予感がした。
「ネイルとのやり取りにも不自由しておるので、言葉の分かるその方がついて行ってくれると助かる」
「やはりですか」
案の定だった。
「儂からもお願い申す」
道雪直々の頼みに嫌とは言えない。
ふうっと溜息をつき、答えた。
「私には判断出来ませんので、その事も含め、信忠様にお伺いします」
年内最後の更新となります。
皆様、良いお年を。




