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第144話 樺太

 「あれが樺太……」

 「見渡す限りの森でございますな……」


 宗谷岬を北上し、目の前に現れた大きな島影に勝二達は息を呑んだ。 

 緑一色で彩られている。


 「家らしき建物が見えませぬが……」

 「遠いからでしょう」


 見えるのは木々ばかりで人の営みは伺えない。

 船は集落があるという湾を目指した。


 「ほら、見えてきましたよ」

 「ようやく到着しましたか」


 しばらく進むと家々が点在する場所が見えてきた。

 周辺一帯の木々が伐採されているようで、大きく開けている。

 動く人の姿も見え、一同はホッと胸を撫で下ろす。


 「しかし、予め五代様にアイヌの風習を聞いておいて助かりました」


 同行している商人が面白そうに口にする。

 一行は樺太に直行した訳ではなく、蝦夷地の海岸沿いにあるアイヌ集落をいくつか訪ねている。

 訪問に先立ち、勝二はいくつかの注意点を伝えておいた。

 その一つがアイヌの風習、入れ墨である。


 「私も実際に見たのは初めてです。彼らの伝統、信仰に基づくとはいえ、少しひるんでしまいますよね」

 「左様ですな。ひげでも生えているのかと」


 アイヌは精霊への祈りを込め、入れ墨をする風習がある。

 特に女性は顔に入れ、口の周りを黒く染めていた。

 幼い頃に入れ始め、結婚と共に止める。

 そこには、入れ墨を入れる事で良き結婚相手に恵まれるよう、神に対する願いが含まれているようだ。 

 初めて見る者には髭のようにも、口を大きく開けて笑っているようにも見える。

 口裂け女を連想する向きもあるだろう。

 写真でしか知らなかった勝二であるが、ニュージーランドのマオリ族や、全身にタトゥーを入れた人の映像で慣れていた事が幸いし、松前を出てから立ち寄ったアイヌの村で、出迎えてくれた女性達の顔を凝視するような事はなかった。

 お歯黒と共に、現代人の価値観で善悪を判断してはならないと、心にきつく戒めていた勝二である。

 尤も、心苦しく思いながらもお市には止めてもらった過去があるが。


 「ほら、出迎えてくれていますよ!」


 こちらに向かい、岸から手を振っている人の姿が見えた。

 衣装から察するに、大友家に連なる者であるらしい。


 「歓迎されているのですかな?」

 「そうであると思いたいです」


 どうしてこんなところへ移住させたと、織田家を恨んでいる可能性もある。

 定期的な交流を続けている松前家によると、不平不満を貯め込んでいる様子はないとの事だったが、それこそ他者を欺く仮面かもしれない。

 船から降りた途端に捕まり、復讐される恐れもあった。

 少なからず緊張しながらも、船はゆっくりと岸へ近づいていく。




 「松前の船ではありませぬ!」


 一方の樺太では沖に浮かぶ船の姿に沸いていた。

 ようやく生活も安定して自分の家を持つ事も出来始め、豊後に住む家族を呼び寄せる者や、噂を聞きつけた新規入植者が増えていたのである。 

 初めは宗麟、道雪以下50名でしかなかった開拓団も、今では500を優に越える集団となっていた。

 船が沖へと現れる度、今度は自分の家族が来たのかと期待し、作業の手を止めて岸へと走る。

 故郷ではいかなる時にも礼節に厳しかった道雪も、武士の礼儀とは無縁のアイヌに助けられ、樺太の長く厳しい冬を乗り越えて以降、細かい事にこだわらなくなっていた。


 「俺の家族か?」

 「いや、それがしに違いない」

 「いやいや、拙者でござろう」


 言い合いになるがそこに険悪さはない。

 それぞれがそれぞれの力を合わせ、ようやくここまで辿りついたのであり、早くそれぞれの家族が樺太に来れればと互いに思っていた。 

 独り身だった者がアイヌの娘とねんごろになり、娶った者もいるが、ごく少数である。


 船が岸に近付き、乗っている者の顔が見えてきた。

 女子供は全く見えず、むさ苦しい男達しかいない。

 

 「何やら違う気がする」

 「左様、男ばかりではないか!」

 「期待させるなでござる!」

 

 集まっていた者達はがっかりし、それぞれの持ち場へと帰っていった。

 一方、それを目にした船の上では動揺が広がる。


 「ほとんどの人が帰っていきますね……」

 「もしや歓迎されていない?」


 不安を覚えたが着岸しない訳にもいかない。

 暗礁に気を付けながらゆっくりと船を進めた。 




 「ようこそ樺太へ」

 

 歓迎されていないという心配は杞憂であった。

 所属や来訪の意図を告げ、しかるべき者からの返答を待つ。

 集落はそれ程大きくないようで、すぐに返事が返ってきた。 

 面会を許可するとの事だ。


 早速、宗麟の住む家へと案内される。 

 道雪は近くの村へ出かけており留守だという。

 一行は集落の中へと足を踏み入れた。

 樺太開拓団の家は小さいながらも板張りの壁を持ち、屋根は樹皮を葺いているようだ。

 先に寄ったアイヌの家ともまた違う。

 初めて目にするのだろう、同行した商人らは興味深そうに村をキョロキョロと見ている。

 村にはアイヌも住んでいるようで、扉の内から彫りの深い顔をひょっこりと出して一行を眺めている。

 宗麟の住む家は集落の中ほどにあった。

 案内してくれた男が外から声を掛ける。

 

 「大殿、一行をお連れしました」

 「入れ」

 

 そして案内の男に促され、勝二らは戸をくぐって家の中へと入る。

 中も外見通りに小さいが、こじんまりとして綺麗に片付けられていた。

 玄関には小さいながらも上り口が設けられ、そこで履物を脱ぐらしい。

 蝦夷地のアイヌ集落では履物を履いたまま家の中へと入った。

 恐らく、宗麟らの発案で作られたのだろう。

 外を歩き回って汚れたその足で、寝食を行う場所に上がり込むのは抵抗がある。

 衛生面から考えれば正解だった。

 また、床には動物の毛皮だろうか、柔らかな踏み心地の敷物が一面に敷き詰められており、土の固さや冷たさは感じない。  

 そして家の奥、囲炉裏の向こうに宗麟が座って待っていた。 

 隣には奥方だろうか、一人の女性が湯気の立つヤカンでお茶を淹れている。


 「大友公におかれましてはご機嫌麗しゅう」

 「ここでそのようなかしこまった挨拶は無用だ」


 城と同じように毛皮の上で正座し、頭を下げた勝二に宗麟が言った。


 「樺太の暮らしはまるで勝手が違うのでな。アイヌに我らの流儀は通じぬし、ここでは我らが新参者だ。彼らの助けなしには冬を越せなかった新参者は、彼らの流儀に合わせるべきであろう?」

 「かしこまりました」


 そのように言われて勝二は頭を上げ、真っ直ぐに宗麟を見た。

 以前と比べて体つきががっしりとしており、出ていたお腹も随分と引き締まっている。

 一番の違いは目に険がない事で、穏やかな色をしていた。


 「樺太の生活は如何でございますか?」


 大名であった宗麟に聞けるような内容ではないし、口の利き方でもない。

 無礼者として斬られてもおかしくはないが、敢えて尋ねた。

 心情の変化に期待した。

 そんな勝二の意図を読み取ったのか、宗麟はフッと微笑んで答える。


 「初めはこんな辺鄙へんぴなところに住めるかと思ったが、狭い家も緑豊かな森も慣れれば案外居心地が良いぞ。開拓に体を動かしておるから腹が減るし、腹が減っておるから口にする物全てが旨いときている」

 「それはそれは」

 

 強がりには見えない。

 宗麟が続ける。


 「凍えそうな寒さの中、脂をその身一杯に貯めて川を上ってきた鮭の旨さは格別だぞ? 鍋にすれば体がぬくもるし、焼いて食うのも絶品だ。腹に抱えた卵もまた旨い」

 「それは美味しそうですね」


 同行していた男達が思わずよだれを飲み込む。

 塩漬けの鮭しか食べた事はないし、それとて正月の祝いに小さな一切れをつまんだくらいだ。

 鮭の卵など見た事もない。 

 そしてそれこそが来訪の目的で、幸先の良い話を聞けたと内心で喜んだ。


 「そうそう。その方が道雪に伝授した知恵が大いに役立ったぞ」

 「アイヌに関して、でございますか?」

 「その通りだ」


 思い出したという風に宗麟が言った。


 「入れ墨の事を知らなければ、折角親切にしてくれた彼らに無礼をしておったやもしれぬ。改めて礼を言う」

 「お役に立てたようで何よりです」


 知っていたとてギョッとしたのは一度や二度ではない。

 と、そんなところに別の報告が入る。


 「大殿、道雪様が帰ってこられました」

 「おお、帰ってきたか」


 離れたところにあるアイヌの村に行っていたらしい。

 

 「おぉ!」


 勝二の来訪を聞きつけたのか、元君主への挨拶もそこそこに声を弾ませた。

 その目的は何にせよ、顔を知っている者が遠方より訪ねて来るのは喜びである。


 「お元気そうで何よりです」


 勝二は頭を下げた。 

 そしてある異変に気付く。 


 「道雪様は歩けなかったのでは?」


 以前は歩く事もままならず、城の中でも輿に乗って移動していた。

 それがここでは、杖をつきながらも一人で歩いている。

 

 「樺太に来てから何故かは知らんが歩けるようになった。杖は必要じゃがな」

 「それはようございました」


 手の杖を掲げて見せた。


 「そちらの方は?」


 道雪の後ろに立つ一人の男に気が付いた。

 その姿はアイヌとも全く違っている。

 道雪が紹介する。


 「この者、ネイルと申す。以前、珍しい男がいるとしてアイヌが連れて来たのだ」

 「ネイル、です」


 促され、ネイルは日本語で挨拶をした。

 まだ慣れてはいないようだ。

 顔を上げたのでその特徴が目に入る。

 青い瞳にこげ茶の髪をした、がっしりした体格を持つ長身の男だった。

 

 「もしかしてアイルランド、じゃなくエールの生まれですか?」

 「エール?!」


 アイルランドの現地呼びであるエール。

 ネイルはその単語に激烈に反応した。


 「どうしてエールの生まれだと分かった?」


 道雪が尋ねる。

 彼の出身地は、彼が必死で覚えた日本語を通して知っていた。

 

 「暗い髪色に青い瞳はアイルランド人に多い特徴ですし、ネイルの発音がアイルランドのそれだなと」

 「相変わらず博識である事よ」


 道雪は舌を巻いた。

 偶々、取引先にアイルランド人のネイル氏がいたから気づいただけである。 

 アイルランドの言葉であるゲール語は発音が独特で、英語とは違うので判別がついた。


 『こんにちは』

 『ゲール語を喋れるのですか?!』

 『ほんの少し』


 アイルランドの言葉、ゲール語で勝二は話しかけた。

 挨拶程度だけだが。

 しかしネイルにはてきめんで、異国の地で聞いた懐かしい故郷の言葉に、嗚咽が出るのを止められなかった。


※参考

アイヌの女性(パブリック・ドメイン ファイル:Ainuschönheit(SammlungBälz).jpg)

挿絵(By みてみん)

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