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第141話 茶々の輿入れ

 「松姫様のお陰でこちらも大いに助かっておりますから、お互い様という事でどうでしょう?」


 しきりと感謝の言葉を述べる松にややウンザリし、話を終わらせる意味で勝二は言った。

 松もようやく納得したようで、それでも名残惜しそうに部屋を後にした。

 ホッとしたように一息ついた勝二に信忠が謝る。


 「若干しつこくなってしまったようだな、すまぬ」

 「と、とんでもございません!」

 「だが、あれが本当に感謝している事だけは分かって欲しい」

 「勿論でございます!」


 いささか慌てて勝二は言った。

 内心を悟られるようでは未熟である。 


 「要件は松様の事だけなのです?」


 お市が尋ねた。

 疲れて寝てしまった龍太郎を抱え、男達の長話に付き合ってはいられない。


 「もう一つあり、実はそちらの方が重要です」

 「一体何です?」


 とっとと話しなさいと言いたげであった。

 信忠もお市の性格は把握しているので、もったいぶらない。


 「茶々の輿入れについてです」

 「茶々の? 相手でも決まったのですか?」

 「ええ」


 娘の結婚話ともなれば流石に身構える。


 「毛利家のどなたです?」

 「庶子ではありますが元就公の九男であり、小早川隆景公の養子でもある元総もとふさです」

 「元総? 輝元公ではないのですか?」


 てっきり、毛利家の当主である輝元の側室に収まるかと思っていた。

 お市の問いに早口で答える。


 「この度の輿入れは、織田家としてこれ以上の争いは求めないという強い決意を内外に示す物です。それなのに、茶々の輿入れ先は輝元公でなければ駄目だと申せば、武力ではない方法で毛利家の乗っ取りを企てているのかと疑われましょう」

 「それは……」


 信忠の説明は一理あるように思われた。

 輝元には今現在も実子の跡継ぎがいない。

 なので、勝二もよく知る穂井田元清の息子秀元を養子に据えている。

 このような時に茶々が輝元に嫁ぎ、仮に跡継ぎの男児でも生めば、織田家と毛利家との間で要らぬ摩擦が生じるだろう。

 悪くすれば同盟関係を分断する騒ぎにもなりかねない。

 天下の安定を掲げる信忠にとり、その姿勢を問われかねない事態の発生は未然に防ぎたかった。


「大事な娘を庶子に嫁がせるのかと、叔母上にとっては面白くないかも知れませぬが、なにとぞここは堪えて下され」


 信忠が頭を下げた。 

 いくら叔母であるからとて、当主にそこまでされては引き下がざるを得ない。

 分かりましたと頷いたが、とある疑問が浮かぶ。


 「兄様が何と言われるか……」


 兄信長が問題視しないのだろうかと思った。

 その懸念を払拭するように信忠が言う。


 「織田家の頭領である私が決めた事であり、父上とて口出しは無用です」


 力強く言い切るその顔には、お市が初めて目にする自信があった。 


 「その代わりと言っては何ですが、茶々らは一年毎に大坂と毛利とを移り住む事となっています。ですので、大坂にいる間はいつでも娘の顔を見る事が出来ましょう」

 「それは本当ですか?!」


 思ってもみない話だった。

 毛利に嫁げば、次に会えるのはいつになるのか分からないと思い込んでいた。


 「初も江も同じですぞ」

 「まあ!」


 その言葉に相好を崩した。 


 「して、その方であるが」

 「何でございましょう?」


 信忠が勝二に向き合う。


 「隆景公からその方は招かれておる。茶々の輿入れに従い、共に毛利へ向かって欲しい」

 「承知しました」


 そして勝二夫妻は安土城を後にした。




 「只今帰りました」

 「お帰りなさいませ」


 揃って帰宅した夫婦を茶々らが出迎える。


 「茶々さん、輿入れが決まりましたよ」

 「遂にその時が来てしまったのですね」


 勝二の言葉に茶々は諦めたように天を仰ぐ。

 しかしそれも一瞬の事で、再び視線を戻して尋ねる。 


 「お相手はどなたでしょう?」

 「元就公の九男、元総殿です」

 「元総? 聞かない名です」

 「庶子なのだそうです」

 「庶子?」 


 聞き間違いかと思ったがどうやらそうではないらしい。

 その意味を考えるが思い浮かばない。

 

 「気に入りませんか?」


 黙り込んだ茶々の心中を推し量る。

 天下に覇を唱えた織田家に連なる者として、プライドが許さないのかと。

 けれども返ってきた娘の答えは予想を外れていた。

 

 「そのような訳ではありません。むしろ良かった気さえします」

 「え?」

 「本家であれば跡継ぎだ何だと面倒でございましょう? その点、庶子である方に嫁ぐのであれば、比較的自由に出来るのではありませんか?」

 「成る程、そういう風に考える事も出来ますね」


 その考え方に驚く。


 「正直、窮屈な武家の生活は御免蒙ります」

 「それは……どうなのでしょうね……」


 頷いていいのか迷った。

 彼女が嫁入りするのは庶子であれ、武家なのだから。

 そんな勝二の思いを知らず娘達は盛り上がる。


 「お父上の下で学んだ事をしっかりと活かし、嫁ぎ先でもこのお店に劣らない繁盛店を目指したいと思います!」

 「流石茶々お姉様!」

 「私も負けてられません!」

 「いえ、皆さんはお店に嫁ぐ訳ではありませんが……」


 その決意に思わずツッコミを入れた勝二だった。




 「茶々さんが大坂を発つ前に、家族揃ってお寺にでもお参りに行きましょうか」

 「賛成致します」

 「やったぁ!」


 勝二の発案に皆が喜ぶ。

 店の事は任せ、一家は大坂城から南に歩いた四天王寺を目指した。

 四天王寺は聖徳太子が建立したとされる仏教寺院であり、石山の合戦時、信長によって火をかけられた。

 ようやく再建され、多くの参拝客が訪れている。

 寺へと延びる通りには人が溢れていた。

 行き交う人々の顔には活気が満ち、道端で穫れた作物を並べている者、織った反物を店に運ぶ者、魚を売り歩く者、それらを物色している者らで賑わっている。

 戦乱に明け暮れていたのは遠い昔のようで、町にはのんびりとした空気が満ちていた。 

 休憩がてら茶店に入り、出されたみたらし団子を皆で頬張る。 

 黒砂糖の甘さが口の中に広がった。


 「大坂に来てから茶々の世界が一変しました」


 温くなった煎茶で喉を潤し、嫁入り前の娘が口を開いた。


 「狭い屋敷の中だけで、狭い範囲の人達しか知りませんでしたのに、世の中とはこんなにも大きくて、こんなに様々な人が住んでいるのだと分かりました」


 家族との別れを前に感傷的になっているのだろうか。

 勝二は茶々の呟きを黙って聞いた。


 「望めば大抵の物は与えられましたが、心の中はいつも物足りませんでした。もっと美味しい物、もっと綺麗な物、もっと珍しい物をと求め続けていたのです」


 それには初らも頷いている。

 それどころかお市も一緒であった。


 「ところが大坂では、自分達の頭で考えて新しい物を生み出しました。失敗でさえも楽しく、毎日が新鮮でした」


 思い出すように遠くを見ている。

 

 「与えられた役割、与えられた境遇の中で人は過ごすものなのでしょうが、自らの努力と工夫で楽しい物へと変えうる事を知りました」


 フッと現実に戻ったように勝二を見つめる。


 「全てはお父上のお陰です。ありがとうございました」


 ここでも感謝される勝二であった。

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