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第138話 ハレンチ

 『農村を見に行きたいですわ』


 オルガンティノから聞いた話を確かめる為、イサベルは遠出を希望した。

 誰もが豊かそうに見える大坂の町では分かりづらい、日本の貧しさを探りにいく。

 

 『祖国と同じくらいの大きさにも関わらず、より多くの人を養える秘密を知りたいのです』

  

 表向きは尤もらしい事を言う。

 自国の恥部は隠したくなるのが人情なので、真意は明かさない。


 『屋敷の畑では足りませんか?』


 警護の問題を考え、勝二が口にした。

 予想された事なので用意していた答えを言う。


 『庭程度の広さであれば、何を試すにしても行き届きますわよね? 問題は広い面積での実際の管理ではありませんの?』

 『仰る通りです』

 

 王女の正論に勝二は頷いた。




 『これが畑?!』


 大坂の町を東に外れ、長閑のどかな田園風景が広がる中でイサベルが叫んだ。

 訪れたのは村一番の百姓だと評判の男が営む田畑で、大きな実をびっしりとつけた作物が整然と列を作っていた。

 イサベルが驚いたのは実の付き方だけではない。

 うねの立て方、雑草管理等、畑の在り方そのものに驚嘆していた。

 それは何も初めて見たからではない。

 むしろ、見覚えがあったからこそ驚いたのである。


 『庭園ではありませんの?』


 目の前の田畑は、彼女が小さな頃から親しんだ、エル・エスコリアル宮殿の庭園を彷彿とさせる景観を作り出していた。

 道に沿って区切られた畑の一枚一枚が丹念に耕され、雑草一本生えていないくらい除草されている。

 畑を区切るあぜと平行して何本ものうねが立てられ、その形状と併せ、複雑な幾何学模様を描いている。

 等間隔に植えられた作物は、まるでパルテノン神殿の列柱のようだった。


 『綺麗ですわ……』


 ウットリとした表情で口にする。

 呆けたように立ち尽くす王女に勝二が声を掛ける。

 

 『良く手入れされた庭と見紛う畑。これこそが、同じ国土でより多くを養える秘密です』

 『どういう事ですの?』


 我に返ったイサベルに説明した。


 『日本は土地の割に人の数が多いので、農家一戸当たりの田畑の面積が狭くなります。狭い田畑で家族を養おうとすると、単位面積当たりの収量を上げるしか方法が残されておりません。勢い、苗を隙間なくびっしりと植える事になりますし、出来るだけ畝を立てる為にも、畦に対して平行にする必要があります。また、雑草など生やさせない、几帳面で丁寧な管理が求められます』

 『庭師のようですわね』

 『概ね当たっているでしょうね』


 説明を続ける。


 『対するスペイン、ヨーロッパの農業は粗放的です。粗放的な農業とは種をくならばら蒔き、除草なども積極的には行わず、なるべく手を掛けずに収穫する方法です。収量の低さを栽培する土地の広さで補います』

 『種をばら蒔くとはどのような?』

 『種を握り、左右にまき散らすのです』


 勝二はばら蒔きのやり方を演じてみせた。

 その動作は節分の豆まきのようで、


 『我が国では水田で稲を育てますが、別の場所で大きくした苗を移植します。植える際には均等な間隔となるよう、紐などを使って位置を測りながらやります』

 『まあ!』


 田植えのやり方も実演する。

 

 『ばら蒔きならどれだけ大きな水田でも、たった一人であっという間に蒔き終えるでしょう。しかし苗を移植する場合は違います。まず苗を育てなければなりませんし、それを運ぶ者、一列になって植える者が必要になります。これを集約的な農業といいます』

 『大変なのですわね』

 『全くです』


 最初から最後まで手植えで行う農家の苦労を思った。


 『全ては狭い土地を効率的に活用する為です。誰でも手間なく収獲出来れば言う事はありません。しかし、ばら蒔きだと播種にムラが生じてしまいがちで、苗が少ない場所には雑草が生えやすくなりますし、雑草が増えれば作物に日が当たらなくなってしまいます。集約的な農業は人の手を多く必要としますが、狭い日本ではそれくらいやらないと家族を賄えません』


 限られた面積を十二分に活用し、重い年貢を納めつつ、家族が食っていく分と生活に必要な物を買う資金を確保せねばならない。

 粗放的な農業を選ぶ道はなかった。 




 『破廉恥はれんちですわ!』


 他にも見たいとして農村を回っていると、突然イサベルが声を荒げた。


 『何が破廉恥なのですか?』

 

 何事かと勝二が尋ねる。

 王女は一軒の農家を指す。


 『あれですわ!』

 『ああ、成る程……』


 勝二はその光景に納得した。

 家の近くを流れる小川に女達が集まっており、白い肌を露わにして体についた泥を洗い流している。

 貞淑を重んじるカトリック的には許されないだろう。

 言い訳の前に、同行していた幸村が怪訝そうな顔で聞く。


 『女が体を洗っているだけだろ?』

 『体を洗っているだけ?! 人前で胸まで晒しているではありませんか!』


 幸村のセリフに顔を赤くして怒ってしまう。


 『どうしてそれが破廉恥なんだ?』

 『どうして? 破廉恥と思わない方がおかしいと思います!』


 強く抗議した。

 怒る意味が分からないと質問を続ける。


 『野の獣は服すら着ていないが、それは破廉恥じゃないのか?」

 『獣と人間は違います!』

 『何が違う? 人は寒いから衣服を着ているだけだ。だから夏の暑さでは裸にもなるだろ?』

 『何を仰っているのか分かりませんわ!』


 こちらも理解出来ないという顔だ。


 『王女だって風呂に入る時には裸になるだろ?』

 『当たり前です!』


 それみた事かという顔をした。


 『だからあの女達も、体を洗う為に服を脱いでいるんじゃねぇか』

 『仮にそうだとしても、他人に見えない場所で隠れて洗えば良いのです!』

 『なんで隠す必要がある?』

 『たとえ本人にその気がなくても他人を誘惑するからです!』


 罪への誘惑。

 それはアダムとイブが蛇にそそのかされ、神に禁じられた知恵の実を食べてしまった原罪につながる、誠に罪深い行為である。

 しかし幸村にそのような意識はない。


 『乳房を出して体を洗っていたら誘惑なのか?』

 『そうですわ!』

 『それって誘惑される方が悪いだけじゃないのか?』

 『何を仰っているのです!』


 イサベルがプリプリして怒る。

 だから神を信じない者は救い難いと思った。

 けれども幸村は納得出来ない。


 『仮に王女が誰かの部屋を訪れたとして、留守の中、台の上に金が置いてあったら盗むのか?』

 『そんな事はしません!』


 何を馬鹿な事をと即座に否定した。

 幸村は王女の反応に大いに頷く。


 『だよな。無造作に金が置いてあっても盗まないのが普通だ』

 『当たり前です!』

 『だったら女が裸で体を洗っていても、変な気を起こさないのが当たり前なんじゃねぇのか?』

 『そ、それは!』


 イサベルはとうとう言葉に詰まった。




 『実際問題、日本の女性が公衆の面前で裸体を晒すのは、この国を訪れる船乗りの事を考えると由々(ゆゆ)しき問題です』


 オルガンティノが心配そうに言った。

 後日、勝二の下を訪ねてきた折、そういえば王女がこのように話していたという話題となった。


 『長旅をしている船乗りには刺激が強いとか、そのような意味合いですか?』

 『……はい』


 いつもの快活さは消え去り、歯切れが悪い。

 オルガンティノの立場を思いやる。 


 『航海中は狭い船に押し込まれて窮屈ですし、満足な食事も十分な飲み水にも事欠き、欲求不満を終始抱える事になりますからね』

 『そうなのです。そんな中ようやく辿り着いた日本では、女性達が無邪気にその肌を露わにしています。彼女達には全くそんな気がなくとも、船乗り達を誤解させてしまいます。間違いが起きてからでは遅いのです』

 『双方にとって、ですね』

 『それは勿論ですが、泣きを見るのは大抵、女性の方です』

 『確かにそうです。水子地蔵に手を合わせる者を増やす必要はありません』

 

 二人は頷き合った。


 『大坂の町ではそれ程出くわす訳ではありませんが、町から出れば途端に遭遇してしまいます。船乗りには荒くれ者が多く、残念ながら敬虔な者は数える程しかおりません』

 『当面は堺周辺から出ない事を求めるしかありませんね……』

 『信徒でない者にアレコレ言う事は出来ません。僧侶の方々からも注意を促して頂きたいと思います』

 『伝えておきます』


 習慣の違いから摩擦が起きる事は多い。


 『ローマにありてはローマ人に従え、とは言いますが……』

 『言われて出来れば一番ですが、中々そうもいかないのが人の弱さです』


 二人は溜息をついた。

時系列的に不自然ですが・・・

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