第137話 大坂のセミナリオ
大坂での生活に慣れたイサベルは、サラ、ノエリアを伴い、積極的に外出するようになった。
本国では警備の厳重な王宮に住み、気軽に市井を見て回る事など出来はしない。
贅沢が当たり前の王宮で暮らしていると、民の暮らしぶりに無頓着となりやすい。
しかし、この旅ではアテネ、ローマ、コンスタンティノープル等に滞在し、その地に住む民の目線からその国を見る事が出来た。
貧困にあえぐ生活の苦しさ、悲惨さを肌で感じ、王族の責務の重さを改めて実感するのだった。
同時に異国の文化、風俗を体感出来て興味深い。
父の下でイタリアからの報告書を翻訳する業務を担当してきたが、やはり文章で読むのと、その目で見るのは大違いである。
市場に漂う香りであったり、人々が醸し出す空気感であったり、その場にいなければ理解出来ないモノは多い。
そして、アテネやローマとも全く違う国にやって来た。
スペインもギリシアもイタリアも、言ってみればローマ帝国の影響が多く残る地域である。
町の作りや建物、通りを歩く人の服装に至るまで、何がしかの共通点があった。
しかし、日本はまるで違う。
家の作りも町の景観も、せわしなく通りを行き交う人々の衣服も振る舞いも、その全てが違って見えた。
目に入る物全部が珍しく、好奇心に駆られる。
外出する毎に新しい発見があった。
今回もヨーロッパでは見かけない光景に出くわす。
『ほら、あれですわ』
イサベルがサラらに言った。
王女の視線の先には、屋根だけついた粗末な小屋の前で足を止め、熱心に祈っているらしい人の姿がある。
『あー、あれか。あれって何なんだろうね?』
『石で出来た像だよね』
二人も見覚えがあった。
勝二の屋敷の近くでも目にしている。
『噂すれば、ほら、またありましたわ』
『どこでも皆、熱心に祈ってるね』
暫く歩くと同じような物を見かけた。
そこでも一人の女が足を止め、胸の前で両手を合わせ、熱心に祈っている。
日本ではそうやって祈るのだと教えてもらった。
「あれ、何、ですか?」
イサベルは意を決し、自分達の後ろにいる人々に拙い日本語で尋ねた。
声を掛けられた者達は興奮して顔を輝かせ、誰が答えるかで揉めている。
ひとしきり騒ぎ、代表者が決まったのか、一人の年配の男が口を開いた。
「お地蔵様だよ」
「おじぞう様?」
その声にも歓声が上がる。
ある程度は言葉が通じると分かってからは、誰も彼もがイサベルらに話しかけようとしたが、道を歩く異国の女性に無闇と声を掛けてはならないというお触れが出され、彼女らと話すのは彼女らに話しかけられた時だけと限定された。
なので声を掛けてくれるのを気長に待ち、ゾロゾロと後ろを歩いてる。
『おじぞう様って何でしょうね?』
『聞いたら丁寧に答えてくれる筈だけど、説明を聞いても分からないと思うよ』
『日本の言葉は難しいよね……』
イサベルらはハァーっと溜息をついた。
基本的な単語、簡単な会話くらいは覚えたが、それ以上はまだまだ不十分である。
『言葉を覚えるには実際に話すのが一番ですわよ?』
『そうだろうね』
『物の名前はそうやって覚えた』
ノエリアが得意げに言った。
三人の中では一番日本語の習得が早い。
『幸村さんから教えてもらいましたの?』
『熱いねぇ』
二人に冷やかされてたちまち顔を赤くした。
『それにしても日本の皆さんは礼儀正しいのか、敢えて決まりを破るような人はいませんね』
『全くだ。酔っ払いにからかわれる事もないし』
イサベルらが通りを歩いてる間は、話しかけられるまで話しかけてはならない。
そのような決まりが出来て数日経つが、違反者は未だに出ていない。
仲間うちで注意し合っているのかは分からないが、息つく暇もなく質問攻めにされる事がなくなって一安心である。
挨拶を交わす程度の会話も楽しいのだが、一人に声を掛けると我も我もと集まってきてしまい、終わりが見えなくなってしまうのだ。
こちらから声を掛けなければ話しかけられないというのは、初めは抵抗があったが、慣れればすこぶる快適だった。
『何にせよ、日本の方々は信心深いのですわね』
『何の像かは知らないけどあれだけ熱心に祈ってるんだ、そうなんだろうさ』
また、同じような石像に祈る女が見えた。
『ここでは父なる神の教えの広め甲斐があるでしょうね』
今回の遠出はその現場を見る事にある。
『着いたようですわね』
『大きい建物だね』
『お寺みたい』
イサベル一行は信長に許可されて大坂に建設された、イエズス会修道士を養成する小神学校に到着した。
スペインと同盟を組んだ際、約束された事の一つである。
同時に通訳を育てる為、宣教師が講師となって受講生に語学を教えている。
神学校は立派な寺と見紛うばかりで、ミサの出来る大きな本堂を持ち、宣教師と神学生が寝起きする宿舎と勉学に励む棟に分かれていた。
『イサベル王女様、ようこそおいで下さいました』
『神父オルガンティノ、日本での布教活動は順調ですか?』
門の前で出迎えてくれたのは、1570年から日本で布教活動に励んでいたイタリア人神父、グネッキ・ソルディ・オルガンティノであった。
宇留岸伴天連と呼ばれて人々に愛され、多くの信者を増やす事に成功している。
『順調かどうかは分かりませんが、日本の皆さんには親切にされております』
オルガンティノが答えた。
その眼差しは優しく、慈愛に満ちている。
『ご案内致します』
神父に先導されて門をくぐると、建物の中からゾロゾロと人が溢れてきた。
『彼らは神学生なのですか?』
『違います。通訳を志す若者達です』
すれ違う際、「アディオス、パードレ、オルガンティノ」「アディオス」と口々に言って頭を下げた。
『皆さん、やはり礼儀正しいのですね』
『多くが武家の生まれですので』
武家は名誉を何よりも大切にすると聞いた。
不名誉を被った時には、自らの死を以て償う事もあるそうだ。
『神学生はどのくらいですの?』
『九州から来た者も含めて8人おります』
『多いのか少ないのか分かりませんわ』
『始まりとしては上出来ですよ』
オルガンティノは朗らかに笑う。
『誰もが熱心で、懸命に学んでおります。いずれイエズス会士として、異国へ布教に出る者もいる事でしょう』
『それは素晴らしいわね』
イサベルは我が事のように喜んだ。
まずは来客をもてなす部屋へと通される。
板の敷かれた床に履物のまま上がり込んだ。
余り大きくない空間にテーブルと椅子が置かれている。
間をおかず、一人の若者が茶と菓子を持って来た。
喫茶の習慣というより、茶という物自体、日本に来て初めて飲んだイサベルらである。
今ではすっかりと馴染み、なくてはならない飲み物となった。
『偶像に祈る事の是非は兎も角、町の至るところにある石像全てを大事にする日本の方々は、誰もが敬虔な心を持っていると思います。そのような方々であれば、神の教えにも素直に耳を傾けて下さるのでしょうね』
喉を潤し一息ついたイサベルは、来る時に見た光景を思い出して言った。
オルガンティノはその意味を考える。
『町の至るところにある石像、ですか?』
『胸の前に赤い布を下げた石像よ』
イサベルの説明にあれかと頷く。
『それは地蔵ですね』
『ええ、そう言っていたわ』
一回では正確に覚えられないが、耳が記憶していた。
澄まし顔のイサベルにオルガンティノが言う。
『地蔵は信仰の対象というよりは、やるせない悲しみを少しでも癒そうとする伝承の類だと思われます』
『どういう意味ですの?』
神父の言葉を理解出来ず、その意味を尋ねる。
オルガンティノは若干躊躇ったが、真剣な目に押されて口を開いた。
『あれは水子地蔵と言いまして、妊娠中に流産や死産、中絶をして亡くなったり、無事に生まれはしたものの、幼くして亡くなった子供達の魂を弔う為の像です』
『何ですって?!』
神父の説明に耳を疑った。
まさかそのような意味を持った石像とは思わない。
『この国では親より早く亡くなった子供は、賽の河原で延々と石を積む苦行をせねばならないと考えられています。それを救うのが地蔵菩薩で、水子の母親となってくれる慈母地蔵、妊婦の安産を護ってくれる子安地蔵など、地蔵にもいくつか種類があるようです』
『全て同じに見えましたわ……』
まるで気付かなかった。
『でも、至る所で目にしましたわよ?』
『それだけ子供達の死が身近だという事でしょう』
『何という事なの……』
その事実にビックリする。
大坂で出会う人々は誰もが明るく、元気一杯に見えた。
あの笑顔の裏にこんな悲しみがあろうとは。
そして、神父の言葉にあった不穏な単語を思い出す。
『先ほどの説明で中絶とありましたが?』
『貧しい家では妊娠中のお腹の子供や、生まれたばかりの子供を殺してしまう事があるのです』
『子供を殺すですって?!』
更なる衝撃を受けた。
『貧しい農家は跡継ぎ以外に分けられる畑がありません。なので長男、長男が無事に育たなかった時に備えて次男が生まれたくらいで、次に生まれた男児は殺してしまうようです』
『何て罪深いの……』
恐ろしさにおののく。
『日本では貧しさから子供を殺す事は、止むを得ない罪だと考えられているようです』
『そんな事、許される筈がありません!』
『それは彼らも十分に分かっております』
『分かっているのなら止めるべきです!』
『しかし、自分の家では養えない子供を誰が育ててくれるのでしょう? また、食べ物が足りぬ中、食い扶持が増えれば他の者まで飢えてしまうかもしれません。いっそ物心つく前に、親の手で殺してあげた方が幸せではないか、そう考えるのかもしれませんね』
『そんな……』
絶句である。
『罪深い行いなのは十分理解しているのでしょう。だから地蔵に祈り、幼くして亡くなった子供が救われる事を願うのです。それは神の救いを知らない彼らなりの、
神への祈りなのかもしれません』
『神を知らない彼らの神への祈り……』
地蔵の前で熱心に祈る、一人の女の横顔が思い出された。
思いつめた顔をしていたが、彼女もまた何かの理由で我が子を亡くしたのであろうか。
『イサベル王女様、この国の人々が浮かべている明るい表情の裏には、とても悲しい現実が隠れておりますよ。まあ、この国だけではございませんが……』
『それは……そう、で、ございますわね……』
他の国を責める事は出来ない。
『教会で出来る事はございませんの?』
苦しい胸の内を吐き出すように口にする。
オルガンティノは出来るだけ感情を抑えて答えた。
『領主には子供を殺す事を禁じ、どうしても育てられない場合は教会に連れてきて欲しいと頼んであります。また、寄付を募り、子供達の食べ物や衣服を調達しているのですが、寄付に対する理解が少ないのか、中々集まりません……』
『そうなの……』
孤児に対し、母国では教会、修道会が中心となって救援している。
『ショージに頼み、信長様にお願いすれば宜しいのではなくて?』
『既に色々と手助けしてもらっていますよ』
『そ、そう……』
答えは芳しいモノではなかった。
イエズス会士の見た当時の日本を参考にして書きました。
戦続きで人心は荒れ果てているのかと思いましたが、思ったよりも酷くはなさそうです。
盗みに対しては大層厳しく、少しでも盗んだら大勢で追いかけ、捕まえて死刑にしたとか。
戦場で傷を追った者にとどめを刺し、鎧兜を奪うのはノーカンだったのでしょうか?
ご参考までに
https://www.token-net.com/thesis/thesis-04.html




