第132話 シロバナムシヨケギク
「僭越ながら、今後はこの五代勝二が説明させて頂きます」
絵踏が中止となり、その後を継いだ勝二が頭を下げた。
「そなたが五代殿か。愚息が厄介になっておる」
「こちらこそ。ご子息にはいつも助けてもらっております」
勝二の名に元親が声を掛ける。
息子からの便りで、五代家での生活は大変に勉強となっているとあった。
親として、可愛い子供を旅に出した甲斐があったと喜んだモノだ。
「愚息が世話になっておるが、それとこれとは話が違うぞ?」
「それは勿論です」
とはいえ今回の事は長宗我部家に関わる話であり、容易く頷く訳にはいかない。
「では何だというのだ」
「はい。実はこの娘、日ノ本の将来を左右する重要人物なのです」
「日ノ本の将来だと?」
「はい」
言っている意味が分からない。
こけおどしで怯ませ、交渉を優位に進めようというのだろうか。
その手に乗るかと声を荒げる。
「馬鹿を申せ!」
「嘘偽りなく本当の事でございます」
「このような小娘に何が出来る!」
「シロバナムシヨケギク。それが答えです」
勝二が口にしたのは花の名前らしかった。
「白花、菊? それが何だと言うのだ?」
聞いた事のない菊である。
「シロバナムシヨケギクでございます。これを用いれば田畑の作物に湧く虫を殺す事が出来、収穫量を安定させる事が可能となりましょう」
「何!?」
それには元親だけでなく、周りの諸侯も驚いた。
現状、稲についた虫を殺すには、水面に浮かべた油に叩き落し、窒息させるくらいしかない。
しかし油は高価であり、人が近付けば虫は飛んで逃げる。
「シロバナムシヨケギクのとある部分を用い、虫を殺す薬とします。油を使うよりも断然に安く、かつ高い効果を得られるでしょう」
「それは本当か?」
俄かには信じられない話だ。
疑いの目を向ける諸侯に勝二は言う。
「異国で用いているのをこの目で見てきました」
「それならば良いが」
とはいえ、実際に見てきたのは現代のアフリカである。
オーガニックに凝っていたお金持ちが、自分の敷地でシロバナムシヨケギクを栽培しており、乾燥させた物を燃やして使っていたのだ。
殺虫効果は確かにあり、煙に巻かれた虫はポトポトと地に落ちていた。
使い道は農薬だけではない。
「シロバナムシヨケギクは虫を殺すだけでなく、夏の夜、耳元で五月蠅い蚊を家から追い払う事も出来ます」
「真か!?」
「嘘ではありません。日が暮れてから夜が明けるまで、蚊を寄せ付けない事も可能です」
「本当なら凄いな!」
更に驚く発言だった。
耳の近くを飛び回る蚊を気にしだすと眠れなくなる。
寝ている間に刺され、痒さで目が覚める事もあり、非常に鬱陶しい存在だった。
その蚊を追い払う事が出来るとすれば、寝苦しい夏の夜もいくらかは快適となろう。
「しかし、その菊と娘がどう関係するのだ?」
それが分からない。
問いかける元親に勝二が言う。
「この娘だけがこの菊の育て方を知っているのでございます」
答えた途端、ギロリと一睨みされた。
蛇に睨まれた蛙の如く体が硬直する。
流石、四国をまとめ上げた戦国大名だなと思った。
信長の眼力に優るとも劣らない。
一方の元親は勝二の思惑を把握した。
害虫を殺す薬は喉から手が出るくらいに欲しい品物である。
四国をまとめた今、懸念されるのは長宗我部家に不満を持つ勢力の反乱であり、そこに米の不作が合わされば容易く農民達が加わり、手の施しようのない規模へと拡大するだろう。
しかし、虫に効果のある薬があるとなれば農民達の不安は和らぎ、領地の安定へとつながる。
その薬となる菊を、この娘だけが育て方を知っているとすれば、統治者として手放せる筈がない。
目の前の男はそう考えているのだろう。
否定はしない。
他の諸侯も同じ思いを抱いている筈だ。
とはいえ息子に確かめる。
「信親、本当なのか?」
「は、はい! 私が見たのは花を咲かせた状態だけですし、それをどうやって薬にするのかも知りません」
平気で嘘をつける男ではない。
信憑性は高まったが、疑問点が残る。
「どうして五代殿はその菊の事を知っているのだ?」
「偶々使い方を知っていただけです。育っているところを見たのは初めてでした」
「そうであるか……」
益々断る理由がなくなっていく。
考え込む元親に周りの諸侯が忠告する。
「迷う必要などなかろう」
「左様。悩むくらいならきっぱりと拒否すれば良い」
「どう育ってきたかも分からぬような娘を、嫡男の側室にするなどあり得ん」
真剣な表情を浮かべて意見した。
白々しいと元親は内心で毒づく。
自分にこの娘を断念させ、しめしめと手に入れるつもりなのだろう。
田畑に使う薬はどこの大名も必要としている。
「何故、自ら娶らぬ?」
思いあぐね、元親は問うた。
聞く限り、娘の持つ知識は価値が高そうである。
そもそもの話、織田の領地から外に出す理由が見当たらない。
薬を独占出来れば儲けは莫大なのだから、娘を五代家で養い、菊を栽培させれば良い話ではないか。
言外に含めた元親の思いを汲み取り、勝二が答える。
「惚れた相手だからこそ、心を砕いて尽くしてくれるのではありませんか? 男女の仲に我が国も異国もありません。伴天連でも一向宗でも、全く同じ事です」
「成る程……」
その言葉を噛みしめ、元親は考え込む。
決心がついたのか、口を開いた。
「その娘、長宗我部家で迎え入れよう」
「父上!」
信親が喜びの声を上げる。
そんな息子に待ったを掛けた。
「早合点するな! その白花何とか菊の話が本当か分からぬ!」
嘘であった場合を考慮しろと、その短慮をたしなめた。
色に惑えば冷静さを失いがちである。
「では、シロバナムシヨケギクの効果が確認されるまで、二人の縁談は保留という形で宜しいですか?」
「構わぬ」
勝二の問いかけに首を縦に振る。
「その場合でも、この娘には淡路島に住んでもらい、シロバナムシヨケギクを栽培してもらう事になります」
「どうして淡路島なのだ?」
土佐でやらせるつもりだった。
出鼻を挫かれたようで面白くない。
「娘に相談したところ、雨の少ない温かい地域が適しているそうです。まとまった土地も必要ですし、大坂から近くないと私が不便ですので、間を取って淡路島になりました」
「それは、まあ、仕方ないのか……」
天変地異後も土佐は変わらず雨が多い。
大雨が減った代わり、長く降る雨が多くなった気がする。
「ご子息も淡路島に住んで頂きます」
「それは認められぬ!」
「娘は日ノ本の言葉に不自由しているので、向こうの言葉が分かるご子息に手伝って頂くしかありません!」
「何?」
そもそも言葉の通じぬ者という存在が初めてだった。
なので、どう判断したものか分からない。
と、目の前の男はその者らと親し気に会話していた事を思い出す。
「五代殿では駄目なのか?」
「私は地図作りなどで忙しく、それだけに構っている暇はございません!」
「むむ……」
取り付く島もなかった。
「では各々方、ネーデルランドに送る者達を見繕い、大坂へと集めて欲しい」
サラの側室問題はとりあえず解決した。
淡路島でシロバナムシヨケギクを育てさせ、その効果を検証、効果有りならば受け入れる事で納得した。
その後、信長の思いつきで軍事訓練をする事が決まる。
「丁度良いところにスペイン軍の軍人が来ておる。その者に我が方の部隊を指揮させ、南蛮の戦のやり方を各々方に見せよう。そして打ち破る策を練るのだ」
「おぉぉぉ!」
その提言に歓声が沸く。
一人の若者が声を上げた。
「信長公にお願いがございます!」
「何だ?」
豊後を治める宗茂であった。
頬を紅潮させ、思いつめたような顔で言う。
「是非とも参加させて下さい!」
ネーデルランドに行く事は諦めたが、それだけにこの訓練には思いが募る。
「許す」
「有り難き幸せ!」
基本、やる気を見せる者には甘い信長だった。
そうなると他の諸侯も黙っていない。
「うちも兵を出そう」
「某も出よう」
こうして龍造寺から鍋島直茂、北関東連合から佐竹義重自らが兵を率いて来る事となった。
イサベルの護衛でアルベルトも来ています。




