第131話 中座
「お待ち下さい!」
『わわっ!?』
サラの足が一番高く上がったまさにその時、だしぬけに勝二が叫んだ。
驚いたサラは体勢を大きく崩し、手足をばたつかせて腰かけへと腰を下ろす。
「一体どうした?」
盛り上がったところに水を差され、不機嫌となった信長が尋ねた。
「お恐れながら、このような事は止めるべきかと存じあげます」
その言葉に怒気が増す。
「理由を述べよ」
これまで聞いた事もないような、ひどく冷たい声色である。
勝二はかつて経験した、AK47を眉間に突き付けられた事を思い出した。
あの時はありったけのお金を差し出して助かったが、信長に差し出す物は彼を納得させるだけの理由である。
モタモタしても命とりとなりかねない。
勝二は覚悟を決めた。
「逆効果だからです」
「逆効果だとぉ!?」
「はい」
信長の怒声に怯まず、努めて冷静に答えた。
「何故言い切れる?」
勝二の様子に少しは落ち着いたようだった。
若干声のトーンが下がっている。
少しだけ安心し、言葉を続けた。
「他の国で似たような話があるからです」
信長は興味を持ったのか先を促した。
「申せ」
「ははっ」
勝二は詳しく説明していった。
「いつの時代のどこの国かは忘れてしまいましたが、一部の民衆から熱狂的な信仰を集めたのが仇となり、時の支配者から弾圧される事となった教えがあります」
「ほう?」
念頭にあるのは日本の話だ。
「信者には死を以て臨んだその支配者は、絵踏をさせて信者を見分けました」
「絵踏だと?」
「十字架とは違い、神の子を描いた絵を踏ませるのです」
「成る程」
信長は頷いた。
自分が行おうとしていたモノと同じである。
「いくら神の救いを信じていても殺されては堪りません。信者達は心の中で苦しみながら、その場をやり過ごす為に踏みました」
「理解は出来るがな」
噓も方便という。
死んでまで守るべき、神への義理があるのか疑わしい。
神に救ってもらった経験があるのなら兎も角、殆どの者が神の存在を感じた事すらないのではと思う。
さもありなんと頷く信長に勝二は言った。
「そのような者達はその後、より一層熱心にその教えを信じるようになりました」
「何故だ?」
合点がいかず、問うた。
諸侯は二人の問答を見守るばかり。
「自分の心の弱さを責め、神の救いを今まで以上に求めたからです」
「成る程。神の子イエスを信じる事により、罪が許されると考えるのがキリスト教であったな」
「天にまします我らの父よ、我らが人を許すが如く、我らの罪をも許し給え、ですね」
勝二はキリスト教における祈りの一部を口にした。
周りで聞く者はチンプンカンプンである。
しかし顧みる余裕など勝二にはなかった。
信長が分かれば十分とばかりに言う。
「そうは言っても弾圧されているのですから、表だって信仰を示す事は出来ません。十字架はどこにでもある物で代用し、祈りの言葉を替えて神への信仰を守り続けました」
「隠れて行うのであるから同じという訳か」
「ここでサラさんに棄教の証明を求めても、それは確かな証拠とは言えません」
「一理あるな……」
この場は勢いでやり遂げても、後で思い直す事もあろう。
「それに」
「何だ?」
まだあるのかと尋ねる。
勝二はチラッと信親に目を向け、言った。
「問題は信親様の心に与える影響です」
「信親の心だと?」
「はい」
どういう事だと先を促す。
「申してみよ」
「信親様に尋ねる事になりますが、宜しいですか?」
「構わん」
勝二は体の向きを変え、信親に正面から向き合った。
何事かと信親は身構える。
「では信親様」
「何でございましょう?」
あの勝二が自分にとり、不利となるような事はしないと分かっている。
しかし、その自分が不用意な対応をし、失敗させては面目が立たない。
信親は神経を尖らせ、勝二の言葉を待った。
「仮にサラさんが伴天連ではない事を示す為、この場で十字架を踏んだとしましょう」
「はい」
「ではその後、今まで通りにサラさんと接する事が出来ますか?」
「え?!」
思ってもみない質問であった。
あのサラであれば十字架を踏むだろうと安心していたからだが、改めて問われてみれば、その後の事までは考えていない。
「これはあの時の湯起請とは違います。キリスト教を信じていないと証明する為に、他の者が信仰を寄せている大事な十字架を、文字通り足で踏みにじるのですから」
「あっ……」
言われて初めて気がついた。
それは物凄く罰当たりな行為ではなかろうか。
「仮にサラさんが十字架を踏んだとして、あなた様はこれまでと同じように彼女を愛しいと思えるでしょうか? 厳しい見方をすれば、自分の幸福を得る為にこれまでの仲間を裏切るようなモノですから」
「そう言われてみれば……」
村人に裏切られて魔女裁判にかけられたサラであるし、そもそもキリスト教徒と言えるのか疑問だが、この場合はそのような問題ではないだろう。
「命が懸かればまた裏切るのかもしれない。そのような疑念が生じてしまえば、これまでのお二人の関係は終わるのではありませんか?」
「そ、それは……」
「あくまで仮定の話ですよ? サラさんがそのような女性でない事は、これまでの付き合いで十分に分かっていますよね?」
「それは勿論!」
大きく頷いた。
煮えたぎる湯をものともしなかった、その凛々しさに惚れたのである。
「その方の言い分、尤もである」
信長が口にした。
仮にこの場を切り抜け、サラが信親の側室になれたとしても、肝心の寵愛を失ってしまえば元も子もないだろう。
「しかし、どうする?」
困り顔で信長が尋ねた。
他に目ぼしい案はない。
有無を言わせずに呑ませる事も出来るが、長宗我部家内に亀裂を走らせては不味い。
そんな主人に対し、お任せあれとばかり、自信に満ちた顔で勝二が申し出る。
「私であれば利を以て説得致します!」
「利だと?」
不審げな顔を向けた。
お忘れですかとその名を口にする。
「シロバナムシヨケギクです!」
「あれか!」
信長も思い出した。
サラに育てさせるつもりでいた作物だった。
イサベルが口を挟んだので、言うタイミングを失って今回の流れという感じです。
踏めなかったサラをフォローする展開にする予定でしたが、イサベルとの関係を考えてこうなりました。




