第130話 踏み十字架
「随分と賑やかだな」
仏頂面に見える信長がお市を伴い、諸侯の集まる部屋へと現れた。
茶々らの歓待に気を良くしていた者達がハッと息を呑む。
「美しい……」
一人が思い出したように呟いた。
歳は30の半ばを越えていると聞くが、容姿の衰えなど微塵も感じさせない。
むしろ妖艶な色気を漂わせていた。
「妹の市だ」
「お市でございます。皆々様におかれましてはご機嫌麗しゅう」
見惚れていた男達は頭を下げたお市にハッと我に返る。
「やや、これはこれは」
「むさ苦しい男達が邪魔しております」
慌てて返事をした。
そんな彼らにお市がニッコリと微笑みかける。
途端、歴戦の将達が顔を赤らめて照れるのだった。
馬鹿馬鹿しいと信長はそっぽを向く。
と、諸侯らに振舞われていた物に気が付いた。
「それは何だ? 初めて見る」
茶々に尋ねる。
煎餅やみたらし団子とは違い、黒く照り輝いている食べ物だった。
「伯父様、出来たばかりの新商品です!」
楽し気な顔で答え、小皿に取り分ける。
「まずは味見をどうぞ」
そう言って信長の前に置く。
信長はまず皿ごと手に取り、矯めつ眇めつしてそれを眺めた。
「みたらし団子の餡がかかっているようにも見えるが、何やら違うようだ」
外観から感じる事を述べる。
そして串を摘まみ、それに刺した。
「少し固い。みたらし団子は粘りのある餡を使っているが、これは粘りを通り越しているな」
そして口に放り込む。
一口、二口噛みしめた。
「表面は若干固いが中はホクホクしておる」
そしてゴクンと飲み込んだ。
「如何でしたか?」
期待を込めた目で茶々が見つめる。
世辞を嫌う信長は簡潔に言った。
「美味かった」
直ぐに反応したのは茶々の後ろで固唾を呑んでいた初、江だった。
「やりましたね、お姉様!」
「ええ!」
三人で抱き合い、成功を喜ぶ。
彼女らの嬉しそうな顔に仏頂面の消えた信長が問う。
「して、これは何だ?」
伯父の質問に茶々らは姿勢を正し、答えた。
「サツマイモを油で素揚げして糖蜜を絡めた、その名も大学芋です!」
「だいがく芋?」
見当がつかない。
「四書の一つである大学から取りました」
「ほう?」
四書とは論語、大学、中庸、孟子をいう。
「して、その意味するところは何だ?」
「いえ、特にありませんが?」
「……そうか」
何か意味があるのかと信長は思ったが、考え過ぎだったようである。
実際は、旅立つ前に勝二が説明していた料理を、植えていたサツマイモが収獲出来たので作っただけの事だ。
「兎も角、好き披露となったようだな」
「そのようですわね」
色々を含めて兄と妹は言った。
「実は同盟を結んだスペイン王国から姫君が来ておる」
「何ですと?!」
お市に茶を淹れてもらい、ニヤケ顔であった諸侯が驚いた。
『入ってくれ」
耳慣れぬ言葉で襖の向こうに言う。
スーッと襖が開き、見慣れぬ衣装を身に纏った女性達が入ってきた。
一同の前まで進み、向き合ってペコリと頭を下げる。
「南蛮人は正座が出来ぬので容赦願いたい」
そう信長が言い、他の者が持って来た一人用の腰かけに座らせた。
『イサベルです。お目にかかれて光栄ですわ』
王女の言葉を勝二が訳していく。
それくらいなら既に日本の言葉で言えるが、誤解が生じると面倒なのでスペイン語のまま進める。
「後ろの者達は何者ですかな?」
イサベルの後方に控える女達が目を惹いた。
特に片方、背の大きい方だ。
髪は赤味がかっており、驚く事に瞳の色が違う。
翡翠のような緑色なのだ。
「あれは王女の侍女達だ」
「成る程」
信長の説明にコクコクと頷く。
心ここにあらずである。
「毛色の変わった美しさだ……」
誰かがボソッと呟いた。
お市とはまた雰囲気が違うが、整った顔立ちをした娘だった。
「島津に嫁に来る気はないか?」
イサベルを交えた歓談の中、義久がサラに尋ねた。
「正気か!?」
「このような事、冗談で尋ねる筈がなかろう!」
言い合う中、勝二が訳し、彼女の返答をまた訳す。
「想い人がいるとの事です」
サラの答えに義久はがっかりしたが、さもありなんと納得する。
「やはり国に男がいるのだな」
放っておく筈がないと思った。
しかしその想像は違ったようだ。
「スペインではなくてここにいるそうです」
「何?!」
勝二の言葉に一同は呆気に取られる。
「一体誰だ!?」
驚き、一同は広間を見渡した。
自分達大名だけではなく、その供回りもいるので数は多い。
「まさかあの女なのか!?」
ピンときた元親が信親を振り返る。
危惧した通り、二人は頬を染めて見つめ合っていた。
「許さぬぞ!」
「元親公、どうされたのか?」
いきり立った元親を周りの諸侯が訝しむ。
すかさず信長が言った。
「皆に説明してやろう。その女の想い人は元親殿の嫡男信親である。この旅で二人は懇ろになったのだ」
「そ、そうだったのですか!」
「尤も、臥所を共にする事など許さなかったがな」
「流石は信長公!」
潔癖ともいえる性格の信長は、そのような関係を認めない。
関係ないとばかり元親が吼える。
「邪教たる伴天連の娘なぞ、我が長宗我部家に入れる事は出来ん!」
しかし信長は冷静で、平素と変わらぬ表情でサラに尋ねた。
『サラよ、お前はキリスト教徒なのか?』
『昔は教会に行ってたけどねぇ……』
『それはキリスト教徒ではないという事か?』
『少なくとも熱心な信者ではないね』
信長の質問にサラは考えながら答える。
『キリストの教えを捨てろと言われて捨てられるか?』
『あんたの部下のショージが言ってたじゃないか。人として正しい道に違いはないって。アタシもそう思うよ。だからカトリックに未練はないね』
『では捨てた事にする』
二人のやり取りにイサベルが抗議する。
『ちょ、ちょっと!』
『お前は暫く黙っておれ!』
ピシャリと黙らせた。
今度は元親に向かって言う。
「本人は伴天連を捨てたと申しておるぞ?」
「この場をやり過ごす嘘に決まっておる!」
元親は受け入れない。
「ではこうしよう。南蛮人が祈りを捧げる十字架を踏めればこの女は無罪、踏めなければ伴天連だ」
信長が提案した。
しかし元親にはサッパリである。
「十字架とは何か?」
そこからかと信長はガクッとした。
口を開こうとした時、自分で説明するより適した者がいる事を思い出す。
「顕如殿」
「何でございましょう?」
澄ました顔でいる顕如に声を掛けた。
「頼廉は来ているのか?」
「ええ。お城に詰めておりますよ」
「呼んで欲しい」
「分かりました」
一向宗において頼廉は高い地位にある。
寺社の保護に努めていた元親にとり、頼廉の言葉であれば多少は聞き入れよう。
「伴天連における十字架について知っている事を話せ」
「え?」
現れた頼廉に早速命じる。
いきなりの事に頼廉は目を白黒させた。
「早うせい!」
「た、只今!」
急かされ、慌てて口を開いた。
「ええと、そうですな。拙僧が南蛮の地で見た伴天連達は、小さな十字架を常に胸からぶら下げ、朝に夕に祈りを捧げておりましたな」
それは深い信仰の現れに思われた。
祈る対象、やり方は異なれど、尊い存在への帰依である。
「伴天連に十字架を踏めと言って踏むと思うか?」
「それはありませんな! 彼らは十字架を神の化身のごとく神聖視しておりますから」
勢いよく頭を振った。
「納得したか?」
「頼廉和尚が仰るなら……」
不承不承、元親が頷く。
信長はサラに向き合い、床に十字架を置いた。
南蛮で手に入れた、ずっしりとした重さの銀製の物である。
『サラよ、この十字架を踏んでみろ』
『え?』
言われたサラは怪訝そうな顔をする。
『そんな野蛮な事、断じて認められませんわ!』
『黙っておれと言った筈だぞ。殺されたいのか?』
冷酷な目を向けられ、イサベルは冷や汗を流して押し黙った。
再びサラへと向きなおる。
『踏めば晴れて信親の側室、踏めなければ信親は諦めろ』
『どういう意味だい?!』
意味が分からない。
『この国ではキリスト教を良く思っていない者も多い。その者達を安心させるには十字架を踏んでみせる事が必要なのだ』
『そ、そういう事かい』
ようやく理解した。
『踏めばいいんだろ!』
魔女裁判を思い出す。
あれに比べれば随分と温い。
『アタシが踏んだところで神様が怒る筈もないさね!』
十字架など物に過ぎない。
『ていうか、神様がいるんなら魔女裁判なんて起きてない筈だよ!』
神に誓って無実を訴えても、周りは誰も聞く耳を持ってくれなかった。
自分は運よく助かったが、そのまま殺されてしまった者は数多い。
『これは神様なんかじゃない』
自分に言い聞かす。
『神様がいても罰なんか当てる訳がない』
神の罰があるなら、無実の者を殺した者に真っ先に下る筈である。
『踏んでやるさ!』
覚悟を決め、サラはその右足を大きく上げた。
サツマイモと薩摩は偶然の一致という事にしています。




