第126話 舞台裏
話が前後します。
帰国して直ぐの頃です。
懐かしの我が家へと戻った勝二は久方ぶりの家族との時間を堪能し、信長から指示された内容をこなすべく動き始めた。
まずは屋敷の庭、野菜畑である。
「これは?!」
目に飛び込んできたのは見事な野菜達であった。
整然と畝立てされた区画に、大小様々な作物がその葉を茂らせて太陽の光を浴びている。
背の高い野菜には一本一本支柱が立てられ、紐で丁寧に括られていた。
「勝二様、お帰りなさいまし!」
勝二に気付いた文三が作業の手を止め、駆け寄ってくる。
家の主が帰ってきている事は人伝に聞いていた。
丹精込めて世話をしてきた畑である。
自画自賛ではないが、どこへ出しても見劣りしないと自負していた。
「野菜の成長ぶりが著しいですね!」
「教えて頂いた肥料分に気を付けて世話しただけです」
「いえいえ、文三さんの鋭い観察眼あっての物です!」
主人の賞賛が心地よい。
頑張った甲斐があった。
「ところでトマトは育っていますか?」
「へぇ。今年は数を増やしております」
「それは有難い!」
「こっちです」
文三はトマトを植えている畝を示した。
支柱に沿って伸びるトマトは、背の高さに迫るくらいまで育っており、胸の辺りで黄色く小さな花をいくつか咲かせている。
その下、やや小さめではあるが沢山の果実がぶら下がっており、赤く熟するのを待っていた。
「順調に育っていますね」
「へぇ」
「しかし、ちょっと足りないかもしれませんね……」
「一体何をされるので?」
文三は不思議に思って尋ねた。
「トマトソースを作ります」
「トマトソース?」
耳慣れない単語だった。
「トマトソースはトマトとオリーブオイル、ニンニクなどを煮込んで作ります。他の料理に使えるので便利なのです」
「今あるトマトだけでは足りないので?」
「そうですね」
主の言葉に文三は考え、言う。
「トマトは他の人にも育ててもらっておりますよ?」
「本当ですか?! では、配った先に問い合わせ、トマトが実っているか尋ねて下さい! 買い取るので真っ赤に熟した実を持って来て欲しいと」
「はい!」
文三は直ぐに動いた。
『これが日本のトイレですの?!』
『臭いがキツイねぇ……』
『落ちそうで怖いかも……』
イサベルらは屋敷を案内され、母国とは違う家の作りに面食らっていた。
特に閉口したのはトイレで、漂う悪臭に思わず顔を背けるのだった。
彼女らの国では用を足す際はオマルなどに溜めておき、次の日の朝、川や道路などにぶちまける。
ヨーロッパで何度も疫病が流行ったのは、主としてこれが原因である。
『糞便を溜めているのは肥料として畑で使うからです。臭いは我慢して頂くしかありません』
イサベルらに興味津々な茶々らを背に、勝二が説明する。
こればかりはどうしようもない。
それを聞いて更に驚く。
『畑に使うのかい?!』
『汚いのではありませんの?』
屋敷の畑は既に案内された。
雑草一本生えておらず畝は直線、整理整頓も行き届いた見事な管理であった。
山で薬草を育てていたサラは溜息をついた程で、作物の育ち具合といい、羨ましさを感じた。
その畑に糞便が使われていると聞き、それにしては臭くなかったなと疑問に思ったのがサラで、大丈夫なのかと思ったのがイサベルだった。
『何も直接作物に掛ける訳ではありません。水で薄め、作物には触れぬよう、株回りの土に掛けるのです。それに収獲が近付いたら使いませんし』
『へぇ」
サラが感心したように言った。
『しかも桶に溜めて十分に発酵させた物しか使いません』
『発酵?』
『何だいそりゃ?』
二人が質問した。
『牛乳がチーズに、ブドウの絞り汁がワインになる現象の事です』
『初めて聞きましたわ』
『面白そうな話だね』
『良く分かんないけど、美味しくなるって事?』
『ノエリアさんの感覚で概ねあっています。人にとって有益な物に変わる現象が発酵です。反対に、人にとって有害な物に変わる現象を腐敗と言います』
分かったのか分かっていないのか、三人はフンフンと頷いた。
『我が国はスペイン王国よりも狭い面積に、倍以上の人口を抱えております。それを可能にしているのが下肥、つまり人糞尿を使う方法です』
『倍以上?!』
『本当なのかい?!』
勝二とて当時の正確な人口は分からない。
現代の数値であれば面積が1.3倍もあるのに、日本の3分の1の人口しかいないのがスペインである。
『皆さんは大坂の町をどう思いました?』
『正直に申しますとマドリードよりも余程大きな町ですわね』
『私はマドリードを知らないけど、ローマよりも大きいと思うよ。コンスタンティノープルくらいはあるんじゃないのかい?』
『私みたいな子供を見なかったし、町が綺麗』
それぞれがそれぞれの感じた事を述べた。
『糞便を川に流せば臭わないし見た目も綺麗です。しかし、川の水を利用する者には堪ったモノではありません。また、作物としては畑より持ち出した分を補わないと、土が年々痩せていく事になります』
『土が痩せる?』
『作物を大きくする養分が足りなくなるのです』
『本当かい?!』
サラには思い当たる事があった。
村では山を切り拓いて畑を作るのだが、最初の数年は何もしなくても良く実るのに、段々と穫れなくなっていく。
森に住まう魔女の呪いだと恐れたが、勝二の言うように土が痩せるのなら納得がいく。
『人が食べ、出した物を土に返す。それが実り多い畑を保つ秘訣です』
『土に返す……』
勝二とて下肥の臭さは理解している。
しかし化学肥料のない現状、手に入る物は全て使っていくしかない。
また、輪作で有名なノーフォーク農法が出現するのは後世、18世紀のイングランドである。
『仮に土が痩せるという話が信じられなくとも、この畑を見れば分かるのではありませんか? 畑を作ったのは2年前ですが、年々作物の育ちが良くなっております』
『確かにね。ビックリするくらいに育ってるよ』
サラが噛みしめるように呟いた。
『そのような次第ですから、我が国のトイレ事情には我慢して下さい』
『分かったよ』
勝二の言葉にサラが頷く。
『ちょっと練習してみましょう』
思い立ったイサベルが厠に入り、直ぐに出てきた。
『問題なさそうですか?』
『言いにくいのですが、屈むのがちょっと……』
困り顔で言う。
『後ろに転びそうで怖いかも……』
続いて入ったノエリアが口にした。
屈む事に慣れていないと難しいらしい。
『南蛮船の船員用に作った椅子の出番ですね』
勝二は以前、日本を訪れる西洋人の為、脱着式の洋式便座を作っていた。
屋敷で働く使用人に命じ、それを取って来させる。
近くの大工に頼んだので直ぐに持って来た。
『見た事のある形ですわ』
イサベルが感想を述べた。
見た目は背もたれのない椅子だが、座の真ん中に穴が開いている。
王宮で使っていたオマルに似ていた。
夜は陶器の入れ物に溜め、朝になると侍女が捨ててくれる。
『ああ、宮殿でお使いでしたか。サラさん達は使い方が分かりますか?』
『何となくは分かるよ』
『それに座るんでしょ?』
不安なので教えておく。
『中に備えつけ、座って用を足します』
勝二はデモンストレーションをしてみせた。
『何せよ、船のトイレに比べれば何でもないですわ』
『それは確かに言えてるよ』
『揺れてないだけでマシ』
三人は満足したようだった。




