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第12話 石山本願寺

 顕如けんにょ(36)は日々のお勤めを済ませ、線香の煙が漂う中、静かに物思いにふけっていた。

 外からは落ち着いているように見えるが、その内心は締め付けられるような焦燥感に満ちている。

 真綿で首を絞められているような圧迫感があった。

 時間が経つ毎に息苦しくなり、遂には窒息してしまう恐怖である。

 そんな不安にさいなまれていた。


 彼がそう感じるのも無理はない。

 城を囲む織田軍の数は多く、蟻の這い出る隙間もないように見えた。

 顕如がこもる石山城は堅牢な造りで、織田軍の攻撃にビクともしていない。 

 ビクともしていないのだが、頼りにしていた毛利水軍が織田軍に蹴散らされ、昨年から物資の補給が止まってしまっている。

 既に十分な量を蓄え、武器や弾薬、兵糧の欠乏の心配はないが、隠しきれない焦りを誰もが感じていた。


 共に第一次織田包囲網を形成した戦国の雄、武田信玄は既に亡くなり、第二次包囲網の中心であった上杉謙信も病に没している。

 一度は信長に従属したものの、反旗をひるがえした大和の松永久秀まつながひさひで、丹羽の波多野秀治はたのひではるといった反乱勢も既に撃破されてしまった。

 残る同志は甲斐の武田勝頼(33)、中国を治める毛利輝元(26)くらいだ。

 しかし勝頼は長篠ながしのの戦で信長に敗れ、輝元は信長配下の羽柴秀吉はしばひでよし(42)と対峙して動けないでいる。 

 畿内の本願寺は孤立無援であった。  

 浄土真宗の信徒達を預かる身として、口に出せない重圧があった。


 顕如の不安の種は他にもある。

 太陽の方向がずれるという天変地異によって信徒の心が乱れている事だ。

 雨の降り方も変わり、作物の収穫量が減るのではという恐れが広がっていた。

 その原因については教団内でも意見が割れている。

 南蛮の異教を国内に広める事を許した、信長への天の怒りだという声と、世の乱れを憂うる御仏の啓示であるというモノだ。

 大人しく信長に恭順するべしとの意見も聞こえ始めている。


 また、それに関して気になる噂も流れていた。

 伴天連と共に信長の下に現れた、一人の男の主張したモノであるが、その内容がぶっ飛んでいる。

 何しろ日本が島ごと移動したというのだから。

 その噂が城に届いた時、居合わせた者達は一笑にふした。

 あり得ないと笑う高僧達に対し、顕如は何とも言えない違和感を覚えた。

 強がりにしか聞こえなかったからだ。

 そうに違いないと必死に自分に言い聞かせているようで、心許ない。

 これでは信長の前で行われ、同門の僧侶が軒並み論破されたという、噂の元になった討論会と同じはないかと思った。

 唾を飛ばす勢いで詰め寄る僧達に対し、その男は一人で論陣を張ったそうだ。

 事実のみを根拠とし、激しい言葉を使うでも揚げ足を取るでもなく、反対する意見に堂々と渡り合う。

 どちらが仏の道にあるべき姿かと、話を聞いた中で感じた顕如だった。

 下々の者は敏感にそれを感じたのかもしれない。

 言葉を交わしてみたいと思ったその男の名は、確か…… 


 「顕如様!」


 物思いは彼を呼ぶ声によって遮られた。

 顕如は声の主に向き直る。

 頼もしい家臣である下間頼廉しもつまらいれん(42)、雑賀孫一さいがまごいち(年齢不詳)が真剣な顔で見つめていた。

 この二人が並んで報告に来た事に、その要件の重要度を推察する。

 数日前から届いていた、例の事だろうと思った。


 「やはりここに来ましたか……」

 

 諦めにも近い溜息が顕如の口から漏れた。 

 頼廉と孫一が頷く。


 「木津川きづがわ河口に南蛮船です!」

 「そうですか……」


 各地に散らばる信徒から、小田原に南蛮船が寄港した事は聞いている。

 三河湾から伊勢湾へと移り、使節が安土城に入った事も報告を受けていた。

 数日前に伊勢湾を出発し、紀伊半島を回っているとも。

 それが遂にやってきたのだろう。


 「そうなると、あの噂の信憑性が益々高まりますね」

 「島が移動したなど信じられませんが……」

 「全てあの信長めが画策した企みやもしれませぬ」


 それぞれがそれぞれの考えを述べる。

 けれども噂が次々と補強されていく感覚があった。 

 日本が大西洋へと移動し、南蛮国が近くとなったなら、伴天連の布教を許した信長との関係を深める為、使節が送られて来るだろうと。

 それが今回の事で、事実安土城へと使節団が入った。

 そこでどのような話が為されたかまでは分からないが、何かの密約があり、南蛮の船がこちらに来た可能性がある。

 目的は明らかだろう。


 「我々に圧力を加える為、ですね」

 「もしも信長が南蛮と同盟を結んだのであれば、彼らの船を使って石山城を攻撃すると?」

 「そう考えるのが自然です」


 顕如は頷いた。

 圧倒的な力を示し、抵抗する気力を削ぐ為であろう。

 大友家が有する南蛮の大砲の威力は凄まじく、国を崩すとも言われている。

 その運用には大金を要し、自国を崩すとも揶揄されているようだが、相手はあの信長だ。

 十分な見返りを相手に提示したのかもしれない。 


 「顕如様、佐久間さくまから使いの者が参りました!」

 「早速来ましたか」 


 石山城を包囲するのは織田家家臣団の筆頭、佐久間信盛である。

 海上は九鬼水軍が固め、隙はない。

 



 「貴方が噂の五代勝二殿ですか」

 「噂というと?」


 顕如の前には冴えない表情の男がいる。

 この場の雰囲気に戸惑っているような、担う責務に押しつぶされる寸前のような、何とも言えない情けない顔をしている。

 信長の家臣にしては覚悟が足りないように見えた。

 浅井・朝倉軍に味方した比叡山ひえいざん延暦寺えんりゃくじを焼き払い、長島の一向一揆には根切りで臨んだのが織田家の当主信長である。

 冷酷非情な当主に仕える者にしては、随分と甘そうに見えた。

 本当にこの男なのかと疑わしく思う。


 「大日如来の怒りだとする僧侶達の論に真っ向から立ち向かい、ことごとく論破したと信徒達の間で噂となっておりますよ。どんな質問にも簡潔に分かり易く答える様は、知恵を司る文殊菩薩のようであったとか」

 

 顕如が耳にした、勝二に関する噂を述べた。

 その言葉に頬を赤くし、照れている。

 正直なのだなと思った。


 「それで、今回参られたのは、我らに降伏を勧める為でしょうか?」


 本題を問う。

 

 「そうです。我が国の安定の為に武装を解き、城から撤退して下さい」

 

 勝二は顕如の質問に真っ直ぐに答える。

 思っていた通りの回答に、控える者達から抗議の声が上がった。


 「何がこの国の安定だ! いたずらに戦を起こし、民の安寧を妨げているのが織田であろう!」

 「長島はどうなった? 降伏した者達を容赦なく焼き殺したではないか!」

 「そうだ! 大人しく降伏しても命の保証がない!」


 散々な意見が述べられた。

 勝二はそれらに反論する論拠を持たない。

 確かにその通りなのだろうなと、信長に仕える身だからこそ思ってしまう。

 今回の無茶振りから察するに、他の者へも過度な要求をしているのだろう。

 出来なければ去れで済むのかもしれないが、それ以上になってしまう可能性も大いにある。

 とんでもないブラック企業に入ってしまったモノだと、今更ながらに後悔していた。

 民の生活を第一に考えていた、氏政の下に逃げ込む選択肢が頭をよぎる。

 氏政であれば温かく迎えてくれそうな気がしていた。

 しかし当面は、与えられた今の仕事をやり切らねばなるまい。

 日本全体の将来を考えれば、ここで互いに争う事態は愚かしい限りだ。


 「降伏に際し、諸条件をまとめた書状を預かっております」


 勝二は信長に書いてもらった手紙を取り出した。

 降伏の条件については勝二の意見も汲んで貰っている。

 なるべく受け入れやすいよう、調整したつもりだ。

 受け取った顕如が目を通す。

 その表情からは感情が読み取れない。

 一大勢力を率いる将である事を実感した。


 「こちらにも事情がありますから、直ぐに返事をする訳にはいきません。その事は予めご了承下さい」

 「存じております」


 読み終えた顕如が勝二に言った。

 家臣を交え、協議する必要があるのだろう。

 当然の事だ。

 こうして回答を本願寺に預け、一応の交渉は終わった。




 「勝二殿は伴天連ではないと伺いましたが、本当ですか?」


 およそ武将とは思えない勝二に好奇心を抱いたのか、顕如が尋ねた。

 武芸をたしなんでいるようには見えない身のこなしだし、髪形も武家のそれではない。

 かといって僧侶でもなさそうだが、身につけた学は相当なモノだと推測される。

 伴天連ではないと公言したと聞くが、そうとなればその身分を掴みかねた。 

 一体何者なのだと。 


 「私は伴天連ではございませんよ」


 隠す必要もないので勝二は素直に答えた。


 「南蛮の知識はどうやって習ったのですか?」


 聞いた所によると、北極星と緯度というモノとの関係など、誰もが初めて耳にする知識を分かり易く説明したという。

 どこで習ったモノなのか不思議に思った。

 宣教師が様々な知識を民に教えている事は知っているが、彼らの教えに従う者しか受け入れていない筈である。 

 伴天連でもない勝二が、それらを知っている理由が分からなかった。


 「私の乗っていた船が嵐に遭い、異国の地に流されてしまいました。そこで偶然、この国へ来るという宣教師と出会いました。船の旅は長く、色々と教えて頂いた次第です」

 「それはそれは」


 噓八百を澄ました顔で言う。

 顕如が質問を重ねた。


 「という事は、伴天連の教えを詳しくご存知なのですか?」

 「ええ、まあ、それなりには」


 数年に渡り、神の示した奇跡について熱い説教を受けた。

 確信のある勝二の心が揺れ動く事はなかったが、今となってはヴァリニャーノの説教を再現出来るまで、カトリックの理屈を身につけている。

 勝二の答えに顕如は喜んだ。


 「実は彼らの教えを知りたいと思っていたのです」

 「そういう事ですか」


 顕如にとってキリスト教は信徒の獲得という商売仇以上に厄介な存在である。

 一番は信長に保護されている点だ。

 権力者の庇護を得た宗派はたちまちのうちに勢力を拡大し、劣勢となった宗派を端に追いやっていく。

 キリスト教徒は今の所は比べるまでもない少数派であるが、京都や九州では着々と信徒の数を伸ばしているらしい。

 また、彼らの教えは南蛮の品々と結びついている点が挙げられよう。

 その地を治める統治者にとり、強力な武器といった南蛮の品々が欲しければ、宣教師の活動を許さざるを得ない。

 信仰の拡大と商売がセットになっているのだ。 

 領主と宣教師双方に利益がある限り、その教えを禁止する事態とはならないだろう。

 自分達もお布施の一部を領主に払う事は出来るが、そうなるとそれが常態化し、こちらにのし掛かる負担が重くなる。

 要求は増えがちで減る事がなく、代わりにこちらが得られるモノは無きに等しい。

 信徒集めの競争相手には、甚だ具合が悪かった。


 「我らは彼らの教えを良く知りもせず、徒に悪印象のみを抱いております。そんな事では御仏の道にも適いません。しかし、お恥ずかしながら我らにも保つべき体裁というモノがあり、彼らに頭を下げて教えを乞う訳にもいかないのです」


 敵を良く知りもせず戦う事は出来ない。

 しかしこちらから教えて欲しいと頭を下げれば、それだけで信徒に不安を与える事となろう。

 向こうが歓迎の態度でも取れば、それも相手の株を上げる事に繋がる。 

 部外者にも拘わらず、キリスト教の事情を詳しく知る者がいれば、それは大変にありがたい存在であった。

 何より、頼み込む場を見られないというのが大いに助かる。


 「それは良く理解します」


 顕如の考えなど想像もつかないでいた勝二にとり、聖職者が体面を気にしてどうするのかと思ったが、当時には当時の事情があろうという事で納得した。

 現代の価値観を押し付けても仕方がなかろう。


 「伴天連の教えについて説明すれば宜しいのですか?」

 「かたじけなく思います」


 顕如はその頭を下げた。


 「それにはユダヤ教の事から説明しないといけないのですが、構いませんか?」

 「ユダヤ教ですか?」


 聞き覚えのない言葉に首を傾げる。


 「貴方が必要だと思う事をお話し下されば結構です」

 「では、今からおよそ3千年前の話です」

 「3千年前?!」


 思ってもみなかった数字に肝を潰した。

 1579年から見ておよそ2千9百年前の紀元前1280年、モーゼがシナイ山で神ヤハウェから十戒を授かった所から勝二の話は始まった。


 「これは頼む人を間違えたのかもしれませんね……」


 勝二に聞こえないように顕如は小声で呟いた。

 そんな顕如を尻目に、ユダヤ教とは何かから始め、イエスの誕生と受難、復活という奇跡とローマ帝国によるキリスト教の国教化、イスラム教の興りに至る説明会が為された。


 「一日では終わりそうにありませんが、どうされますか?」

 「頼んだのはこちらです。思う存分なさって下さい」


 多くの者が涙目になる中、講義は続いた。

 船に残したカルロス達は船から降り、大坂の町を見学している。

 安土城に負けない石山城に感嘆の声を上げ、物珍しそうに見物した。

 日が暮れ、辺りは闇に包まれる。


 「では、彼らの教えの核心に移りましょう」

 「やっとですか……」


 中途半端は許さない。

 キリスト教の教義について、知っている事を話した。

当時の仏教界がカトリックについてどう考えていたのか、どこまで知っていたのか分かりません。

問答を盛んに行い、カトリックの矛盾を突いていたとも聞きますが。

見当外れな事になっていなければいいのですが・・・

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[気になる点] 紀伊半島を回って鳴門海峡を通ると淡路をぐるっと回って明石海峡を抜けることになるけど? 紀伊半島を通りそのまま紀淡海峡を抜けるのでは?
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