第122話 サフィエとの会談
色々と大雑把です、申し訳ありません。
「本当にあれが皇帝なのか?」
オスマン帝国12代皇帝、ムラト3世との面会を終えた信長が、控室に戻る長い廊下で勝二に問うた。
その第一印象は覇気のなさ、落ち着きのなさで、終始だらしない表情を浮かべ、チラチラと視線を走らせていた。
目の端で彼の視線を追えば、同行していたイサベルらを見ていた事は明らかである。
通訳を介して行われた会話も、見当違いな答えしか返ってこない。
日本に興味のない事は丸わかりで、信長としても話を続ける意味を持たなかった。
これで国が回るのかと強い疑問を抱いた。
宮殿の作りや着ている衣装などは豪華だったが、見栄えばかりで内容が伴っていないと感じる。
「君臨すれども統治なし、かと。皇帝は後宮で遊んでいれば十分で、政治は家臣達が全て行っているのでしょう」
勝二が言う。
オスマン帝国は確かに大国であるが、それは過去の英傑達の偉業であって、今はその遺産で食っているようなモノである。
史実では1920年代に消滅する事になるが、その一端が統治者の放蕩ではあろう。
実際にその目で皇帝の姿を確かめ、その事を実感した。
「信忠の奴め、随分と出来た跡取りだったのだな」
信長が感慨深げに呟く。
戦功を積み、内政もそれなりにこなす息子を誇らしく思った。
場を移し、当初の目的であったサフィエと面会する事となった。
後宮の出入り口からほど近い、小さな部屋である。
「あっ」
先に気付いたのは、通訳としてサフィエに付き添うフクの方だった。
『どうしました?』
従者の異変をサフィエは見逃さない。
敬愛する者に問われ、フクは小声で事情を説明する。
『マカオで出会った男なんです!』
『どなたがです?』
『あの男!』
フクがその目線で指し示しすのは、同じく通訳として信長の隣にいる男だった。
実直そうな顔をしており、主の横で忠犬のように畏まっている。
その主人は圧巻の一言だ。
敵対する宗教勢力を火で薙ぎ払い、戦乱の続く日本に終止符を打った男。
鉄砲の有用性にいち早く気づき、積極的に取り入れた先見性の持ち主。
奴隷の売買を禁止し、海外へ売られた者を買い戻そうとする、慈悲の心を持った君主。
伝手を利用して調べた結果がそれだったが、実物は噂以上だと思った。
海賊に襲われた際には徹底抗戦を主張し、むしろ楽し気であったとさえ言う。
ヨゼフから報告があった時には耳を疑ったが、この者達ならばそうなのだろうなと感じた。
君主が戦場に立たなくなって久しいオスマン帝国では遠い過去の話だが、英雄として伝わる者達は皆、こうであったのだろう。
因みに彼女らであるが、イスラム教徒の女性が身につけるヒジャブ(ヴェールに似た布)で目元まで覆っており、信長らには誰が誰だか分からない。
「あの女、この国に対して恨みがあるのか?」
休憩となり、信長がポツリと呟いた。
政治的に無能な皇帝を戴きながら、オスマン帝国が何とか回っていたのは、サフィエを筆頭にした皇帝の妃達が政治の実権を担っていたからである。
それをして口さがない帝国の住民達は、女人の天下と呼んでいるようだ。
しかし、それを出来るだけの人物である事は間違いなく、言葉を交わすだけでもその能力の高さが知れた。
「奴隷となったからでしょうか?」
サフィエの頭の良さは、通訳をしていた勝二も良く分かっている。
彼女の側の通訳は、何と日本語の出来る女性だったのだが、アラビア語にはまだ慣れていないようで、随分とまごついた。
勝二とてアラビア語は堪能ではなく、サポートするのは厳しい。
遂にはスペイン語を解するサフィエと信長が直接やり取りするという、通訳にとっては非常に肩身の狭い会談となった。
その内容も統治の考え方から徴税のあり方、宗教の扱いに至るまで、政治家としての見識が問われるやり取りが続いた。
そんな彼女がオスマン帝国を恨んでいるのではと聞き、勝二は思い当たる事を口にした。
信長が頷き、言った。
「奴隷として買われて後宮に入り、皇帝の寵愛を得て成り上がったと聞いたが、元はキリスト教徒であったそうだな?」
「異教徒を自分達の宗教に染める。征服感を感じるのかもしれませんね」
「儂にはさっぱり分からんがな」
それは何もイスラムに限った事ではない。
カトリックは南米で原住民を教化する事にパッションを見出し、プロテスタントも北米で同じ事をしている。
「実質的な皇帝の妃になったとはいえ、神への信仰を捨てさせられた訳ですし、この国に恨みぐらいはありそうですが……」
「いや、そうではない」
「と申しますと?」
勝二が尋ねた。
「そのような漠然とした恨みではなく、この国の力を弱めようと、確固とした信念の下に動いている、そんな印象だ」
「皇帝の妃が、でございますか?」
「ま、勘だがな」
信長は肩を竦めた。
会話を通して感じた事だったので根拠はない。
「信長様の勘は当たりますから、もしもそうであれば……」
「何だ? 何か考えがあるのか?」
今度は信長が尋ねた。
その質問には直接答えず、勝二は言葉をつむぐ。
「イスラムはイスラムであるが故にここまで強大になりましたが、イスラムであるが故にこれ以上の発展が難しくなります」
「どういう事だ?」
訳が分からず信長は問う。
勝二は説明していく。
「まず、イスラムが発展したのは信者間の連帯感によるところが大きいです。同じ教義を信じ、行動で信仰を証明するイスラムは、イスラムというだけで同胞と見做し、共に戦う事が出来ます」
「成る程な」
それは理解出来た。
厳しい教義を守る者同士では、仲間意識が強く働くであろう。
「剣で戦う時代はそれで良かったのです。数が力ですから。しかし、大砲や鉄砲を運用するようになってそれは変わってきます」
「数の優位を道具で覆せる訳だ」
「まさしく」
それをランチェスターの法則という。
「しかし、鉄砲くらいイスラムでも作れるであろう? 現に市場で出回っていたぞ?」
信長はコンスタンティノープルの町で見た、武器を扱う店の事を挙げた。
「それもその通りですが、既にイスラムはスペインから出遅れております」
「もしやアメリカ大陸か?」
ピンときた信長が言った。
「ご明察の通りです」
「世辞は良いからさっさと続けろ」
勝二の言葉にニコリともせず、先を促した。
「大航海時代とも呼ばれるのが今です。アメリカ大陸が西洋人に発見され、莫大な富が持ち出されました。しかしイスラムはそれに完全に乗り遅れています」
「地中海を越えて行かねばならんので、単純に遠いのではないか?」
疑問点を挙げる。
「それも原因の一つかもしれませんが、イスラムであるからこそ克服出来ない、重大な問題があります」
「それは何だ?」
早く言えと迫る。
微笑を浮かべ、勝二は言った。
「イスラムは利子を取る事が出来ないのです」
「利子だと?!」
その答えに信長は驚いた。
「イスラムでは困窮者を救う為、信徒は喜捨をせねばならないと明確に定められています。お金を貸して利子を取る行為は賎しいとされ、蔑まれます」
「それでどうやって商売をするのだ?」
思わず尋ねる。
「キリスト教圏でもそうなのですが、賎しい金貸しはユダヤ人に任せています」
「ヨゼフがそうなのか?」
知り合った唯一のユダヤ人であるヨゼフ。
しかし勝二は首を振る。
「金貸しがわざわざ船に乗る危険は冒さないでしょう。ユダヤ人といっても色々ですから」
「それはそうだ」
直ぐに納得した。
勝二は続ける。
「スペインとポルトガルはいち早く海を越える冒険に出ましたが、それを可能にしたのが、利子をつけて返す事を条件に、船出に必要な資金を集める手法です」
「イスラムではそれが出来ないのだな」
「その通りです」
理解が早くて助かると思った。
「そしてそれは航海だけではありません。たとえば新しい技術、仮に性能の良い鉄砲を量産しようとする際、どうやって資金を集めれば良いのでしょうか? 君主に掛け合うのでしょうか? 鉄砲ならば可能性はありそうですが、では軍事的な物ではなかったら? 新しいブラジャーでは可能でしょうか?」
勝二の言葉に信長は考える。
直ぐに答えを出した。
「利子とは金を貸す方の儲けだ。儲けがなければ金貸しは成り立たぬ。金貸しが成り立たぬところでは、新しい何かは生まれないという事だな」
「可能性がない訳ではありませんが、大きな技術となると難しいでしょう」
勝二は蒸気機関を念頭にして言った。
産業革命は投資家なくして生まれなかったと言われている。
「イスラムはヨーロッパに遅れるばかりとなります」
「イスラムであるが故の必然か」
信長は頷いた。
「して、お前の考えは何だ?」
質問に答えていない事を覚えていた信長が言った。
苦笑しつつ述べる。
「もしかしたらオスマン帝国とヨーロッパ、その両方の発展を阻害する案です」
「ほう?」
両方と聞いて俄然興味が沸いた。
「どうするのだ?」
「ユダヤ人国家を作るのです」
「ユダヤ人の国だと?」
民族的な違いという概念から隔絶した、当時の日本人には理解し辛い考えであろう。
「ユダヤ人は歴史の古い民族なのですが、色々とあってその属州となっていたローマ帝国に対して反乱を起こし、鎮圧されて国を失ったのです。以来、ユダヤ人は自分達の国家を持たず、ディアスポラと呼ばれる流浪を続けております」
「想像がつかんな」
素直なところを吐露した。
「キリスト教徒からはイエスを磔にした罪深い存在として卑しまれ、イスラム教徒からは古い教えを信じる頑迷な者として扱われております」
そして本題に入る。
「蔑まれるユダヤ人には金貸しをやらせるのが最適です。がめつい者として憎悪の対象となり、統治者への不満も反らす事が出来るからです」
「お前の考えが読めたぞ」
信長が笑いながら言う。
「各地で金貸しをしているユダヤ人を一カ所にまとめ、その地の商売を滞らせるのだな」
「そこに生活の基盤がある者は容易には動かないでしょうが……」
財産を捨ててでも移住を決意するのは、ホロコーストなどが起きて初めてかもしれない。
とはいえ、オスマン帝国の最盛期にイスラエルを建国出来れば、勝二の知る現代のパレスチナ問題を未然に解決出来る可能性がある。
帝国の実権を握るサフィエであれば、それくらいの強権は発揮出来そうだ。
ロスチャイルドがヨーロッパに生まれない未来を思い、勝二は思わず震えた。
次話で帰国の途に就きます。




