第118話 スリーハンドレッド
色々と強引です。
シチリア島では一人の男が待っていた。
ヨゼフと名乗るユダヤ人の商人で、この先を案内すると言う。
用意された宿に泊まり、次の日には別の船を乗り換え、シチリア島を発った。
沖に出たところでヨゼフに対して質問が飛ぶ。
「タコを食べないというのは本当か?」
「どうして鱗のない魚を食べてはいけないのですか?」
前回為された勝二の説明に納得がいかなかったようである。
そんなところに当事者が現れたのだから、渡りに船とばかりに尋ねるのだった。
熱心な信者であった場合に備え、失礼とならないよう、勝二は言葉を選んで翻訳する。
ヨゼフは、どうしてそんな事を知っているのかというような顔をして質問に答えた。
『どこに向かっているのですか?』
ひと段落ついたところで勝二はヨゼフに話しかける。
船から見る大海原は波が穏やかで、心地よい風が吹き、見渡す限りに他の船も島影も見えない。
さんさんと照らす太陽の位置から、東に向かっている事だけは分かる。
『ここまで来れば隠す必要もありませんね。この船はアテネに向かっています』
豊かに蓄えた髭を動かしヨゼフが返事をした。
陸地では不用意に行先を口にする事は出来ない。
どこで誰が聞いているのか分からないので、安全に配慮した処置である。
『アテネですか。ならばその先はエーゲ海を通り、コンスタンティノープルに向かうのですね」
『よくご存知ですね!』
勝二の言葉に驚く。
地中海を船で渡っている男ならば兎も角、遠い異国の者が知っているとは思わなかった。
『エーゲ海には島が多数あります。海賊が隠れるには絶好の地の筈ですが、大丈夫でしょうか?』
エーゲ海には大小合わせて2500もの島々が浮かぶ。
海賊が拠点とするのに都合が良い。
心配げな勝二にヨゼフが答える。
『オスマン帝国がギリシアを統治してからは海賊対策にも力を注ぎ、今のエーゲ海は比較的安全です。襲われる船は滅多におりませんよ』
『それなら安心ですね』
勝二はホッと胸を撫で下ろした。
エーゲ海の島々には農耕に適しない島もあり、住人の多くは漁業で生計を立てているとヨゼフから聞いた。
また、その海域は古くからヨーロッパとアジアを結ぶ重要な交易路であり、今も多数の船が荷物を満載して行き来している。
海を熟知した漁師の中には海賊へと転職する者もいたようで、その被害は大きかったそうだ。
事態を重く見たオスマン帝国皇帝は、勅令を出して海賊の殲滅に乗り出し、ある程度の成果を出したという。
『商売には平和が一番です』
『それは同感です』
二人は大いに頷いた。
船はアテネに到着する。
「アテネはギリシアの都です。ギリシアの歴史は古く、ローマ帝国を軽く超えております」
「おぉ!」
アテネも遺跡の町である。
一行はローマ同様、人類の歴史に思いを馳せた。
珍しい訪問客にアテネの人々も興奮気味である。
「あれがパルテノン神殿です!」
「壮麗であるな!」
『ローマの遺跡に勝るとも劣らないですわ!』
岩の上に建つ、白く巨大な建造物群があった。
「パルテノン神殿は計算し尽くされて建てられております」
「計算だと?」
信長が問うた。
勝二は分かりやすく答える。
「建物が真っ直ぐに見えるよう、歪ませて建てられているのです」
「どういう意味だ?」
益々混乱する。
「柱も床も直線に見えませんか?」
「見えるからこそ意味が分からぬ」
神殿の床は平らに見える。
柱も垂直に立っているように思えた。
「長い直線は人の目には歪んで見えるのです。パルテノン神殿はその歪みを考慮し、人の目には真っ直ぐ見えるよう、柱も床も直線では作られておりません」
「そのような知恵が……」
聞けば神殿は2000年前くらいに建てられたそうだ。
人の知恵の奥深さに唸る。
「ギリシアではポリスと呼ばれる都市国家が多数成立しておりましたが、その中でも有名なのが軍事国家のスパルタです」
「スパルタ?」
信長は軍事国家という言葉にピクリとした。
「スパルタでは一部の市民が戦士として国を支配し、他が隷属するような国家運営を行っていました。市民として生まれた男は体が弱ければ谷に捨てられ、7歳で親元を離れて集団生活となり、読み書きの教育が始まります。12歳にもなれば戦士としての訓練が行われます」
「武家のようだな」
「まさしく」
自国と似ていると思った。
しかしその印象は直ぐに打ち破られる。
「スパルタの戦士は二十歳で軍隊に入り、兵営で寝泊まりする共同生活が始まります。30歳で兵営から離れ、所帯を持つ事が出来ますが、夕食は戦士同士で集まって会食したそうです」
「違ったな」
「スパルタは完全なる兵農分離です。隷属階級の者が農業を行っておりました」
「ほう?」
兵農分離のアイデアに信長は目を細めた。
「そんな時です。今のオスマン帝国の位置にある大国ペルシアが、大軍を以てギリシアに攻めて来たのは」
「良いぞ!」
やはり戦争の話は血が騒ぐ。
皆興奮気味に勝二を見つめた。
「時のスパルタ王はレオニダス1世。王が死ぬか国が亡びるかという神託を得、死を覚悟しました」
「良い覚悟だ!」
喝采を送る。
「迫るペルシア軍は100万とも200万とも言われています」
「白髪三千丈だな」
数字を盛り過ぎだろうと思った。
「対するスパルタ軍は300人です」
「300?!」
「あり得ねぇだろ!」
余りの少なさに絶句する。
「数の真偽は分かりませんが、ギリシア自体が小国です。その中で多数のポリスが成立しておりましたので、スパルタの擁する兵力も多くはなかった筈です」
「成る程」
その説明に納得する。
海から眺めるギリシアに平野部は少なく、養える人の数は多くなさそうだった。
「大国ペルシアを迎え撃つのは、何もスパルタ兵だけではありません。近隣のポリスから兵が集まり、連合軍としておよそ7000の兵でした」
「いや、それでも少ねぇぞ!」
幸村が抗議の声を上げる。
話半分を更に半分にして25万としても、1万にも届かない人数でどう戦うというのか。
「正確な数は分かりませんが、少なくとも連合軍にとって絶望的な状況の中、テルモピュライの戦いが始まります」
「おう!」
早く話せと催促する。
「連合軍を指揮するレオニダスは狭隘の地に陣取り、ペルシア軍を迎え撃ちました」
「妥当な作戦だな」
その判断を褒めた。
「スパルタ兵は盾で互いの身を守りつつ、槍衾を作るファランクスです」
「おぉ!」
マドリードで得たファランクスの知識が役に立ったようだ。
一同は容易にその光景を想像出来た。
「隘路で強固な防御陣を張るスパルタ兵に、少数しか兵を送れないペルシア軍は攻めあぐねます」
「弓を使えば良かろうに!」
気分は完全にスパルタ側であるが、武家として冷静に判断せねばなるまい。
「正面突破を諦めたペルシア軍は、内通者からギリシア連合軍の背後に回る道の存在を聞き出します」
「地元の者に探りを入れるのは当然だな」
ペルシア軍も愚かではないと知る。
「背後に回られた事を知った連合軍は撤退を決意します」
「それもまた当然」
「殿を務めたのはレオニダスらスパルタ兵でした」
「それが覚悟か!」
信長は浅井長政に裏切られ、背後から攻められた金ヶ崎崩れを思い出していた。
勝二は続ける。
「レオニダスはペルシア軍に背後を取られないよう、場所を移しながらも戦い抜き、全滅するまで戦いました」
「神託の通りか」
当然と言えば当然であるが、釈然としない。
「しかし、レオニダスらスパルタ兵の死闘はギリシア中に轟き、反ペルシアで一致団結、海戦にてペルシアを破ります」
「おぉぉぉ!」
一行はその結果に満足した。
再び船を替え、アテネを発つ。
船はエーゲ海へと入った。
「何と美しい……」
溜息が漏れる程の美しさだった。
海は紺碧に輝き、水平線で空の青と溶け合っている。
断崖から見える石灰岩は太陽の光を浴びて眩いくらいで、赤茶けた土の色に映えていた。
『おや?』
ヨゼフがふと呟いた。
『どうしました?』
何か問題でもあるのかと勝二が尋ねる。
『いえ、気のせいでしょう』
何でもないと首を振った。
それから暫くした時だ。
『やはり!』
上ずった声でヨゼフが叫ぶ。
『海賊です!』
指が差す先には一隻の船がこちらを追っていた。
途端、船上は色めき立つ。
「良し良し! 退屈していたところだ!」
「返り討ちにしてやるぜ!」
信長らは俄然やる気である。
同行者の様子にヨゼフは慌てた。
『お願いですから抵抗しないで下さい!』
訳す勝二の言葉に一同は呆気に取られる。
どういう事だと理由を聞いた。
『抵抗しなければ命までは取られません! 皆さんは人質として金になりますから!』
人質と聞いて更に不思議に思う。
ただの旅人でしかないからだ。
キョトンとした顔の一行にヨゼフが言う。
『この際だから教えます! 皆さんを招いたのはオスマン帝国皇帝の妃、サフィエ・スルタン王妃です!』
「王妃だと?」
その言葉に動きが止まる。
ヨゼフは叫んだ。
『ここは大人しく人質になって下さい! 王妃が必ず助けて下さいますから!』
こうして一行は海賊に囚われた。
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