第112話 ローマン・コンクリート
「しっかりと抱いたか?」
翌朝、ニヤニヤとした顔で信長が尋ねてきた。
真面目に答えるのも馬鹿らしいと思ったが、何か意味があっての事だと思い直す。
しかし分からない。
「私には意図が掴めません……」
正直な気持ちを述べた。
勝二の言葉にキリッとした顔となり、言う。
「あの商人は何か隠しておる。下心のある者の提案に乗るのも一興であろう?」
クククと笑い出しそうな表情だった。
確かにマルコの話はどこか嘘っぽく、頭から信じている訳ではない。
そうであれば尚更疑問に思う。
「危険なのではありませんか?」
「スペインの王女が同行しておる。滅多な事はすまい」
「それは、そうですね……」
その指摘も尤もだった。
「それに、その方が遠慮すれば下の者は気兼ねするぞ」
「え?」
それは美女の事であろう。
勝二が断ったのに、勝二に仕える重秀らが頷く訳にはいかないと言いたいのだ。
「そのような者達には見えませんが?」
怪訝な顔で勝二は言う。
図太い彼らにそんな心はなさそうである。
「馬鹿を申せ!」
勝二の心得違いを信長が叱る。
「確かに色々と足りない者達だが、上下の区別はつけておろう!」
「そ、そうなのですか!?」
目をぱちくりとさせている部下に信長は呆れた。
勘が鋭く知識も豊富だが、どこか抜けている事を思い出す。
「清貧であろうとするのは構わぬが、仕える者の事情も考えよ。誰もがその方のように欲が少ない訳ではなかろう?」
「それは、そう、ですね……」
元々物欲も色欲も少ない方であった勝二は、娯楽の少ないこの時代でもそこまで困らないでいた。
それこそ、重秀らの方が退屈を覚えるような暮らしであっても。
知らずに無理をさせていたのかと勝二は反省する。
ならば良しとばかり、信長は話題を変えた。
「ところで勝二よ、ローマ帝国はどれくらい昔の事であったか?」
「国の始まりはおよそ2300年前(紀元前8世紀)で、初代皇帝アウグストゥスが就任したのがおよそ1600年前(紀元前27年)です。東西分裂したのが1200年前くらいとなります」
急に振られた話であったがスラスラと答える。
「そうであったな。では、あれらの建物は一体何で出来ている? どうして壊れていない?」
信長はコロッセオを念頭に、不思議そうに言った。
壊れている部分もあるが、尚もしっかりと建っている。
「石にしては継ぎ目がない。真、不思議な事よ」
つぶさに観察したが、石のようでもあるし粘土を固めたようにも見える。
しかし、粘土であれば焼かない事には雨で崩れていくし、石であればどれだけ大きな塊をくり抜いたのか見当もつかない。
「あれはローマン・コンクリートでございます」
「ローマン・コンクリート?」
やはり気づいていたかと思った。
観察眼に優れた信長であるので、必ずやローマン・コンクリートに着目するだろうとは予想していた。
そしてその正体を聞いてくるだろうとも。
「近い物を挙げるとすれば漆喰でしょうか」
日本に在る物で説明するならそれが該当する。
当然、新たな疑問が生まれる事も予想していた。
「漆喰であのような巨大な建物を作れるのか?」
「試した事がないので分かりかねます」
漆喰は土壁を風雨から守る為に表面に塗り、瓦のズレ予防で塗布するが、漆喰そのもので家を建てる事はしない。
しかし二人ともその理由を考えた事はなかった。
そういうモノだと思い込んでいた。
「国へ帰ったら早速試さねばならぬな」
顎に手をやり、楽し気に信長が言った。
もしもローマン・コンクリートが手に入れば、どんな建物を作ろうかと思案しているようだった。
「して、勝二」
「何でしょう?」
質問は続くようだった。
「先ほどのその方の答えだが、漆喰がローマン・コンクリートに近いというのは理解したが、近いのであってその物ではないのだな? どう違う?」
「ローマン・コンクリートは火山灰を使っていると聞きました」
「火山灰?」
「私が聞いた限りです」
聞いたと言っても現代での話だ。
勝二の答えに信長が喜ぶ。
「火山灰であれば我が国でも試せるではないか!」
「そうでございますね」
日本に活火山は多く、容易に手に入る。
「して、その作り方は?」
「それが……」
火山灰が手に入っても、一番大事なモノがない。
「製造技術は失伝していると聞きます」
「失伝した? 何故だ!」
その製法は歴史に埋もれてしまった。
今は誰も作り方が分からない。
「何分昔の事ですから、伝える者が絶えてしまったのでしょう」
「ええい、勿体ない!」
信長が悔しそうに言った。
勝二は付け加える。
「一子相伝の技術など、何かの切っ掛けで失われるのは容易いかと」
「うぅむ、確かにな」
戦争や病気で家族ごと絶える事は多い。
「勝二!」
何を思ったか、信長が唐突に叫んだ。
勝二は先を読んで答える。
「私には荷が重すぎます!」
「まだ何も言っておらんぞ!」
「ローマン・コンクリートを再現せよと仰せなのでしょう?」
「分かっているではないか!」
「ですから無理だと答えました」
そうなるだろうなとは思っていた。
知っていれば出来る事と、知っていても出来ない事がある。
今回は後者だった。
その答えに信長は苛立つ。
「ええい! 千年前の者が出来た事を出来ぬと申すか!」
「生涯を懸けて打ち込めば或いは、私でも成せるかもしれません」
「たわけ! そのような時間などないわ!」
やらねばならない事は多く、勝二に任せる事案は山積みだった。
主人の意を汲み意見を述べる。
「足りない知恵は広く世間に求めれば手に入るかもしれません。マルコさんに頼み、ローマ中から知恵を集めてみては如何でしょう?」
「ふむ、やるだけやってみるか」
現代には伝わっていなかっただけで、この時代では知っている者が残っている可能性もある。
「早速取り掛かるのだ!」
「畏まりました」
信長の指示を受け、勝二は直ぐに動いた。
別の日。
「折角イタリアに来たのに何だか物足りないですね」
流石はローマであろうか、マルコが用意してくれる食事は美味しかった。
しかし、味気ない。
「イタリアと言えばやはりピッツァ」
現地でしか食べられない物を食べ歩く事が、欲の少ない勝二の唯一とも言える趣味だった。
「この時代ではまだ生まれていない料理のようですね」
マルコの屋敷でも市中でもそれを目にしていない。
それどころか、それを作るのに必要な野菜が市場に出回っていなかった。
「観賞用として育てているとは」
物好きが趣味で育てているレベルである。
なので、完熟した物は僅かな量しか手に入らなかった。
「料理の歴史を進める訳ですが、まあ、今更ですか」
人を殺す訳でもなし、それほど悩む必要はないだろう。
葛藤を乗り越え、勝二は心を固めた。
「今日はピッツァを作ってみたいと思います」
マルコの屋敷にはパン窯があり、作ってみようと思ったのだった。
『材料は発酵させたパン生地、トマトを煮詰めて作ったソース、チーズ、ハムです』
パン生地などはマルコに頼んで用意してもらった。
材料を聞き、イサベルが怪訝そうな顔をする。
『トマト? 新大陸からもたらされた、あれですの?』
『そのトマトです』
知識はあるようだった。
『食べられるのですか? 観賞用ではなくて?』
『原産地では食べられていますよ』
栄養満点である。
『それでは作っていきます』
勝二はピッツァ作りを始めた。
皆、興味深く見守っている。
『まずパン生地を丸く薄く伸ばします』
と言っても本人は作らないので、隣にいる者らに指示を出す。
「さ、幸村君、やって下さい」
「どうして俺が……」
「ブツブツ言わない」
『ノエリアさん、手伝ってあげて』
言われたノエリアは嬉しそうな顔をした。
それを見た幸村は開きかけた口を閉じる。
「さ、早く」
「……分かったぜ」
渋々言う通りにした。
切り取ったパン生地を打ち粉を打った板の上に取り、パンを伸ばす棒で薄くする。
瞬く間に大きな煎餅のようなモノが何枚も出来た。
『そこにトマトで作ったソースを塗ります』
真っ赤なソースを塗りたくる。
『このソースはトマトにバジルやニンニク、オリーブオイルなどを混ぜ、煮詰めました』
ここまでだと醤油煎餅を作る工程と似ている。
『そこに薄くスライスしたハムなどを乗せ、全体にチーズを被せます』
準備は出来た。
『後は窯で焼くだけです』
パン窯も準備されている。
蓋を開けると真っ赤な熾があった。
『チーズに焦げ目がついたら出来上がりです』
直ぐに火が通る。
入れては出し、次を焼いていく。
『熱いうちにどうぞ』
冷めたら美味しくない。
焼けたピッツァにナイフを入れて8等分し、皆に食べるように勧めた。
イサベルらは一斉に手を伸ばす。
『美味しいわ!』
『焼けたチーズが香ばしいんだよ!』
「美味なり!」
ローマ名物ピッツァの誕生である。
そして、ヴァリニャーノからバチカンに来て欲しいとの連絡があった。
歴史のロマン、ローマン・コンクリート。




