第108話 サラの願い
「ここがその方の屋敷か。古くて小さいな」
『ボロ屋で悪かったね!』
客の一言にムッとした家主は声を荒げ、慌てて右手を押さえてうずくまった。
どこかにぶつけたようだ。
肘まで巻かれた包帯が痛々しい。
『く、薬を換えないと……』
「ほう?」
信長は息も絶え絶えなサラの言葉に興味を惹かれ、包帯を外すのに苦労している彼女を眺めた。
その様子をハラハラとした顔で見つめている若者に気付き、ニヤリとする。
「信親!」
「ははっ!」
いきなり名を呼ばれ、信親は飛び上がらんばかりに驚いた。
何事かと思い、信長の前に進み出る。
顎をクイっとサラの方に向け、ぶっきらぼうに告げた。
「手伝ってやれ」
「は、はい!」
信長にそう言われ、信親は嬉々とした顔で包帯と格闘しているサラに声を掛けた。
「貸してみなさい」
『お客にそんな事させられないよ!』
村で一夜を過ごした一行は、サラの見舞いに家を訪れていた。
火起請を無事にやり遂げた彼女であったが、鍋に突っ込んだ右手は火傷を負い、痛みで昨夜は眠れなかったらしい。
目の下に隈を作り、命の恩人だよと一行を招き入れていた。
「ごちゃごちゃと五月蠅い女だ。我らは急いでおる故、モタモタしているのは見ておれん!」
貸せ貸さぬといったやり取りをしている二人に信長は苛立ち、声を荒げた。
恩人の言葉にサラが大人しくなる。
いそいそと信親が包帯と取っていった。
「利き手でない方を使えばこうはならなかったのにな。先を見通せぬ女だ」
『そんな事まで考えられる筈ないでしょ!』
余りな言いようにサラは呆れた。
「火傷を見せてみろ」
包帯を取り終わったのを見て信長が言う。
サラは素直に右手を出した。
「そこまでは酷くない。直ぐに池の水に浸けたのが効を奏したようだな」
『池に落としてくれた誰かさんのお陰だね』
ジト目で信長を見る。
その右手は赤く腫れあがり、大きな水ぶくれがいくつも出来ていた。
しかし、沸騰した水に手を浸けた割には軽症に見える。
鍋から小石を取り出したのを見計らい、すかさず池の中へ彼女を蹴り落した信長の機転であった。
「薬は何を使う?」
恨みがましく自分を睨むサラを無視し、尋ねた。
興味は次に移っている。
溜息を一つつき、サラは説明する。
『アロエの葉だよ』
「アロエ?」
『これだよ』
サラはアロエの葉っぱを信長に見せた。
「ロカイだな」
『知ってるのかい?』
「我が国でも利用しているのでな」
『へぇ』
顕著な薬効があるとして、世の東西で古より用いられてきた薬草、アロエ。
中国では蘆薈と書き、日本でも鎌倉の頃には伝わり、ロカイと呼んだ。
「どこに生えているのだ?」
『アロエは良く使うから庭に植えているんだよ』
「ほう?」
サラはガラスの入っていない窓から庭を見せる。
日当たりの良い場所にアロエが生えていた。
庭にはそれだけでなく、色々な植物が植えられている。
『アロエは採り立てじゃないとね』
そう言って包丁を手に庭へと向かう。
信親が慌ててその後を追い、利き手が不自由な彼女の代わりに収獲した。
「家の中にも薬草らしき草が所狭しと置いてあるな」
『それで生計を立ててるんでね』
戻って来たサラに、家の中を見回して信長が言った。
梁に渡した縄には様々な草の束が掛けられている。
壁に備え付けられた棚も荷物で一杯だった。
「他にどんな薬草があるのだ?」
信親が採ってきたアロエの皮を剥き、中の透明な組織を取り出している。
必要な量を揃え、火傷の傷に貼り付け、新しい包帯を巻いていく。
サラは大人しくされるがままで、顔だけは信長に向けてその質問に答えた。
『頭痛、腹痛、下痢、風邪、熱さましやら色々さ』
「ほう」
感心したようにサラを見つめる。
信長の目線に誇らしげな顔をした。
「この大鍋は何に使う?」
『汁を煮詰めて作る薬もあるんでね』
「成る程」
そこまで聞き、信長はある事を思い出す。
「勝二の説明にあった魔女の通りだな」
『冗談はよしとくれよ!』
勘弁してくれとサラは天を仰いだ。
自分でもそう思っていたのだから。
『しかし、王女様が私の家なんかに来て下さるとはね』
『父の統治が行き届いておらず、貴女をそのような目に遭わせてしまったようです。誠に申し訳ありません』
『止めとくれよ!』
謝るイサベルにサラは恐縮した。
異様な風貌をした外国人の中にはスペイン人もおり、女性が三人も含まれていた。
他言無用という事で身分を明かされ、王女とそのメイドである事を知る。
国王の娘を自分のボロ屋に招いた事で焦ったサラであったが、逆に彼女から謝られたのだった。
『王女様がこんな村にどうして?』
目立った産業も資源もないこの村に、王女が来るような理由など思いつかない。
イサベルが説明する。
『陸路でバチカンに向かうのですわ』
『船で行けば早いのに!』
サラは驚いた。
マドリードからバチカンへ向かうのに、船を利用しないとは思いもしない。
『かのハンニバルの足跡を辿る旅ですわ』
『ハンニバルって、あの?』
サラも聞いたことがある。
ローマと五分の戦いを繰り広げた英雄の名を。
『あんたは言葉が上手だね』
『ありがとうございます』
サラは勝二と話す機会を見つけた。
通訳である彼と二人で話したかったのだ。
『この国の言葉は誰から習ったんだい?』
初めから疑問に思っていた事を尋ねた。
『以前、船に乗っていた時に、共に乗り合わせた友人からです』
『へぇ』
それは会話のとっかかりに過ぎない。
『あの子は?』
『ノエリアですか?』
一行には複数の女性が含まれていた。
王女イサベルとそのメイド、少女にしか見えないノエリアである。
『やっぱりスペイン人なのかい?』
客である日本人の見送りに、王女がバチカンまで付き添うというのも変わった話だが、あり得ない話ではない。
しかしノエリアは、王女とは関係なさそうだった。
一人の若い男の後ろを常に歩いていたからだ。
『マドリードで拾った孤児です。縁あって旅路に加わっております』
『ふぅん』
やはり王室とは無関係だった。
サラは自分の推測通りだった事に気を良くし、目論見を果たそうと思い立つ。
『あのさ』
『何でしょう?』
考えた事を話しだす。
『私もあんた達の旅に連れて行ってくれない?』
『え?』
唐突な申し出にその通訳は面食らったようだった。
『村から出たいのですか?』
『まあ、ね。あんた達のお陰で助かったはいいけど、これ以上はここに居たくないっていうかさ……』
『でしょうね……』
サラの置かれた状況を思い、その男は頷いた。
重ねて頼み込む。
『あんたからあんたらのお頭に言ってよ!』
親し気に話しているのを確認し、信頼関係があるのだと見て取った。
それくらいの事ならば具申しても問題はない筈だ。
礼儀に厳しい貴族の場合、使用人が主人に物を頼む事など覚束ない。
『今はこんなザマだけど、何かと役に立つと思うよ?』
右手を力なく上げ、弱弱しくアピールする。
まだ力を入れる事は出来ない。
『駄目かい?』
上目遣いで見る。
しかし、男はそんなサラを見てもいない。
暫く考え込み、口を開いた。
『サラさんが同行する事は全く構いませんが、出来れば成功率を上げたいところですね』
『成功率?』
何が言いたいのかと男を見つめる。
勝二は説明を始めた。
『単純に頼むのではなく、サラさんの能力が必要だと訴えれば……』
そこまで話して何かを思い出したようだった。
『そういえば!』
『どうしたんだい?』
急に興奮しだした男にサラは戸惑った。
『ちょっとお聞きしても宜しいですか?』
『さっきから気になってたけど、そんな勿体ぶった言い方しなくてもいいんだよ?』
馬鹿丁寧に過ぎるだろう。
村にそんな口調の男は新任の神父くらいしかいない。
『いえ、この言い方に慣れているので』
『そうかい? で、何だい?』
話を元に戻した。
『サラさんは虫除けに使う、白い花を咲かせる植物をご存知ですか?』
『虫除けに使う白い花?』
藪から棒に言われてもピンとこない。
『マーガレットのような白い花です』
それには思い当たった。
『……かい?』
『多分それです!』
勝二には聞き取れない長ったらしい名前だった。
虫に効く菊に似た草となればそうだろう。
そうに違いないと思った。
『ここにありますか?』
『ここにはないけど……』
それもまた都合が良い。
『見たら分かりますか?』
『まあね』
『良かった!』
『どうしたんだい?』
喜ぶ男をサラは訝しむ。
『いえ、ずっと手に入れたいと思っていた花なのです!』
『そうなのかい』
しかし今は大事な話をしている。
蔑ろにされていると思い、サラは不愉快になった。
不機嫌さを隠そうともしない女に男は慌てる。
『すみません、説明が不十分でした。旅の事ですが、断言は出来ませんが大丈夫だと思います』
『本当かい!?』
一転、笑顔である。
女優のような美人だなぁと勝二は思った。
『商機はシロバナムシヨケギクです』
『商機?』
商人らしく、勝機ではなく商機を掴む。
勝二は除虫菊を口実にサラの同行を信長に願い、了承された。
シロバナムシヨケギク・・・
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