第107話 鉄火
94話ですが、不動行光が普通の刀だと勘違いしておりました。
正しくは短刀です。
ですので鬼丸国綱に修正しております。
「蘭丸よ、この池の水を鍋で沸かしておけ」
「ははっ!」
信長の指示に蘭丸がそそくさと動く。
薪に火を点け煮炊き用の鍋を出し、池の水を汲んで火に掛けた。
それを見届け、信長は村人達に向き直る。
「話は聞かせてもらった。その方らのやり方では神の意志は分からぬ」
勝二が訳していく。
神の意志が分からないという言葉に、まず真っ先に村の神父が怪訝な顔をした。
『あなた方は一体?』
異国から来た事は分かるが、およそ見当がつかない。
「なに、海を越えてやって来た客に過ぎぬ」
そう言って西を指さす。
神父はその方向にハッとした。
『まさか、奇跡の国から?!』
突如として大西洋に現れた国、日本。
教皇は神の示した奇跡と認定し、日本をカトリック国にする事こそ神の望みだと、近しい司祭らに話しているそうだ。
それを思い出して神父は緊張する。
自分の態度で彼らが気分を害しては不味いと思った。
「奇跡かどうかは知らぬが、そのように呼ばれておるな」
一方の信長は楽し気に話す。
確かに島が移動するなど聞いた事がない。
妖の仕業にしては大袈裟で、神の存在を考えないではなかった。
どのような意図があってした事かは、まるで想像がつかなかったが。
「この場を仕切らせてもらうが構わぬか?」
信長が神父に尋ねる。
村落で決める事に余所者が関わっては良くない。
どのような決定であれ、遺恨を残す事になりかねないからだ。
しかし、彼の心配りは不要であった。
『どうぞ!』
二つ返事で神父が頷いたからである。
信長は後ろ手に縛られた女、サラの前に立った。
「女、お前は魔女なのか?」
その目を真っ直ぐに見据え、問う。
一般的なスペイン人と違い、その目は翡翠のように緑がかっており、長く伸ばした髪はうっすらと赤みを帯びている。
やや垂れ下がった目はどこか虚ろであり、きつく閉じられた唇に血の気はなかった。
己の趣味ではないが美しい娘だと信長は思った。
虫けらを見るような目で自分を見下ろす異邦人にサラは戸惑う。
まるで理解出来ない言語を発し、隣に立つボケーッとした男がスペインの言葉に訳していく。
その意味をようやく理解し、途端に彼女はムカムカとした。
どうして自分がこんな目に遭っているのだという怒りを思い出し、血の気のなかった唇に赤味が差した。
何の感情も見せず、尚も自分を見下ろす男を睨み返し、吐き捨てるように言う。
『魔女なんている訳ないだろ!』
サラの答えに男は微かに笑う。
少なくとも彼女にはそう思えた。
呆気に取られるサラには興味を失ったのか、男は村人達の方を向く。
「この女を魔女だと訴えた者は、この女が魔女であると確信しておる訳だな?」
見知らぬ男の呼びかけに誰も答えない。
互いに顔を見合わせ、どうしたものかと囁き合う。
そんな村人達にやきもきし、神父が進み出る。
『告発者は彼女です。パメラ、前へ出なさい』
そう言って一人の女を前へ出させた。
パメラは何が起こっているのか分からず、オドオドしている。
信長が冷たい目を彼女に向け、尋ねた。
「その方、この女が魔女であると確信しておるのだな?』
しかしパメラは回りをキョロキョロと見ている。
どう答えたらいいのか、他の者の意見を求めているようだった。
「もう一度聞く。この女は魔女なのだな?」
イライラを抑えて信長が尋ねた。
観念したのか、一呼吸置いてパメラが叫ぶ。
『この女は魔女よ!』
サラには視線を向けず、大体の位置を指さすのだった。
我が意を得たとばかり、信長が声を張り上げる。
「双方の主張、真っ向からぶつかっておるのにどちらにも証拠がない!」
そして続けた。
「ならば双方、神父の前で神に誓え! 神に誓って無実、神に誓って魔女だとこの場で宣言せよ!」
神父の前に聖書を置かせる。
「聖書に手を置いて誓え!」
信長に促され、サラとパメラが神父の前へと向かう。
縄をほどかれたサラが真っ先に言った。
『私は魔女じゃないと誓う!』
力強く宣言し、目を合わせようとしないパメラを睨んだ。
パメラは暫くモジモジしていたが、覚悟を決めたのか聖書に手を置いた。
『この女は魔女よ!』
そして挑むようにサラの視線を受け止めた。
二人の間からはバチバチという音が聞こえてくるようだった。
「女って怖ぇよな」
「……」
幸村の呼びかけに信親は応えない。
どうしたのかと彼を見ると、口をポカンと開けてサラを見つめていた。
「見惚れてやがる……」
ヤレヤレと天を仰いだ。
信長が言う。
「双方の主張は交わらぬので神の判断を仰ぐ!」
『一体どのようにしてですか?』
怪訝そうな顔で神父が尋ねる。
神の奇跡の体現者たる日本人のやり方に興味を持った。
「蘭丸」
「ははっ!」
彼の質問には直接答えず、信長は蘭丸を呼んだ。
以心伝心、主の意図は分かっている。
「沸いております」
「うむ」
その答えに満足し、ボコボコと音を立てている鍋の前へと移動する。
足元に転がっている小石を拾った。
「鍋に石ころを一つ入れる」
石をサラらに見せ、鍋の中へと落とした。
そして言う。
「神の審判はこうだ。双方がこの沸いた鍋に手を入れ、中に沈めた小石を掴み取れた方が正しい!」
ドヤ顔である。
それを聞いた者達は耳を疑った。
『嘘でしょ!?』
特にサラとパメラは驚きと動揺を隠せない。
沸き立っている鍋を見つめ、ゴクリと唾を飲み込んだ。
『疑われているのはこの女よ! どうして私がやらないといけないの!』
バチバチと燃える焚火の熱気にたじろぎ、堪らずパメラが叫ぶ。
あの鍋に手を突っ込んで無事でいられるとは思えない。
顔色を変えて異議を申し立てるパメラに、信長が澄ました顔で述べた。
「正しい者には神の加護がある! どちらの主張が正しいか、どちらも同じように試さねば判断出来ぬ! 先に取った方が正しいのだから、お前達、早くやった方がいいぞ?」
ほれほれと二人をけしかけた。
しかし二人は動けない。
毎日料理をしているので容易に想像出来たのだ。
酷い火傷は避けられない。
そんな二人の心を読んだのか、信長が平然とした顔で言う。
「火傷は負うが、片手くらいでは死にはせんので心配するな」
全身に火傷を負えば命はない。
信長の言葉に二人は呆れた。
『死にはせんって……』
『正しくても火傷を負うんじゃないのさ!』
パメラの抗議に不思議そうな顔をする。
「これは異な事を。その方らのやり方では魔女であってもなくとも死ぬではないか!」
『た、確かに』
『ふ、ふざけんじゃないわよ!』
納得するサラに対し、パメラは怒りを露わにして叫んだ。
瞬間、信長の傍に控える者達に緊張が走る。
腰に差した物に手を伸ばし、二人の間に割り込もうと足を出した時だった。
「聞けい!」
『ひぃっ!』
信長の一喝にパメラは肝を潰し、その場にヘナヘナと座り込む。
意味は分からないが動いてはいけないと理解した。
ガタガタと震えるパメラに語る。
「告発された者、告発した者、双方が同じ痛みを負う覚悟なしに神の審判など受けられぬ!」
これを湯起請という。
神に判断を仰ぐ盟神探湯の一種で、他にも火起請がある。
赤く焼けた鉄を手で受けさせて距離を歩かせ、成功するかどうかで判断するのだが、信長も若い頃にやっているという。
『な、何でこんな事に……』
呆然自失のパメラが呟く。
サラを池に沈めて終わる筈だったのだ。
ちょっと顔が良い事を鼻にかけ、教会の集まりにも出席しない彼女に反感を持つ者は多く、偽証者を得るのは簡単だった。
魔女である証拠はないが、魔女でないと証明する事も出来ない。
必然的に神に判断を委ねる筈だったのに、蓋を開けてみればこうである。
パメラが愕然とするのも無理はなかった。
心ここにあらずな彼女の耳にサラの声が響く。
『やってやる!』
『え?!』
我に返ったパメラの目に、決意に満ちたサラの姿が映った。
『濡れ衣を着せられて溺れ死ぬなんて真っ平ご免さ!』
『ほ、本気なの!?』
問いかけるパメラをキッと睨む。
『あんたが原因だろ!』
慌ててパメラは目を逸らした。
『やってやるよ!』
サラは覚悟を決めて鍋に手を突っ込んだ。
湯起請、火起請共にアレンジしております。




