第106話 魔女裁判
サラは裁判にかけられていた。
村の中心にある小さな池のほとりで両手を縄で縛られ、事の成り行きを聞かされている。
身動きが取れないまま、己に待つ過酷な運命を明確に感じ取っていた。
『この女は魔女だよ!』
全ては一人の女の告発から始まった。
『この女はアタイの夫を呪い殺した!』
『うちの亭主を誘惑しただろ!』
全く身に覚えのない事を村の女達が叫んでいる。
自分に出来る事は、山の奥に入って薬草を採って来る事くらいで呪いなんて知らないし、男にはさして興味がない。
『うちの子の傷口に毒草を塗ったんだよ!』
『効かない薬を売りやがって!』
お笑い草だとサラは思った。
毒と薬は表裏一体で、病気に効く薬も量が過ぎれば毒になりうる。
逆に、普段は毒草でも使い方によっては薬に変わる。
そんな事くらい山に住む者なら分かっている筈だ。
また、貧しい山村に町の医者が来る訳もなく、昔から病気にでもなれば、山で採れる僅かな薬草に頼るしかなかったではないか。
頼りない薬草で全ての病気が治ってきたとでも言うのか、サラは問い質したい気持ちがした。
快復しないまま死んでしまう病人に対し、無力さを痛感してきたのは、こうして公衆の面前で罵倒されているサラの方なのだ。
『被告人は自分が魔女でないと証明出来ますか? また、無実を証明してくれる者はおりますか?』
裁判官である新任の神父が尋ねた。
この若い男が来てから村の空気が変わった気がする。
神の奇跡が示されたとして、大いに張り切って赴任して来たこの男は、カトリックの威光を高めんと、事あるごとに村の慣習に口を挟んでくるのだった。
今までの神父は見て見ぬふりをしてきた村のアレコレ、カトリックの教義と矛盾するような村人の振る舞いを、聖書はこう書いておりますと一方的に主張し、頑として認めなかった。
異端ではないかと疑われた者も多い。
村人同士が密告し合うようになり、ギスギスした村となっていた。
『私は何もしてないけど、私の無実を信じてくれる人なんていないでしょ』
サラは半ばなげやりになって言った。
母を亡くしてからは一人で山の中に住んでいるサラに、擁護してくれるような友人はいない。
採ってきた大量の草を大鍋で煮詰める様は、まさにおとぎ話にある魔女のようで、足りない金を得る為に男に身を預けていた母の行いと併せ、村の女達からは嫌われている。
サラが美しい娘である事も嫉妬を煽っていた。
言い寄る男は多いのに、まるでなびかないサラに、彼女の母親を買っていた男達は怒りを溜めていた。
予想通り、彼女の無実を訴える者は出てこない。
そうなれば次はどうなるのか、サラも良く知っていた。
『神の判断に委ねよう!』
『神の裁きを!』
神父の高らかな宣言に、集まっていた村人は興奮した。
『被告を池に沈め、沈んだままなら無罪、溺れ死んだら魔女とする!』
『魔女には鉄槌を!』
『神の罰を!』
拳を天に突き出して口々に叫ぶ。
精神が錯乱しているように見える村人達が、全く知らない存在に見えた。
『やってらんないわ。どっちみち死ぬんだから』
手を縛られているが、お手上げだと天を仰ぐ。
雲一つない澄み切った青空だった。
そんな空を一羽のカラスがカーと鳴きながら横切っていく。
見る者が見れば不吉だと呟くだろう。
カラスなんていつでもいるので何の不思議もないのだが。
そんな時だ。
『馬?』
ヒヒーンと、馬のいななきが風に乗って聞こえてきた。
また、多数の馬の蹄の音が近づいている。
大勢がこちらにやって来ているようだ。
血も涙もない領主が税の徴収にでも来たのだろうかとサラは思った。
一瞬、助かるかもと考えたが、たとえ領主に無実を訴えたところで、あの冷血漢では下手に関わりを持とうとはしないだろう。
村人の機嫌を損ねれば徴税に支障をきたしかねない。
『何だい、ありゃ?』
村に現れたのは、サラがこれまで見た事のない恰好をした者達だった。
「魔女とは何だ?」
信長が勝二に尋ねた。
集まった村人達が恐怖心からか遠巻きに見ている。
何でも魔女裁判とやらが行われていたそうで、一人の女を池に沈めようとしてらしい。
アルベルトが割って入り、取りやめさせている。
一行の正体、目的を聞き、村の神父は仰天していた。
「魔女とは魔法を使うとされる者達で、悪魔を崇拝し、キリスト教徒を堕落させる者として忌み嫌われております」
「魔法?」
更に理解出来ない単語である。
「魔法とは簡単に説明致しますと、念ずるだけで物を燃やしたり、呪いで人を殺したりするような不可思議な現象です」
「はっ! そんな便利な物、ある筈ないだろう!」
言下に否定した。
そんなモノがあれば、誰も戦などせずに呪いで決着させるだろう。
現に本願寺は熱心に自分の死を祈祷していたと聞くが、今もこうしてピンピンしている。
また、延暦寺に火を放ち、中に籠る坊主を焼き殺そうとした折、必ずや仏罰が下るぞと脅されたが、一向に下る気配はない。
呪いや悪霊が存在しない証拠だ。
「悪魔とは何だ?」
「信長様が名乗られた第六天魔王と同じようなモノかと」
「二度とその名を口にするでない!」
信長は顔を赤くして叫んだ。
天台宗の座主と自認していた武田信玄に対抗して名乗っただけで、若気の至りだったと今では後悔していた。
「ならばこやつらは何をしておったのだ!」
プンプンとした顔で信長が言った。
「魔女かそうでないか、神に判断してもらうのです」
「神に?」
「そうです。池に沈めて浮かんでこなかったら無罪、溺れ死んだら有罪です」
「何だそれは?! どちらにせよ死んでしまうではないか!」
何を馬鹿な事をと思ったが、後ろ手に縛られた女の様子に嘘ではないと知る。
「無実であったらどうするのだ!」
気になったのはその点である。
無実の者を殺した告発者は裁かれないのかと。
しかし直ぐに思い直す。
池に沈めて浮かんでこないとは、つまり溺れ死んでいるのと同じ事だろう。
どうあっても魔女と認定されてしまうではないかと思った。
「お主の父は何をしておる! このような無法を許しておるのか!」
イサベルに詰問した。
領地で起きた不祥事は領主の責任である。
つまりイサベルの父フェリペの怠慢だ。
『言いがかりです! お父様は異端審問こそ力を入れてますが、魔女狩りなんて野蛮な事は許しておりませんわ!』
イサベルが反論した。
「ええい、異端審問とは何だ!」
聞き慣れぬ単語ばかりである。
「異端審問とは、要はカトリックの正当な宗派の信徒かどうかを見極める審査会ですね」
「カトリックの正当な宗派だと?」
その意味するところが分からない。
「イスラム教、ユダヤ教は異端ですし、カトリックの中にもバチカンが認めていない宗派があるのです」
「正当だと誰が決める?」
「バチカン内部で、ですね」
「左様か」
良くある話だと思った。
組織に都合の悪い集団は異物として排除するのは、日本だけではないらしい。
『付け加えておきますが、たとえ異端であっても、改宗すればその罪を許しておりますからね!』
イサベルが力を込めて主張する。
自国の名誉が掛かっていると思ったようだ。
『異端の者がカトリックに改宗するという事は、カトリックの正当性が優ったという事なのですから!』
言うならば陣取りゲームである。
信徒はスコアーであり、自陣に多く取り込んだ方が勝ちとなる。
従って、異端であるからといって殺していては、スコアーの総数を減らす浅はか
な行為であろう。
また、改宗させる場合、異端への信仰篤き者であればあるほど、成功した時の得点は高い。
強固な信心を覆せるくらい、カトリックの教えは素晴らしいのだと見なされる。
「しかし改宗せねば死、なのであろう?」
『誤解です! スペインから追放するだけですわ!』
意地悪な信長の質問をイサベルは否定する。
寛大さもカトリックを広める上で重要だ。
「もうよい!」
そんな事はどうでもいいとばかり、信長が吼えた。
「我が国における、神の判断の仰ぎ方を教えてやろう!」
沈んだままなら無罪、溺れ死んだら有罪などと、人を虚仮にしているにも程がある。
双方にとり、もう少しマシな方法を見せてやろうと思った。
裁判の様子、異端審問はあくまでイメージです。




