竜王、同胞との邂逅。
カンカンカン、と畑に備え付けられた鐘の音でラウルは目を覚ました。
設置されてはいるが、今まで使われることのなかった鐘は、畑によそ者が侵入したことを報せる緊急手段だ。
飛び起きたラウルはすぐに上着を着込み、起きてしまったハナユリとリンに声を掛けると家から飛び出した。
畑までは五分と掛からない。松明を手に取った老人たちが、畑の前で立ちすくんでいる。
「いったいなにが起こったのだ!?」
「おぉ、ラウルくん。それがな……」
畑を覗いていたリールに声を掛けると、他の老人たちもラウルの為に道を空ける。
とにかく状況を知りたいラウルは老人たちに頭を下げながら、集団の先頭に躍り出る。
「これは……っ」
それはあまりにも酷い光景だった。昨日ラウルが耕し、老人たちが整えた畑が踏み荒らされていたのだ。
芋は掘り返され、食い散らかされている。植えた野菜は噛み千切られ、大半はだめになってしまっている。
老人たちからため息の声が零れるのは無理も無いことだ。だがそれ以上に、事態は深刻である。
「なあラウルくん。あいつは、なんなんだ?」
老人の一人が、松明を掲げて遠くを照らした。びくりと何かが蠢いて、ラウルも思わず声を荒げる。
「何者だ! 畑を荒らすなど、許さない行為であるぞ!」
「っ……!」
ラウルの声に反応して、暗がりの中から一人の男性が姿を現した。
だが――その姿は普通の人間ではなかった。
「な……」
「ラウルくん、知っておるのか?」
言葉を失ったラウルに、老人が問いかける。
ラウルは、老人の言葉通り、彼らを知っている。
だがそれは彼らと面識があるわけで無い。
知っているのは、彼らが純粋な人間ではない――魔族である、ということ。
頭の上に存在する、ふさふさの毛に覆われた三角の耳。臀部から生えている、豊かな毛の尻尾。頭身は人間と限りなく同じである彼らは、人狼と呼ばれる……『魔族』であった。
「……人狼族という、魔族……のはずだ」
かつての記憶を思い出す。遠い昔の記憶だ。
それは竜王であった頃の記憶。全ての魔族を支配し、統一した時代の記憶。
人狼族は、その中でも最初に支配を受け入れた一族だった。
人狼族の少年少女たちの中に、生体と思わしき個体は誰一人としていない。
そして、ラウルを、村人たちを見ている目に恐怖の色が宿っている。
怯えている。人狼族が、ラウルならともかく、老人を見て怯えている。
ラウルはそんな人狼族に違和感を感じてしまい――思わず、一歩を踏み出してしまう。
「っ!」
先頭にいた少年が身体をすくめる。抱き締めた少女を守るように背中に隠し、視線だけはずっとラウルから逸らさないでいる。
「……大丈夫か?」
静かに、けっして怖がらせないように、ラウルは優しく語りかける。
だが人狼族の少年は後退りしてしまい、再びラウルとの間に距離が出来てしまう。
歩み寄るべきか。――歩み寄るべきだろう。
「リール、ハナユリに頼んでパンとスープを持ってきてもらえないか?」
「あ、ああ。……魔族、なんじゃろ?」
「明らかに敵意も何も抱いていない。むしろ余たちを見て怖がっている。……せめて、事情を聞くべきだ」
「わかった」
リールは踵を返して走り出し、村人たちもラウルの判断に従った。
畑は踏み荒らされ、作物は食い荒らされているが――そこに悪意は感じられなかったのが、ラウルの見解だ。
「少し待っていてくれ。今、食事を持ってきて貰う」
「……ごは、ん?」
「ああ。腹が減っておるのだろ?」
「……はい」
ラウルの言葉に、少年は素直に首を縦に振った。決して警戒を解かれたわけではないが、ラウルの言葉に少しだけ、緊張は和らいだ。
「ラウルさんっ」
しばらくして、ハナユリが大鍋を運んでくる。ラウルも運ぶのを手伝い、リールはすぐさま火を起こした。
水や野菜をふんだんに放り込み、即席のスープを作り始める。
「ラウルさん、ごめんなさい。パンはもう切れちゃってて」
「……うむ。今からパンの完成を待っていたら、あやつらが倒れてしまうかもしれん。ひとまずはスープと野菜で腹を満たしてもらうしかないな」
「はい……。……魔族、なんですね」
スープを作りながらも、ハナユリもまた人狼族の少年少女に視線を投げる。
しまった、とラウルはハナユリを指名したことを後悔した。よりにもよって、身内を、夫を魔族に奪われたハナユリに魔族の食事を作って欲しいなど、頼むべきでは無かった。
だがそれでも、ラウルにとってすぐに頼れるのはハナユリしかいなかったのも、事実なのだ。
「ああ。敵意はないようだ。……餓えてはいるが」
「わかりました。すぐに作りますね」
「あ、ああ」
驚いたことに、ハナユリは何も言わずに調理を続けた。首を傾げているラウルに気付いたハナユリは、悲しげな表情で微笑みを見せる。
「……あの子たちが、あの人を奪ったわけではありませんから」
「……そうか。すまないな」
「謝らないでください。お腹が空くのは、辛いでしょうし」
会話を続けている内に、野菜のスープが完成する。ハナユリはすぐに皿に盛り付け、先頭の少年に歩み寄る。
ラウルも隣に立ち、スープの入った皿とスプーンを、少年から少し離れたところに置く。
「一先ずはこれでも飲んでくれ。毒などは入っておらん」
「……」
近づけばそれだけ警戒されてしまう。それをわかっているからこそ、ラウルとハナユリは敢えて距離を置いた。二人が離れると、少年はスープとラウルたちに交互に視線を向ける。
ぐぅ、と大きな腹の虫が鳴いた。空腹に耐えかねた少年はそっとスープを手に取り、一口啜る。
「……っ!」
それがよっぽどお気に召したのだろう。少年は一気にスープを傾ける。熱さなどお構いなしに、スープを飲み干した。
空になった皿を地面に置くと、少年は後ろの仲間たちに目配せする。それを見たラウルも、すぐに次の皿にスープを注いだ。
「皆さんも、いかがですか?」
「……みんな、大丈夫だ。……いただこう」
少年の言葉を皮切りに、人狼族の少年少女たちはこぞってスープに飛びついた。
よっぽど餓えていたのだろう。五人ほどの少年少女は、スープを飲んではおかわりを繰り返し、しまいには泣き出しながらスープを傾けるほどだ。
「この子たち、何処から来たのでしょう」
「余にもわからん。……だが、辛い思いをしてきたのは事実だろう」
パチパチとたき火の音を聞きながら、ラウルとハナユリは食事を続ける少年たちを見守っている。
ほどなくして落ち着いた少年たちは、深く頭を下げてきた。
「ごめんなさい」
「「「「ごめんなさいっ!」」」」
少年の言葉に続くように、後ろの少年少女たちも頭を下げる。
耳も尻尾を力なく垂れてしまい、それだけで彼らの懺悔の気持ちが伝わってくる。
頭を下げ続けている少年の頭を、優しく撫でる。
「まずは、話をしよう。お前たちは、どこから来たのだ?」
頭を上げるように促して、ラウルは少年たちと向かい合うように地面に座り込んだ。