竜王、慰める。
混乱しているハナユリに事情を説明しようにも、リンはずっとラウルにべったりで、中々落ち着いて話す時間を取れないでいた、が。
パンとスープで軽めに夕食を済ませると、疲れていたのかリンはぱたっと電池が切れたように眠りについた。
眠りに落ちる最後の瞬間まで、決してラウルから離れようとしなかった――そんなリンを見て、落ち着きを取り戻したハナユリは悲しげな微笑みを浮かべている。
「待たせたな」
「いえ……リンを運んでもらって、ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げてくるハナユリは、ちらりとリンが寝ている隣の部屋に視線を向ける。
そしてゆっくりと、ラウルの方へ視線をずらした。
その瞳には先ほどまでの悲しみは無く、――静かな、決意が浮かんで見える。
「リンは……お父さんを求めていたんですね」
「うむ。他ならぬリン自身の口から、聞いたのでな」
「……家や畑の手伝いをして、村の人から可愛がられて……父親のことを知らないから、それが当たり前だって、思っていました。父親を知らないから、父親を必要としていなくても、大丈夫なんだって」
ぽつりと零した言葉は、ハナユリがリンに抱いていた想いなのだろう。
母親として、ハナユリはリンに誰よりも愛情を注いで育ててきた。それは出会ったばかりのラウルですらもわかるほど、ハナユリとリンの母子は仲睦まじい。
だから、ハナユリは先ほど寂しげで悲しげな表情を浮かべたのだ。
娘のことなら、母親である自分が一番理解している。そう思っていたから。
「リンは聡い子だ。きっと、それを望めば……お前が悲しい顔をすると、理解しているのだろう」
「……そう、でしょうね」
ハナユリはそっと視線を伏せた。それ以上は語りたくないとばかりに、唇を固く結ぶ。
月明かりが窓から差し込み、虫の鳴き声だけが聞こえてくる静かな空間。
こんな空気で無ければ居心地も良いだろうにと、ラウルは心の中で毒突く。
「……あの人は、帰ってきませんでした。ただただ、戦死した、とだけ便りがきて。あの人は……生まれたばかりのリンを一度しか、抱いていないのに」
ハナユリの身体が、震えている。
よせ、とラウルはハナユリを止めようとする。だがハナユリは言葉を吐露していく。
今にも泣き出しそうな表情で。それがラウルには、とても辛いことで。
「大きな人でした。こんな世の中でも、手を繋げばわかり合えると。人と魔族に争う理由なんかないと。だから戦場に赴いて、話をするんだと。そう言って、あの人は旅立ちました。帰ってくるって、約束、したのに」
ぽろりと滴がこぼれ落ちる。けれどラウルは動けない。顔を伏せたハナユリは、声を荒げるわけでもなく、必死にあふれ出そうな感情を抑え込みながら、愛した人――夫のことを、静かに語る。
「約束、したんです。帰ってきて、畑を耕して。リンの成長を見守るんだって。それ、なのに。それなのに……!」
声があふれ出そうになった瞬間に、ラウルは身体を強引に動かした。
目の前で泣いてしまったハナユリの身体を、そっと抱き締める。
それが『してはならないこと』だと察していても、ラウルには抱き締めることしか出来なかったから。
「もう、よい。辛い思い出を語る必要などない……っ」
「……っ。でも、でも、でも……!」
ハナユリの口から零れそうな言葉には、検討がついている。
そしてラウルは、何よりもその言葉を聞きたくない。ハナユリの口から、聞きたくない。
だから、抱き締めたままハナユリの顔を自らの胸に埋めさせる。強く抱き締め、言葉を封じる。
「……その言葉を吐かないでおくれ。お前の口から、憎しみの言葉は聞きたくない」
愛する人を失った感情を、誰にぶつければいいのだろうか。
リンに? 否。
村人に? 否。
領主に? 否。
――愛する人を奪った、魔族に、だ。
「言葉には強い力が込められている。余は……お前には、そんな感情に引きずり込まれて欲しくない」
暗い感情に飲み込まれてしまわないように、ラウルはあやすように、ハナユリの背中を優しく撫でる。
静かな嗚咽が聞こえてくる。ハナユリが泣き止む一時の間、ラウルはずっとハナユリを撫で続ける。
今の自分にはそれしかできないから。それが酷く、もどかしかった。
ゆっくりと、ハナユリが身体を起こす。少し紅潮した頬は、月明かりに照らされて彼女をより艶やかに見せる。
「……申し訳ありません。お見苦しい所をお見せしてしまい」
「いや、構わぬ」
「ありがとう、ございます」
昼間のリンと同じように、ハナユリもまた顔を上げてラウルを見つめていた。
潤んだ瞳がラウルの胸を打つ。とくんと脈打つ心臓に、ラウルは戸惑いを隠せない。
この感情を、ラウルは知らない。
「……ラウルさんは、あの人に似ていますね」
「そうなのか?」
「……はい。姿形ではなく、在り方が……全てを包み込み、受け止める。そんな感覚を、あなたから感じます」
「余はそんな大層な存在ではないよ」
じっとりと見つめられ、心臓が早鐘を打つ。それに気付いたのか、ハナユリはそっとラウルの胸に手を当てた。
「……きっと、あなただから。あなただから、リンは懐いたのでしょうね」
ハナユリに見つめられ、ラウルは思わず顔を逸らしてしまう。
どうして逸らしてしまったのかも、ラウルはわからない。理解出来ない自分の行動に混乱しつつも、胸に置かれたハナユリの手をそっと握った。
「余は、リンの父となっていいのか?」
「……ええ。ラウルさんさえよければ」
「そうか。それは、ありがたい」
ラウルの言葉を聞いて、ハナユリはぽすん、とラウルの胸に顔を埋めた。リンとまったく同じ仕草に、しっかりと母子の繋がりが垣間見える。
頭を擦り付けられ、くすぐったさを感じつつも、ラウルは黙ってそれを受け入れる。
「もう、少しだけ……もう少しだけ、このままでいさせてください」
「……ああ。お前が望むのであれば、いくらでも」
「……ありがとう、ございます」
激情を抑え込むのに相当神経を使っていたのだろう。少しの時間が過ぎると、静かな寝息が聞こえてくる。ラウルは眠ってしまったハナユリの頭を優しく撫でると、寝室にまで運び、リンの隣に静かに寝かせる。
最後に見たハナユリの寝顔は、安らかな表情であった。
たとえ一時でも、ハナユリを安心させることが出来たのであれば――。
ラウルはほぅ、とため息を吐き、再び夜空を見上げるのであった。




