これからすべきこと――まず、最初に。
「静かだな」
「静かですね」
「しずかー」
ラウルはリンを膝に座らせ、河で涼んでいる。ハナユリもラウルの隣に腰掛け、共に静かな時間を共有している。
河のせせらぎは自然と心を癒やしてくれる。膝の上でごろごろと猫のように丸くなっているリンの頭を撫でながら、ラウルはハナユリを抱き寄せる。
どこからどう見ても仲睦まじい親子の光景だ。見ている側も幸せを感じ取れるほど、暖かな家族だ。
そんなのどかな光景に、嫉妬の目を向けている影が一つ。もう一つの影は呆れていた。
「うぎぎぎぎ」
「何木陰から歯を食いしばってんだよ」
人狼族の長、エリクシア・ウェアリティはラウルたちを見て歯を食いしばっている。仲睦まじい親子の邪魔をするつもりはない。
けれど、エリクシア――エルはラウルを慕っている。それも百年も前からずっと。
魔族の頂点である竜王ラウルに実力でねじ伏せられ、忠義を誓ったあの時からずっと――寂しい瞳をしていた彼を、慕っていた。
今のラウルは、そんな目をしていない。それはエルにとっても非常に喜ばしいことなのだが、それをしたのが自分ではないことが、悔しいのだ。
エルを見て呆れたため息を零しているのは、リューネ・モルドレイト。エルフと人間の間に生まれた奇跡の子として、王族の庇護を受けていた過去を持っている。
けれどその王族はもういない。聖王国は滅び、戦王国へと名を変えた。
一人放り出されたリューネは恨み妬み憎悪を糧に生き続けた。いずれ戦王国の全てを滅ぼすつもりで研鑽を重ね、人も魔族も全てを殺すつもりでいた。
だがそれはラウルとの出会いによって潰えることとなる。ラウルと出会い、語らい、戦場を共にすることにより、彼の信念に協力することになったのだ。
今ではこの村を守る最高戦力として一目置かれているほどだ。
とはいえまだ先日負った怪我が癒えていない。折れていた手足は綺麗に治ったが、まだ身体の怠さが抜けていない。
そんな中今後の方針をラウルとエルと交えて話そうと思っていたのだが――嫉妬の炎を目に宿したエルを見てため息を吐いた。
「竜王様が幸せなのは喜ばしいことなのです。ですが、ですが……どうして隣に妾がいないのか……!」
「あいつのことだから真っ正面から『好きです抱いてください!』って言えば解決しそうだが」
「なりませぬ! 確かに魔族であれば一夫多妻もあり得るでしょうが、今の竜王様はヒトなのです。ハナユリ殿を選んだのであれば、妾はその選択を肯定するのです」
「あーこいつめんどくさい拗れ方してる奴だ」
「何がめんどくさいのですか!」
「そこら辺が」
すっかり打ち解けたエルとリューネは二人してラウルたちを見守っている。
連日ラウルは他の村への視察へ向かい、今日は一週間ぶりに家族が揃ってゆっくり出来ているのだ。それを邪魔するほど二人は無粋ではない。
「リューネ殿だってラウル様を慕っているのでしょう?」
「は? ――はぁ!?」
「しーっ。声が大きいですよ!」
「ば、馬鹿じゃねえのか!? 俺にとってラウルは同志だ同志!」
「ほー。それならいいのですが」
「なんだよ……」
リューネは顔を真っ赤にしながらジト目を向けてくるエルをにらみ返す。
ずっと一人で生きてきたリューネは人一倍色恋沙汰に疎い。自分の気持ちに蓋をして生きてきたからこそ、自分の感情に気付きにくい。
少なくとも、リューネはラウルを慕っている――自分と同じ感情を抱いているとエルは踏んでいるのだが。
「っふ。まあいいのです。妾とてハナユリ殿が許してくれるのであれば愛人の座でも満足できますし、リューネ殿が竜王様を支えてくれるのであれば、心強いとも考えています」
「だからなぁ……!」
「おっと。大声で騒いでラウル様たちの邪魔をしてはいけませぬ。リン殿が悲しみますよ」
「くそ、こいつ人の弱みにつけ込んで……!」
リューネはリューネで亡き姫君に瓜二つのリンにめっぽう弱い。それこそ少しでもリンの話題を出されたら引きざるを得ないほどに。
そのリンは家族の次にリューネに懐いているのも事実だ。まるで姉妹のように仲の良い二人はすっかり村の名物と化している。
「……何をしているのだ、二人とも」
「おー、エルとお姉ちゃんだー」
さすがに騒ぎすぎたようで、ラウルに見つかってしまった。居心地の悪さを感じつつも、二人はラウルたちと合流する。腰を下ろしたハナユリが四段に重ねたお弁当を広げていた。
「エルさんとリューネちゃんも来てたのですね。それじゃあ、みんなでご飯にしましょうか」
「今日はハナユリ手製のスープとパン、それに隣村からライスも頂戴してな。握り飯もあるぞ」
「……いただきます」
「お姉ちゃんも、食べよ?」
「ああそうだな。頂くよ」
すっかり馴染んだ光景に、ラウルは微笑みを浮かべた。丸くなったリューネもそうだが、エルが人間と食事を共にしている光景がとても嬉しいようだ。
この食卓だけでも、ラウルの夢が叶っている。
人と魔族の共存――いや、そんな大それたことではない。
ラウルにとっては、人も魔族も関係ない。等しく平和を思う心があるのなら、種族の垣根など関係ないとさえ考えている。
「うむ、やはりハナユリのスープは上手い。身体に活力が漲る」
「はい。愛情たっぷり込めてますので」
「ああ、感謝している。余は幸せ者だ」
「そんな……私だって、ラウルさんに幸せにしてもらってますよ?」
「そうだな。……愛してるぞ、ハナユリ」
「ラウルさん……」
ラウルはハナユリを真っ正面から抱き寄せ、二人はじっくりと見つめ合う。ハナユリは瞳を潤わせ、瞳を閉じる。
「ごほんっ!」
「っ……~~~!」
「おー、お母さんの顔が真っ赤だー」
「リンにはまだ早いからなー」
「見えないー」
二人の世界に浸っていた空気を、エルが咳払いをして霧散させた。さすがにリンも見ているのだから控えて欲しいとのことだろう。
そのリンはリューネによって顔を手で覆われ視界を塞がれている。
「仲睦まじいのは結構ですが、時と場所を考えましょう」
「ははは、すまんなエル」
「じ、自粛します……」
苦笑するラウルとまだ顔が赤いままのハナユリを見て、エルはため息を吐く。けれどそれは二人の幸せを思ってのため息でもある。やれやれ、と口に出しても結局は二人の幸せを守りたいと考えるあたり、エルのラウルへの忠誠心は本物だ。
「そういえばり……ラウル様、視察が終わりリューネ殿の傷が癒えたらしたことがある、と以前仰ってましたが」
「おお、そうだったな」
「あ? まだ本調子じゃないが傷はもう大丈夫だぞ?」
食事を終えると、ハナユリが片付けを始める。リンはハナユリの手伝いに向かい、ラウルとエル、リューネだけが残された。
エルはこれからのことについて口を出した。ラウルが何をしたいかはわかっているが、次に何をするかをまだ聞いていなかったのだ。
リューネもまた偽らざる本心を語る。傷は癒えた。本調子ではない――戦うことこそは厳しいが、それ以外のことは出来ると豪語する。
「まず余たちがすべきことは二つだ。ジオードたちのように、戦王国に従うしかない者たちに声を掛け、同志として迎え入れる。これは魔族側にも同様にだ。そしてもう一つ、装備の充実だ。これから先戦いは避けられないであろう。その為にも、少しでも頑強な装備を揃える必要がある。その為にも、まずはリューネの武具一式を揃えるべきだ」
「オレの?」
「うむ。リューネは貴重であり余たちの最高戦力だ。心具を失った以上、どうにかして代替案を探さなければならない」
ジオードたち戦王国軍との戦いで、リューネが持つ心具『空穿慟哭』は刀身が折れて使い物にならなくなってしまった。
鎧もそうだ。もう防具としては役に立たないが、リューネにとっては大事な思い出の品だ。今も家に飾っているほどに。
「防具は……まあ、それなりの鍛冶屋が仲間になれば大丈夫だろう。だが心具ばかりは厳しいのだろう?」
「そうですね。心具は人間が造りだしたモノです。そう簡単に流通はしていないと思いますし」
「心具なら直せるぞ?」
「む?」
「なんですと?」
リューネの言葉にラウルとエルは疑問符を浮かべた。一方リューネは「何を当たり前のことを」と言わんばかりの目で二人を見ている。
「心具を打ち直せる鍛冶屋を知ってるんだよ。オレの放浪の旅で装備のメンテナンスをしてくれてたのは、そいつなんだ」
「なんと。さぞ腕の立つ職人なのだろうな」
「ああ、腕は保証する」
「よし、では早速その職人の元へ行こう。善は急げ、だ」
しゃーねーな、とリューネは頭を掻きながら立ち上がる。その頬が吊り上がっているのは、自分を戦力として必要としているのが嬉しかったのだろう。
立ち上がったリューネはラウルに手を差し出す。
一緒に行こう。
伸ばされた手には、しっかりとその意思が込められていた。
ラウルは躊躇うことなくその手を掴む。
「では行こう。余たちの夢のために」




