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隣村の青年




 ラウルとリューネが隣の村を目指して早二日、草原を越えた先に畑が見えてきた。

 畑では老人たちが曲がった腰をさらに曲げながら農作業に精を出している。


「……この村も、老人ばかりなのだな」

「そりゃ若い奴なんて皆兵士にするだろ」


 遠目から見ても、村には若い人間が少ないことは明白だった。腕をぷるぷると振るわせながら農具を振り下ろしている老人たちは、見ているだけでもどかしい。

 と、その中で一人。明らかに若い青年が老人たちの中に紛れ込んでいた。


 どことなく表情は暗いものの、畑を見つめている表情は真剣そのものである。

 老人の一人が、ラウルとリューネの存在に気付いた。ラウルよりも全身を鎧兜で隠しているリューネを見て首を傾げると、すぐに後ろを振り返り青年に声を掛ける。


「はじめまして。余は、ラウル。向こうの村に滞在させて貰っている」

「リューネだ。一応はこいつの護衛」

「向こうの……ええ、はい。何か御用ですか?」


 言葉尻を捉えるわけではないが、草のような青年だとラウルは感じた。

 しなやかに風を受け流す――掴み所の無さが、ラウルには違和感を抱かせる。


「相談したいことがあってきた。リールから、そなたに相談してほしい、と言われて」

「リールさんに……はぁ」


 「なよなよして頼りねえ」と呟くリューネを諫めながら、ラウルは手を差し出す。

 何事においても友好関係は必要だ。目の前の青年がラウルたちを救ってくれるかもしれないのであれば、いくらでも頭を下げる所存だ。


「僕は、ルインと申します。以後、お見知りおきを」


 ラウルが伸ばした手をルインが掴み、握手を交わす。

 あまりにも弱い力で握られたラウルは逆に怖さを感じてしまう。

 底が見えない――そこでラウルは、すぐに先ほどまでの自分の判断が間違っていることに気付いた。


「何か込み入った話になりそうですし、屋敷に行きましょうか」

「屋敷……?」

「ええ。僕専用の屋敷があるんです」


 家、とは言わなかった。屋敷と言われてすぐに連想されたのは、領主が住んでいた大きな屋敷だ。

 歩き出したルインの後を、ラウルとリューネは追う。村の中を歩いていると、窓越しに老人たちが次々にルインへと声を掛けてきた。


「おお、ルイン様。おはようございます」

「おはようございます。腰の調子は大丈夫ですか?」


「今日はこの捌いた牛を食べようと思うのですが、如何ですか?」

「では、ありがたくいただきます」


「ルイン様、森で取れた果物がありますよ」

「そうですね。森の神に感謝していただきましょう」


 声を掛ける誰もが笑顔であり、それに応えるルインも柔らかな笑顔を浮かべている。

 そのやり取りだけでルインが村人に慕われているのがわかる。

 「お前と同じだな」とリューネがぼやく。


 だがラウルは、それとなく首を横に振った。


「余は確かに慕われている。だが彼は、余とは違う……」


 それを言葉にするのは憚れるようで、ラウルは思わず口ごもった。

 村を過ぎると、すぐにルインの言葉通りの屋敷が見えてくる。

 領主の屋敷ほどではないが、二階建ての大きな家だ。


 柵に囲まれた庭には色とりどりの花が咲き誇り、まるで虹のような美しさを魅せてくる。


 ぎぃ、とルインが扉を開け、どうぞと促す。ラウルとリューネはその言葉に従い、屋敷の中へと通される。

 正面に見えた階段には、大きな肖像画が飾られていた。そこに描かれていた人物に、ラウルは見覚えがあった。


 リューネの動きが少しばかり強張った。


「こちらにどうぞ」

「うむ」

「あ、ああ」


 肖像画を見て足を止めていた二人にルインが声を掛ける。

 声の方向へ向き直ると、別の部屋の扉を開けてルインが待っていた。


 言われるがままに、右の部屋に通される。

 豪勢な装飾に彩られた部屋だった。部屋の中心には低いテーブルが置かれており、それを挟むように二人掛けのソファが置かれていた。


「どうぞお座りください」


 促され、ラウルはソファに座る。リューネはソファの後ろに立ち、ルインの言葉に首を横に振った。

 「さて」とルインも対面のソファに腰掛け、真っ直ぐな瞳でラウルを見つめた。


「相談したいこと、なのだが」


 ラウルはそんなルインの一挙一動に注意しながら、ジオードから受け取った書状を差し出す。

 それを受け取ったルインがすぐに表情を歪める。


「戦王国からの書状、ですか」

「ああ。要求は食料なのだが、向こうの村一つではとてもじゃないが届かない量を要求されている」


 ルインが顎に手を当て、思考を巡らせる所作をする。閉ざされた瞳がすぐに開かれ、ぽつりと言葉を漏らす。


「……父が死んだ影響なんですね」

「……父?」


 首を傾げたラウルに、ルインは微笑を浮かべながら居住まいを正す。

 階段に飾られていた肖像画。見覚えのある顔。

 何処で見たのか。


 村で暮らしているラウルが、肖像画に描かれるほどの人物と出会うことなど――。

 脳裏を過ぎったのは、リューネと出会った最初の光景。


「僕の名前は、ルイン・アッシュクロード。四つの村を領地とするアッシュクロード家の嫡子です」


 肖像画に描かれていた人物。何処かで見た記憶。それら全てが繋がった。

 あの日、エルたち人狼族を救うべく乗り込んだ領主の屋敷。

 エルを救出し、聞こえてきた悲鳴で駆けつけた先で倒れていた男性。


 リューネが命を奪った男性。


「ルーエル・アッシュクロード――父が、この辺り一帯を治めていた領主です。そして、あなたに殺された」

「――」


 ルインの瞳はリューネに向けられていた。どうして、と呟くよりも早くルインが机の下から何枚かの鏡を取り出し、ラウルに差し出す。

 受け取った鏡を覗き込むと、ラウルの姿が映り込んでいた。だが像は次第に歪み、ぼやけ、大きな部屋の光景を映し出す。


「これは設置していた場所の光景を記録しておける魔具です。父が殺された瞬間と、その場にラウルさん、あなたが駆けつけたこと……それらが映っています」


 ルインの瞳はリューネからラウルに戻されている。不思議なのは、その瞳に一切の感情が感じられないところだ。

 父が殺されたのであれば、いずれにせよ感情は動く。肉親を奪われておいて、悲しみも憎悪も感じられない。そんなことが、あるのだろうか。


「ああ、先に言っておきます。父を殺したことを追求するつもりはありません」

「……なぜだ」


 ラウルの疑問は尤もだ。この魔具を見せられ、糾弾されるものだと思っていたから。


「なぜ、ですか?」


 ラウルは人間になってから、奪われてきた人たちを関わってきた。

 息子や家族を奪われた村の老人たち、夫を、父を奪われたハナユリとリン。

 同胞を奪われたエル。そして――恩人を奪われたリューネ。

 誰もが失った人を思い、悲しみ、後悔、無力を嘆いていた。


 なのに、目の前のルインという青年はまったくそれが感じられない。


「父は、許されないことをしました。例え敵であろうと、捕えた人狼族を娯楽の道具にすることは、許されません。今を生きている彼らが、主義主張のために戦い散るならともかく、人の愉悦のために死ぬことなど、あってはなりません」


 ルインはさらに机の下から別の鏡を取り出した。そこには領主ルーエルが行った非道の数々が映し出されている。

 中には見るのを躊躇うほどのものもあった。思わず目を背けるラウルだが、現実を受け止めるように必死に両目だけは閉じなかった。


 これはエルには見せられない。それほどまでに、残酷な光景だった。

 人の所業なのかと疑うほどに。だがリューネから感じる視線は、異常なほど冷めたものだった。

 ……リューネは、人がどれほど残酷なことをするのか知っているから。


「魔族を捕えることに反対した僕も、こうして追い出されたくらいですしね」

「……だが、それでも父親なのだろう?」

「そうですね。死んだと聞かされた時は、それなりにショックを受けました。でも、同時に……っ」


 ルインが組んだ指に力を込める。血管が浮かび上がるほど込められた感情の奥底に、静かな怒りが感じられる。


「肉親が死んで、『ざまあみろ』と感じた僕がいました。当然の報いだと、そんな残酷な感情を抱いた自分自身がショックでした」


 それは、出会って間もないルインに抱いた気持ちそのものだ。

 全てを受け止め、軽やかに流す草原のような青年。

 何事にも流され、頼られるがままに動く――気弱そうな印象だった。


 だが、違う。

 ラウルが抱いたものは、しっかりと根が張っていることだった。

 芯の強さとも言うべきで、ルインという青年は、自分の信念を貫くためならば、その手を血で汚すことすら辞さない――胸の中にしっかりとした激情を抱いている、と。


「領主を継ぐことを避けていたのは、領民には名君の顔を見せつつも、裏では残酷なことをしていた父を見ていたからです。自分の中のこの黒い感情が、いつか父と同じ道を歩ませるのではないかと……」


 ラウルはリューネに聞かれた時に、首を横に振って否定した。

 ラウルには、ルインほどの覚悟がない。村を守るために、全てを敵に回す背負う覚悟がない。

 だが、共通点があるとすれば――その、臆病な部分だ。


「余は、偉そうに講釈を垂れることなど出来ない。だがそなたは、魔族を傷つけた前領主を拒絶した。種族すら違う相手を慮ることが出来るそなたなら、どんな黒い感情にも負けないと、余は思う」


 精一杯の感情を言葉で紡ぐ。それがルインを支える言葉にはならないかもしれない。

 でも、ラウルはルインならばその感情にも負けないと信じている。

 芯の強い青年には、覚悟と決意はあれど勇気が足りないだけ――そう、感じたから。


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