ラウルの告解とリューネの秘密①
陽が落ちてしばらくが経った宵闇の時間。
リューネは桟橋に腰掛け夜空を見上げていた。
夜空を埋め尽くす満天の星空は、何度見ても決して飽きないものだ。
何度も何度も、見てきた。
夢を語らう時に。
理想を語らう時に。
思えば夜空を見上げる時、必ずと言っていいほどリューネの傍には大切な人がいた。
リンネ・アルフ・ガイア――特異な生まれのリューネを自らの庇護下に置いた、王族の中でもとりわけ誰よりも好かれていた王女。
初めの出会いは五歳の頃で、成人となる十六に届く前に命を失ってしまった少女。
「……なにやってんだろうな。オレは」
慕っていた、守ると誓った大切な人。
そして、守れなかった人。
リンネが「人」を憎む切っ掛けとなった、テラリア戦王国のクーデター。
最後の最後まで、愛らしい顔で、決意の固まった表情をしていた。
未来を託すと宣言して、命を散らした。
「なあ、姫様。オレはどうすればいいんだよ。これからも……殺し続ければいいのか?」
そうでないことは、リューネにもわかっている。
でも、この胸を突き動かす激情に逆らうことは出来ない。
それだけリンネという少女はリューネにとって掛け替えのない存在だった。
失ったからこそわかってしまった。
「……はぁ」
どういうわけか、リューネはリンに懐かれてしまった。
幼い頃に出会ったリンネと、あまりにも似ていて。拒むことが出来なかった。
半ば強制的に泊まることを承諾させられ、それを僅かでも喜んでいる自分がいて――反吐が出そうだった。
わかっている。
人も魔族も憎んでいようとも、子供に罪がないことくらいは理解している。
だからか、慣れぬ子供の相手に少々くたびれ、今はこうして夜空を見上げ物思いに耽っている。
「ここにいたのか」
そんなリューネに背中越しに、ラウルが声を掛けた。リューネはあからさまに機嫌を損ね、「……おう」と低い声でラウルの言葉に答えた。
夜の中でもリューネの金の髪は目立つ。リューネを探していたラウルには、見つけやすくて助かったものだ。
ラウルの傍らにはエルがいる。リューネの中でもとりわけ嫌いな人間と魔族の組み合わせに、露骨に表情を歪めた。
「何の用だ。殺すぞ」
「ラウル様に傷でも負わせてみよ。一生悔いても悔やみくれんほどの傷を与えてやるわ」
「へぇ。試してみるか?」
「貴様……!」
「待て待て。余は争うために来たのではない。……そなたに、謝罪に来たのだ」
「あぁん?」
ラウルの真意はそれこそリューネにはわからない。だがラウルはリューネの正面に座り込み、深々と頭を下げた。
何の意味があるのかと、問いかけようとした。だがそれよりも早くにラウルの独白が始まる。
「余は、竜王だった存在だ。勇者に討たれ、百年の後に人として生まれ変わった」
「……は?」
リューネは決して馬鹿ではない。鋭く、聡いわけでもない。
だからラウルの言葉に素っ頓狂な声が出てしまう。
そしてすぐに、情報の整理を始めた。
嘘を言っているようにはとても見えないラウルと、苦虫をかみつぶしたような表情のエルを交互に見て――にわかには信じられなくても、その言葉が嘘ではないことは確信した。
「だから?」
ラウルが竜王、それを理解したリューネはすぐに切り返した。その言葉にラウルは顔をあげ、戸惑いの表情を見せる。
「余が、今もなお続いている戦争を引き起こした」
「そうだな」
「余が、人間に戦いを挑んだ」
「だからなんだよ」
「余の行動が、そなたから大切な人を奪わせた」
「――はぁ!?」
思わずリューネはラウルの胸ぐらを掴んだ。どれだけ思考が激情に満たされようとも、拳に込めることだけはしない。
エルが叫び声を上げ、二人を引き離そうとする。だがすぐにラウルに制され、悔しそうに引き下がる。
辛そうな顔をするラウルを睨め付けて、リューネはこみ上げてくる怒りをそのまま言葉にする。
「自惚れてんじゃねえっ!」
「なっ……」
「てめえが竜王で戦争を引き起こした? だから姫様の死に責任がある? そんなことどうでもいいんだよ! 姫様が死んだのは、あのクソ騎士団長が原因で! オレに、力が無かったからだろ!」
「しかし、それらも余が戦争を起こさなければ――」
「じゃあてめえは、自分が起こした戦争で誰も死なねえと思ってたのか!?」
「っ……」
リューネの恫喝に、ラウルは何も答えられなかった。
かつて竜王だった頃、ラウルは生まれ持った力のみで魔族の全てを支配した。
魔族はそれだけで従った。力こそ全て。強者に従うのが魔族だったから。
けれど、人間は違う。
頭脳明晰な配下に進言され、小国を支配してもなお――人間は、従うことを拒んだ。
ラウルにはそれが理解出来なかった。勝てないのならば、何故無駄に命を散らそうとするのだろうか、と。
……暴れる人間の命を、どれほど奪ってきたのだろうか。
いや、きっと――命というものに価値を見出せていなかったのだろう。
竜王の体躯からすれば、人間という存在は、あまりにも小さかった。
同じ命が宿っていると、思えなかったのだろう。
「てめえは自分の理想のために戦争を起こした。そして勇者に負けて死んだ。それで戦争が終わらなかったのは、てめえの責任じゃねえ。勝手に一人で思い込んで背負おうとしてるんじゃねえ。思い上がるな、竜王ラウル!」
リューネの言葉は、核心を突いていた。
エルもまた、ラウルに同じ気持ちを抱いていた。
確かに戦争を起こしたのは、かつての竜王だ。
だが竜王は勇者に敗北した。将を失った魔族は、そのまま一気呵成に流れ込んだ人間の軍に敗走した。
本来であれば、配下の誰かが指揮を取り、降伏の交渉に入るはずだった。
なのに、戦争は終わらなかった。
それは――誰かが徹底抗戦を唱えたからだ。
竜王が死んで以降の戦争の責任の是非を問うのであれば、それを唱えた存在に追求するべきなのだ。
けれど、ラウルは自分の責任だと思い込んでいる。その全てを背負おうとしている。
「それならば……それならば余は、どうして転生したのだ」
ラウルの悲しげな慟哭を、エルは何も言えずに見守ることしか出来なかった。
竜王は勇者に負けたした。
魔族は敗北した。
ラウルはもう、過去を気に病むべきではないのに。
それでも、ラウルは背負おうとするのだろう。そういう『人』だから。
「そんなんオレが知るか。自分で答えを出せ。そうじゃなきゃ『お前の答え』にならない」
リューネはラウルを突き放す言葉を吐き、うな垂れているラウルを見下ろす。
それは決して侮蔑の眼差しではない。ラウルを一人の人間として見ている瞳だ。
顔を上げると、夜空を背景にリューネの凛とした顔が視界に飛び込んでくる。
星空にも負けない、美しい蒼穹の瞳がラウルをしっかりと見つめていた。
「……厳しいのだな、リューネは」
「当たり前だ。つかそもそも敵のオレにそんな話をするんじゃねえよ」
「敵?」
「はぁ?」
思わず首を傾げたラウルにリューネが呆れた声を出す。
リューネにとって人も魔族も等しく憎悪の対象だ。それはつまり、リューネにとって『仲間』などは存在しない。
だがラウルはそうではないようだ。
二度も襲われたというのに、リューネの事情を知り、少しでも打ち解けた。
それだけで、ラウルはもうリューネを『敵』として見ていない。
いや、それ以上に――。
「なあ、リューネ」
「あぁ?」
「この村に住まないか? いや、違うな。住んでくれ」
「はぁ!?」
「……人や魔族を殺すな、とは言わない。やめて欲しいとは思うが、余はお前の行動を止められるほど明確な答えを持っていない」
だから、とラウルはリューネの言葉を待たずに続ける。
「この村に住んで、静かに暮らして……その間だけでも、誰かを殺めることは止めにしないか?」
その言葉を聞いて、リューネは言葉を詰まらせた。
ラウルの言葉に何も裏を感じないからか、真っ直ぐな思いを聞かされて、何も言い返すことが出来ないようだ。
「オレは……っ」
けれどもリューネは、胸元を握りしめながら必死に言葉を吐き出した。
苦しそうな表情を浮かべているのは、きっと、言葉にしたくないのだろう。
脂汗を拭うこともせずに、リューネは自らの秘密を言葉にした。
「……オレは、人と魔族のハーフだ」




