竜王はその手に握りしめる。
至近まで迫った剣を、エルは寸でのところで回避した。
二激、三激。次々と繰り出される攻撃を、エルはいとも容易く回避する。
乱雑に振るわれる剣戟を軽やかに躱し続けるエルに鎧騎士は苛立ちを隠さずに激昂する。
だがそれこそエルの狙い。屋敷で鎧騎士の戦闘を見ていたエルは、予測しづらい野生の動き「だからこそ」逆に予想して動いている。
「所詮は獣の動きよ。人の剣術ですらないなら恐るるに足りんわ!」
「こ、のちょこまかとぉ!」
鎧騎士の剣は怒りを増すごとに雑さを増していく。それは剣術を嗜んでいる者にとっては予測不可能な獣の剣。だがエルは剣士ではないし、剣術を学んできたわけでもない。
むしろ、エルにとっては獣相手の方がやりやすい。
鎧騎士の剣戟を踊るようにいなしていく。軽やかな舞に鎧騎士は翻弄され、さらに剣先がぶれていく。
鮮やかだな、とラウルは感じた。
エルの戦いを見たことは何度もある。武を競ったこともある。
だがかつてのエルの戦い方とは全然違う今の戦いに、視線が釘付けとなっている。
百年――そう、百年だ。
人狼族は魔族の中でもとりわけ寿命が長い。ラウルが死んでから、ある意味で孤独になってしまったエルは、どれほどの研鑽を積んだのだろうか。
人狼族を守るために。未来を守るために、どれほど――。
百年の月日は決して短くない。
ラウルにとって一瞬ではあった。でも、エルにとってはそうではない。
「……支えねばならんな。エルもまた、余が幸福にするべきだ」
「しなければならない」と、義務のように、責務として背負い混むわけではない。
そうしても、エルは心の底から笑顔になることはないだろう。
今のエルに必要なのは、守りたかった存在――ラウル――が傍に居続けることだから。
エルなら負けない。エルなら勝てる。たとえ鎧騎士が堅牢であろうとも、圧倒的な攻撃力を持とうとも。
「頼むぞエル。お前こそ、余の一番の理解者よ」
嘘偽りのない言葉が自然と口から出る。その言葉は空に溶けて消えてしまうも、確かにラウルの心の中に残っている。エルに届かなくても、ラウルの中に根付いている。
時を同じくして、剣戟をいなし、着実に打撃を打ち込んでいたエルが口角を吊り上げた。
「なに笑ってやがるッ!」
「……そうだな。守るべき主を守れている。そうだ。妾は喜んでいる。百年越しに、主君を守れている。それが嬉しくてたまらないのだ!」
「が……っ!」
鎧騎士の大振りの一撃を避けた先の、大きな隙を的確に突く。
腹部に強烈な一撃を浴びて、鎧騎士はのけぞり、よろけ退く。
エルの一撃は重くはないが、手数によってしっかりとダメージを与えていた。
「大人しく降伏しろ。お前では妾には勝てん」
「……降伏?」
「傷つけるつもりも辱めるつもりもない。だが、小屋に住まわれては妾が世話になっている村が不安になる。だから折衷案を考えて――」
「絶対に、しねぇ。だってそうだ。てめえら魔族はそうやって嘘を吐いて、オレから全てを奪ったんだからッ!!!」
エルの言葉は、決して鎧騎士を憤慨させるモノでは無い。
だが、その言葉は確実に鎧騎士の逆鱗に触れたのだ。
鎧騎士の殺意が膨れ上がる。怒り、嘆き、後悔――それはもう、殺意というより――。
――――――――この世全てを呪わんとする、悪意。
鎧騎士が剣を空へと掲げる。その動作を見て、エルは一歩退いて身構える。
屋敷を半壊させた、『心具』の一撃が来ることを見越した。
その動作はもう見抜いている。そして、その一撃を放った際に、鎧騎士は膝を突くほどの消耗を見せたことも覚えている。
決着を付ける一撃なのだろう。
だがエルはもうその一撃を見切っている。大振りな一撃は、エルにとって回避することは造作も無い。
「狂え――侵せ――壊せ――呪え――ッ!」
「っ……この、感覚は――!?」
大気が大渦を巻いて鎧騎士を包み込む。だが鎧騎士は不動。剣を掲げたまま、呪詛の言葉を呟き続ける。
兜の下の瞳は、鋭くエルを射貫いている。
絶対に殺すと、その覇気だけで並の人間であれば卒倒するだろう。
「……なんだ、これは」
ラウルもまた、不可思議な感覚に囚われていた。
決して気を緩めてはならない状況だ。いつその切っ先がラウルに向けられるかもわからない。
だが――この懐かしい雰囲気は。
「――竜甲」
小さく呟かれた言葉によって、鎧騎士の両手に新たな装甲が加わった。
白銀の鎧とは一線を画す、漆黒の手甲。三本爪の手甲は、明らかに鎧騎士の鎧とは違うデザインだ。
「ああ。そうか――そうか、そうか、そうか! 貴様ら人間は、そんなことをしたのかっ!」
エルが、咆えた。
どうしてかラウルはわからない。
答えはすぐそこにありそうなのに、わからない。
奇妙な感覚に囚われつつも、ラウルは今まさに振るわれる力を前にして両足に力を込めた。
逃げるべきだ/見届けるべきだ。
どうして/その力を知っているから。
下手をすれば死ぬのに/だからこそだ。
己の本能に逆らって、ラウルは鎧騎士の一挙手一投足を見つめ――。
「『逆空哭爪』――!」
それはまるで、風の爆弾。泉を、大地を吹き飛ばす、全てを飲み込む攻撃。
放たれて、その身に迫って、そこでラウルは気が付いた。
その一撃に込められた、魔力に。
その一撃は、かつての自分がした物であることに。
『その手甲が、かつての自分の一部分であることに』
わからなかった。どうすればいいかも、明確な答えは持ち合わせていなかった。
けれど、自然に足が動いていた。エルならば問題ないと信じている。回避できると理解している。
でも、動いていた。動いてしまった。
エルの前に躍り出て、その手を突き出した。
「余はもう、誰かを苦しませるために力を振るいたくないのだっ!」
それは、かつての自分の力であっても同様だ。
竜王の力によって、誰かが傷ついて欲しくない。
だから動いた。衝動的に動いた。どうしてかわからない。
でも、その手を突き出せと、魂がラウルを突き動かした。
「ラウル様!?」
エルの声も風にかき消される。が――全ての風は、ラウルの突き出した拳へと収束していく。
その全てが吸い込まれていくと、ラウルは大地を蹴り飛ばし、鎧騎士へと一瞬で肉薄する。
一撃を放ち、膝を突いた鎧騎士にはもう避ける体力も残されていない。
ラウルは意識を奪うべく、拳を鎧騎士の顎にぶち込んだ。
「――――」
声を上げる間もなく、鎧騎士の身体が宙に浮き、大地に叩きつけられる。
がは、と大きくむせ込んで、鎧騎士は意識を手放した。