竜王、山小屋へ向かう。
「よ、ほ、は」
「お前は身軽だなぁ」
「これでも人狼の王ですから」
ラウルに同行を願い出たエルは、川の中に点在して頭を出している石の上を軽やかに飛び跳ねていく。ふわりと舞うスカートの裾から太ももがちらりと見えてしまうも、ラウルは気を遣って指摘しない。
「このまま上流を目指せば、その小屋があるのですね?」
「うむ。この川を上っていくと源泉となる泉が広がり、そこにリールの言っていた小屋はある」
「ではあと十分も掛からないでしょうね」
山頂を覗くように見上げるエルは心なしか楽しげに歩んでいる。ラウルより少し早いペースは、人狼族と人間の身体能力の差なのだろう。
ラウルとて少しペースを上げることは出来る。領主の屋敷で実感したことだが、どうやらラウルの身体能力は普通の人間よりも遙かに優れている。
だが、それをしない。並んで歩いていては、エルの笑顔を、楽しげな様子を鑑賞できないから。
「楽しそうではないか、エルよ」
「そ、そうですか!?」
「うむ。お前のそんな笑顔は、お前と出会ったばかりの頃しか見たことがない」
試しにからかってみると、エルは途端に生娘のように頬を赤らめる。
その様は年頃の娘にしか見えないほど可憐であり、儚げなものだった。
――ラウルの記憶の根底にある、竜王であった頃の記憶。
エルと出会い、絶滅に瀕していた人狼族を救った時の記憶だ。
傍にいると約束し、一人の少女を孤独から救ったあの時の笑顔。
「……お前の笑顔も、取り戻せたのだな」
「どうかしましたか?」
「いや、なんでもない」
人間との戦争が始まってからは終ぞ見ることの出来なかった笑顔を見ることが出来た。
ラウルは自然と頬が緩む。自分の過去も今も知っているエルが、今もこうして傍らにいて笑顔を見せてくれるのが――貯まらなく嬉しい。
「しかし、山頂にいるのは本当に山賊なのでしょうか」
「その確認に行くのだ。もし山賊の類であっても、お前ならば負ける心配がないからな」
「ふふっ。頼られて喜ばしいことです」
ハナユリやリンを連れてピクニック、という気分にはなれなかった。
最悪を想定して行動するのであれば、どうしてもハナユリやリンを連れていくわけにはいかない。わざわざ危険に巻き込んではならない。
それだけ二人はラウルにとって掛け替えのない存在であり、同様に――エルならば如何なる窮地に追い詰められても切り抜けられると、信頼している証拠だ。
人狼族の長としてだけではなく、かつて共に戦った仲間としての信頼。
エルもそれを理解しているからこそ、その信頼に応えるべく張り切っている。
ましてや忠誠を誓ったラウルに頼られるのであれば、エルにとって怖いものはなにもない。
「見えてきたぞ、あれがその泉だ」
「――気配がします。だが、これは……」
斜面を登り切ると、泉と小屋が見えてくる。目覚めたばかりのラウルが一度は訪れた小屋は、あの時と変わらず鎮座している。
そしてすぐに、エルが制止の声を上げた。エルの視線は泉の奥へ向けられており、ラウルも釣られるように泉へと視線を飛ばした。
「―――」
思わず、息を呑む。芸術に疎い――いや、触れたすらないラウルですら、その光景に目を奪われた。
泉の中心にある岩に腰掛け、空を見上げながら少女が一人黄昏れている。
遠目から見ても美しいとわかる金の髪は、陽の光を受けてまるで本当の黄金のように輝いている。水滴は金色だけでなく様々な色を浮かび上がらせ虹を形成する。
それがさらに少女を幻想的な美しさに仕立て上げ、見る者の心まで捕えてしまうほどとなっている。
そして、ラウルが目を奪われたのはそれだけではない。
確かに少女は芸術品のように美しい。整った顔立ちと、蒼穹の瞳。なだらかな肢体と、その中でもとりわけ目立つ豊満なバスト。
極上の美、というものがあればまさしく少女のことを指し示すだろう。
それほどまでに美しい少女――だが。
「エルフ、なのか……?」
「……いえ、エルフの耳はもっと長いはずです」
少女の耳は、普通の人間とは異なるものだった。丸まっている人間の耳とは違い、外へ向けて尖っている。
そしてその形状は、ラウルとエルにとって既知のものだった。
エルたち人狼族に似ている――限りなく人の形をしている魔族。
人狼族を始めとした獣人。角を持つ鬼。総じて亜人と呼ばれる魔族たち。
その亜人の中に、彼らはいる。
エルフ。
魔法に突出した、森の奥で静かに暮らしていた種族。
かつての竜王ラウルの配下ではあったが、最後まで戦列に参加することを拒んだ種族。
エルフが使う魔法は、魔族の誰よりも強力であると――それは魔族の中でも周知の事実であった。
「エルフの耳に間違いはありません。いや、ですが……」
エルの言葉通り、少女の尖った耳は確かにエルフのものである。
だがエルフの耳はもっと長い。少女の耳は、明らかに人間の耳のサイズだ。
怪訝な顔をするラウルとエル。そして水浴びをしていた少女が、二人の存在に気付いた。
「――誰だ」
少女特有の高く、甘さを内包する声。だがラウルはその声に聞き覚えがあった。エルはその声にすぐに警戒の色を露わにし、少女もまた、ラウルとエルを一瞥するとすぐに表情を一変させた。
「てめぇら……ッチ。いつの間にか追っ手が来てやがったたか」
「待て、違う。余たちは――」
「ラウル様、下がってください。話を聞く空気ではありません」
エルの言葉に従って、ラウルは数歩退く。少女は裸体を晒すことを躊躇もせずに泉から上がり、鋭く二人を睨み付ける。
「魔族の後ろに隠れやがって。っけ、くだらねぇ。ああくだらねえ! いいさ。魔族であろうが、人間であろうが、オレが、全部、ぶっ殺すッ!」
ドス黒い殺意を溢れさせながら、少女は激昂の雄叫びをあげる。
それと同時に少女を中心として光の円が描かれる。中央には五芒星。見慣れぬ言語が走り、円を魔方陣へと仕立て上げていく。
「覇鎧招来ぃ!」
少女の言葉に応じて、魔方陣がうなり声を上げる。次々に飛び出してくる光を纏い、少女は全身甲冑に包まれる。
最後とばかりに魔方陣から剣を引き抜いた少女――騎士は、兜の下から、ラウルを鋭く瞳で射貫く。
「待て、余はお前と敵対するつもりは――」
「ラウル様、危険です。お下がりください!」
一直線に突っ込んでくる騎士の一撃を、エルが受け止める。
エルに突き飛ばされたラウルはよろけつつも懸命に体勢が崩れるのを堪え、顔を上げる。
「ラウル様には指一本触れさせません!」
「しゃらくせえんだよ、魔族がよぉ!」
力任せに振るわれた剣が、身構えたエルへと襲いかかる――。




