竜王、これからを考える。
「異議ありっ!」
一月もすれば、すっかりエルは村に馴染んでいた。畑を耕し汗を流し、出てきた芽に頬を緩ませるほどだ。
人狼族の子たちはすくすくと育っていく。笑顔の絶えない子供たちの中には、当然リンも混ざっている。
子供たちがわんぱくに育っていく光景を、ラウルもハナユリも見守っていく。
そんなある日、いつものようにハナユリの家を訪れたエルがついに叫んだ。
「どうしたのだ、エル」
「どうかしましたか、エルさん」
「ええ。わかっております。わかっておりますとも! 妾はラウル様の幸福を一番に望んでいますしハナユリ殿が笑顔でいられるのも最上であると。まさに幸福ですとも。ですが、ですがね! どちらももう少し節度を持って欲しいのです!!!」
「「え?」」
ラウルとハナユリの声が重なるほど、息ぴったりである。
そんな二人は今、さも当然のように抱き締めあっている。
正確には座っているラウルにハナユリが抱きついてるのだが、ラウルはラウルでハナユリの腰に手を回している。時折見つめ合えば小さく微笑むのだから、仲睦まじい夫婦の光景である。
だが、エルとしては複雑なのだ。
エルは過去のラウル――竜王であった頃からラウルを慕っている。彼の幸福を優先しているから、ラウルが幸せでいること自体は嬉しいことである。
恩人であるラウルを救い、支えているハナユリが笑顔でいることも、エルにとっては嬉しいことである。
それでもそれとこれでは話は別なのだ。
応援はした。そして二人が結ばれた。それは喜ばしい。
だが、だからといってエルのラウルへの想いが消えたわけではない。
むしろ日々を共に過ごせば過ごすほど、想いは強さを増すばかりだ。
それだというのに、ラウルとハナユリは人目もはばからずいちゃいちゃしている。
何度でも言うが、エルとしては二人が幸せであるならばそれはそれでいいのだ。
けれども、どこか不満なのだ。
慕っているラウルにこれでもかと密着し、幸せそうに頬を緩めているハナユリを見ていると――どうしても、羨ましくて仕方が無いのだ。
「節度、か」
「ええ。大変妾に悪影響――げふんげふん」
エルとてラウルとハナユリの間を引き裂くつもりは毛頭無い。むしろ混ざりたいと考えているくらいである。
だがエルとて、今のラウルの中で自分がどれくらいの立場かくらいは理解している。
部下としては慕われている。この村の一員として――大きな括りとして、ラウルの家族ではいられている。
だから、高望みはしてはならないとも考えている。
それでも突き動かされるほど、今のラウルとハナユリの仲睦まじさには言わずにはおられない。
「控えろ、とは言いませぬ。ラウル様もハナユリ殿も今が幸福の絶頂期でしょうし」
「あ、あはははは……」
「ですが、子たちも見ているのです。ところ構わず接吻を交わしたりしていれば、それは教育上よろしくないと妾は思うのです。ええ! けっして! 羨ましいとは! 考えていませんが!」
そこまで強調すれば羨ましいと捉えられても仕方ないのではないか。
だが都合のいいことにラウルは「子供たちの教育」という単語に敏感で、後半部分は聞いていなかったようだ。
……聞こえていれば、エルにもチャンスがあったのかもしれないが。
「子たちの教育、か。そうだな、確かにそうかもしれん」
この村には、リンと人狼族の子供を合わせてもまだ六人しか子供はいない。
その中でも人狼族のアインとツヴァイは姉弟だ。わんぱくに育ってはいるものの、それだけだ。
「つまりエルは、子たちの未来を考えているわけだな」
「そ――――――――そうです! ええ、はいそうです!」
「さすがエルだな。余は現状に満足しつつあった」
「そうですね。私もラウルさんと一緒にいられて幸せで……もう、これ以上必要ないとすら考えていました」
「ハナユリ……」
「ラウルさん……」
「すとーーーーーっぷ!!!」
何度目かわからないエルの絶叫に、二人の世界に入り込んでいたラウルとハナユリは引き戻される。
ぐったりと疲れた表情のリンを見て苦笑するラウルだが、こればっかりは仕方ないのだろう。
何しろ人を愛することなどこれまでになかった。そして、人を愛することの素晴らしさを理解してしまったからこそ、胸がいっぱいなのだ。
それにしても尚もラウルはハナユリを離そうとはしない。ハナユリも離れようとしない。 まったく、とエルは呆れてしまう。ラウルの笑顔を見ていると、これ以上何も言う気がしないのだろう。
「しかし、そうだな。今後のことを考えるべきだな」
「……………………そのようなつもりで進言したわけではないのですが」
「リンやアインたちの教育。うむ、そうである。子供には無限の未来が待っている。その未来の為にも、余たちが頑張るべきだな」
「ええ。ええ。もうそれでいいです。それでいいです……」
「いつまでも畑の世話をしていても、それ以上を学ぶことは出来ない」
ここでようやく、ラウルとハナユリが離れる。立ち上がったラウルは窓から空を見上げ、青空を舞う鳥を見つけた。
「未来とは無限の可能性だ。自由で、どこまでも広がっている。余たちは子供たちに、この村だけに閉じこもって欲しくない」
空を見上げるラウルの表情を見て、ハナユリは意外そうな表情をしている。
「……この村、以外のこと」
「うむ、そうだ。この村で育ち、この村に尽くすのもいい。だが、それ以外の可能性も広げてみるべきだ」
「考えたこともありません……」
ハナユリはこの村で生まれ、育ち、結婚し、子を産んだ。
それが当たり前のことで、外の世界で生きることを考えもしなかった。
この村にいるのだから、この村で生きる――この村に生きている老人たちも、皆同じことを考えているだろう。
だが、ラウルは違う。それはラウルが外からやってきたからであり――かつては人ですらなかったから、だ。
「いいことだと、思います。難しいことはわかりませんが……ラウルさんがリンやアインくんたちのことを考えていることは、わかりますから」
「手伝ってくれ、ハナユリ、エル。子たちのために、余に何ができるかを」
笑顔を向けられたハナユリもエルも、迷う素振りすら見せずに頷く。
「おーいラウルくんはいるかー」
「む?」
何をすべきか、を探そうとするラウルを尋ねてリールがやってくる。
どうやら畑が一段落したようで、手ぬぐいで汗を拭いながらニカっと笑う。
そしてすぐに神妙な顔つきになる。何かあったのか、とラウルも察する。
「畑に獣でも出たのか?」
「いんや。それだったらアイン坊がすぐに蹴散らしてくれるさ」
「では、なにが?」
「上流の方からよ、煙が上がってたんだよ。あっちには使わなくなった小屋があるくらいで、誰か住み着いたのかもしれねぇ」
「小屋、か」
ラウルが拾われた川の上流。そこには泉があり、川はその泉から流れてきている。
そしてリールの言うとおり、そこには小屋が建てられている。それはラウルも確認している。
「誰か――いや、以前にも人の気配があったな」
「そうなんかい?」
それはまだラウルがこの村を訪れたばかりの頃のことだ。自らが生まれ変わった『何か』を求め、上流へ向かった時のことだ。
小屋には確かに人の気配があった。だがノックをしても返答は貰えず、ラウルは気にしつつも戻ってきた。
あれからずっと住んでいるのだろうか。いや、それならもっと早く老人たちが気付くはずだ。
「万が一山賊にでも住み着かれちゃ困るからよ」
「ふむ。そうだな……」
問題を先送りにしていたが、現状この村は大分まずい事態である。
領主は全身甲冑の騎士に殺された。この村は今、領主を失ったまま日々を過ごしている。
それは山賊などに襲われれば、助けてくれる兵士を呼べない、ということだ。
幸いにもエルとラウルがいれば並大抵の賊であれば蹴散らせるのだが――。
「わかった。確認してこよう」
「助かるよ。ワシも若い頃だったら手伝えたんじゃが……」
「無理をしないでくれ。畑仕事だって辛い時があるくらいだろう」
「ほっほっほ。アイン坊のおかげで助かってるわ」
リールももう大分高齢である。リールだけではない。この村に住んでいる者のほとんどはもう老人なのだ。
アインたちが手伝ってくれているから畑も間に合っているが、老人たちも流石にガタがきている。
「……ふむ。それも考えるべきだな」
「そうですね。おじいちゃんたちに無理、させたくないですし」
寄り添うハナユリの腰に手を回し、抱き寄せる。
子供たちの、老人たちの、村の未来を考えながら――ラウルはもう一度空を見上げる。
大空を自由に舞う鳥が、まるで村を見守るように飛んでいる。
(……鳥、か)
ラウルの胸中を過ぎったのは――かつて助言をし、そして消え伝説となった勇者のことだった。