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竜王、人間となる。




「余は……余は、誰なのだ。そして、お主は……?」

「記憶が……ないんですか?」

「違う……いや、そう、なのか……?」


 人間となった竜王は動揺を隠せない。

 かつて竜王だった記憶は確かにある――それも、死に際の勇者との問答まで鮮明に覚えているほどだ。

 かつての配下たちも思い出せる。竜王である自分が何をどうして、人間の世界を侵略しようとしたかも、覚えている。

 けれど、そこまでだ。

 竜王は自らが死んだことまでわかっている。

 だからこそ、困惑している。




 今は確かにヒトである。だが、ヒトとして生きてきた記憶など一つも無い。

 咄嗟に女性に向けて出た、「そう、なのか」という言葉はそこに起因している。

 ヒトである記憶が一切ないのだから、記憶喪失も同然だろう。

 だが、だが、だが――この、竜王の記憶は、なんなのだろうと。


 己に問いかける。己は竜であり、全ての魔族を支配下に収めた王であると。

 答えは是。自身は真に竜であり王である――それ即ち勇者に討たれ、死した存在である。


 死したことに悔いなど無い。生を乞うたこともない。

 だから、どうしても竜王は今の自分が信じられない。


「余は、何者なのだ。なぜだ。どうして」

「……大丈夫です」


 ふわり、と頭が撫でられて竜王はハッと顔を上げた。目の前には美しい女性の顔がある。

 竜王をあやすように、微笑んでいる。頭を撫でられていると、先ほどまでの困惑と不安が嘘のように小さくなっていく。


「大丈夫です。そんなに怯えなくて、いいんですよ」

「……余は」


 何かを言おうとした竜王の口を、そっと女性は指を当てて強引に閉じさせた。

 落ち着きを取り戻した竜王は布団から起き上がると、居住まいを正して女性と向かい合った。

 先ほどの幼子も、女性の背中に隠れながら竜王を睨むように見ている。明らかに警戒されている。


「はじめまして。私はハナユリ、と申します」

「余は……ラウル、と呼んでくれ」

「はい、わかりました。ラウルさん」


 竜王として――いや、王になる以前に呼ばれていた名前。

 今は人間となっているのであれば、個体名を分ける為に名乗った方がいいのだろう、と竜王ラウルは判断した。

 名前を聞いてハナユリもにっこりと笑顔を見せる。そしてハナユリの背中に隠れていた、彼女と同じ髪と目の少女も身を乗り出した。


「リンは、リン」

「ハナユリとリン、か」

「ええ。この子は私の娘で、ラウルさんを見つけたのも、この子なんですよ」


 ハナユリはリンを膝の上に座らせると、リンの喉元を細い指先でくすぐる。

 くすぐったそうに身をねじるリンを見て、ラウルも頬を緩める。


「リンはちょっとだけ人見知りしますが、こーんな可愛い()なんですよ」

「や、やめろー」

「うむ。可愛いではないか」


 微笑ましい母子のスキンシップを眺めながら、ラウルは窓から空を見上げる。

 鳥が自由に空を飛んでいる。あの空を、かつての自分も飛翔していた。

 続けて広げた自分の手の平を見つめ、何度か握っては開いてを繰り返す。

 何度確かめても、この感覚は竜のものでは無い。明らかに過去とは別の――人間の感覚なのだろう。


「そういえば、リンが余を見つけた、と言っていたが」

「あ、はい。そうなんですよ」

「……おかーさんと川に洗濯にいったら、流れてきた」

「流れてきた……?」

「はい。上流からどんぶらこ、どんぶらこと。たまたま私が水を汲もうとしていた桶に引っ掛かったんです」


 リンとハナユリの言葉に嘘はないのだろう。というより、嘘を吐く必要性がない。

 川から流れてきた。勿論だが、ラウルには覚えがない。だがもしかしたら、そこに何か手掛かりがあるのではないか。


「その川はどこにあるのだ?」

「この村の端っこですね。北側に流れています」

「そうか。……行ってきても、よいか?」


 ラウル自身、どうしてかハナユリに聞いていた。ハナユリはくすりと微笑みを向けてくる。ハナユリの微笑みに、ラウルも微笑みを返す。


「行ってらっしゃい。なにかわかってもわからなくても、ここに戻ってきて構いませんので」

「……いいのか?」

「困った時はお互い様、ですよ」


 ハナユリはリンのことを娘と紹介していた。竜王とて、人間の暮らしは理解はしているつもりだ。

 娘がいるのであれば、ハナユリは母親。つまり、父親もいるということだ。

 だが父親と呼べる存在は話している最中には姿を見せなかった。

 狩りでもしているのだろうか。感じた疑問を飲み込みながら、ラウルは借りた衣服に袖を通す。


 家を出るラウルを、ハナユリとリンが見送ってくれる。リンの手を掴んで、二人で手を振る。そんな二人に手を振り返しながら、ラウルは川を目指して歩き出した。




 街の外れにある川は、ラウルを待っていたかのように静かに流れていた。

 目立つ所といえば桟橋くらいなもので、恐らくあそこでハナユリは洗濯をしていたのだろう、とラウルは予測した。


「特に変なものは……ないな」


 川原には様々な種類の石が転がっているだけで、これといった特徴はない。

 なにかあるものかと考えたものの、考えてみればラウルはここに流されてきたわけで、ここに何かがあるわけではないのだ。

 そもそも普段からハナユリが使っている川であるのならば、彼女が何かに気付くだろう。ハナユリから何も告げられていないのであれば、それはこの川には何もない、ということだ。


 川の上流へ視線を向けると、一層木々が茂っているのがわかる。

 桟橋からでは上流の先を見ることは出来ず、ラウルが流されてきた方の詳細はわからない。

 一通り河原を見て回っては見たものの、大した収穫は得られなかった。

 ではどうしようか、と自問する。目的地は不明だが、上流に向かうべきだろう。


 上流に向かって歩き出したラウルは、時折川を覗いて自分の姿を確認していた。

 竜であったラウルにとって人間の顔立ちはわからないものの、それなりに整った顔立ちだろう。金の瞳と、乱雑に切り揃えられた黒髪。褐色の肌はラウルの知る限り、大分健康的に見える。

 加えて体格もそれなりに立派だ。

 かつて幾度となく竜王である自身に挑んできた屈強な勇士たちと遜色ない体格をしている。

 試しに身体を動かしてみても、身体能力の高さが手に取るようにわかる。

 だが魔法は使えない――魔力の気配は一つとして感じない。


「こんなところか」


 自分の身体を理解しつつも、ラウルは歩を緩めない。いつしか河原はなくなり、地面を踏み締めていた。木々は一層茂っており、足の踏み場すらなくなっていく。

 だがラウルが求める答えは見つからない。

 上流をいくら目指してみても、魔力の痕跡すら見当たらないのだ。


「……あれは」


 川沿いを歩いていくラウルが見つけたのは、小さな泉だ。恐らくここが水源なのだろう。そしてそこには、ぼろぼろの、今にも崩れそうな小屋もある。

 かすかにだが人の気配を感じた。

 川の水源に近いここならば、ラウルが流れていったことを知っているかもしれない。

 ものは試しにと、ラウルは小屋の扉を開こうと手を掛けた。

 だが扉は開かない。固く閉ざされてしまっている。


「む……。誰か、いないのか?」


 中に誰かがいる気配はする――が、誰もラウルの言葉に反応しない。

 試しに扉を数回ほどノックしてみるが、反応はない。


「突然尋ねて申し訳ない。昨日から、そこの川で流された人物のことを知らないか?」


 扉越しに語りかけてみても、返事はない。何度か同じように語りかけてみたが、小屋の中から返事来ることは一回もなかった。


「むぅ……」


 ラウルは手詰まりを感じていた。自分がどうして人間となったかがわからない。

 落ち着いて考えてみれば、自分が死んでからどれくらいの月日が経っているのかすらわかっていないのだ。


「……戻るとしよう。余自身のことも気になるが……それよりも、世界のことが気になる」


 小屋に背を向けて歩き出す。ラウルの頭の中は、もう自分のことよりも時勢のことでいっぱいだった。

 自分が死んで、魔族たちはどうなったか。勇者がもたらした勝利に、人類はどう応えたか。

 果たして――今の世の中は平和なのだろうか。

 ハナユリの様子を見ていると、平穏ではあるはずなのだが。

 胸中を過ぎった不安を、ラウルは胸の内に押し込んだ。


「大丈夫だ。世界は平和なはずだ。でければ……余と勇者の戦いは、意味の無かったことになる」


 自分に言い聞かせるように、ラウルはぼそりと不安を零した。

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