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竜王、自身と向き合う。

竜王、向き合う。




「それでラウル様。奥様とはいかがお過ごしですか?」

「む?」

「え?」

「むー?」


 エルたち人狼族を村に迎え入れ、ラウルが村長となってから早くも一ヶ月が過ぎようとしていた。

 アインスたちは積極的に畑を手伝い、村に貢献してくれている。


 エルは人狼族の長として、また、村の一員として畑を手伝うばかりではなく、長となったラウルのサポートに徹してくれている。

 畑の収穫量や税について分かりやすく纏め、開墾や育てる作物についても非常に詳しかった。


 今日も冬を越すにあたり必要になるであろう食料について話し合う為にラウルの元を訪れたのだが。

 突然のエルの発言に、ラウルもハナユリも硬直してしまう。

 リンは相変わらずラウルの膝の上でごろごろしており、甘えっぱなしだ。


「エル、お前は勘違いをしている」

「と、いうと?」

「余とハナユリは別に夫婦(めおと)ではない。余が世話になっているだけだ」


 チクリと走る胸の痛みから目を逸らし、ラウルはエルの誤解を解く為に説明する。

 正直な話をすれば、ラウルはハナユリに惹かれている。その感情がどういうものかは理解していないが、ハナユリには、ずっと傍にいて欲しいと考えている。


「ほう。そうなのですか、ハナユリ殿」

「えっと……は、はい……」


 どうしてそこで言葉を濁す、とラウルは心の中で必死に動揺を押し殺す。

 ましてやハナユリは頬を紅潮させて照れるようにしているのが、ラウルにあらぬ誤解を抱かせようとする。


「……では、妾がこれからラウル様のお世話をさせて頂いても構わないので?」

「え……」


 エルの言葉はハナユリにとって想定外だったのだろう。ショックを受けた表情のハナユリは、言葉を失っている。

 それがエルにも予想外だったのだろう。けれどもエルは動揺一つ見せることなく、言葉を続ける。


「妾はラウル様に大恩があります。それは村への貢献くらいでは返しきれないものです。四六時中、常に御身の傍に置いていて貰いたい。この身全てを賭けて尽くしたい、と考えるほどに」


 エルの言葉は少しばかり穿った言い方だ。困惑するハナユリを余所に、エルの胸中を見抜いたラウルは黙っていることにした。

 対するハナユリは、ラウルがこれまでに見たことがないくらい動揺している。


「えと、えと……そ、それはですね。ラウルさんは……そ、そう。リンが懐いてますしっ!」

「そうだそうだー。おとーさんはリンのおとーさんだー」

「ふむふむ。そうですか」


 うんうんとしきりに頷くエルを一瞥すると、気付いたエルはハナユリやリンに気付かれないようにこっそりとラウルに向かって微笑む。

 悪い癖だ、とラウルは嘆息しつつも、殊の外今の状況を楽しんでいる。


 ラウルはハナユリに笑顔を取り戻した、とは村人たちの言葉だ。

 そしてエルは、ハナユリから笑顔ではない――それ以外の感情を、引き出そうとしている。


「はぁ。妾はハナユリ殿がラウル様を慕っていると見えたのですが、気のせいなのでしょうか」

「な―――なななな何を言っているんですかそそそそんなのむしろラウルさんに失礼ですよ!?」


 ぼん、とハナユリが、弾けた。顔を真っ赤にし、慌てて両手を振り回している。

 それはこれまでに一度も見たことがないハナユリの新たな一面であり、ラウルも思わず口元を押さえて黙り込んでしまう。


「おー。おかーさん顔まっかだー」

「こ、こらリン。なにを言っているの。赤くなんかありませんっ」


 顔を真っ赤にして言う台詞ではないと、ラウルは必死に笑うのを抑え込んだ。

 普段は寡黙そうで、けれども慈愛に満ちた落ち着いた女性。それがハナユリのイメージだった。

 だが今のハナユリはまるで少女そのものであり、普段とのギャップはラウルに効果覿面のようだ。


「ら、ラウルさんも笑わないでくださいっ」

「す、すまんな。はは、だがハナユリよ。いつもとは違うお前の今の表情、余はとても好ましいと思うぞ」

「~~~っ!」


 してやったり、と言わんばかりにエルはにやにやと笑顔を浮かべている。ラウルはたまらずエルに向かって親指を立て、エルも決め顔で親指を立てるのであった。


 ………

 ……

 …


 「畑に行ってきますねっ!」と勢いよく飛び出していったハナユリを、リンは楽しそうに追っていった。

 家の中ではラウルとエルだけが残され、エルはこれ幸いとばかりにラウルの膝に抱きつくように横になっている。


 とても人狼族の長とは思えない、まるで子犬のような仕草。ラウルもついつい頭を撫ででしまう。


「エルよ。あまりハナユリをからかうな」

「おや、可愛かったではありませんか」

「うむ。非常に魅力的な表情だった」


 念のためエルを諫めようとするが、エルの言葉につい賛同してしまう。

 ハナユリには笑顔が似合うと考えていたラウルだが、幼い少女のような反応は、とてもラウルの琴線に触れていた。


「ラウル様が好きな女性ですから、お二人に夫婦になってもらう為ならエルは努力を惜しみませぬ」

「…………好き?」

「ええ」

「余が、ハナユリを?」

「ええ」

「好き……。そうか、これが……好き、か」


 好ましい、とラウルは自然と口にしていた。けれども彼の中で「愛情」という感情はほとんど希薄なもので、誰か特定の存在に向けられたことはなかった。


 竜王ラウルは、己に真摯な存在全てを肯定する。


 それは彼の過去――竜王であった頃の、特別な生い立ちに起因するものである。

 だがラウルはそれすら自覚しておらず、今の今まで当たり前だと感じていた。


 胸に灯る温かな感情に、ラウルははじめて向き合った。


 心に思い浮かぶ情景は、自分が生まれた場所。

 枯れない花を開き続ける大樹の麓で目を覚ます、竜であった己自身。

 四方を水に覆われていて、自分以外のなにものも視覚出来ない世界。


 空を見上げて、水面を見つめて。


 鏡映しになるかつての竜王(じぶん)に、手を伸ばす。


 かつての自分の隣には、エルがいた。

 他にも沢山の魔族がいた。自分は彼らを見ていない。

 だからこそ、彼らの思いもなにもかもを知らないでいた。


 結局のところ、竜王ラウルは我が儘だった。

 そんな彼の孤独の世界に、真なる(あか)が花開く。


「……そうだな。余は、ハナユリを愛している」

「ようやく自覚されてくださいましたか」

「余は、そんな風に見えていたのか?」

「ええ。ハナユリ殿を見る目だけが、とても優しいものでしたので」


 それはずっと彼の傍にいたエルだからこそ、より鮮明にわかってしまうものだった。

 もちろん村の者たちもわかってはいた。ラウルがハナユリに惹かれ、そして――ハナユリもラウルに惹かれていることを。


 けれど村人たちには負い目がある。だから二人の背中を押すことは出来なかった。

 エルだから、半ば強引にでもラウルの背中を押せたのだ。


「ううむ……」

「どうかされましたか、ラウル様」

「いや、な。……ハナユリは、夫を失っている。まだ傷が癒えてないであろうあやつに、余が愛情を抱いていると知られたら、嫌われるのではないか?」

「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」


 途端に弱気になったラウルに、エルは盛大にため息を吐いた。


「死者は言葉を発せません。思いを告げることも出来ません。それは全て、生者の特権です」

「……だが、我ら魔族は、ハナユリから夫を奪ったのだぞ?」

「確かにそれは魔族の責任でしょう。ですが、ラウル様の責任ではありません」

「だが」

「――死者を想って生者が出来ることは、幸福になることです。遺された者は、死んでいった者の想いを受け継ぎ、成すべきことを成すだけです」


 それはこれまでの人生から語られる、エルの言葉だ。

 孤独であったエルは、竜王ラウルに救われた。

 これからはずっと、付き従い、守ると誓って。


 けれど、竜王ラウルは死んだ。

 遺されたエルに出来ることは、遺された魔族を守ることだけだった。

 人間への復讐の気持ちよりも、竜王の思い――自由を尊重し、尊厳を守ることを優先した。


 だがその思いも、百年の時の内に霞んでしまった。

 仲間はどんどん死んでいき、最後の人狼族の大半も死んでいった。

 領主に捕まり、かろうじて子供たちを逃がして――共に捕まった仲間たちは、誰一人救えなかった。


 それでもエルは、生きている者として、悔やむことよりも未来を見ている。

 子供たちが幸せに生きる世界を望んだ。

 再会できたラウルの幸福を望んだ。


「ラウル様がハナユリ殿に出来ることは、あの方を幸せにして、笑顔にする――そうではありませんか?」

「……そう、だな」


 亡くした人を惜しむことは、ラウルには出来ない。

 ラウルに出来ることは、ハナユリを笑顔にすることだけだ。


「うむ。そうだな。余は、ハナユリを愛している。余が出来ることは、ハナユリを笑顔にすることだな」

「エルも応援しております。是非ともハナユリ殿と、添い遂げてください」


 小さな拍手と共に、エルは少しだけ寂しそうに笑った。

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