竜王、救出する。
「どうにかして、この鎖を外せぬものか」
一時の抱擁を交わし、名残惜しさを感じつつもラウルはエリクシア――エルから身体を離した。
人間となったからこそ交わすことの出来た抱擁は、百年越しの再会には格別のものだった。
思えば竜であった頃は触れ合うことさえ敵わなかったからか――エルはほんのりと頬を赤く染め、余韻に浸っている。
「鍵は領主が持っていると思いますが……恐らく、警備は厳重です」
「で、だろうな」
「……竜王様、アインスたちは、元気なのですか?」
「うむ。余が世話になっている村で、元気に暮らしておる」
「人間と……暮らしているのですか?」
「皆、魔族であろうと受け入れてくれた。優しい者たちだ」
エルには何か思うところがあるのだろう。少しの逡巡の後に、何かを決意した表情を浮かべる。
「竜王様、少し離れてもらえますか?」
「うむ?」
「アインスたちが無事で、大人たちが皆死んでしまったのであれば――妾が此処に残る理由もありませぬ」
「そうだが。そのためには鎖を――」
「ふんっ」
「……おおう」
エルが小さな声で力を込めると、バキ、と拘束していた鎖が砕け散る。
パラパラと鉄の破片を払うと、エルはにぱ、と底抜けの笑顔を見せた。
ラウルの質問はわかっているとばかりに、エルは苦い顔をする。
「アインスたちや、彼らを見捨てることは出来ませんので」
「そうだな」
エルは人狼族の長として、彼らを見捨てることは出来ない。
だから彼らが生きている以上は、一人で抜け出すことは出来なかった。
……けれど、逃がしたアインスたちの無事と、助けるべき大人たちが救えなかった――もう此処には自分しかいないとわかれば、いつまでも拘束されている理由はない。
「この程度の鎖ならいつでも壊せました」
「……そうだな。お前は、優しい奴よ」
「優しくなどありませんよ。……大人たちは、誰も守れなかった。長失格です」
うな垂れるエルの頭を、ラウルは優しく撫でた。
心地よさに目を細めるエルは、とても百年以上を生きてきた人狼族とは思えないほど、幼さを感じさせる。
「ところでエル、領主とはどのような男なのだ?」
「領主、ですか。……ええ、非常に狡猾で、浅ましい男――」
エルが言い切ろうとしたところで、くぅぅ、と腹の音が鳴った。
ばっ、と顔を真っ赤にしてお腹を押さえるエルと、不意を突かれて笑ってしまうラウル。
「し、仕方ないのですっ。食事などろくに提供してもらえませぬし!」
「ふ、ははは。そうであったか……っ」
「~~~っ!」
頬を膨らませて不機嫌になるエルが、過去には見たことのない表情で、ラウルは口を隠して必死に笑いを堪える。
人間になってから、どうにも竜との感覚の違いに戸惑うことがある。
竜であった頃はエルの如何なる仕草を見ても感情は動かなかったが、今は彼女が溜まらなく可愛く見える。
「急がばならぬが、一先ずは食事にしよう」
「へ、減っておりません! 餓えてなどおりません!」
「嘘は身体に毒だぞ」
背負っていた袋から、ハナユリが用意してくれたパンを取り出す。
一昼夜は経ってしまっても、まだそこまで固くなってはいない。
久しぶりの食料を見て、エルはごくりと唾を呑んだ。
「その村で作られたパンだ。美味いぞ」
「……………………頂きます」
ころころと表情を変えたエルであったが、観念したとばかりにラウルからパンを受け取った。
一口変えれば目を輝かせ、詰まらせんばかりの勢いでパンを咀嚼していく。
「んぐ、んぐ、うまい。うまい……っ」
貪るようにパンを食べるエルの頭を、ラウルは優しく撫でる。
三つもパンを平らげると、エルはほう、と優しいため息を吐いた。
「とても、美味しゅうございました。これを作った人は、腕の良い料理人なのでしょう」
「うむ。あやつの料理の腕は格別だ」
エル――魔族にハナユリが褒められたことが、ラウルは嬉しい。
満たされたエルは、今度こそはとばかりに話を続けようとする。
だがそこで、異常に気が付いた。
「……竜王様、おかしいと思いませんか?」
「うむ?」
「監視すら来ません。いくら深夜とはいえ、あの領主が妾をそこまで放置するはずがない」
語らい、鎖を壊し、食事をして。
それなりに長い時間を過ごしてしまったが、一向に領主、ないし監視役の人間は姿を見せなかった。
エルは異常に気付いている。くんくんと鼻を鳴らすと、鋭い目つきで扉の向こうを睨み付けた。
「血の臭いがします。同胞のではない。……それも、屋敷から」
「何かが、起きているのだな?」
「はい。抜け出すなら絶好のチャンスではあると思いますが――」
「いや、行こう」
ラウルとしては、領主がどのような考えで人狼族を捕らえたのか、エルをどうしようとしていたのか問い詰めたかった。
そして、今。領主に何が起こっているのかも、気になっている。
嫌な予感がする。
「わかりました」
ラウルの判断に、エルは迷うことなく従う。
本来であれば抜け出す好機である。傷ついた身体を癒してからでも遅くはないだろう。
けれどエルはラウルに従う以上に優先することなどない。
「行きましょう、竜王様」
物音を立てぬように扉を開いたラウルとエルは、屋敷の中を窓から覗く。
屋敷の中は蝋燭の明かりで満たされてはいるが、不自然なほど誰もいない。
「使用人がいない屋敷なのか?」
「いえ、むしろ使用人ばかりの屋敷なはずです。領主とその息子、そして百人以上の使用人……妾の知る限りでは、かなりの人間がいるはずです」
「では、何故だ?」
ラウルの問いにエルは首を横に振る。
異常であることはわかるのだが、その異常がわからない。
屋敷の中に乗り込むべきかどうか考えあぐねているラウルの耳に、かすかに悲鳴が聞こえてきた。
「竜王様、これは――」
「行くぞエル!」
「は、はい!」
迷わず一歩を踏み出したラウルに、エルは戸惑いつつも追従した。
躊躇わずに窓を割り、中に乗り込む。不気味なほど静かな廊下を、悲鳴が聞こえた方に向かって全力で走る。
(……竜王様、速い!)
追従するエルは思わず主君を抜かさないように気を遣おうとしていた。
だがラウルの全速力はエルの目から見ても凄まじいものだった。
ただの人間であれば有り得ないほどの速度で、ラウルは廊下を駆け抜ける。
飛び込むように扉を蹴破っていくと、悲鳴の主を発見した。
だがその主は、もうすでに倒れていた。
「あぁ? 誰だてめぇは。このクズの仲間か?」
床に転がっている男性を見下ろしているのは、灰色の全身甲冑に身を包んだ騎士のような存在。
兜によって素顔すら隠した騎士は、肌の色すら見えないほどだ。
辺りは血に塗れている。
血溜まりに寝転がっている男性は指一つ動かさない。
血に塗れた鎧騎士の姿から、彼、ないし彼女がしたことだとは断定出来る。
そしてその騎士は、血に濡れた剣を握りしめたまま、ラウルを見据えた。
「仲間、ではない。だが、この状況は――」
「ッハ。誰だか知らねえが、丁度いい」
血気盛んな騎士は、領主と思われる男性の死体から視線を外し、ラウルにその視線をぶつけた。
ピリピリと伝わる殺気に、ラウルも咄嗟に身構える。
「待て、余は戦うつもりは――」
「黙ってろ。人間だろうと魔族であろうと関係ねえ。オレが、全部、ぶっ殺すッ!!!」
――強い憎悪を、肌で感じた。