竜王、説得する。
「理由を、聞かせてもらえんのかのう?」
リールの質問はもっともだ。老人たちは本心を語り、ラウルに村の長の座を頼んだ。
だがラウルはまだ胸の内を明かしていない。老人たちが納得できる理由を語らねば、そう簡単には引き下がってはくれないだろう。
「……わかった」
ラウルも腹を括る。
未だ胸に抱いている――気に掛けている、人狼族の大人たちのことを。
それを語れば、老人たちに拒絶されるかもしれない。人間を守らず、魔族を救おうとする。それが如何に背信的な行為であるかくらいは、ラウルも理解している。
だが、語らねばならない。それが、ラウルという個人の性だから。
「余は、アインスたちを逃がした人狼族の大人たち……彼らの安否を気にしている」
ラウルが思った以上に、老人たちは落ち着いて話を聞いていた。むしろ――ラウルの性格を、考えを見抜いていたのかも知れない。
けれど、ラウルは言葉を続ける。語らなければ、言葉を交わさなければ、思いは通じないと考えているから。
「だから余は、彼らを探しに行くつもりだ。……アインスたちは大きな屋敷、と言っていた。ここいらでそんな大きな屋敷は、領主のものくらいだろう」
「この村を……いや、ユリちゃんたちを置いて、か?」
「ああ。余の我が儘に、巻き込むことなど出来るはずがない」
我が儘。ああ、そうだ。これはラウルの我が儘だ。
幸いにもアインスたちは魔族でありながらリールたち村人に受け入れてもらえた。
だがそれはアインスたちはまだ子供であったからであり、村人たちの中で魔族への感情が失せたわけではない。
大人たちであれば、平気で人間を傷つけるかもしれない。
その可能性を考慮すれば、人狼族の大人という存在は、限りなく危険である。
故に、村の老人たちは誰一人としてそのことを口外しなかった。
「ラウルくんは……それが、どういう意味かは、わかっているのじゃな?」
「……ああ。人狼族の大人たちに関わることが、この村……いや、ハナユリの顔を曇らすことを」
「君にとって、ユリちゃんはその程度の存在なのか? 顔も名前も知らない、ましてや魔族と、ユリちゃんの笑顔は、同じなのか?」
苦しそうで、悲しげなリールの言葉に、ラウルは僅かに胸が痛む。
目を閉じて、顔を伏せる。
同価値か、と問われたのだから――リールは、ハナユリを優先してほしいのだろう。
いや、違う。リールたち老人にとって、知らない魔族よりもハナユリが優位なのは当たり前なのだ。
だからラウルも、ハッキリと断言する。
「人の命は、全て平等だ。ハナユリの笑顔も。アインスたちの笑顔も。あなたたちこの村の人々の生活も、――そして、人狼族の大人たちも。等しくこの世を生きる命である」
「っ……」
「魔族があなたたちの大切な存在を奪ったということは重々承知してる。だが余は、見捨てられないのだ。人狼族の大人たちは、自分たちを省みずにアインスたちを逃がしたのだ。子供たちを。自分たちの、未来を守ったのだ」
言葉にして、ようやくラウルは自らの感情に納得がいった。胸の靄が晴れていく。
それはこの時代に生まれ変わったラウルが、ようやく見つけた一つの答え。
昔から何一つ変わらない、信念である。
「子は宝だ。子は未来だ。子を奪われた気持ちは痛いほどわかる。だが同時に、あなたたちなら、子の未来を守ることが、どんなに大事なことかわかっているはずだ。この未来を守る親というものが、どれだけ立派なことか、知っているはずだ」
「……しかし! それでも魔族は、ワシらの未来を奪ったのじゃ……」
「わかっている。わかっている……!」
老人たちの嘆きも何もかも、これまで過ごしてきた日常の中で十分感じ取っている。
リンを見守る眼が、ハナユリを見守る眼が、どれだけ慈愛に溢れていたものか。
残されたものとして、最後の宝物として、どれだけ二人を守っていたか。
だからこそ老人たちは、ハナユリに笑顔を戻したラウルを歓迎した。リンが懐いたラウルを歓迎した。
ハナユリとリンが、老人たちにとって最後の宝物だから。
ラウルは握った拳を震わせながら、流れてくる涙を我慢もせずに思いを吐露していく。
「魔族を許せと、余は言えない。魔族は人間を襲い、大切な人を奪ってきた。そんな彼らを許すことなど、出来るはずがない。だが、だが……余は、それでも彼らを見捨てたくないのだ……っ!」
「それでラウルくんは……いいのか? 人狼族を助けるというのならば、この村には戻れないと、承知して?」
改めて言葉にされると、現実がラウルを襲う。
人狼族を助けに行けば、この村には戻って来れなくなる。
それも当然だ。老人たちは人狼族を救うことに反対している。
その反対を押し切るというのなら、この村に残ることが許されるわけがない。
ハナユリやリンを託すことは出来ないと、告げられているのだ。
「……っ」
当然ラウルとて覚悟はしている。
ハナユリとリンを選ぶか、人狼族を選ぶか。二者択一を迫られている。
覚悟はしている。だが、言葉にすることは、ラウルには出来ない。
「余は、ハナユリとリンを見捨て、遠くに行くことなど出来ない」
「なら――」
「だが、人狼族を見捨てることも、出来ない」
「……どちらかを選べと、ワシらは言っている。それがわからない君ではないだろう?」
「ああ」
ラウルはどちらも手放したくない、と考えている。
村長となり、ハナユリを、リンを守る人間としての未来。
人狼族を助け、守る……魔族としての未来。
――遠い日に、勇者に討たれたあの日に、再び確信した、己が信念。
"国家にも、人にも縛られず、自由に生きて、己が信念の為に、その力を使えばいい"
「余は、どちらも選びたい」
「なんじゃと?」
「余はハナユリも、リンも、アインスたちも、人狼族も。そして、あなたたちも――全てを守りたい」
「ワシらが魔族を疎んでいても、か?」
「余は、あなたたちに、魔族を許せ、とは言えない。だが……魔族を認めて欲しいと……そう、思っている」
「認める、じゃと?」
「彼らがどのように生きて、どのように暮らして……どのような思想を、信念を持っているかを、知ってもらいたい。きっと、きっと必ずどこかに、わかり合える部分があると。余は、あなたたちを信じている」
過去のラウルは、魔族のことしか知らなかった。人間を少なからず見下していた。
お互いを知ろうともせずに争い、そして結果として勇者に討たれた。
もしかしたら、戦うことなく、共に暮らすことが出来たのではないか――嫌気が差していたころに、ぼんやりと考えていた夢物語。
人間になった――いや、人間として暮らして、人間の思いを知ったからこそ、夢物語ではないと確信した。
「人間は、魔族のことを知らない。逆に、魔族も人間のことを知らない。魔族が起こした戦争で、相互理解をする余裕がなかったことは知っている」
「じゃがワシらは、魔族に子を奪われた。君が言う未来を、ワシらは魔族に奪われている……っ!」
「だからこそ、子を守ろうとした人狼族の気持ちを、あなたたちなら理解出来ると、信じているのだ!」
「っ……」
気付けばラウルは床を叩いていた。それはラウル自身にも言葉に出来ない激情で、老人たちはそんなラウルを見て驚いている。
「余は奪われていない。奪われる苦しさを知らない。だから、許してくれとは言えない。だが、だが……手を伸ばせば、わかり合えるかもしれない。そんな一縷の希望があるというのに、手を伸ばすことすら諦めては、前に進めないのだ」
大粒の涙を流しながら、ラウルは訴える。
ラウルは人間として、老人たちの気持ちを知った。かつては竜王として、魔族を知っていた。
ラウルは唯一、二つの種族を理解している存在なのだ。
どちらも同じ世界に生きる者だから――そこに、壁なんて存在しないと、断言出来るから。
「……ラウルくん。それが、君の決断なのかね?」
「ああ。余は……人間も魔族も、手を取りあって欲しい。助けを求めているのであれば、手を伸ばすのは――人間も魔族も関係ないと、考えている」
顔を上げたラウルの顔には、覚悟がしっかりと見て取れた。
リールが息を呑む。老人たちは顔を伏せ、ラウルから目を逸らす。
「……そうか」
リールは大きく息を吐くと、一度腰を持ち上げて、座り直した。
それだけの仕草で、わずかに場の空気が和らいだ。続けて老人たちもため息を吐き、座り直していく。
「わかった」
「本当か!?」
「だが、条件がある。……ユリちゃんの承諾を貰うことじゃ。あの子が認めたのなら、ワシらも受け入れよう」
それは、老人たちを説得するよりも難易度の高い提案であった。
だが、ラウルは微笑んで頷いた。




